『すべてがFになる』森博嗣 について

杜崎 結

私たちは距離をどう捉えるのか

“今は夏。彼女はそれを思い出す。”(P.9)


 静かな一文からはじまるミステリの大傑作。絶海の孤島で起こった密室殺人を巡る推理と驚くべきトリックは、名作映画である『羊たちの沈黙』を思わせる。しかし、本作が傑作たるゆえんは、そのミステリとしての完成度の高さだけではない。

 

 20年以上も前の作品ではあるが、まるで現在の世界を予言するかのような確かな洞察による作中の会話は、洒脱でありながら、作者の森博嗣氏の卓越した先見性を示すとともに、現代の生き方への有益な示唆に富む。


 特に、主人公の一人である西之園萌絵にしのそのもえが、天才・真賀田四季まがたしき博士と面会する冒頭のシーンでは、人の移動が抑制された世界におけるリモートでのコミュニケーション、VRに関する技術的進歩の輪郭をまごうことなく捉えており、それを受け入れる人間の倫理観の問題さえも予見しているかのような圧巻の会話が繰り広げられている。


 例えば、真賀田博士は、人類の未来について、 


"他人と実際に握手をすることでさえ、特別な事になる”(P.21) 


 と予言する。

 

 また、VRについて語った


“(前略)仮想現実は、いずれただの現実になります”(P.19)


 というセリフは、もはや我々が現実として捉えつつある状況を端的にあらわしたものであろう。

 なお、この場面では、VRの進歩を的確に捉えており、そのハード的な問題の解決よりも人間の意識を問題としたセリフがあるが、そうした環境下に育つ世代には受け入れられるであろうことも示唆的に描かれている。これは、いわゆる「デジタル・ネイティブ」世代やそれ以降のジェネレーションのことを考えれば、その示唆通りになってきたと言える。


 このように、技術や時代を捉える先見性の卓越は本書の大きな魅力である。

 

 しかし、筆者がコロナの時代の読書として本書をすすめるのは、

 物語の中盤に真賀田博士が放つ


"どこにいるのかは問題ではありません。会いたいか、会いたくないか、それが距離を決めるのよ"(P.279)


 といったセリフに見られる本質をつく言葉の数々である。


 これらの言葉には、「ソーシャルディスタンス」や「新しい生活様式」などのにはない、普遍性が備わっている。


 同作から連なる全10作品はS&Mシリーズと称され、密室ミステリとして名高いが、どの作品も一つのジャンルに収まることない豊かさが広がっている。現代を生きる我々の価値観というOSをアップデートする上での確かなガイドとして、改めて、今読むべき作品である。


※本文引用ページはすべて、講談社文庫版『すべてがFになる』による

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