第42話 デートをするカップル。

「ねえ、これから少し遠出しない?」

 放課後。

 いつものように教室を出たところで、結朱ゆずが唐突にそんな提案をしてきた。

「いいけど……どこ行くんだ?」

 今日は五限目までで授業が終わったため、てっきり一時間多くゲームができると思っていた俺は、意外な提案に首を傾げた。

「少し離れたところにある湖畔こはんのキャンプ場。日帰りデートにも最適だって友達に教えてもらってさ」

「へえ……湖畔か。いいな、俺も滅多に行かないし」

 基本的にインドア派な俺だが、別にアウトドアも嫌いじゃない。

「じゃあ決まり! 早速行こっか!」

 ハイテンションで俺の手を引いてくる結朱に連れられ、学校を出た。


 そうして電車とバスを乗り継ぐこと三〇分。

 俺たちは結朱が行きたがっていた湖畔キャンプ場に辿り着いた。

「へえ……こんな場所があったんだ」

 思わず、感嘆の吐息をこぼす。

 鏡のように青空を映す湖と、それを覆う紅葉の木々。

「綺麗だねー。これから日が暮れると、夕焼けが湖に映ってもっと綺麗になるんだって」

 結朱も同じように湖を眺めながら、興味深い追加情報をくれる。

「それは楽しみだな。じゃあ、それまで待ってようか」

「うん。あ、ここボート借りられるみたいだよ」

 二人乗りボート(有料)と書かれた看板を指差す結朱。

「せっかくだし、乗ってみるか?」

「うん!」

 頷く結朱と一緒に受付に向かい、料金を払ってボートを借りる。

 湖の上に浮かぶボートは思ったより小さく、波が来る度にゆらゆらと揺れていた。

「結構頼りない感じだな、これ」

 微妙に不安になる俺に、結朱も頷く。

「ほんとだ。まあ波も静かだし大丈夫だとは思うけど。あ、でも怖かったら私の手を繋いでもいいよ?」

「誰が繋ぐか」

「怖くなくても、私と手を繋ぎたかったら繋いでもいいよ?」

「誰が繋ぐか」

 くだらないやりとりをしつつ、俺たちはボートに乗り込む。

 オールを持って漕ぎ始めると、さっきよりも揺れが強くなった。

「わ、結構揺れるね」

「そうだな」

 オールを漕ぐ速度を少し落とし、のんびりと景色を楽しむことに。

 が、何故か結朱は不満そうな顔をした。

「むぅ……速度を落とすとは分かってないね」

「なんだ、速いほうが好きなのか?」

「いや、速度を上げればボートが揺れるじゃん? そうすれば、バランスを崩して私にくっつくチャンスが生まれたというのに。大和やまと君、惜しいことしたよ」

「真面目に聞いて損したわ」

 これからも安全第一で運行しようと誓う俺であった。

 ボートは進み、湖の中程までやってくる。

 美しい湖と紅葉を内側から見られるというのも風情があるな、と思っていると、結朱がごそごそとバッグから何かを取り出した。

「じゃん! さっき受付で釣り竿とルアー借りてきたんだ。せっかくだし、釣りしようよ」

 得意げな顔で二人分の釣り竿を掲げる結朱。用意がいい奴め。

「釣りかあ。随分と久しぶりだな、中学の時以来かな?」

「私は初めてだよ。というわけでやり方教えてください」

 竿とルアーを俺に差し出してくる結朱。用意がいいのに無計画な奴め。俺が釣りを知らなかったらどうするつもりだったんだ。

「とりあえずルアーは俺が付けてやるから、いい感じに投げろ。あとは流れでなんとかするんだ」

「説明が雑だね! まあいいよ、センスでなんとかするから」

 ざっくりとした俺の説明を、ざっくりと受け止める結朱。

 久しぶりとはいえ、付け方くらいは手が覚えているもので、俺は二人分のルアーを釣り糸に付けると、片方を結朱に渡した。

「ほらよ」

「ありがと、大和君。じゃ、どっちが先に釣れるか競争だね」

「望むところだ。負けたほうはここから泳いで岸に戻るってことで」

「罰ゲームが重すぎるよ! 売店でアイス奢るくらいにして!」

「じゃ、それで」

 そんなやりとりの後、俺たちは湖に向かって釣り竿を振った。

 ぽちゃん、と音を立てて着水するトップウォーターのルアー。

 一人の時は、糸を引いたり、竿を揺らして動かしたりと、釣るための工夫をするところだが、なんだか今はのんびりした時間を味わいたくて、特に工夫もなく水面に浮かぶルアーを眺めることにした。

「なんか、平和だねー」

 結朱も同じ気分なのか、競争とは思えないほどゆったりした様子で釣りを楽しんでいた。

「そうだな」

 水面に映った紅葉を、ルアーの立てる波紋が滲ませる。

 ただそれだけの光景を、結朱と二人で眺めていた。

「えいっ」

 と、不意に結朱が俺の肩に自分の肩を密着させ、体重を預けてきた。

「……なんだよ、急に」

 唐突な密着にドキッとする俺に、結朱はどこか悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「んー? いやほら、船が揺れたからバランスが崩れて」

「平地かと思うほど波がなかったけどな」

「そう? すっごい波だったけど」

 白々しい結朱の言い分を溜め息で流して、俺は水面を見る。

 と、結朱のほうのルアーが、いきなり水中に沈んだ。

「え、わ、えと、なんか竿がすごい引っ張られてるんだけど!」

「魚が掛かったんだろ。俺の負けだな」

 小さく溜め息を吐く俺だったが、結朱は勝ち誇るでもなく、あわあわしていた。

「ちょ、て、手伝って大和君。なんかちょっと怖い!」

「しょうがねえな」

 腰が引けている結朱の反対側から竿を引っ張り、魚を揚げるのを手伝ってやる。

「ちょっと待って! この体勢だとなんかケーキ入刀みたいなんだけど! やだ、照れる!」

「腰が引けてる割に余裕あるな、おい。いいよ、それなら後ろに回るから」

 変なことを言われて微妙に恥ずかしくなった俺は、結朱の背後に回って竿を引くことに。

 ……まあ、これはこれで腕の中にすっぽりと結朱が入ってしまって、ちょっと照れるのだが。

 いかんいかん、変なこと考えてないで魚に集中しよう。

「……む。こいつ強いな」

 釣り竿から伝わってくる手応えは予想より強く、結朱一人では難しそうだった。

 こういう魚は、じわじわと時間をかけて弱らせるのがセオリー。

 ……が、そうなると、この密着状態をずっと続けるということになる。

「結朱、せーので引き上げるぞ」

「わ、分かった」

 それはちょっと避けたいと思った俺は、二人分の馬力に任せて無理やり引くことにした。

「いくぞ……せーの!」

 俺の合図で、二人分の力が竿に伝わる。

 それに反発した魚がぐっと水中に潜ろうとし、竿が大きくしなった。

 こいつ、まだ揚がらないか……!

 そうして拮抗状態が一秒、二秒、三秒続いた時だった。

 プツン、と音がして、竿から魚の手応えが消える。やばい、糸が切れた!

「きゃっ!?」

「うおっ!」

 力を透かされた俺は、足場の不安定なボートのせいで踏ん張りも利かず、そのまま船上で尻餅を着いた。

 と、その上に結朱が重なってくる。

 俺より少し低い体温と、女の子らしい柔らかさ。ふわりと漂う甘い匂い。

「……や、大和君!? そそそ、そんな密着の仕方は駄目だよ!」

 と、結朱が顔を真っ赤にして俺から離れようとする。

 自分よりテンパってる奴を見ると逆に落ち着くもので、俺も沸騰しかけた頭をギリギリのところでクールダウンした。

「いや、さっきは自分から密着してたのに、なんで今回は駄目なんだよ」

「わ、私から行くのはいいの! でも不意打ちは駄目! 覚悟ができてないし!」

 相変わらず打たれ弱い女であった。

「ま、まったく。大和君は……きゃっ!?」

 動揺のせいかボートの上で激しく動いた結朱が、またバランスを崩す。

「あぶなっ」

 寸前のところで俺は彼女の腕を引っ張り、湖に落ちるのを防いだ。

 その代わり、今度は正面から抱き合うような形になってしまったが。

「や、大和く――」

「あ、ちょ、動くな動くな! そう何度も助けられないし!」

 また慌てた様子で腕の中から逃れようとした結朱を、俺はぎゅっと抱き締めて拘束する。

 無限にテンパるループに入りつつあるんだけど。

「う、うぅ……」

 結朱もようやく状況が理解できたのか、真っ赤になりながらも俺の腕の中で大人しくなった。

 となると、今度は静かに二人で抱き合うことに。

 ……あの、俺もすごく恥ずかしいんですけど。

「や、大和君、よかったね。ボートの上でバランスを崩して密着できて。彼氏が潰したチャンスをもう一度あげるなんて、やっぱり私はよく出来た彼女だね」

 真っ赤になり、涙目になりつつも、またいつものナルシスト発言をかます結朱。

「……そうだな。じゃ、せっかくもらったチャンスを活かすか」

 なんだかイラッときた俺は、結朱を抱き締める腕に力を込めた。

「なっ、ちょ……ふにゅぅ……」

 途端、いよいよ結朱は耐えられる恥ずかしさの許容量を超えたのか、奇妙な断末魔を上げると、そのまま黙り込んだ。

 撃沈成功である。



 ボートを降り、釣り竿を返却した俺たちは、岸辺でぼんやりと湖を眺めていた。

 隣のベンチに座る結朱は、深々と溜め息を吐いてみせる。

「まったく、酷い目に遭ったよ。ボートは揺れるし、魚は揺れるし、セクハラされるし」

「人聞き悪いこと言わないでくれますかね。あれは不可抗力です」

 恥じる部分のない、歴とした人命救助である。

 が、結朱はどこか恨みがましい上目遣いで俺を見てきた。

「……最後、ぎゅってしたのも?」

「ボートの上でバランス崩しただけです」

 俺はポーカーフェイスを貫いたまま、結朱の文句を受け流した。

「むぅ……ほんと、散々だったね」

「そうだな」

「でも、楽しかったね」

「そうだな」

 そう、酷い目に遭ったし、散々だったが、なんとなく楽しかった。

 思えば、結朱と一緒にいる時は、いつもそんな感じである。

「二人一緒なら散々な目に遭っても楽しいって、なんか無敵じゃない? 私たち。もうずっと楽しいじゃん」

 満面の笑みで言う結朱に、俺は苦笑で答えた。

「かもな。もうちょっと落ち着いてくれと思わなくもないが」

「なんだよー。大和君だって楽しんでるくせに」

「ま、否定はしないけど」

 湖に視線を向けると、湖面に夕焼けの色を溶かし込み、柔らかな茜色に変わっていた。

 紅葉の赤と、夕焼けの茜色のグラデーション。

「……綺麗だね」

 結朱が、俺の手を握ってくる。

「ああ」

 俺も、自然とその手を握り返していた。

 しばし、その光景を無言で眺める。

 やがて晩秋の冷たい風が吹いてきたところで、俺たちは立ち上がった。

「帰ろっか」

「……ああ」

 一瞬だけ、惜しいと思ってしまう。今日という日が終わるのを。

 しかし、俺はすぐに思い直した。

 結朱と一緒にいるのなら、また明日も同じように楽しい一日が待っているのだろうから。

 そうして俺たちは踵を返し、湖を後にした。

「ねえ、明日は何しよっか?」

「そりゃ部室でゲームですよ。今日外出したんだし、明日はちゃんと引きこもらないと健康になってしまうわ」

「何一つ問題がないよね、それ。ま、私もゲームやりたいからいいけど。ただ大和君はゲームやってる時は、私よりゲームを優先するからなあ」

「当たり前だ。ゲームをやる時はゲームに集中する。これ鉄則」

「むぅ……私とゲーム、どっちが好――」

「ゲーム」

「最後まで言わせなさいよ!」

「ていうか、前もこのやりとりしたな」

「そういえば。あれから時間も経ったし、大和君の答えも変わっていい頃だと思うなー」

「あはは。俺じゃなくてお前の魅力が変わらん限り、答えは同じままだな」

「なんだとー!?」


 どうでもいい会話が家路を彩る。

 こうして、今日も俺たちはいつも通りの日常を過ごすのだった。


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