僕は「人殺し」と呼ばれることを嫌う。

確かに何度かヒトは殺したから、単にそういう意味で「ヒト殺し」と言われるぶんには別に構わない。

だけど、究極の罪を犯した者、背徳者の最たるものとして、最大限の侮蔑と憎悪とを込めて「人殺し」と後ろ指をさされることにはどうにも納得できないのだ。

ヒトを殺すのは悪だというのはあくまでも人間の価値基準であるから、当然人間に対してのみ当てはめられるべきで、そして僕はヒトではない。

自分たちの常識をなりふり構わず適用しないでもらいたい。

またもし万が一、君たちが僕を「人間」のうちに数えるのだとしても、僕に言わせれば、ヒトがヒトを殺すことだって別段ありえないほどの禁忌ではない。

自分にとって必要なら護り、不要なら放っておき、有害なら抹消する。

至極当然のことであって、当人に直接影響が及んでいないのなら、他人の選択を非難する理由はどこにも無い。

他人の行動に逐一干渉し、己の正義でもってわあわあ騒ぎ立てることに、一体どんな喜びが隠されているというのだろうか。

だから、僕との価値観のズレに多少苛立ちを覚えたとしても、君たちが僕を「人殺し」と罵るのは間違っている、あるいは極めてナンセンスだ。

世の中にはいろんなやつがいて、いろんな価値観があるのである。

僕みたいなやつもいて、僕の持つような天秤もある。

地球より重い命もあれば、綿毛より軽い命もある。

ニンゲンは万物の尺度らしいじゃないか。



僕が最初に殺したヒトは、少なくともそのときの僕にとってはあまりに軽かった。

僕は彼のことを一枚の写真としてしか覚えていない。

無音の映像ですらない、ふとした瞬間を捉えた一枚。

背景は僕が襲った豚舎だ。

僕の正面、少し遠くに、こちら側に頭を向けて、黒人の青年がうつ伏せに倒れている。

血こそあふれていないものの、首を始め全身のあちこちの関節がおかしな方向にひん曲がっているから、おそらく死んでいるのだろう。

口から唾液やら胃液やらの混ざったものが漏れ出ているようにも見える。

餌やりにでも来たのだろうか、飼料と思しき何かの粉が床一面に散らばっていた。

ただしそこに遺骸の芯の冷たさは無く、むせかえるような死臭も無い。

ただ僕が殺したらしいという事実が、眼下にごろんと転がるばかり。

彼は僕にとってその程度の存在だった。

命を勝手に奪っておいて、その記憶さえ後にはほとんど残さない。

その程度の存在だった。



それなのに、だ。

「人殺し」という言葉の響きは、僕が彼を記憶の隅へと追いやることを、あえて言うなら「倫理的に」許してくれない。

人殺し。

人殺し。

繰り返し繰り返し、寄せては返し反響する。

その囁きによって人を殺したこと罪悪感に苛まれるわけではない。

頭をかち割って覗いたところで、親しくもないヒトを殺すことへの罪の意識などどこにも見られはしないだろう。

僕を責め立てるのはむしろその事実、すなわち殺人そのものを何とも思わない、いや思えないという事実の方だ。

人殺し。

人殺し。

何度も反芻するうちに、あたかも殺人が絶対的な悪であるかのように思えてくる。

自分だけが黒いハクチョウであるかのように思えてくる。

今まで殺してきたヒトたちが、僕の周りに集まってきて呪文のように連呼する。

人殺し。

人殺し。

もちろんそこにはあの青年もいる。

それも写真なんかじゃなくて、血の通った人間として、僕に殺されるまでの人生の重みを伴って。

だけどその幻がどれほど重くのしかかろうとも、人を殺すということそのものについて、僕は何一つとして感じられない。

それでいいんだ、それが僕だと開き直ってそっぽを向くのが、本来の僕の在り方だった。

僕にとってはどうでもよかった。

そのはずなのに、僕ときたら……。

……だから僕は、「人殺し」とけなされることを嫌う。

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蛇足 makizume @makizumest

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