記憶、とりわけ一定以上古い記憶は曖昧なものになりやすく、それは僕の「映像」とて同じことだ。

生まれたときのそれのように妙に鮮明なものもあれば、りガラスの向こうのようなぼんやりとしたものもある。

時系列もまたばらばらで、確信を持って整理することは限りなく不可能に近い。

ただし、「映像」のほとんどを占めているのは捕食と捕食と捕食だから、そもそも丁寧に並べる必要性があるのかと問われれば答えに窮する。

思えば僕の喰いっぷりは凄まじかった。

腹にまだ消化中の犠牲者が入っていると思しき膨らみがあるのにも関わらず、目に入った次の獲物を襲うという暴挙に出ているものまであった。

やはりというか、僕の身体は加速度的に巨大化し、僕の周りからはあらゆる生き物が姿を消した。

僕の種の蛇は一般的に、恐ろしく強力な神経毒を持つ一方で、身体は小さい部類に入る。

図鑑によると、成体であっても体長は最大で二メートル前後。

こなた僕はというとレベルが違った。

目測ではあるものの、成長がおよそ止まった時点で、胴の長径が三十センチメートル強、体長は七メートルに達していただろうか。

そしてその異常な巨体を維持し更なる成長を果たすため……それを考慮してもやはり多いと思うが……常軌を逸した暴食を繰り返した結果、命溢れる亜熱帯多雨林の、奇怪な大蛇の周りからは、やかましい羽虫の一つもいなくなったというわけだ。

繰り返すようだけど、今の僕に残っているのは「映像」だけ。

自分が何を感じていたかまではわからない。

ただもし覚えていたとしても、それは取るに足らない些細なものだっただろうと思う。

次の日のエサの心配ぐらいが関の山。

そのときはまだ、孤独も何も知らなかっただろうから。



ある夜、もちろんいつとも知れない夜、僕は森の途切れるところにいた。

錆びついたトタン屋根の、倉庫のような建物が遠くにぽつんと見えた。

僕がそれまでいた森の中とは対照的に、あちら側は背の低い雑草がまばらに生えているばかりで、土が見えている部分もあった。

よほど空腹だったのだろう、僕は遠巻きに警戒することも忘れ、真っ直ぐに空き地を突っ切っていった。

「映像」には残っていないものの、そのとき僕は建物の中にたくさんの熱の塊を認識していたはずだ。

僕たち蛇には熱が視える。

ヒトがピット器官と呼ぶシステムにより検知された熱に関する情報は、視細胞の集める映像情報と結びつけられた後、立体的な像として脳に投影される。

感覚的な話だから言語化しきることはできないけれど、高精細なサーモグラフィーだと思ってもらえれば、近からずも遠からずといったところである。

ともかくも、生き物らしき何かを見つけたと思われる僕は、無神経としか言いようのないルートで建物に接近した。

いかにもみすぼらしく、今にも朽ち果ててしまいそうな建物だった。

中を覗くと、それほど高くない金属製の柵で区画されたスペースに、それぞれ十数匹のずんぐりとした四つ脚が眠っていた。

そこは豚舎だった。

そのときは豚なんて知らなかったわけだけど、危険な相手ではないと判断したのか、あるいは品定めをしている余裕など無かったのか、僕はすぐさま手近な一匹の間合いに入った。

暗がりの映像だけでも今なお確かにシンクロできる、身体に染み付いた狩りの感覚。

まずは熱と匂いと視覚を頼りに、焦る気持ちをぐっと抑えて、綿密に獲物との距離を探っていく。

程なくしてその最適解を見つける。

ここ。

ここしかない。

論理的な根拠はないけど、ここしかないと身体がささやく。

ばねのように身体を縮めてくねらせる。

死んだように動きを止め、穏やかに上下する首筋を食い入るようにじっと見つめる。

吸って、吐いて。

吸って、吐いて。

大きく吸って、ゆっくり吐いて。

全部吐ききったその瞬間、ほんの一瞬、呼吸が止まる。

いま。

反射的に身体が伸びる。

気づけば牙が突き立っている。

豚がようやく目を覚ます。

だけどもう手遅れ。

あとは身体がやってくれる。

螺旋を描いて拘束し、静脈にじんわりと毒を流し込んでいく。

静脈に乗って右心房へと流れ込み、肺循環をぐるりと巡ってまた心臓へ、そして大動脈に勢いよく飛び出して……。

このときに強く絞めすぎてはいけない。

血管を無闇に圧迫すると血流が阻害され、毒の回りが悪くなってしまうからだ。

手加減しつつも逃がさぬように。

愛でるかのように弱らせるのが、毒を使った狩りの鉄則。

やがて抵抗が止み、豚が痙攣し始める。

全身に毒が回りきり、心臓を含むあちこちの筋肉が誤作動を起こしているのだろう。

しゃくり上げるような異様な音が、覚えていないはずなのにだんだんと聞こえてくる。

死戦期呼吸。

その弱々しく不規則なリズムは、確約された勝利への、生々しく官能的とも言える高揚感を加速させる。

牙を引き抜いて巻き方を変え、頭を思い切りぐいと捻じ折る。

最後にびくんと打ち震え、それきり豚は眠りに落ちた。

決して覚めない深い眠りに。



そこから「映像」はぼやけていく。

おおかた適当に骨を折って手頃な大きさに整形し、頭から丸呑みにしていったんだろうけど、その辺りのことは全く頭に残っていない。

そしてこの「映像」が、今の僕にどんな影響を与えているのかもわからない。

思い出して書いてはみたものの、そこに特筆すべきノスタルジアは無いし、単なる狩りの記録である以上に何らかの意味が見出せるようにも思えない。

上の記述は何かしらの伏線になっているのかもしれないし、なっていないかもしれない。

少なくとも僕が自覚的に伏線として書いているわけではない。

確かに、今のこの状況との単純な因果関係は存在する。

でもそれなら、「飢えていたので豚舎に侵入し、そこにいた家畜を襲って喰った。それが人間の世界と接触する初めての出来事であった」などといった具合にまとめてしまってもいいはずだ。

でも僕はそうはしなかったし、今後さまざまな思い出についても、ぱっと見てわかる記録上の重要性や君たちの需要の有無に関わらず、可能な限り事細かく記すつもりだ。

その第一の理由は、先程書いた通り、これが僕にとって単なる記録以上の意味を持ったものであるから。

そして第二の理由は、全てを書かなければならないと何者かが僕に命じたから。

それは直感と呼んでもいいし、天啓と呼んでも、気まぐれと呼んでもいい。

……わけがわからないだろうか。

正直僕にもよくわからない。

そもそもこれを書くこと自体、どの程度価値のあることなのだろうか。

これを読むのだって、これを最初に見つける誰かさんと、多く見積もってもその他数人だろう。

もし運良く多くの人……できるだけ僕と関わりの薄い人がいい……の目に触れることになったとしても、それはおそらく断片の一つ。

なのになぜ。

あいにく文才に恵まれなかった僕には、わかりやすい言葉に還元し説明することはできそうにない。

でも僕の中には、僕を机に向かわせる狂信めいた何かがあって、そいつを制御できなかった結果がこれだ。

理解しろとは言わない。

しかしながら、もし君たちが、たとえどんなカタチであれ、これを最後まで読むことができたなら、あるいは、ほんの少しは……。

……いや、やめよう。

どうか忘れてほしい。

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