この世界は何色ですか?
添野いのち
この世界は何色ですか?
これは以前、僕が旅行に行ったときの話である。
僕は友人を誘い高松に行った。日中は小豆島を徒歩で周り、島の自然の素晴らしさと美しさに浸っていた。
現在時刻は21時。JR高松駅に戻ってきたところだった。9番線にこれから乗る寝台特急サンライズ瀬戸が止まっている。今日乗車する最後の電車であり、宿泊先でもある。一応補足しておくが、特急電車は青春18切符が使えないので、別に約9千円の乗車券と約1万円の寝台券、特急券を購入してある。
駅の2階のスタバで紅茶を、1階のコンビニでお茶と朝食のアンパンを買い、カメラ片手にサンライズのもとへ向かう。日の出をモチーフにした、ベージュを基調に赤いラインの入った車体が美しい。
気が済むまで写真を撮影し、いよいよサンライズに乗車。ドアの側にある自分の個室に入った。21時26分、サンライズ瀬戸号は、東京を目指してゆっくりと発車した。
しばらく四国の夜景と夜の瀬戸内海を楽しんだのだが、そこでふと気づいた。どの窓から見るかで、同じ景色でもまるで違って見えたのだ。僕の部屋には上下に2つ窓が付いており、上の窓は横長で上部が湾曲しており、下のは横長だが湾曲の無い窓だった。どっちから景色を見るかで、まるで違って見えた。その後ラウンジの大きな横長の窓から景色を見たのだが、やはり違って見えた。具体的には、部屋下部の窓から見るのと比べて、部屋上部の窓は湾曲していたがゆえにやや歪んだ景色が、ラウンジからはより横に広がりのある景色が見えた。
サンライズには横長か縦長か、湾曲の有無、面積など、色々な違いのある窓が付いている。当時は「ふぅん、窓によって車窓も変わるのか」と思うだけだった。
今の僕はこれに、現代社会の些細な問題を重ねたいと思う。
最近、自らの発言や行動に責任を持たない人が多くなったと感じる。ネットでの誹謗中傷や、迷惑系YouTuber の出現などは、これによる結果であろう。この原因に、人間1人1人が持つ「窓」の形が関わっているのではないだろうか。
人間1人1人の「窓」とは何か。ざっくり言うならば、ものの見え方のことである。同じものでも、同じ景色でも、自分がそれをどう見るかは変わってくる、と言いたいのだ。
例えば夜の瀬戸内海の景色を見る。横に長い窓から見ると「大きな海だなぁ」「雄大だ」「島も沢山あるな」と感じる。上部が湾曲している窓からは「海だけじゃなくて星もきれいだなぁ」と感じ、小さな窓では「きれいな海だ」とは感じるが海の広さや島の多さには気づきにくい。
窓の形や大きさによって感じ方や気づくことの多さが変わるように、人間も物事の捉え方や反応が異なってくることを、ここでは人間の「窓」の違いと表現している。
人間は「窓」を通して自分の瞳に映るものに対し感情を抱いたり、自分の取る行動を決定する。つまり、持っている「窓」が違えば人が抱く感情や行動に違いが出てくるということだ。
「窓」は人が成長する過程で得た経験、親や教師から受けてきた教育などにより形成されていく。教育の専門家ではないので熱弁することは出来ないが、例えば親が暴力的な人なら子は「暴力はしても良いこと」と判断するだろうし、逆に子が小さなうちから暴力に対して厳しくしつけていれば、「暴力はしてはいけないこと」と捉えるであろう。人間は様々な経験をして成長する。このとき、「窓」の形が決まっていくのだ。
ちょっと何言ってるか分かんない、って思っている人のために簡単にまとめておこう。・・・ヒトって1人1人違うじゃん?身長、体重、運動神経、テストで取れる点数とかもね。このうち、気持ちや考え方の違いのことを、「窓」の違いって言うんだ。それでね、ちっちゃい子供のころに見たものとか聞いたことが違うから、考え方とかが違ってくるんだってさ。・・・大体伝わっただろうか。
では、自らの発言や行動に責任を持たない人は、どのような「窓」を持っている人なのだろうか。僕は、「窓」が小さすぎる人のことだと考えている。外の景色を見ようとしても、窓が小さいと見える範囲が狭すぎて何があるのかよく分からないのと同じように、「窓」が小さいということは自分がどんな行動をしたら他からどんな反応をされるかが分からない、つまり視野が狭いと言うか、配慮が出来ないことを表しているのだ。
僕が何を言いたいか、察しがついた人もいるだろう。今の時代、他人への配慮ができる人が少なくなったなぁ、とつくづく思う。この世界に生きる者は自分だけ、とでも考えているのだろうか。そう思ってしまう程に、自分さえ良ければ何でも良い「ジブン主義」な人が増えてしまった。
「ジブン主義」を見ていて気分が悪くなるのは、僕だけではないはず。自分の欲求を満たす為なら、周りへの悪影響など気にしないのだから。
ここで、この文章を読んでくださっているあなたが「ジブン主義」ではなく「みんな主義」になる為の方法を提案しよう。まずは「ありがとうございます」を心を込めて言うこと。「チッス」みたいな軽い挨拶ではなく、はっきりと「ありがとうございます」の10音を、ゆっくり丁寧に発音できるようにしててほしい。誰かに手伝ってもらったとき、何かを貸してもらったとき、スーパーやレストランでお会計を済ませたときも。誰かに何かしてもらったと感じたら、すぐに言えるようになってほしい。笑顔も作れるとパーフェクト。そうしているうちに、誰かに助けてもらう優しさが、心地よく感じてくると思う。
そうなったら次のステップ。いよいよ自分から誰かを助ける側に移る。もちろん最初は勇気が出ないだろう。「私以外にも誰かを助けられる人はいるよね」「良い子ぶってると思われるのが嫌」と考える人もいると思う。ここで1歩踏み出せるかどうかが鍵だ。「もし私がここで助けずに、他に助けてくれる人が現れなかったとしたら」「良い子ぶってると思われるかどうかじゃない、ここで助けないとあの人が困るだけ。良い子ぶるんじゃなくて、あの人にとっての
何より大事なのは誰かを助け誰かに助けられるような関係を作ること。「共同奉仕」というものだろうか。親切という名の小さな愛で、世界が温かく包まれる日を見てみたい。
さて、話がまとまったところで、サンライズでの旅に戻ろう。電車は本州に上陸し、まもなく岡山駅に到着するところだった。
ここでは出雲市駅から来たサンライズ出雲号との連結が行われる。今乗っている瀬戸号の7両と出雲号の7両、合計14両で東京へ向かう。もちろん連結作業の様子を見るのは人気で、乗客はカメラ片手にホームへ飛び出し、連結作業が行われる8号車付近へ向かうのだ。
岡山に着き、ドアが開かれる。僕は早歩きで8号車へ向かった。
案の定、お客さんが数人、連結を一目見ようと集まっていた。中には小さな子供を連れたお母さんもいた。僕はその人たちの横に並んだ。
数分後、出雲号がゆっくりと岡山駅に入線してきた。先程よりも多くの観衆が集まっていて、皆一斉にカメラをやって来た出雲号に向けた。出雲号は瀬戸号の手前で停止し、運転席の下にあるドアを開けた。ここは連結後、8号車と7号車の間を乗客が通れるようにするために開けられる。その後出雲号は動き出し、いよいよ連結。僕はその様子をそっと見守っていたのだが、連結の直前、何人かの若い男性が僕らの前に割り込んできた。おそらく連結の様子を間近で撮影したかったのだろう。でもこの行為は始めに並んで撮影をしていた人たちの邪魔になるだけでなく、作業員の邪魔にもなりかねない。しかも小さな子供もいたところで、みっともないと思わないのだろうか。おそらくこの人たちは、「窓」の小さな人なんだろうな、と思った。
撮影を終え部屋に戻り、22時34分、岡山駅出発。僕はスタバの紅茶を片手に、友人とお菓子をつまみながら車窓を楽しむことにした。暗い森やトンネル、家々や駅の明かりが窓を流れていく。僕は美しさと1種の空しさを感じた。
先行きの見えない混沌とした世界で生きる命の灯火のように見えたのだ。今その車窓を思い返すと、よりそのイメージが浮かぶ。新型ウイルスの脅威や景気の後退、政府の対応などに対する不安。夜の闇のように真っ暗で、真っ黒な世界が、多くの人の「窓」に映っているだろう。
そこで僕は眠くなり、眠りについた。
翌朝、小田原の辺りで目を覚ました。太陽の光が眩しい。窓を見ると、昨日いた場所とは別世界に来たような感じを覚えた。群青色の海が、太陽に照らされキラキラと輝いている。空も澄んでいた。最高に美しい朝だった。希望に満ち溢れているような、素晴らしい景色を窓越しに見た。
これ景色を見ながら食べたアンパンも格別に美味しかった。そしてこの景色の感動に浸りながら、6時43分、横浜駅でサンライズ号を降りた。
この不安な時期を乗り越え、明るく輝く世界を見ることが、僕に出来るだろうか。僕の「窓」は、いつか希望に満ち溢れた世界を見ることが出来るだろうか。
皆さんが今、「窓」越しに見える景色は、どんな色ですか?明るいですか、それとも暗いですか?それとも・・・何も見えませんか?
いつか、全世界の人が笑い合い、思いやり合い、愛し合い、譲り合い、学び合い、協力し合うような、黄色くて眩しい世界が、皆んなの「窓」に映る日が来ることを祈って。
「この世界は、明るいですよ!」と自信を持って言えますように。
この世界は何色ですか? 添野いのち @mokkun-t
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