あたし(37)

 仕事が終わって店じまいの合間に、残った灯りで交換日記を読んで、あたしは思わず頬が緩む。


 コウタさんは二人で行きたい場所を、事細かに書いていた。遊園地、美術館、博物館、有名なカフェ。まるでお上りさんみたい。


 この五年で出来た場所もあったから、それは本当に『あたし』と行きたい場所なんだろう。胸のあたりがほくほくとあったまる。


 灯りを消して店の前に立っていると、コウタさんがやってきた。遠くからでもよく分かる、長身で逞しい作業着姿。


 あんまり早くに見付けてしまって、手を振ってからあたしも歩み寄る。


 ――ありがとう。


 どういたしまして、とコウタさんが照れくさそうに微笑む。


 肩を並べて歩きながら、あたしはふと思い付いて言ってみた。


 ――手。繋いでも良いですか?


 ふふ、コウタさんビックリしてる。


 ――あたし、友だちと手、繋いでましたよ。


 学生時代、女友だちとだったけど。


 コウタさんが手をスラックスで拭ってから、おずおずと差し出した。あたしは迷わず、その小指を握る。


 ……それ、手繋いでるって言うの? と、コウタさんは少し上気しながら呟く。


 ――リハビリだもん。一本ずつ指、増やしていくから覚悟してくださいね。


 そう言って笑うと、コウタさんはてきめんに真っ赤になった。『可愛い』。一瞬、課長の顔が浮かびかけて、霧散する。


 目の前のコウタさんの顔だけが、ポタージュでも飲んだように、あたしの心を暖かくなめらかに潤した。


END

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交換日記から始めたい。 圭琴子 @nijiiro365

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