絵月とゆで卵

水谷なっぱ

絵月とゆで卵

 ゆで卵が好きだ。卵料理なら何でも好きだが特にゆで卵が好きだ。塩を振るだけでもいいし、マヨネーズでもいい。らっきょう漬けを刻んで崩したゆで卵とマヨネーズと混ぜるとタルタルソース風になりそれもおいしい。チキンソテーと合わせると最高においしい。買ってきた唐揚げにらっきょう漬けの漬け汁をかけてから上記のタルタルソース風を乗せると簡易チキン南蛮になる。すごい。ゆで卵すごい。ゆで卵えらい。

 そんなことを思いながら歌原絵月は卵を茹でている。正確には昨晩から漬けておいた鶏肉を焼きつつ卵を茹でつつ、使い終えた調理器具を洗っている。一人暮らしの絵月の家のキッチンはとても狭い。かろうじてガスコンロの口を二つ確保しているものの、調理スペースは猫の額程度だ。なので使い終えた調理器具はさっさと洗って片づけていかないとあっという間に作業スペースがなくなる。こういうときの絵月はとても手際がいい。おいしいものを食べるためならばいくらでも効率化するし無駄なことはしない。お腹が減るからだ。腹が減っては戦ができない。腹が減りすぎては料理どころか食べ物を買いに行くことさえ危ぶまれる。それはいけない。ということで一定以上の空腹を避けるためにも絵月はテキパキと手を動かす。

 しかし、そういう時こそ予想外の邪魔が入るもので。インターホンが唐突に来客を告げる。モニターを見ても誰が来たのかよくわからない。こういう時は無視に限る。宅配であればマンション備え付けの宅配ボックスに入れておいてもらえば良いし、それ以外で誰かが来る予定もない。

 急な来客を無視して洗い物を済ませると今度はスマートフォンが振動する。弟の湖月からだった。曰く、引越しをするから保証人になってくれと。それは全然いい。お姉ちゃんいくらでも保証しちゃう。でもお姉ちゃん今すごく忙しいのよ??? と思いつつも返事が遅いと不安になるだろうと即座に返事をする。すると当然湖月からもすぐに返事が返ってくる。なんとか合間に肉をひっくり返して塩と胡椒を振りフライパンに蓋をする。また返事をして皿を出しレタスを洗って敷く。

 なんとか弟とのやり取りを終えてフライパンと鍋の火を止めるところまで到達した。フライパンの方は余熱でもう少し肉に火を通すので置いておいてよい。玉子は即座に冷水につけ流水を追加して一気に冷ます。この工程が大切だ。ここを疎かにすると殻が綺麗に剥けず可食部が大幅に減り悲しい思いをすることになる。そこで次の魔の手が伸びてきた。友人の桜からの電話である。出ようか、どうしようか。ゆで卵を流水で冷やしているため台所がうるさくて電話をしづらい。火は止めてあるから離れても問題はないがいい加減お腹もすいた。どうするどうする。

 3秒ほど悩んでから受信拒否をしてメッセージを送る。

「ごめん料理中」

 桜からはすぐに返事が来て旅行の誘いであるとのことなので二つ返事で了承した。桜とは年に数回旅行に行く仲であり、そろそろかなと思っていたので向こうから誘ってくれるのは誘う手間がない分ありがたいのだ。

 ようやく桜とのやり取りを終えてゆで卵を流水から取り出す。きっちり冷やされたゆで卵は面白いように殻が向けて気分がいい。殻を捨てたら小鉢に入れて荒く崩す。塩コショウとマヨネーズを多めに混ぜたら鶏肉を平皿に取り出し玉子マヨネーズのソースをかけて完成だ。ついでにミニトマトをいくつか添えればそれだけでいい感じのランチのように見える。ごはんをよそって、紙パックのスープをマグカップに入れてレンジで数秒温めて添えれば休みの日の完璧な昼ごはんの完成である。

 絵月は小躍りしながら食卓に皿を運んだ。もうこれ以上の邪魔は許すまじ、ということでスマートフォンは電源を切っておく。いかなる火急の用事であれ絵月の昼食の邪魔はできないのだ。

「いただきます」

 満面の笑みで絵月は昼ごはんに箸をつけた。

 

 

 30分もたたない内に昼食は完了した。とてもおいしい、間違いのない昼ごはんだった。手をかけた甲斐があって鶏肉は胸肉なのにとても柔らかくしっとりしていた。ゆで卵のソースも最高だった。ゆで卵はまだ残っているので、そちらは夕ごはんに食べよう。冷蔵庫にゆで卵があると考えるだけで絵月は幸せな気分になれる。いかんせんゆで卵は日持ちがしないので食べたいと思ったらその時に茹でなくてはいけないのだ。しかし半日くらいなら大丈夫なので夕ごはんにゆで卵をどのように食べるか考えて絵月はにこにこしている。

 そういえば、と思ってスマートフォンの電源を入れると彼氏である八重からメッセージが届いていた。内容は「絵月が好きそうな本を見つけたので送っておいた」とのことである。直接持ってくればいいと思ったが通販で配送先を絵月の家に指定したとのことだった。先ほどの来客はその本を届けに来た業者だったのだろう。絵月は立ち上がってマンションの宅配ボックスを覗きに行くと確かに歌原絵月宛の荷物があった。部屋に戻って開封してみると、確かにそれは絵月が好むに違いない本だった。

「卵料理大全……」

 さすが八重わかってる。そう呟きお礼のメッセージを送っておく。本をめくると当然のようにゆで卵のページもあった。しかも結構なページがさかれていた。

「こ、これは……!」

 絵月はごくりと唾をのんだ。彼女の食生活がゆで卵一色になるのはそう遠いことではなく、コレステロールの過剰摂取で健康診断で引っ掛かるのはその年の秋のことである。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

絵月とゆで卵 水谷なっぱ @nappa_fake

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ