第6話 大饗の終わり

 「かぐの還り」以外の祀りは、いつもどおりに進み、大饗も終わりに差し掛かった。毎年一ヶ月を島宮しまのみやにつめきりになる長い祀りだが、今年は例年よりも短く感じた。

 おそらくは祀りの間に起こった事があまり多かったせいではないかと思う。

 俺と蜜月みつきは正式に勅許の許婚となった。

 許婚というのはただいずれ妻問うという約束ではない。本人同士というよりは、家をあげて行われる契約で、しかも勅許ということであれば子があろうとなかろうと、それが嫡妻ということになる。


 なんで私が主の嫡妻なんですか。


 届けられた勅許の御宸翰を前に蜜月が憮然としていたが、俺も全く同感だ。麒麟にぜひ文句を言ってやりたいところだが、あれ以来出てこない。

 麒麟が何を言おうが、許婚の勅許が下りようが、そう簡単に俺との蜜月の関係がかわるはずもなく、いつも通りにやっているつもりだったが、周囲との関係は微妙に変化した。

 まず、わかりやすく蜜月の扱いが変わった。

 蜜月は叔父上に与えられた黄玉の円環を帯に留めるようになり、。島宮の内ではすでに島宮の姫として扱われている。もっとも、花枝に跪かれて涙目でやめてくれと訴えたりしていたので、女王ひめおおきみというほどの重々しい扱いではない。今でも舞を習ったり、手伝ったりもしているが、誰もが蜜月は島宮の姫であると知っている、という程度の扱いだ。

 そして俺は島宮の跡継ぎと目されるようになった。

 前からそういう話もあったのだが、なにせ神霊にたいする感応力が極端に悪かったので、東宮の兄上と同母の三ノ兄上を推す声も大きかったのだ。三ノ兄上に決まらなかったのは、三ノ兄上のかぐが島宮としては弱かったからだった。

 島宮のかんなぎとしては、感応力の高い蜜月が島宮の姫として俺と共に島宮を治めるなら、その方がいいということらしい。

 ただ、島宮の内ではともかく、この問題は朝廷の方では物議を醸しそうな気もする。

 どちらにしても大饗が終わるまでは島宮から出られない。それは結果的に、静かに状況を考える時間がわずかでも得られたという事でもあった。

 蜜月と二人で、何度も麒麟の言葉を反芻した。

 細かく考えると麒麟の言葉は色々と奇妙だった。例えば麒麟は蜜月が「声を封じたか」と言った。「封じられたか」ではなく。そして私が神霊にほとんど感応しないという事を、蜜月の声と同じように扱っているようでもあった。

 では「封じた」として、私達はなんのためにそれらを封じているのだろう。そして麒麟の言葉に従い、封じたものを開放する事は、いったい何をもたらすのだろう。

 さらに父上も気にしておられた「千歳ちとせためし」とは何なのか。


 とにかく、いきなり主の子を産めとか言われても困ります。


 まあ結局はそこに全ては帰結するのだが。

 このまま俺たちの関係が変化しなければ、いずれ遠からずまたあの麒麟は出てくるだろう。明らかに多くを知っていて、しかも望んでいる方向性があるようだった。状況が変化しなければ、黙っていられなくなるに決まっている。麒麟の意図も目的もわからないのに、その思惑にのせられたくはない。

 島宮を父とする事になった事も、蜜月としては困惑する事態のようだ。女の家に男が通うというのが婚姻の形なので、父親のはっきりしない子は珍しくない。だから蜜月も自分の父親については特に考えた事はなかったらしい。


 母が死んでも何も言って来なかったということは、その程度の仲の相手だったのかと思っていました。


 それが蜜月が「父」というものに持っている率直な感想のようだった。

 実際、母を失っても蜜月は神奈庄かんなのしょうの大刀自姉妹に育てられていたので、それで済む話ではあったのだ。それが実は島宮の娘だったと言われても、蜜月としては戸惑いしかないのだろう。


 まあでも、あの麒麟をお父様とよべと言われるよりはいいです。島宮様なら少なくとも常識があります。


 どうやら蜜月(みつき)の母を巡って、叔父上と麒麟には確執があるようでもある。その辺りの細かな事情は知りたいのか知りたくないのか自分でも微妙なところだ。

 それはそれとして叔父上は、たぶん本人の気持ちではさり気なく、蜜月を娘として扱うようになった。

 蜜月は俺が叔父上と会食する時に陪食を許されるようになり、叔父上から様々な品が届けられるようにもなった。

 蜜月の好む甘い物などは戸惑いつつも喜んでいたが、叔父上の料からさいたらしい美しい地紋のある綺の白衣びゃくえには、真剣に困っていた。

 

 私がこの衣で主に従うと、なんだか変な事になりませんか。


 確かに主と従者の女童が同格の白衣を着るという、妙な絵面になるだろう。黄玉を二つも身につけているだけでも、女童としてはすでに相当妙なことになっているのだ。

 だが、とにかく叔父上のお志ではある。蜜月は悩んだ挙げ句、特別なとっておきとして島宮での祀りにだけ着ることに決めた。





 大饗の最終日はまた賑々しい祀りだ。

 神々の送りと呼ばれるこの日は、一気に神々を本来の場所へと送り出してゆく。

 父上が今年の実りと幸いへの感謝を歌って舞う事から始まり、神々を讃え、喜ばせるために舞われた舞の数々が再び舞われ、間断なく楽が奏される。

 さすがに早乙女はもう舞わなかったが、それでも俺も蜜月も舞手として舞う。

 蜜月は叔父上と一曲相舞を舞うことになり、涙目になっていた。叔父上はもともとは舞人を多く排出する如庄きさのしょうに育っており、舞の名手なのだ。花枝に急遽叩き込まれていたが、なんとか舞い終えた時には、花枝の方がほっとしているように見えた。

 棚座、平座、壇座と順に神々を送り出して行く。

 見えない神々を送り出しているというのに、進むに連れて広間が寂しげに広々と見えて来るのは不思議なものだ。俺も僅かには神々を感じているのだと、毎年妙な納得をする。

 日が暮れる頃にはもう、月神以外の全ての神を送り出していた。

 月神には俺が勅使として供奉し、神奈社まで送り届ける。

 そこから改めて月神は、次の霜社しものやしろに遷座して神奈の月が終わるのだ。

 大祓以外の遷座は島宮の祀りなので、叔父上も共に神奈社に向かう。

 蜜月は舞人の装束から着換え、叔父上から拝領の「とっておきの白衣」をまとった。地紋のある上質な綺をまとい、帯や吊り香炉に黄玉をきらめかせた蜜月は、もはや貴婦人の出で立ちだ。父上、叔父上、に続く俺の後ろを歩む様はどんなふうに見えて入るだろう。

 美しい少女である蜜月は、そんな出で立ちでも衣装負けすることなく、よく似合っていたのが、いっそう蜜月を貴婦人めいて見せていた。

 叔父上が蜜月を振り返り、目を細める。

 叔父上には蜜月の他にも何人も子がいるが、島宮に妃を入れてはいない。三ノ兄上が叔父上の姫君のお一人を妃としているはずだ。

 叔父上はいったい、蜜月をどの程度に扱うおつもりなのだろう。島宮に入っている妃がいないだけに、扱いによっては叔父上の御子たちの間にも波紋を呼びそうな気がする。もちろんそこには否応なしに、政が絡んでくることになるのだろう。

 島宮の地位は世襲ではなく、煌族の中で相応しいものに与えられるが、そこに誰かの思惑が絡まないというものではない。

 大船繋からはまず、父上の舟が出る。

 父上がお出ましになる夕暮れ時に、朝の宮から黒衣の公卿たちが父上のお迎えに参じ、彼らの供奉で朝の宮に戻られる。公卿たちは水上で舟に乗られる父上を迎え、白衣の巫は大船繋で父上を見送る。俺も、叔父上も大船繋で父上を見送った。もちろん俺の従者である蜜月もだ。

 一応後ろに控えてはいたが、公卿の視線が蜜月に多く注がれていたのは間違いない。島宮の巫も、当然自分の庄に情報は送っているはずなので、蜜月の扱いが変わった事はすでに知られているのだろう。

 睦臣むつのおみなどじろじろとあからさまに蜜月を値踏みしている様子だったから、もう撫菜のところには連れてゆかない方がいいかもしれない。

 巫が楽を奏し、公卿が歌を歌う。

 父上がお乗りになった舟は公卿たちの舟に供奉されて、ゆっくりと朝の宮の方へ去っていった。

 そのままの流れで叔父上や俺も月神と共に神奈社へ向かう。

 叔父上は月神の霜社への遷座を執り行うのだ。叔父上と共に今夜は神奈宮へ泊り、明日の朝それぞれの宮へ戻る。

 大饗の終わった島宮から一晩、煌(かぐ)の持ち主を全て出す事を煌の祓いという。

 送り出した神々がうっかり島宮に戻ることのないように、一度完全に島宮から煌を遠ざける。歴代の帝をおろした憑坐たちさえも、全て一度菊庄に返される決まりだ。

 月神を神奈社へ戻すことも、続けての霜社への遷座もつつがなく行われた。




 神奈宮での遅い夕餉の後、叔父上に誘われ酒を飲んだ。従者もおかず、手酌で飲む。月のない空には星が無数に輝いて、冷え始めた風に相応しい冷たい光を落としていた。

 「ここの宮は小さいな。」

 叔父上の言葉にうなずく。

 「普段は無人ですからね。母屋しかありませんし。」

 そもそも神奈庄は庄の作り自体が他とは違う。

 普通は淡海の水際に宮を、奥の山際に社を建てるが、神奈庄だけは水際に社を建て、そこに付属するように小さな一棟だけの宮が建てられている。当然、社と宮を結ぶ大道もない。

 「日咲の事があってから、神奈について調べた事がある。なぜここだけが違うのかと不思議に思ったからだ。」

 神奈はおそらくみやこの十二庄の中でもっとも貧しい庄だろう。山が淡海に迫る場所にあり、耕せる土地が極端に少ない。

 薫餌師くのえし渡魚師とぎょしの本地である事が、ほとんど唯一の収入源ではないかと思う。族人は皆、薫餌師か渡魚師であり、京中で働いている。

 他にも巫の本地となる庄はあるが、神奈庄ほどはっきりとそれだけに依っている土地は他にはない。

 さらに宮が普段は無人で、母屋しかない事でわかるように、神奈庄を本拠とする煌族もいない。そもそも神奈庄は采女を出さないのだ。薫餌師は多く島宮に出仕しているが、采女を出さない十二庄も神奈庄だけだった。

 采女を出さないので、嬪も、妃も神奈庄から出ない。

 「調べてわかった事がいくつかある。一つはもともと神奈庄はかぐの庄と呼ばれていたという事だ。神奈庄の一族は元々は香族を名乗っていたらしい。」

 叔父上はわざわざ「香」の文字を宙に書きながら説明した。香庄、香族…音だけ聞けばまるで煌族の事のようだ。

 「麒麟が言っていただろう。煌族と香族はもともと同根だと。あれで確信を持った。おそらく、神奈庄こそもともとの煌族の本地で、その本地と一族を分けることで、煌族が推戴されたと言うことではないかと思う。」

 煌族は国をしろしめす一族でありながら霊地淡海以外の本地らしきものをもたない。京の十二庄の内に本拠を構え、朝堂の在り処でさえも時の帝の本拠によって移動する。そうする事で本来別族である十二庄を、京としてまとめたのだ。

 「ここが煌族の本拠ですか。」

 神奈庄は貧しい土地だ。耕せる田畑もろくにない。だが、霊地として見れば中々に豊かな土地だ。だからこそ薫餌師が寄せる動物が多く、竜魚を竜へと変える登竜門も備えている。確かに煌族の本地には、相応しいのかもしれない。

 「今となってはだからどう、という事でもない。十二庄も通婚などで相当一体化したしな。だが、日咲が選ばれてしまったのは、そのせいかもしれんな。」

 叔父上にとって蜜月の母、日咲の事は、よほど痛みを伴う思い出なのだろう。

 「麒麟はこの宮で日咲と会っていた。普段は無人だし、実質的に日咲が管理していたからな。島宮から目立たずに通うにも、ここは都合がよかった。」

 叔父上が自身の盃に酒を注ぐ。

 「子を産んで日咲が死んだと聞いてもその子に会う勇気がなかった。四年前、そなたが連れてきた蜜月を見て、もしかしたらとは思ったが、確かめる勇気を持てなかった。私は日咲に、ひどい事をした。」

 もしかしたら叔父上は少し酔っているのかもしれない。

 「日咲が死んだのは…私のせいかも知れない。」 

 ぽつりとつぶやいた叔父上は、そのまま黙りこくって盃をあおった。

  俺もまた黙ったまま、淡海に映る星を見ていた。



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龍の眷属の仔は眠る 上 真夜中 緒 @mayonaka-hajime

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