第5話 早乙女
その、どこか別人じみて見える蜜月が不安そうに、でもどこか胡散臭そうに俺を見る。
何なんですか。
あ、蜜月だ。
自分の主をあからさまに胡散臭そうに扱うその言葉に、心の底から納得した。
化粧していても蜜月は蜜月だ。
「ご指名だ。お前を吾子と呼んでおられる。」
蜜月が首をかしげる。
わけがわからないようだ。俺だってよくわからない。ただ、扉を開いても、蜜月が
大丈夫だ。たぶん。
「いいから来い。来ればわかる。」
俺は蜜月の手をとって、扉のうちに招き入れた。
廟堂の内を見て、蜜月が一瞬怯む。
無理もない。一面に造面を被った憑坐が座っているのだ。
いや、蜜月には歴代の帝が見えているのかもしれないが、それはそれで怯むだろう。
だが、蜜月が本当に怯んだのは、正面の席の一つにいる、叔父上に依りついた神霊にのようだった。
何…いえ、どなたですか。
「麒麟だそうだ。煌の龍の眷属の。」
蜜月が息をのむ。
麒麟なんて話にしか知らない。龍と同じ金の角を持つという、龍の眷属。
だが、その名は詐称できるような軽いものではない。麒麟以外の神霊がその名を名乗ろうものなら、名に耐えられずに消し飛んでしまうだろう。
蜜月が深く息をつき、背筋を伸ばした。
俺が手を引くのに合わせて歩く。
父上や麒麟の少し手前でひざまずき、静かに礼の形をとった。
「蜜月、麒麟の仰せだ。一差し舞うように。」
父上の言葉に蜜月が困惑しているのがわかる。
蜜月は
名手と名高い舞人である花枝に仕込まれているから舞えない事はないが、一人で舞うような舞を人前で舞った事はないだろう。習った舞を俺の前でさらう事さえ嫌がるのだから。
それをとにかく舞えと言われても困るのはわかる。
俺はとったままでいた蜜月の手を引き立ち上がらせた。
「『早乙女』だ。舞えるな?」
先程の麒麟の言葉そのままの「早乙女」は、まだ
案の定、蜜月がうなずく。
「歌と相舞は俺がつとめよう。」
主と『早乙女』ですか。身の危険を感じます。
ぬかせ。
早乙女は面白い曲で、女同士で舞えば初めての斎田に誘いあう早乙女の歌に、男女で舞えば初々しい早乙女とそれを見初める男の恋歌に変わる。
練習曲でありながら祀りや宴でもよく舞われるのは、その面白さゆえだ。
俺は笑うと蜜月の手を離した。
蜜月が出だしの型をとったのを確認して歌う
「さおとめや え さおとめや…」
歌うと蜜月が舞い始める。舞指貫の足首の鈴がさらさらと鳴る。
シャン
どこかで鈴が鳴った。おそらくは憑坐の鈴だ。誰が鳴らしているのだろう。
シャン シャン
歌に合わせて鈴が鳴る。
「そで うちふりて いざよばん…」
俺も相舞に入る。
蜜月の表情は硬い。緊張しているのだとわかる。
歌い、舞いながら顔をのぞき、笑ってみせる。
目があった蜜月がふ、と笑う。
胸が騒いだ。
なぜか幼い蜜月を抱きしめた時の体温の熱さを思い出す。
一瞬目があった蜜月は身を翻し、袖を振って舞の足を踏む。
さらという幽き音が蜜月の動きに添う。
「…ともにこよ さおとめや え さおとめや…」
蜜月と相舞を舞うのは初めてだが、思っていたよりも蜜月は巧みな舞い手だった。少なくとも俺には舞いやすい相手だ。
シャン シャン シャン シャン
拍子をとる鈴のおかげで、歌いやすく、舞いやすい。
「いま つきみちて さおとめや さなえば とりて うえさせん」
差し出した手に、蜜月が手を置く。
「さおとめや え さおとめや わがてを とりて ともにゆかん」
舞納めると、鈴が止まった。
「吾子よ良く舞った。こちらへ。」
かすかに息を弾ませた蜜月が一瞬こちらを見てから、麒麟の方へ歩み寄る。
「なるほど。声を封じたか。吾子よ、声は欲しいか?」
顔を伏せていた蜜月が弾かれたように顔を上げた。
欲しくないわけがない。声だ出せないせいで、蜜月は薫餌師になれないところだったのだ。今だって色々と不便は多い。
「簡単な事だ。吾子よ、
「は?」
声に出たことを責めないで欲しい。蜜月の父を名乗る麒麟は、今すごい事を言わなかったか?
声に出ていないだけで、蜜月も固まっているのがわかる。麒麟が声を出した俺の方を見た。
「どうせ番わぬわけにはゆかぬのだ。そなたらどのようにして子を得る気だ?
さらにすごい話が続く。
いや、俺も男なのだから内容はわかる。しかしこれは父を名のるものが、衆人環視の中で娘に言う事ではあるまい。衆人のほとんどは故人だが、だからといって構わないというものではないだろう。
しかもこの流れ、もしかして蜜月の相手に指名されているのは俺か?
いや、ないないないない。
夜泣きするのを寝かしつけた事のある蜜月に手を出すとか。
「吾子よ、千歳の試に備えよ。そして良き子を生むが良い。」
言いたい事だけ言うと、麒麟というか叔父上の身体がパタンと倒れた。
蜜月がふっとつめていた息をつく。
…去りました
それは、蜜月に言われなくてもさすがにわかった。頭を振りながら叔父上が起き上がる。
「兄上、祀りを…」
叔父上の言葉にはっとする。そうだ、今はまだ「煌の還り」の途中だ。
歴代の帝たちが何か話している。死者の言葉は生者には届かないが、なんとなく面白がられているように思うのは、気のせいだろうか。
蜜月が慌てて隅にひく。
シャン
鈴が鳴る。
廿五と書かれた造面の帝が鳴らしている。
シャン、シャン、シャン
これは先程の早乙女の節だ。もう一度舞えと言うことか。
鈴が増える。
いつの間にか多くの帝が鈴を打ち振っている。
俺は蜜月の手をとり、今一度中央に引き出した。
蜜月がどこか情けないような表情で俺を見て、それから諦めたように出だしの型をとる。
「さおとめや え さおとめや…」
歌は俺だけでなく、父上も叔父上も唱和した。
鈴を打ち振りながら歴代の帝も歌っているような気がする。
二度目の相舞はいっそうなめらかに舞進んだ。
「…わがてを とりて ともにゆかん。」
歌い納めると同時にガシャンという鈴が一斉に落ちる音がした。
一拍おいて憑坐たちが倒れる。
「皆、帰られたか。」
父上のつぶやきとほとんど同時に叔父上が立ち上がり、廟堂の扉をあけた。
「誰かある。金蓮華を煎じよ。憑坐たちを連れ出し、金蓮華の薬湯を与えよ。」
ふらりと蜜月の身体が傾ぐ。
慌てて抱きとめると甘い慣れた香りがした。
すみません、大丈夫です。ちょっと力が抜けて。
立ち上がろうとするが、たいして力が入っていない。俺はそのまま蜜月を抱き上げた。さらさらと蜜月の足首の鈴が鳴る。さすがに夜泣きしたのを抱えたよりはずいぶんと重くなっていた。
「父上、蜜月を休ませたく存じます。」
父上がうなずく。
「あとで時間をとろう。今はさがれ。」
俺は父上に一礼し、蜜月を連れて自室に戻った。
「煌の還り」に闖入者はあったが、祀りそのものは失敗ではなかった。
父上の意見では、歴代の帝の御霊はむしろ例年よりも楽しまれたのではないかという。何を楽しまれたのかと考えると、実に微妙な気持ちだ。
「煌の還り」の間、他の神々をもてなす
「だが、それはそれとして、なぜ麒麟が『煌の還り』に現れたのかを考えねばなるまい。」
東の対の父上のお部屋には父上と叔父上、そして俺と蜜月が集まった。蜜月はすでにいつもの女童の装束に戻り、化粧も落としていた。
「そもそも蜜月を麒麟が吾子と呼ばれたのがいかなる所以なのか。」
父上に見つめられると蜜月は困惑の表情を浮かべた。
私にはわかりません。母は通っていた殿方の名を誰にも告げていなかったようで。
蜜月の言い分を俺が奏上すると、父上が微妙な表情をした。
「前から思っていたのだが、なぜそなたが蜜月の代弁をするのだ。筆談などで本人に奏上させてやった方がよかろうに。」
何か誤解がある気がする。
「代弁と申しますか、本人が言った事を繰り返しているだけですが。」
声は出ないが蜜月はよく喋る方だ。
叔父上まで微妙な顔をする。
「私も前から気になっていたのだが、そなた蜜月と普通に話してないか。蜜月の言葉が聞こえているのか? 表情を読んでいるとかでなく?」
さらに蜜月が微妙な顔をした。
そういえば、主ってどうして私が何を言ってるかわかるんですか。
お前が言うか。
「声が出てないだけで蜜月は普通に喋ってます。どうしてわかるかといわれると…よくわかりませんが。」
初対面からわかったので、そういうものかと思っていた。
「それは、麒麟が言っていた『吾子が煌の子に与えた』とか言う事と関係あるのか? お前たちはすでにそういう…」
「違います。」
とんでもない誤解が発生している。蜜月もブンブン首を左右に振っている。
「あれはたぶん、蜜月に初めてあった時に、蜜月の
蜜月に欠けているのが声ならば、私に欠けているのは神霊に感応する力だ。蜜月の薫餌を得れば神霊を感じとる事ができるのだから、麒麟の言った内容と合う。
「そうか。話の流れからそういう事かと思ったのだが。」
父上がまだ探るように俺を見ている。とんだ濡れ衣だ。麒麟に対して沸々と怒りが湧いてくる。
「では、それは置くとして、蜜月が麒麟の吾子というのはどういうことだろう。」
「それは…私が説明できるかと存じます。」
叔父上の言葉に皆がそちらを見る。
「蜜月、あなたの母は薫餌師の日咲でよろしいですか。」
蜜月がうなずく。
母の名は日咲。島宮に仕える綺の薫餌師だったと聞いています。
蜜月の言葉を伝える。
「やはり。ではあなたはおそらく本当に麒麟の子で、同時に私の子供です。」
叔父上は意を決したように話し始めた。
「日咲は優秀な薫餌師でした。どんな動物でも寄せられましたし、神霊に捧げてもとても喜ばれる薫餌を作りました。しかも真面目で、朗らかで、私は彼女をとても好もしく思っていました。」
伯父上の声に痛みを感じる。
「最初の異変はどこだったでしょうね。私は自分が所々記憶を失っている事に気づきました。その事に気づいた頃にはもう、事態は動きはじめていました。」
父上の方に向いていた叔父上の視線が蜜月に向く。
「私の身体を使って、何者かが日咲に通っていた。たぶん日咲はそれが私でないことを知っていた。だから誰にも相手の名を明かさなかった。」
叔父上の視線を受け止める蜜月の目には、静かな納得の色があった。たぶん叔父上が話し出した時から、蜜月はわかっていただろう。この話はあまりにも、龍眼で聞いた初音どのの話に似ている。
「では叔父上に依りついて蜜月の母に通ったのが、麒麟という事ですか。」
俺の言葉に、叔父上が再び痛みに耐えるように眉をしかめる。
「そうだ。あれが麒麟であったことは初めて知ったが。私に依りつき日咲に通っていたモノと同じモノだ。」
初音どのは、何も覚えていなかった。父上の寵愛も、俺を産んだ事さえも。叔父上は、どうなのだろう。
「こやつは結構色々と知っている。それどころか吾とあの娘を争っていた。」
叔父上の喋り方が変わる。いや、これは叔父上ではない。麒麟だ。
「いや、たいしたものだったぞ。おかげで吾子には煌族の煌も相当注ぎ込まれてしまったが、まあ構わない。香族と煌族はそもそも同根の一族だからな。」
麒麟、いや叔父上かもしれないが、何かをふり切ろうと言うように頭を振る。
「黙れ!」
顔を覆ってうめき、顔を上げた時にはまた痛みを耐える表情を浮かべていた。
「…そういうわけでな、蜜月は私の娘でもある。」
それから忌々しそうに目を細めた。
「ずっと私についていたのか。日咲が死に、消えたものと思っていたが。」
叔父上はきっと麒麟を憎んでいる。その事がわかった。
つまり私は本当に麒麟の子なのですね。
蜜月がつぶやく。
俺は率直に言って驚いていた。俺だけでなく蜜月までも、普通の人の子ではなかったわけだ。
「父上。」
これを機会にと父上に問う。
「私も麒麟の子なのでしょうか。」
これだけ状況が似ているのだ。初音どのに依りついて俺を産んだのも麒麟かもしれない。
「いや、お前は麒麟の子ではない。」
叔父上が何かを抑えつけるように表情を歪める。
「麒麟が言っている。お前は煌の子だと。」
煌(かぐ)の子?
「もともと煌族は煌の子なのだそうだ。千年の間に煌が弱ったので、再び煌が下りたと…」
煌の子。また煌だ。自分では感じる事もできない煌が、いったいどこまでつきまとうのか。
「千年…千歳の試というのはなんだ。麒麟が言っておられたろう。」
そういえばそんな言葉もあったか。
叔父上がふっと息をつき首を振った。
「わかりません。言わずに行ってしまいました。」
叔父上の言葉にむしろほっとする。蜜月が麒麟の子、俺が煌の子。蜜月の薫餌を食べる事で俺が神霊を感応するように、俺が何かを与えれば蜜月の声が出るらしい。しかもそれは閨を共にするような行為でも果たされる。
正直、これだけ考える種があれば十分だ。これ以上は今は勘弁して欲しい。
「ふむ。ではできることからか。」
顎に指を置き、父上が考え込む。
「そうだな。島宮、蜜月を正式に娘とせよ。廟堂で煌に当てられぬ娘なら
え…私が女王ですか…
蜜月が目をぱちくりする。
「その上で蜜月を、輝宮の妃とする。」
え、ちょっと待ってくれ。蜜月を妃にするって。
「父上、いささか唐突ではありませんか。」
蜜月はまだ十一だ。確かに十一や十二で通う男をもつ娘はいるが、さすがに一般的ではない。
「良いか、こういう秘密は必ずいくらかは漏れる。そうなれば蜜月の立場が難しくなろう。いっそ麒麟の仰せにのった方が良い。」
いや、しかし…そうだ。
「父上、それではそもそも私が蜜月を従者とした目的が果たせなくなります。まさか妃を従者として常に連れ歩くわけにはいきますまい。」
そもそも神霊に感応しない私の耳目の代わりをするために蜜月従者にしたのに、連れ歩けなければ困るではないか。
「だが子の生まれる頃にはなんとかなるような事を麒麟は言っておいでだったではないか。ならば問題ないのではないか。」
…そういえばそんな事も言っていたような。いや、違う。きっと話はそう簡単ではない。
「兄上、蜜月はまだ
叔父上が俺と父上の間に割って入ってくれた。
「蜜月は確かに我が娘。認めるに問題はございません。いずれ輝宮の妃とすると、内々に約定をかわすのもやぶさかではございませんが、さすがに即座に妃というのはいかがなものでございましょう。しばらくは内々の話だけまとめて、表向きは今までのままという方がよろしいのではございませんか。」
叔父上の冷静な指摘に、父上もフムとうなずかれる。いきなり蜜月に通うというような流れにならなかった事に、俺は途方もなくほっとした。
「それもそうか。では、蜜月はいずれ島宮の手で着裳させ、その後輝宮の妃とすると言う事でよかろう。」
いずれ、妃とするにしても今すぐではない。とりあえず蜜月はまだ俺の従者にしておけるようだ。
「蜜月、これを。」
叔父上が蜜月に自分の帯から外した黄玉を渡した。
「黄玉はそなたももともと身につけているし、目立ち過ぎぬだろう。後刻そなたが私の娘である事を認める文書も用意する。」
蜜月が吊り香炉に下げている黄玉は、龍眼で手に入れた金蓮華の蕾を象ったものだ。細工は素晴らしいが大きさは小さい。叔父上の黄玉は蝶の彫刻を施した手のひらには足りないような円環で、蜜月が身につければ目を引くだろう。叔父上のお手持ちの品だった事に気づく者もいるかも知れない。
叔父上はこういう形で蜜月が我が子である事を示されるつもりなのだろう。
蜜月は戸惑いながらもその円環を受け取る。
「島宮の女王蜜月と輝宮を許嫁とする旨の文書は私の方で用意しよう。二人ともさよう心得るように。」
どうしてこういう話がここまでいきなり進むのだろう。確かにすぐにも妻問えと言われるよりは、かなりマシな展開だが。
俺は蜜月と顔を見合わせていっしょに呆然とするしかなかった。
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