映画館の前でクラスメイトと出会った話 -映画は静かに楽しく見ましょう-

あまかみ唯

第1話

目の前に、クラスメイトがいた。

時刻は午前八時二十四分。

ここが学校ならクラスメイトがいても不思議じゃないだろう。

そう、ここは学校じゃない。

高校三年生の夏、九時からの一時間目に出席するのは学生の当然の義務だ。

だがしかし、ここは学校でもなく、もちろん通学路でもない。

映画館の入り口だ。


手動の扉に手をかけ、開こうとしたところで、反対の道から歩いてきた女性に気付き先を譲ろうとしたところで気付く。


彼女はクラスメイトだった。

しかも学校では真面目なことで有名な彼女が、学校をサボってこんなところにいると誰が予想するだろう。

長い黒髪にキチッとした制服、凛とした表情で、サボりどころか買い食いもしたこと無さそうな彼女。

というか、学校サボってるのに制服なんだ……。

最悪サボりがバレて受け付けに止められそうだけど、そこまで考えていないのか、それとも過去に止められなかった経験があるのか。


一方自分は私服を着ていて制服はバッグの中に入っている。

高校生活二年間とちょっとで、何度目かのサボりに親しい友人たちはLINEを飛ばすまでもなく「またか」と笑っているだろう。

まあその前にTwitterに『初日の初回絶対行く』って以前から書いてたから、普通に伝わってるかな。

自宅に連絡が行くと面倒なので、一応担任の先生には病欠の連絡はしておいたけど。


ともあれ、真面目な彼女と不真面目な俺で相性が良くない。とても良くない。

どう良くないかと言うとクラスで友人と騒いでいる俺を彼女が迷惑そうな目で見るとか、そんな感じ。

一方的に俺が悪い?はい、そうですね。

とにかくそんな相手と予想外の場所で遭遇してしまって、つい固まってしまった。

そう、彼女の名前は確か、…………、……………………、まあいいか。


「入りたいんだけど」


声をかけられて硬直が解ける。

内心慌てて、しかしそれを悟られないようにドアを引いて先を譲り、どこか機嫌を損ねたような表情でロビーへ入っていく彼女を見送る。

長い髪を靡かせる彼女の後を、一呼吸おいてからあとに続いて俺も中に入った。


今日は大作映画の放映初日。

普段は経営が若干心配になるくらいガラガラのこの映画館も、九時からの初回に向けてお客さんで溢れている。


その人混みの最後尾、チケット購入の列へ先に進んだ彼女の背中を見ながらその後ろに並ぶ。

前に立つ彼女の天辺は俺の鼻先より少し低いくらいの高さにある。

俺が175センチなので彼女は160ちょっと下くらいだろうか。

列が短くなる度に微かに左右に揺れるその頭を眺めながら、一歩ずつ前へ進んでいく。


やっと列が終着点の目前まで進み、一歩先に彼女が受付で選んでいるモニターを眺めると、席の埋まり具合は五割ほど。

空いてる席からどこを選ぶか予め決めておく。

というか、制服でも止められないんだな。

あ、スタンプカード出してる。

やっぱり結構よく来るんだろうか。

彼女が受付で席を答えると、モニターに表示された空席のひとつが、指定済みの灰色に染まる。

彼女とは離れた席にしよう。

なんて考えてる時点で自意識過剰かもしれない。


ここの映画館の一番大きいAシアターは、一番前だと首が痛くなるし一番後ろだと画面が小さく感じる広さなので、理想の席は劇場の中央付近の席。

しかしもちろんその辺りは優先的に埋まっていて、残っているのは前後か左右か。

少し悩んで後ろ側に決める。

そのまま自分の順番が回ってきて、受付の女性に学生証を提示してから席の番号を告げる。


1000円を払ってからスタンプカードを押してもらって、会計を済ませてチケットを貰った。

備え付けの売店でパンフレットを眺め、映画一回分とほぼ同額はやっぱり高いよなあと思い視線を外す。

いや、高校生で割引きいてるからこの値段なのはわかってるんだけど。

でもネットの検索バーに『映画 パンフレット』と入れると予測検索に『高い』って出てくるし結構な人が高いと思ってるんじゃないだろうか。

なんて思っていると、視線の先にパンフレットを持っている彼女の姿が見えた。


このブルジョアめ、と呪詛を吐きかけて、俺と同額程度の小遣いからこの映画のためにパンフレット代まで捻出したのかもしれないという可能性を考慮して思い止まる。

それにパンフレットやらドリンクやらのお陰で映画館が成り立ってるんだし、ここはアプリゲーの廃課金に対する無課金の気分で感謝しておこう。

ちなみに俺はドリンクも買わない。

理由は買うと大抵映画が始まる前に飲み干して、そのままトイレに行きたくなるから。

ストロー付きのドリンクだと上映前の手持ちぶさたな時間についつい口をつけちゃうんだよねあれ。


ということで、もう用がないロビーを抜けて上映するシアターへと向かう。

途中で係員さんに半券を切ってもらって、残りを財布に入れようとすると、中に一ヶ月前に見た映画のチケットがまだ残っていたのに気付いた。

少し色褪せたチケットに懐かしさを感じながら、この映画も面白かったなと思い出す。

今日の映画も同じくらい面白ければいいんだけど。


財布を鞄に入れてシアターの気密された厚いドア開けて中に入ると、冷房の効いた空気に汗が引くのを感じる。

そのまま自分の席を探して、番号を確認して腰を下ろした。


鞄を足元に置いてポケットからスマホを取り出し、予めマナーモードにしておく。

もちろん上映前には電源も切るけど用心のため。


今の時刻は八時三十五分。

学校では朝練している部活の音が鳴り、早めに登校した生徒が九時の一時間目に向けて準備したり、クラスメイトと雑談している頃合いだろう。

もしかしたらカップルが一緒に登校して人気のない所で乳繰り合ってるかも、なんてことは流石にないか。


ちなみに昔は映画を見に来るときは腕時計をしていたんだけど、上映中につい時計を見て展開を予想してしまう悪癖があったので、今は着けないようにしている。

山場になると残り時間どれくらいかなー(チラッチラッ)ってやりたくなるけど、やっぱり本当に映画を楽しむならそういうのはやらない方がいいよね。(※個人の感想です)


そのままスマホを弄る前に視線を上げると、数列前の通路沿いに彼女が座っているのが見えた。

どうしてこんなにあのクラスメイトのことが気になるのか、と思ってみても理由はわかってるけど。


とはいえもし彼女が振り返って目があったりすると俺が死ぬので、再び視線を落としてスマホを弄る。

LINEはざっと見るだけで返事はせずに、Twitterで昨夜からの流れを追おうかと思って、もし、万が一これから見る映画のネタバレを踏んだら嫌だなと思い至ってアプリアイコンをタップする指を止めた。

洋画だと現地で三ヶ月くらい先行上映して、日本で放映される前に海外からのネタバレが回ってきたりするから慎重になったりする。

ちくしょう、いつか現地に行ってアメリカ最速上映見てやると、ネタバレ踏んで思ったのは昔の話。

まあ今日見るのは邦画だから心配はないと思うけど念のために。


さてじゃあ何をするかと考えて、音の出るアプリゲームは流石に恥ずかしいよなと思い、漫画を読むにはwi-fiのない環境だと通信容量が……と苦悩して、視線を上げると再び彼女の頭が目にとまった。


彼女、――そう諏訪さんだ。

下の名前は覚えていないけど名字は諏訪さん。

その諏訪さんの前の席に身長の高い男性が座っている。

彼女もそれに気付いているようで、首をかしげて前の男性の頭との軸をずらしてなんとか上手く前が見えないかと模索している。

彼女の身長だと、あのまま映画が始まったら画面を見るのに苦労するだろう。


俺は男の平均身長と同じくらいあるから体験したことはないけど、映画館に来たら誰に起こってもおかしくはないトラブル。

誰が悪いわけでもなく、偶然起きてしまった問題だ。

だから、俺は荷物を持って腰をあげ、通路に出て階段を降りた。


「席、交換するか?」


突然話しかけられて、無言で驚いている彼女に半券を見せて視線を促す。

先程まで俺の座っていた席の前には、さほど背が高くない女性が座っている。

あの席ならスクリーンを見るのに苦労することもない。


「どういうつもり?」


聞く彼女の顔には警戒8、困惑2くらいの表情を浮かべていた。

きっと俺でも大して話したこともない相手にこんなことをされたら似たような表情をするだろう。

だからこそ努めて平静に答える。


「個人的な考えだけど、映画館を利用する人間には映画を最大限楽しむ権利があると思う」


喋らない、音をたてない、スマホを弄らない。

簡単に他人の迷惑になってしまう、だからこそ、他人への配慮で成り立っているこの空間では、同じ映画を楽しみにしに来た人間同士として最大限楽しんで欲しい。

そんな気持ちが映画館の中ではある。

まあ個人的な信条だけど。


「ありがと」


そんな考えが伝わったのかはわからないが、彼女が素っ気なく返事をして半券を受け取り、かわりに自分の半券を返してくる。

いや、席がわからないだろうと思って渡しただけで、かわりの半券は別にいらないんだけど……。

まあいいか。


結局それを受け取って、彼女が席をたつのを見送ってから荷物を下ろして腰掛けた。

緊張から解放されてふーっと息を吐く。

とはいえ自分よりも後ろに座った諏訪さんのことが気になって、露骨に脱力するのはなんとなく我慢する。

座席が残った彼女の体温で温かい……。

席について一番最初に思ったのは、彼女に言ったら殴られそうな感想だった。




◇◇◇◇◇




「最高だった……」


映画館を出て、眩しい日差しに目を細める。

最高だった。

もう一度、心の中でひとり呟く。

夏の熱気に汗が吹き出し、普段は嫌気がさすような湿度の高い空気が体にまとわりついても、心の中の興奮はさめやらない。


映画のレビューサイトよろしく五点満点で採点したら、文句なしで五点をつけたいくらいの作品だった。

そして公開初日の最速放映を劇場で見て名作だった感動は格別で、何事にもかえがたい。


放課後もう一度見に行こうかな。

財布の中身はちょっと寂しくなるけど。

でも、あと一回でスタンプカードが全部貯まって入場料一回無料になるから、実質タダってことでいいのでは……?

なんて錯乱したことを考えながら歩いていると、信号待ちの人影に知ってる姿があった。


げえっ、と思いながらその姿の一歩後ろに息を潜めて立つ。

どうしてこんなところでと考えてみて、直接学校に行くなら同じ道を通るのは当然の流れだと気付く。

映画が面白かったからすっかり存在を忘れてたんだよ。

なんて心の中で言い訳しても始まらない。

いや別に、彼女に会いたくないとか避けているわけではないんだけど。


このまま学校へ行くとすると、ずっと後ろを歩いていくことになって凄く気まずい気がするだけで。

なにか用?なんて言われたりして。


「なにか用?」


と予想通り、振り向いた彼女――諏訪さんに言われて、俺も先に考えてた言葉を返す。


「学校まで行くなら道が同じになるのは当然だろ」


というか……、

「眼鏡かけるんだな」

「!?」


映画が始まる前にかけたんだろう。

指摘すると諏訪さんが慌てて眼鏡ケースを取り出してその黒いフレームの眼鏡をしまう。

学校では一度も見たことなかったからおそらく人前ではなるべくかけないようにしているんだろう。


別に隠さなくてもいいのに。

なんて言ったらまた睨まれそうなので言わない。

そういうことを言っても許される関係になるには好感度が足りない。

まあ諏訪さんにそこまで好感度が上がる未来は一ミリも見えないけど。


しかしなんか想像以上に諏訪さんからの心証悪いなと今更ながらに疑問に思う。

席を譲ったのは個人的な主義からだから感謝されなくても別にいいんだけど、なにか嫌われるようなことしただろうか。

まさかクラスでたまにうるさいからってだけでここまで敵視されないだろうし。


思い当たることといえば、この前英語のテストで諏訪さんのクラス一位を妨害したことくらいだけど。

点数は俺が98点、彼女が96点。

ちなみに俺は英語だけ得意で、彼女は全教科得意な中で英語が一番の得意。

俺がなんでそんなに英語が得意なのかというと、洋画の原語を字幕なしで見るのが好きだから。

元々はあっちの俳優さんの声を聞いて吹き替えとのニュアンスの違いを楽しんでいたんだけど、いつの間にか原語メインで聞くようになっていた。

言っても成績は学校のテストレベルの話だし、外国人と流暢に会話できるほど堪能でもないけど。


まあ嫌われている(もしくは警戒されている)原因がわかってもどうしようもないんだけど。

という訳でここで俺が選べる選択肢は二つ。

話しかけずに学校まで無言を貫くか、積極的に話しかけて歴史的和解を目指すか。


「さっきの映画面白かったよな」


選んだ答えは後者。


「ラストシーンもよかったけど、花火あがるところのシーンが綺麗でさ。やっぱりベタだけどいいよなああいうシーン」


返事は期待せずに、どんどん感想を語っていく。

まるで壁にでも話しているようだけど、映画を観た直後なので感想は止まらない。


「あと雪が降ってきた時の空気感も凄くてさ」


どれくらいそうしていただろう。

相も変わらず語り続ける俺の言葉に、諏訪さんがぽつりと声を発した。


「私も」

「ん?」

「私もあのシーン好き」


その一言だけで、俺は偉業を達成したかのように嬉しくなって更に口を開く。


「やっぱりあのシーンいいよな。凍えるような空気がこっちまで伝わってくるみたいで」

「ゆっくりと降ってくる雪の描写が綺麗だったわ」


やり取りに、段々と熱が入り長くなっていく。

やっぱり、学校サボってまで見に来る映画バカは、感動したら熱く語りたくなるのは共通なんだなあ。

そのまましばらく映画の感想を言い合うのに夢中になっていて、気が付けば話はじめてからずいぶんな距離を歩いてきていた。

というか途中でワープしてきたんじゃないかと疑うくらい道をどう歩いてきたかの記憶がない。

ちゃんと映画館と学校を繋ぐ道を歩いている辺り、道を間違えたりはしなかったようだけど。


「学校終わったらもう一回見に行こうかな」

「よくお金あるわね」


同じ映画二度見るよりも、パンフレット買う方がブルジョアなんじゃ、と思ったけど黙っておく。


「小遣いは多くないけど、学生割引使えば昼飯二回抜くくらいで行けるしな」

「そんなことしてたら体壊すわよ?」


隣で諏訪さんが、おかしそうに笑ったその表情に、息を飲む。

普段見ている堅い顔とは全然違って、不覚にも少しだけ胸の鼓動が速くなった。

こんな表情、少なくとも教室では一度も見たことがない。


「なに?」

「いや、なんでもない」


誤魔化して、視線をそらす。

そのまま顔を見ていたら、おかしなことを言ってしまいそうだから。


「そういえば、同じ監督の前作も良かったな」


誤魔化すために方向転換させた話題に、諏訪さんがのってきてくれる。


「私もあの作品好きよ」


前作も新作も、結構方向性が違うのにどっちも面白くて監督の才能を感じる。


「でもまあ、」

「新作の方がよかったな」

「前作の方がよかったわね」


一瞬の沈黙。


「「は?」」


まるで息ぴったりのコンビのように声が揃う。

まあ意見はぴったりどころか真逆なんだが。


「いやいや、新作の方が良かったでしょ。挿入歌の使い方も前作より上手かったし」

「前作の方がストーリー王道で素直に感動できたし、どう考えても前作の方が良かったわよ」


一度言ってしまった言葉は止まらずに、そのままお互いにああだこうだ、違うそうじゃないと言い合いが続き、やがて意見が合うことはないという結論に一致して沈黙が流れた。


そのまましばらく無言で歩き、学校の近くまで来たところで立ち止まる。

横断歩道のボタンを押すと、気付いた諏訪さんが振り返った。


「なに?」

「着替え」


短く答えて軽く鞄を掲げる。

これから登校するなら、私服から制服に着替えないといけない、と今の仕草で伝わっただろう。

諏訪さんは制服で俺は私服。

トイレを借りられるコンビニは学校までの間にこれで最後なので、必然的に並んで歩くのはここでおしまい。

流石に私服で学校まで行って校内で着替える度胸はないし。


いっそ今度から彼女みたいに制服で映画館行こうかなと思ったけど、やっぱり面倒事が起きそうなので着替える方が楽かなと考えてしまった俺をチキンと言うな。

でも冬になったら着替えを鞄に入れるのも大変だからワンチャンあるかな。

着替えるのもめんどくさいし。

そもそも学校の手前ギリギリのコンビニまで着替えてなかったのは、話すのに夢中になってたからだけど。


「待ってなくていいぞ」

「待ってるわけないでしょ」


怒ったように勢いよく踵を返して去っていく彼女の背中を眺めながら、名残惜しさを覚える。

まあ、会話は途切れてたし、どうせ並んで遅刻して学校に入ったら面倒ごとになるのは目に見えているんだけど、おそらくもう彼女とまともに喋る機会は訪れないと思うと未練があった。

去っていく背中に口を開きかけて、やっぱり閉じる。

どうせ、声をかけても、嫌そうな顔をされるのがオチだろうから。





◇◇◇◇◇





英語の授業を聞き流しながら、斜め前に見える横顔を眺める。

俺の席から見て左に三つ、前に二つ。

窓際のその位置が彼女――諏訪さんの席だ。


登校してから昼休みを挟んで午後一の授業。

普段なら眠気を噛み殺しながらノートをとっている時間だが、今日は眠気に耐えることもなく、ノートをとることもせず、窓際に座る彼女を眺めていた。

真剣に授業を聞きながらシャープペンを動かす彼女はいつもの表情で、あの時見た笑顔は幻だったんじゃないかと思えてくる。

もしかしたら本当に幻だったのかもしれない。


彼女にだって友人はいて、少なからず笑顔を見せることだってあるだろうに、なんでこんなに気になるのか。

自分に向けられるはずなんてないその表情が不意打ちだったからか、それとも俺が女子にあんな笑顔を向けられることに縁遠い男だからか。


両方かな……。

冷静になってみれば映画の趣味がちょっとズレたくらいでなんであんなに意地になってしまったのか。

一番の理由は、きっと彼女なら同意してくれると、勝手に期待をしていたから。


とはいえこの感情は恋愛感情なんかではないんだろうけど。

そもそもそんな感情を持ったとしても、万が一にも可能性がない相手だし。

だからまあ、余所見なんてしていないで前を見てちゃんと授業を受けろと頭は言っているんだけど、どうにも集中できずに気がつけば視線が黒板から逸れている。


そんな風にしているあいだに、黒板は何度か書いては消してを繰り返されて、今から写し始めるよりも授業のあとで誰かに借りた方が効率的だしまあいいか。


「それじゃあ次のページを、茅野」

「はい」


名前を呼ばれて反射的に返事をする。

とっさに自分の名前に反応できるくらいには授業に意識を割いていた自分を褒めたいところだけど、もちろん今が教科書の何ページなのかはわからない。

授業始まるときには先生の言っていたページを開いてたはずだけど……。


「69ページ」


と隣の席の須藤が小声で教えてくれる。

起立しながらページを捲り、一行目から読んでいく。

先生が「そこまで」と言ったあとに今度は和訳を指示されて、落ち着いて答えてから腰を下ろした。


「サンキュー」


小声で須藤にお礼を言うと、須藤が教科書に隠して親指をグッと立てる。

持つべきものは隣の席の悪友かな。


それに軽く笑ってこちらも親指を立て、視線を戻すと、視界の端で諏訪さんがこっちを見ていた。

彼女は俺視線に気付いたのか、顔を背けて黒板へと向ける。

まあ、教科書を読んでいる人間の方をちらりと見るのはそんなにおかしくないことだけど、その表情がなぜか不機嫌そうで少しだけ気になった。




◇◇◇◇◇




授業が終わると須藤が一緒に帰るかと誘われるがそれを断る。

正確には映画に行くからと伝えたうえで、一緒に来るかと逆に誘ったら断られたんだけど。

今から映画館へ行って一本観たらほぼ八時過ぎ。

そこから俺の『感想』に付き合ったら夜のドラマを見れなくなると嫌そうな顔をされてしまった。


前に一緒に部屋で映画を観たとき、二時間くらい語ってたのが悪かったな……。

今度からはちょっと自重しよう。

いやでも、一番好きな映画を観たら二時間くらい語っても仕方ないよね。

よね?


スマホで調べた上映時間にはまだ余裕があり、教室でしばらく時間を潰したから学校を出た。

西に並ぶ山に太陽が重なり、空が紫色に染まっている。

あと少ししたら太陽は完全に沈んで暗くなるだろう。

映画館のある駅前へ向けて道を歩くと、正面に俺の身長の三倍くらいの影が伸びる。

これくらい身長があったらバスケで世界とれるかな、なんてくだらないことを考えていると、後ろから声をかけられて心臓が止まった。


「ねえ」

「どうした?」


若干低い声で素っ気ない返事になったのは、突然後ろから声をかけられ驚いたからと、どう反応したらいいか迷ったから。

なにせ彼女からはもう二度と声をかけられることはないと思ってたから。

そもそもこの不機嫌そうな表情を浮かべている女子を和ませるような会話術を持ち合わせてはいないし、素敵な受け答えなんて出来るわけないんだけど。

もしそんな会話術があったら詐欺師かセールスマンになって将来困らなそうで羨ましい。


しかし周囲に人影がないような場所なんだから声をかけるにももうちょっと方法を考えてほしかった。

俺が女子だったら叫んでその場から逃げて110番してたかもしれない。


「これから映画見に行くんでしょ?」

「そうだけど」


声の主――諏訪さんに聞かれて、どうしてそれを、と疑問を浮かべたところで、話したときにもう一度見に行こうかなとい言っていたことを思い出した。

いやでもあの時は気が向いたら行こうかなくらいのニュアンスだった気がする。

言葉に困って立ち止まった俺を追い抜いて、振り返った諏訪さんが歩くのを促すようにこちらを見る。


「借りは早く返したいから」


借りとはおそらく映画館の席の件だろう。


「映画の代金でも奢ってくれるのか?」

「それでいいわよ」

「ちょっ、ちょっと待った。流石にそこまでしてくれることじゃないだろ」


慌てて否定してみても、彼女が引き下がる気配はない。

それはまるで感謝の気持ちというよりは、屈辱は晴らさずにはいられないといった感じだ。

まあ、あの時ああだこうだと言い合いになると面倒だなと思って、後ろから不意打ちで提案した俺にも非があるとは自分でも思ってるけど。


「じゃあジュース奢ってくれればそれでいいよ」

「なら映画館行きましょうか」

「その辺の自販機でもいいぞ?」

「持ち込みする気? 最低」

「ちげえよ、別に一緒に来なくてもいいって言ってんの!」


映画館への持ち込み、ダメ、ゼッタイ。

いや、持ち込み可の映画館なら別にいいけど、うちの近所にはそんなもの存在しないし。

ただしペットボトルの炭酸持ち込んでプシュプシュ鳴らす奴は持ち込みの可不可に関わらず絶対に許すな。

あと唐揚げの匂いは館内売店で売ってるなら個人的には許せるけど、あの辺も結構人によるよね。


「私も映画見に行くだけだもの」


(もしかして、一緒に映画みたいのか?)

なんて、そんなわけないか。

自分の都合のいいように考えたがるのは俺の悪癖だ。

この前だって手紙で呼び出されて行ってみたら結局イタズラで誰も来なかったし。

思い出したら悲しくなってきたからこの話はやめよう、そうしよう。


「別にすぐ返してくれなくてもいいんだけどな」

「なにか言った?」

「なんでもない」


言葉で繕ってトトトッとステップを踏み横に並ぶ。

帰り道。二人きり。日が落ちて辺りは暗く、周りに人影はない。

隣にはフラットから多少負の方向に感情ゲージを傾けた表情で沈黙する諏訪さん。

お互いの物差し一本分くらいの隙間に展開される重い空気に耐えかねて、口を開いた。


「ああ、そうだ」


俺の言葉に諏訪さんが不審そうに眉を潜めて歩みを止める。

そんな警戒しなくてもよくない?

まあいいけど。


「ジュースもいいから、買ってたパンフレット読ませてくれね?」

「え、嫌だけど」

「ええー……、ジュース奢るより安く済んでよくねえ?」

「金額よりも、私の持ち物に触られるのが嫌っていうか……」

「あ、はい。そうですか。なんかすみませんね」

「以後気をつけて」


(帰り道に闇討ちしてやろうか……っ)

一歩前に出てそう憤っていると、後ろから小さく声が聞こえた。


「ばか」


俺の耳に届いた声は、意味がわからなくて、聞き間違いかと思って振り返る。


「なにか言ったか?」

「なんでもないわよ」


その顔は全然全くなんでもなくないって雰囲気に、とても不機嫌そうだった。


これから数年後、彼女とは洋画の最速上映を見るために一緒にアメリカ旅行に行く仲になったりするけど、それはまだずっと先のお話。




☆☆☆☆☆




※おまけ※

スマホがデーンデーデデーンデーデデーデーデデーと鳴って確認すると、須藤から和訳してくれと英文の映った画像が送られてきていた。

今日の宿題じゃねーか、と思いつつ『あとでな』とだけ返信してスマホをしまう。

映画館着いて上映始まる前の時間にでもやって返せばいいだろう。


「須藤さんと付き合ってるの?」


俺のスマホの画面を見てたわけでもないだろうに、タイミングよく諏訪さんがそんなことを言い出す。

もしかしてエスパーかな?

いや、エスパーだったら今日だけで数回殴られてるか。


「あいつとは中学からクラスが一緒なだけだぞ」


よく一緒にいるから誤解されるけど、そういう関係になったことは一度もない。


「そう」


自分で聞いてきたのに、なぜか興味無さそうに短く答えた。

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映画館の前でクラスメイトと出会った話 -映画は静かに楽しく見ましょう- あまかみ唯 @amakamiyui

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