朝起きたら
栗ノ森斉
朝起きたら
朝起きたら虫になっていた。
なんてことが起きればいいのに、今の俺はそんな気分だった。
「いや、でも虫は嫌だな、鳥とかの方が良い。そっちなら空を飛べるし気楽だろうな」
天井を見上げ、俺は呟く。
カーテンは開いたがベッドから出たくない。もう何もしたくなかった。
「はあ」
ため息をついてじっとする。このままじっとしていれば全てが静かに終わってしまうんじゃないかと期待していた。
「隆志! 朝だよ!」
母親の大声。毎朝のアラームみたいなもので、自然にビクリと反応してしまう。
「分かったよ。うるさいな」
一階にいる母親に聞こえないと分かった上で俺は言う。
休みたいが、そうもいかない。今日も学校に行くのだ。明日が土曜日なのがまだましな気分にさせてくれる。今日もし失敗しても、二日の休みが貰えるからだ。
そんな事を思いながら俺はベッドから出た。
登校する。いつも通り一人で学校に向かう。近くにある駅から電車に乗り、いくつか駅を進んだ場所が高校のある場所だった。今日の事を考えて無駄に気分が悪かった。なんで俺はあんな誘いに乗ってしまったのだろう。調子に乗りすぎだろ。心の中で悪態を吐きながら電車の座席に座った。
じっと静かに座席に座っていた。
電車の扉が閉じ、車両が進み始める。俺は足元をじっと見つめていた。スマホを見る気にもなれず、そして肝心な時にイヤホンは忘れてきてしまっていた。なんてついて無い日なんだろう。もう今日一日の事を暗示しているような気がしてならなかった。
窓の外の景色でも見たいが、わざわざ振り返ってまで窓を見たくないし、かといって向かい側を見ると正面の座席の人と目が合ってしまう。人の視線が好きじゃなかったので、俺はじっと足元を見ることにしていた。
そうしていると隣の車両の扉が開いた。誰かが移動してきたらしい、席なんてそこら中にあるんだから近くの座席に座ればいいのにと思う。相変わらず下を向いていると、隣に人が座った。
隣に座ったのは高校生でワイシャツに赤いネクタイ、灰色のスカートを履いているのが分かった。その服装で同じ高校の生徒だと分かる。足元には黒い鞄を置いていた。なんだか気になってしまったので、女子生徒とは反対側に顔を逸らす。隣のサラリーマンの靴でも見ていた方がまだましだ。
そう思っていると隣から声がかけられた。
「ねえ、起きてるの?」
女子生徒が俺に声をかけてきていた。
「んえ?」
気持ち悪い声を出してしまった。少し恥ずかしく思いながら、俺は顔をあげて彼女の顔を見る。クラスメイトの顔だった。気の強そうな顔つきと、長い黒髪。
「相坂っ?」
思わずぎょっとしてしまう。
「何?」
相坂は眉をひそめ、俺の反応に怪訝そうな顔をしていた。
「いや、何でもない」
そう言ってごまかす。視線を彼女とは別の方向に向ける。
「何それ変な感じ。寝ぼけてない?」
「寝ぼけてない」
はっきりと返事をしておく。
なんで相坂が隣に座っているのだろう。ちょっとどころじゃなくびっくりした。今このタイミングで相坂と話したくなかった。心の準備ってものが必要だからだ。
「何の用だよ?」
相坂が学校以外で話しかけてくることなんて殆ど無かったと思う。
「何の用って、話しかけちゃダメだった?」
「いや、そう言うわけじゃないけど。珍しかったからな」
「珍しいことなんてないと思うけど」
相坂は俺の言葉に首をひねる。
「それは学校ではの話だろ? まさか登校中に話しかけてくるとは思わなくて」
「ふうん。何をそんなに気にしてるんだか」
相坂は俺の返答をくだらなそうに聞いていたが、取りあえずこの話については何も言わないことにしたらしい。
「今日は部活は無いのか?」
いつも教室に入るときはテニスラケットの入ったケースを持っていた気がする。
「元々金曜日は無いよ。うちの学校の部活は緩いから、テニス部も今日はお休み」
「ふうん」
帰宅部の俺は、うちの高校の部活についてよく知らなかった。
「そうだ、テストの結果はどうだったわけ?」
急に相坂が話を切り替えてくる。
「……」
今その話をされるなんて思ってもみなかったので、思わず黙り込んでしまった。いや、冷静に考えれば今週の授業はテスト返しばかりだったから、話題としては適当なのかもしれないけれど、相坂がその話をしてくるのか。
「やばかったの?」
俺が黙り込んだので相坂は勝手に想像しているらしい。
「あんまり良く無かった」
俺はそう言った。
「もしかして赤点とか? 宮崎ってそんなに成績悪かったっけ」
「そこまではいってない。いつもみたいに平均ぐらい」
そう、どれも平均ぐらいだった。
「ならなんでそんなに落ち込んでるの?」
「落ち込んでるわけじゃないけど。ちょっと悩みがあって」
「ふうん」
相坂は興味なさそうにしていた。
まあそうだよな。でもこの悩みって相坂に思いっきり関わりがあるんだけど。
その後暫くの間、俺と相坂は雑談をしていた。最初は緊張していたが、段々と気持ちが落ち着いた気がする。とはいえ途中で相坂の友達が来たので俺達の話は終わり、俺はスマホを見て時間を潰し、相坂は友達と楽しそうに会話していた。
高校の最寄駅に着くと同じ高校の生徒達が降車していく。俺も同じく電車から降りた。この駅のホームからぞろぞろと生徒が増えるものだから、騒がしくて嫌になる。あと数本早い電車に乗れば人も少ないかもしれないが、それはそれで朝起きるのが苦痛になるので嫌だった。
先に降りていた相坂とその友達は話しながら歩いていたので、俺はさっさと横を通り抜けて前に進んだ。
改札を抜け駅を出て、そのまま道を真っ直ぐ進む。住宅街を歩いていくと正面に高校があった。見た目はパッとしない高校だ。校内も大して変わった部分も無いし、まだ夢見ていた入学直後はがっかりしたのを覚えている。
そんな校舎に入り下駄箱で上履きに履き替える。靴箱にラブレターなどは入っておらず相変わらずつまらないなと思う。まあいいさ。もういいさ。
朝から精神的に疲れているのを感じながら、俺は廊下を進み自分の教室に入った。
教室内には既に十数人は生徒がいて、ざわざわしている。俺は一番右端の、前から三番目の机にリュックを置いて一息ついた。
「よう、逃げなかったな」
と、そんな俺の肩が軽く叩かれる。友達の後藤だった。少しちゃらちゃらした雰囲気のある男で、サッカー部に入っているからか肌は日焼けしていた。
「学校を休むわけにも行かないだろ?」
冗談でサボりたいと常日頃言ってはいるが、実際にやる度胸は無い。
「あの事も休むなよ?」
後藤はそう言ってニヤニヤした表情を浮かべる。楽しそうだな。
「分かってるよ。決めたことだし、そもそも俺が言いだしたことだ」
「よしっ。おい、宮崎がやるってよ」
後藤は事情を知っている男子たちの元に行く。
「おーまじか」
「冗談かと思ってたぜ」
「あいつの気持ちは本物だったか」
と、どうやら俺の言葉を本気にしてなかったような声が聞こえてきた。
「ちょっと待て。冗談だと思ってたのか?」
聞き逃せず俺はその男子グループの所に行く。
「いやいや本気だと思ってたぜ、な?」
後藤は慌ててそう言った。他の男子もうんうんと頷く。
「まさか今更止めるとか言わないよな」
後藤がそう言ってくる。
「いや、そういうわけじゃない。約束は破りたくないしな」
俺はそう答えた。
「ま、結果は楽しみにしてるぜ」
「玉砕しても慰めてやるよ」
「駄目だった祝いに、今日はゲーセンにでも行こうぜ」
男子たちは勝手にそんな事を言っていた。
俺はなんだかちょっと気が軽くなりながらも、これからの事を考えていた。
文面はこうだった。
『話があります。授業後に屋上に来てください 宮崎』
淡泊な文章だと思う。というかなんで敬語なんだろう。書いた後でそんな事を考えてしまった。
今の文章は相坂の靴箱に入れた手紙の内容だった。今時ありえないような呼び出し方だが、相坂の連絡先なんて知らないし、直接言うのも緊張して言えなかったのでこうした。我ながら回りくどい事している気がする。というかあんな手紙を相坂は本気にするだろうか。
そんな事を考えながら俺は屋上で待っていた。
授業が終わると相坂の方を見ずに直ぐに教室を出た。相坂の靴箱に紙を入れ、屋上へ向かった。屋上は入ってはいけないことになっていたが、入口の鍵が古すぎて壊れていることは周知の事実だった。
とはいえ立ち入り禁止であることに変わりないので、別に不良が目立つわけでもない我が校の生徒はわざわざ来ないようだ。まあ屋上に来たからと言って、何をするのかという話でもある。屋根は無く、夏の日差しが熱い。屋上に出る階段がある部分の影になる場所で隠れているが、風がなく熱いことに変わりなかった。なんでこんな場所に彼女を呼び出してしまったのか、今になって後悔し始めている。
「いつ来るかな」
誰もいなくて少し寂しいので独り言を呟く。今頃教室ではあいつらが俺の結果を待ちわびているのだろう。結果によってはもうこのまま帰るつもりだが、その時は連絡をしようかどうかなんて、どうでもいいことを考えて時間を潰していた。
十分、二十分。じっと待ち続ける。
「まだ来ない」
俺は待つ。
「うーん」
待ち始めてから一時間がたった。流石にこれは遅すぎるような。
「もしかして相坂は手紙を無視して帰ったとか?」
嫌な想像が頭をよぎる。
それはありそうなことだ。突然クラスメイトの男子に屋上に呼び出されるって、これから告白しますって言ってるようなものだもんな。物語だと定番だよな。分かってるよそんなこと、引いたよな。そりゃ引くよな。
「もう最悪だよ」
マイナス思考が膨れ上がってやってられなくなる。
急に雲が出てきて空が曇ってくる。俺の気持ちを代弁したかのようだ。
地面に置いたリュックを掴んで背負う。
「帰ろ」
誰に言うでもなく呟くと俺は屋上から出ることにした。
結局、一世一代の告白は玉砕するどころか会う事すらできずに終わった。
あの後は酷かった。屋上から階段で降りてきた所を生徒指導の口うるさい坊主に見つかり、生徒指導室で延々と説教が続いた。他の教師が坊主に用があったおかげで解放されたが、教室帰ると相坂は勿論後藤達の姿は影も形もなく、他のクラスメイトがそんな俺の事を笑っている気がした。何だか惨めな気持ちになったので校舎を出た。天気はどんどん悪くなり、遂には雨が降り始めたので濡れながら帰る羽目になった。
「最悪な気分だ」
ぽつりとつぶやく。
電車の中、俺はドアの前で立っていた。座席に人がずらりと座っていて、なんで今日に限ってこんなに人が多いのか誰かに問い詰めたい気分だった。
びしょ濡れの姿を皆に見られている気がして、窓の外の景色をじっと見つめる。長い時間我慢していると俺の家のある駅についた。
電車を降りる。服が濡れてべたつくのが気持ち悪い。さっさと家に帰りたかった。
駅を出るとまだ雨が降っていたが、今更走っても変わらないので俺は歩いていた。やけっぱちになっている気がしたが、どうでもいい。
コンビニの横を通る。コンビニの前にはタバコを吸っているおっさんや、ゴミ箱にごみを放り込もうとして失敗している女などがいた。女が指先でごみをつまみ、ゴミ箱に入れるのを横目で見ていると、コンビニから人が出てきた。
「ん?」
制服姿。同じ高校。女子生徒。見覚えがありすぎる顔。
思わずじっと見てしまう。向こうも傘を差しながらこっちを見ていた。
「あ……」
ちょっと気まずそうに彼女は俺を見る。その反応で彼女が手紙を見ていたのだと直感した。なぜ来なかったか? それはもういい、聞きたくない。
俺は勢いよく顔を背けると早足で歩く。
相坂が俺の姿をどう見ていたのか、そんなこと考えたくもなかった。
告白自体は冗談で決まった。いつものように他愛もない話を後藤としていたら、突然あいつが言った。
「なあ、テストの結果で賭けをしようぜ?」
「ん? 俺に勝負とはいい度胸だな」
俺は平均点の上と下を行ったり来たりする成績だったので、威張れるほどでは無いのだが、後藤はいつも俺より悪い成績を取っていたので調子に乗っていた。
「でもどういう賭けをするんだよ」
「テストの点数が悪かったらご飯を奢るとか」
「なるほどな」
なんだか面白そうだった。でも俺が負けるわけは無いと思っていたので、余計な事を言ってしまう。
「ご飯くらいは普通すぎないか?」
「そうか?」
「ああ、やるなら誰かに告白とかどうだろう」
「告白?」
後藤は驚く。俺は殆ど冗談で言っていた。こういう話は定番だから適当に言ったのだ。
「よし、分かった」
しかし後藤は頷いた。
「え、分かるのかよ」
「何驚いてるんだよ、宮崎が言いだしたんだろ? じゃあ、化学のテストの点数で悪い方が誰かに告白するってのはどうだ?」
「お前が一番得意なやつじゃんか」
後藤は何故か化学だけは得意だった。まあいつも俺より低い点数だったが。
「まあいいだろ? ハンデみたいなもんだよ。なあやろうぜ?」
「……分かった。俺が負けるとは思わないし」
「言ったな? あ、告白するのは女子にだぞ。そこらの男子にとかはやめろよ?」
「分かってるよ。というかそれは俺の台詞だ」
俺は笑いながらそんな事を言っていたと思う。
「よっし、おーい、お前らちょっと来てくれ」
後藤が他の友達達に言いふらすのを俺は余裕を持って聞いていた。
そして肝心のテストの結果は後藤に負けた。
「やったぜ!」
化学のテストが返され見せあうと、後藤は大喜びした。
「マジかよ……」
ショックだった。まさか後藤に負けるなんて思って見なかったからだ。
「ははは、じゃあ告白だな。お前が言いだした事なんだからちゃんとやれよ」
後藤は得意げにそう言った。
「くそ。分かったよ、告白してやる」
俺はそう言った。
「で、誰にするんだよ」
後藤はそう聞いてきた。
「それは内緒だ」
「内緒じゃ分かんないだろうが」
「……」
俺は少し考えてから、口を開く。
「相坂に告白する」
「……まじか? アイツに?」
「何驚いてるんだよ。直ぐに振られて終わりだろ」
俺はそう言った。
「ふーん、まさか宮崎がそんな趣味だったとはねぇ」
「あのな、別に好きじゃないぞ。ただ罰ゲームとしてそうしただけだ」
俺はそう言った。
「ふうん」
「なんだよ」
「いや、何でもない」
後藤はそれ以上は何も言わなかった。
俺は直ぐに帰った。
後藤にはあんな事を言ったが、相坂を選んだのは本当に彼女の事を好きだったからだ。賭けで負けるとは思ってもみなかったが、この際以前から好きだった彼女に告白するチャンスだと考えていた。そんなこと後藤には言えなかったが。
単純に殆ど一目ぼれだった。相坂とは中学が一緒で高校も一緒だった。中学時代からちょくちょく学校では話していて、その時から彼女の事がどんどん好きになっていた。だから同じ高校になった時は驚いたし、嬉しさもあった。でも俺には相坂との関係を進展させる度胸もなく、日々を過ごしていた。そんな時にこの後藤との賭けだった。後藤にとってはただの冗談みたいな話だっただろうがな。
とはいえ結果はこれだ。誰か笑えよ。
次の日。土曜日で学校は休みだ。予定通りというか、予想していなかった結果ではあるが失敗は失敗なので、大人しく今日は過ごすことにする。そう言えば後藤からlineがあり、遅かったから先に帰っただの、結果はどうだったのかだの言っていたが、全部無視した。もうこの二日間は全部繋がりは断ち切って家にいることにしよう。
昼ぐらいに後藤から電話があったが出ないでおく。lineでは電話に出ろとメッセージがあり、その後も何回も着信が着ていた。
あんまりにもしつこいので、いい加減出ることにした。
「なんだよ」
『あ、やっと出たな。lineの返事もないし、電話も出ないから心配したぞ』
「ああ、そうか。それ以外に用事は無いな、じゃあな」
『待て待て。何でそんなに落ち込んでるんだよ。もしかしてあの告白マジだったのか?』
そんな事を後藤が聞いてくる。
「マジなわけないだろ。冗談だよ。じゃあな」
俺はそう言って、電話を切った。
「はあ」
もう後藤から電話が来ても絶対にでない。
日曜日も家でいることにした。
母親と父親はいなかった。父はゴルフ、母は友達と遊びに行ったらしい、いつもの日曜日だった。俺はリビングで一人遅めの朝食をとる。カップ麺にお湯を注いで三分待つだけの、簡単すぎる食事だった。
インターホンが鳴る。
「宅急便か?」
誰かが荷物を頼んだのだろうか。そんな事を思って俺は来客の姿を映すモニターを見た。
「?」
そこには相坂の姿があった。私服姿の彼女が玄関先で立っている。彼女は待っている間庭の花壇を見ているようだった。
なんで相坂がいるのだろう。俺は寝間着姿で、寝癖も酷い。男友達相手ならともかく、彼女相手にこの姿は恥ずかしすぎる。取りあえずモニターのボタンを押し、画面越しに話しかけることにした。
「相坂?」
俺の声が聞こえると直ぐに彼女は反応した。
『もしかして宮崎?』
そりゃ宮崎家だからなと思ったが、余計なことは言わない。
「ああ、そうだけど。何?」
『話があるの』
「話?」
『うん。いいから来て』
「今ここでじゃダメなのか?」
『それは嫌。誰かに聞かれたくないし』
「今うちは誰もいないから大丈夫だぞ」
『なら中に入れて』
「え、本気か?」
『駄目なの?』
「いや、いいけど。でもちょっと待って」
そういうわけで俺は慌てて自分の部屋に戻る。寝間着を脱ぎ捨てシャツとズボンを履く。一階の洗面台で顔を洗い、櫛を使って寝癖を誤魔化そうと頑張り、ようやく玄関の扉を開けた。
「遅い」
開けた途端相坂はそう言った。
少し不機嫌そうな様子だったが、俺は彼女の姿に見とれてしまった。
相坂の私服なんて殆ど見たことが無かったし、化粧をしているのか雰囲気もいつもと違った。思わずじっと見てしまう。
「何? 入れるつもりないの?」
「あっ、いや。入ってくれ」
焦りながら俺は彼女を迎えた。相坂は玄関に入ると靴を脱ぎ、家の中を進んでいく。そしてリビングに入っていった。
「綺麗な家」
そんな事を彼女が呟く。
「母さんが掃除好きなんだよ」
俺はそう言いながらサンダルを脱ぎ、綺麗にそろえる。意識しすぎていると分かっているが、それでも気にしないわけにもいかなかった。
リビングの中で相坂は所在なさげに立っていた。
「好きにしていいよ」
俺がそう言うと相坂はすぐそばのソファに肩に下げた鞄を置く、そして座ってほっとしたような様子になった。
「飲み物とかはいるか?」
「ううん、いらない」
相坂は直ぐに答える。
「そう? なら今日はどうしてきたんだ?」
俺は聞いた。
「どうしたって。この前の話の続きだけど?」
相坂はそう言った。
「え、この前って」
告白の話だろうか。
「私の靴箱に紙を入れてたでしょ?」
「ああ」
「内容は『あなたのことが嫌いです』だっけ?」
「え?」
そんな事は書いてない。どういう事だ? 俺は確かに屋上へ呼び出す内容の手紙を書いたはず、なのに何でそんなことになってるんだ?
混乱して、何か間違えたのではないかと必死に記憶を探る。
「それ。本当か?」
俺は聞く。
「本当だけど? わざわざそんな事したくなるくらい嫌いなのかって、これでも傷ついたけど?」
「何かの間違いじゃないのか? 俺はそんな事書いてない」
必死に否定する。なんでそんな事になったのかまるで分らなかった。
と、そうしていると相坂がクスクス笑い始めた。
「え?」
呆然と相坂の事を見る。
「本当に嘘だったんだ。だと思った」
「……。どういうことだ?」
「だっていきなり宮崎がそんな事をするのもおかしいでしょ。嫌いなことを直接言うような性格じゃないし」
そう相坂は言った。
「で、それを伝えるためにわざわざここにまで来たって事?」
家にまで?
「あははっ」
そうすると相坂は笑った。俺の態度がツボにはまったかのような様子だった。
「……」
俺は気まずい気分で彼女を見た。
「そんなわけ無いでしょ。それ関連だけど、別の理由で来たよ」
「別の理由?」
「うん。えっと何々?」
相坂は鞄から一枚の紙を取り出して読み上げる。
「『授業後屋上に来てください。宮崎』だって。さて、これについて聞きに来たわけだけど?」
聞き覚えのある言葉。
「……それは」
俺が相坂の靴箱に入れた手紙だ。
「でもさっきは」
「うん。私の靴箱にはさっきの手紙が入ってた。でもこれが本物なんでしょ?」
「そうだけど」
そうだけど。どういうことだ?
「これはね、昨日部活で学校に行ったら、テニス部の後藤が渡してくれたの」
「後藤が?」
「そう。後藤が言ってたんだけど、他の男子が私の靴箱に入ってた紙を取り換えてたんだって。後藤はそれに気づいて男子から紙を取り返して私に渡してくれたってわけ。あいつただの馬鹿だと思ってたけど、なかなか良い奴かもね」
「へえ」
後藤がそんな事をしてくれていたとは。
「でもなんで紙を取り返したりしたんだろう」
「いたずらじゃない? それとも私のことを好きな男子が嫉妬したとか?」
と、相坂はそう言った。中々自信ありげな態度だった。時々思っていたが、相坂は自分の容姿の良さには自覚がある方のようだ。
「で、わざわざ屋上にまで呼び出そうとしてくれた宮崎君は、私になんの用でしょうか」
相坂はそう言って手でつまんだ紙をひらひらとさせ、悪戯っぽい目つきで俺を見てくる。
「いや、それは」
「ふんふん、それは?」
芝居がかった仕草で頷きながら彼女は話を促してくる。
「……えっと」
これから言わないといけないことがある。のだけどいざその時になってみると顔が赤面してしまい、頭が真っ白になってきた。
「……」
相坂はじっと俺を見ている。
俺は言わないといけない。ここまで来たのだ、言わないと。でも失敗したらどうするのか? いや、いいもう考えても仕方ない。何でもいいから早く言ってしまおう。
「えっと、相坂を呼び出そうとしたのはだな」
「ちょっとこっちを向いて言ってよ。下向いてないでさ」
相坂にそう言われたので俺は顔をあげる。彼女の顔が正面にあった。
「実は、な」
「……うん」
俺は深呼吸してから口を開く。
「呼び出したのは、えっと」
「……」
「相坂の事が好きだ」
俺はそう言った。
これでいいよな。これで告白だよな。言えた。言えたぞ。ずっと思ってたことをようやく彼女に言えたぞ。
「……」
相坂は黙っていた。少し緊張した面持ちのように見えた。
「えっと、そんなハッキリ言われると思ってなかったんだけど」
と相坂は顔を背ける。
「うん、分かった。よし、じゃあ私も言うね」
相坂はそんな事を呟くと口を開いた。
「私もあなたのことが好きです。付き合って下さい」
「え?」
相坂が俺のことを好き? 答えは断られるものだとばかり思っていた。もうこれで後藤と失恋祝いにでも行こうと思っていた。でも相坂は俺のことを好きだと言った。
「……それで、答えは?」
「えっと、俺もぜひ付き合わせてほしい?」
「何で疑問形? まあいいけど」
相坂は俺の答え方が面白かったらしく、クスリと笑った。
そして俺達は付き合うことになった。
連絡先を交換した時はずっとドキドキしていた。夜はlineで少し話し、既読がついていないともやもやして、返信がつくと凄く嬉しかった。
月曜日。昨日lineで話し合ったのだが、今日は待ち合わせをして一緒に登校することにした。待ち合わせ場所の駅前で待っている時は、自分の格好が変じゃないかと気になってしまった。普段はこんなに自分の姿を気にしたりしないのだが、見られる相手がいると変わるものだ。
「おはよ、早いね」
と、相坂がやってきた。
「……おはよう」
俺は相坂に返事をする。何だか俺の中ではまだ突然すぎて、いざ付き合うとなるとどうしていいのか分からなくなり、距離感もつかみづらくなった。
「なにキョドってるの? ほら、いくよ」
相坂に手を握られ俺達は駅に入っていく。自然と握られたので思わずびっくりする。
電車内では隣同士で座り、とりとめのない話をした。少し緊張も解けてきて、何だか普段通りに話せてきた気がする。
いつも相坂と話をしている女子が車両に入ってきたが、相坂はずっと俺と話をしていたので、その女子は離れた場所で俺達の様子を窺っていた。
俺達は一緒に高校まで行く。同級生達がちらちらと見てきていて、明らかに俺達の関係を気にしているようだった。俺はそんな視線が気になったが、相坂は気にするどころか、俺が気にしすぎだと文句を言っていた。
教室に入ると一気に注目される。俺は一人自分の席に戻ったが、相坂にはその場にいた女子達が一気に駆け寄ってきた。何でこんなに噂が広まるのが早いのだろう。相坂は俺との関係について聞かれていたが、平然と付き合い始めたと言っていた。何だか聞いてて恥ずかしくて、俺は無心になって鞄の教科書を机の中に入れる。
「宮崎」
と、肩が叩かれた。
「お前、マジかよ」
後藤だった。明らかに驚いた様子で俺の前の席に座る。
「成功したのか?」
「……見ればわかるだろ?」
「マジかよ。お前やるなっ」
そう言って後藤は俺の胸を叩いてくる。
「ちょっ、痛いな」
冗談の割には力が強くて胸が痛い。
「悪い悪い。いやぁ、流石にこれには俺も驚いたわ。まさか相坂もお前に気があったとはな」
そう言って後藤は相坂を見る。彼女はまだクラスメイト達に根掘り葉掘り聞かれていた。
俺はそんな後藤の横顔を見た。
「なあ後藤」
「ん?」
後藤が俺に振り向く。
「なんか俺の入れた紙が入れ替わってたらしいな」
「あー、まあな。本当にとんでもない奴がいるよな。あの時相坂に紙を渡しておいておいてよかったよ。じゃないとお前との友情も終わってたかもしれないな」
後藤はそう言った。
「あの時は悪かったって。相坂が屋上に来なくて、無視されたものだとばかり思ってたからさ」
ずっと心配してくれていた後藤の着信に出なかった事を、今は後悔している。
「いや、別に気にしてない。宮崎の気持ちも分かるし」
後藤はそう言った。
「でも誰が入れ替えたんだろうな」
それがずっと俺には気になっていた。
「ん? さあな。もしかしたら相坂の事が好きだった奴がいたのかもしれないぞ。そいつが偶々紙を見つけて入れ替えたんじゃないのか?」
「それ相坂も言ってたな」
「それくらいしか無いだろ? というかさ、何でお前ってラブレターみたいな古臭いやり方をするかな。流石にあれはビビったぞ」
「連絡先を知らなかったんだよ」
「直接呼び出せよ」
「それ本気で言ってるのか? めっちゃ緊張するだろ」
「むしろラブレターの方が緊張しないか?」
後藤は呆れたような顔で俺を見ていた。
「よっ、隆志」
とそう言って隣に相坂が来た。隆志と呼ばれるのがまだ慣れないが、それでも温かい気持ちになる。
「なんかずっと色々と聞かれて疲れちゃった」
そう言うと相坂は後藤を見る。
「後藤。ありがとうね。後藤は私達のキューピットだよ」
「……。おう、手助けができて俺も嬉しかったぜ」
後藤は何故か一瞬黙ったが、相坂に笑顔を見せる。
その後担任の教師が来るまで俺達は三人で話し合った。
大切な友達と彼女がいて、俺はこの時間をもっと大切にしたいなと、そう思った。
朝起きたら 栗ノ森斉 @saikurinomori
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