第2話 マリーベルの特異な才能
昼食の片付けも終わり、いつまでもこんなところで立ち話も何だから、と場所を二人の家の中に移す。
スレイの魔法が暴発してバキバキに凍っていたところもすっかり溶けている。水浸しだがそれは拭いておけばいい。
「大賢者さまはそちらへ掛けてください」
「すまんの」
唯一被害を免れていた椅子に客人を座らせて、自分たちはちょっと湿った椅子に腰掛ける。
「大賢者様は私に用事があって来たの?」
マリーベルが言った。
「ちょっと違うのう。わしは大賢者などと呼ばれておるが、本職はポーション職人なんじゃ。新しく素材になるものがないかと旅をしていたとき、村でお前さんたち夫婦の話を聞いての。二人に興味があったから来た。それだけじゃ。特に用事らしい用事はない」
「なんだ。じゃあもうすぐ帰っちゃう?」
「そうだの。道すがらここいらの草を調べてみたが、ここらの草は因子含有量が少なくてポーションの素材には向かん。土地柄なのか何なのか、みんなお前さんほどじゃないが因子欠乏状態じゃよ。こんな土地では畑も上手く作れまい」
「そうなんですか?確かに僕もここで五年頑張っているんですが、年々とれる作物は減ってて…このまま減ったら僕は餓死かな?ははは」
今までスレイはそこまで真剣に悩んでいるわけではなかった。生育状況が良くないのは、素人同然の自分のやり方に問題があるせいだと考えていたからだ。しかしまさかこの環境に根本的な問題があったとは。
「魔法を使う因子がないと作物がうまく育たないの?」
マリーベルは、いや、村の人たちもそんなことは気にしたことがなかった。堆肥を混ぜてよく耕して種を植え、ちゃんと管理すれば作物は育つ。そう思っていた。
「一般的にはな。魔法の因子というのは、生命力そのものなのじゃ。だから青年のように因子欠乏症になると命に関わる」
その言葉にしばしマリーベルは考え込んだ。やがて真剣な顔を上げると、スレイに向かって神妙なまなざしを向けた。
「ごめん、スレイ。畑の作物の育ちが悪いの、私のせいかも」
「それは、どういう意味だい?」
「スレイに闘魂注入するとき、けっこうこのあたりに浮いてる力を集めて使っちゃってるの、私」
「は?」
マリーベルの言葉に、大賢者は目玉が飛び出るほど驚いた。スレイはあまりピンときていなかったが、それくらいマリーベルが行ったことは魔法の常識から外れていたのだ。
「ちょっといいかな、お嬢ちゃん。そのへんに浮いている因子を集める?どうやって?」
「どうやって、と言うほどのこともないですけど、こう、拳を握って気合で?」
こんな感じです、と実際にやってみせるが、スレイにはただマリーベルが拳を突き上げているようにしか見えない。
「う、うむ…確かに、因子が集まってきておるような感覚があるな…俄には信じられぬが…因子の直接操作で他人への注入ができるのであればそういうこともできるのか…?」
そういう現象がある、という前提に立つと、大賢者ファウストの頭にいくつもの仮説が浮かんできた。
そこで大賢者はその仮説を検証しようと、ある実験を思いつく。
「ここに、ポーションを作るときの基剤になる水がある」
スレイに鍋を持ってこさせて、水筒の中身をそこにぶちまけていく。そこそこ大きな鍋に一杯の水を入れてから外に出た大賢者は、両手で抱えるほどの草を持って戻ってきた。
「ま、ただの水と蒸留した酒を混ぜただけのものじゃが、本来はここに因子を多く含んだ材料を溶かしてポーションを作るのじゃ。今回はここらに生えている草を入れる。ここらの草には因子がほとんど含まれておらんから、カスみたいなポーション、いわゆるカスポができるわけじゃな」
突然すりつぶした草を炊くという雑な料理をしながら早口で喋り始めた大賢者に、残された二人はついていけない。
「ある文献にカスポを普通の、並ポに替える技術がかつて存在したと書いてあったのを思い出した。大賢者たるわしの力を持ってしても再現には至らんかったが、因子注入ができるお嬢ちゃんにならできるのではないだろうか」
草を溶かした汁を布で越して、残った水をマリーベルの方へ。
「つまり、どういうこと?」
「ここに因子を注入すれば、ポーションがレベルアップするだろう、と言うことじゃ。普通は体内の因子を消耗するから安全に使える量はそれほど多くはないが、空気中から集めることができるのであればかなりの量を使えるかもしれん」
「よくわからないけどこのお鍋に闘魂注入すればいいのね?」
「そういうことじゃ」
マリーベルは考えることを放棄していた。
「ポーションがあれば、私がいないときにスレイが危なくなっても助かりますよね?できたポーションをいただけるなら、私やります」
「ありがとう」
ともかく、契約は成立した。
とはいえスレイの家の近くはあまりにも因子が少なすぎるので、少し離れたヤブの中に三人で移動する。
「では、まいります」
鍋を地面において、手を突っ込む。
「あ、思ったより簡単かも。なんかどんどん入っていくみたい」
「カスポはすっからかんの状態じゃからな。とりあえず、入るところまで入れてみてくれんか。限界を知りたい」
「はーい」
変化はすぐに訪れた。鍋の中の水がぼんやりと光り始めたのだ。
「へえ、ポーションって光るんですね」
「そうじゃな、並ポでも暗い部屋の中でなんとなく光ってるかな?という程度には光るな」
しかし正直なところ、大賢者を持ってしても理解し難い状況ができつつあった。
「並でなんとなくなら、これ結構いいやつなのでは?」
「金持ちには特上ポをインテリアとして使うモノ好きもおる。キラキラと輝いて見えるからな」
「へえ…」
マリーベルは気のない返事をするが、
「でもこれ、キラキラっていうよりギラギラ、って感じじゃないですか?」
スレイの言葉に大賢者は何も言い返せない。
「…ちょっと一旦止めとこうか」
「まだまだ入りそうだけど、いいの?」
「うむ。正直なところ、ちょっと怖くなってきた」
「綺麗なのに…」
「しかしなあ…」
あまりにも自分が知るものとはかけ離れたものができてしまったため、実験の中止を決めた。
鍋は今や煌々と光を放っている。眩しくて直視できないくらいだ。
「白髪鬼、ちょっとこれ、飲んでみてくれないか?」
「え、ええっ、嫌ですよこんな得体のしれない液体…」
「なに、物理的には水と酒と草の汁が混ざっただけのもんじゃ…煮沸もされておるし、死にはせんだろう」
「大賢者さま、そこは言い切ってくださいよ!!」
「……」
「大賢者さま!?」
一流の科学者たる大賢者ファウストは、光り輝くポーションなどという得体のしれない物体を飲んでも絶対安全とは口が裂けても言えないのだ。
「まあまあ、そんなこと言わずに。私の愛情だっぷりだよ?」
マリーベルとしては、自分でなくてもぶっ倒れたスレイを介抱できるようになるこのポーションはありがたい。作り方も材料さえあれば簡単だったし、スレイには抵抗なく飲んでほしい。
「その通りじゃ。お嬢ちゃんの汁がたっぷり含まれておるぞ」
「汁とか言うなし…」
大賢者の気持ち悪い言動はさておき、マリーベルの熱意はスレイに伝わった。鍋をかき混ぜていた小さな匙ですくって、舐めるようにして飲んでみる。
「…どうじゃ?」
「うーん、なんとなく頭がスッキリしたような?」
「ふむ…今のひとなめで並ポ数本分は因子を取り込めたと思うんじゃが、それで少しとはお主一体どれだけ因子が不足しておるのだ?」
「爆発したとき危ないから、普段はあんまりたくさん闘魂注入してないからね」
「そうなの?でもこれで闘魂注入されるたびに奥歯がなくなる心配をしなくていいんだよね?」
「良かったね、スレイ」
二人して涙目で抱き合っているのを眺めながら、このポーション鍋を売ったらもう死ぬまで働かなくてもいいな、などとゲスな事をファウストは考えていた。
「あ、でも生え際のところ、髪の毛がちょっと黒くなってるよ!ほら、鏡貸してあげる」
「おお、僕ってこんな髪の色だったんだね」
「リア充爆発しろ」
大賢者ファウスト六十七歳、未だ独り身なのであった。
「さて、いい研究材料も手に入ったし、わしは宿に戻ってこのポーションを調べてくるとするかな」
「あ、じゃあ私が村まで送っていくよ。猛獣とか出てきて死ぬかもだから!」
「死ぬ!?」
「基本、ほとんど人が来ない山奥だからね。それに何だからさっきから森がざわついてる気がする」
「ふむ、よくわからんが地元民の勘は馬鹿にできんからな。しかしいいのか?わしを送ってもお嬢ちゃんはまたここに戻るんじゃろ?」
「いいのいいの。めったにないけど寝ている間に暴発したら危ないから私も夜は村に帰ってるのよ」
「なるほど、それであれば遠慮なく。よろしく頼むぞ」
スレイに見送られて、二人は村へと続くほとんど獣道のような道を歩いていく。
「お嬢ちゃんは毎日一人でこの道を?」
「毎日、ってわけじゃないけど、だいたいそうだね」
「大変じゃろう」
「五年やってるしもう慣れたかな?」
道すがら、マリーベルはスレイとの思い出を延々と喋り続けていた。ファウストはそれを聞き流しながら適当に相槌を打っているだけだ。
「でね、そしたらスレイが…」
ふいに言葉が途切れる。見ると、マリーベルは真剣な顔で後ろの茂みを睨み付けていた。
「大賢者様、熊鍋好き?」
「好きじゃぞ」
「じゃあ今夜は熊鍋だね!!」
そう宣言したのと同時に、茂みが大きく揺られて黒い塊が飛び出してきた。身の丈二メートルはある大きな熊だ。
「で、出た!!」
咄嗟のことで腰を抜かしそうになる大賢者だったが、すぐに我に返ってポーチから攻撃用のスクロールを取り出す。護身用のもので大した威力は期待できないが、熊を驚かせて追い払う程度の威力はある。しかし。
「ここは任せて!」
大賢者と熊の間にマリーベルは陣取ると、腰を落として拳を握る。
「闘・魂・注・入!!ハイッ!!」
鋭く振り抜かれた右フックが熊の顔面を捉えた。メシっ、と音が聞こえて来るような一撃だったがそこは女性の細腕、二メートルを超える熊をどうにかできるものではない、と考えていた時期が大賢者にもありました。
熊の頭が爆発した。
それが全てだ。しかし目の当たりにすると大賢者の頭脳は状況を完全に理解していた。
「一瞬で大量の因子を送り込むことで肉体が保持できる因子量を超えて一種の暴走状態にするのだな…この娘恐ろしすぎる」
昼間張られた頬が今更痛むような気がする大賢者だった。
「でね、スレイがね」
「この状況で普通に話し続けんでくれ…怖いから」
熊の返り血でベトベトになった顔を拭いながら、大賢者は心からそう思った。
ちなみに、熊は大きすぎて二人では持って帰れなかったので村から人を呼んで持ち帰り、村人総出の熊鍋パーティーで美味しくいただきました。
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