第3話 大賢者のうっかり大実験

 熊鍋パーティーのあと、大賢者は宿で光るポーション、命名:光ポに含まれる因子を測定して頭を抱えていた。


「並ポの三千倍、上ポの千倍、と言ったところか…こんなもの世に出せん」


 何事にも限度と言うものがある。このポーションはその限界を悉く振り切っている。こんなものが出回れば戦争になるのは想像に難くない、そんな代物だった。


 それはそれとして、知的な好奇心もある。この量の因子があれば、国造りや不老不死など伝説上のスクロールも発動させることができるかもしれない。


「興味といえばあの白髪鬼の体もどうなっておるのか」


 因子欠乏症というのは、普通は魔法の使い過ぎが原因で一時的になる症状である。

 そのまま死んでしまうこともある危険な状態だが、彼は生まれてから今まで、二十年以上その状態なのだ。筋肉を鍛えるように欠乏状態まで魔法を使うことで取り込める上限を増やすというトレーニングがないわけではないが、危険すぎて誰もやらない。それを二十年続けてきたのだ。上限がどうなっているのかはぜひ調べてみたい。


 一旦は考えるだけにして床に着いたのだが、やはりどうしても気になってしまう。


 と言うわけで、ありったけの光ポを水筒に入れて担ぐと、大賢者は宿を飛び出した。

 熊がまた出るかも、という恐怖は好奇心の前に無力だった。


 何事もなくスレイの家にたどり着いた大賢者は、カギのかかっていない玄関から普通に侵入して枕元に立つ。


 ポーチから小さい針を取り出して、ゴムチューブや注射器にセット。針の反対側チューブは光ポ入りの水筒へ。これで点滴の準備が完了した。

 寝ているスレイを起こさないよう慎重に腕を取り、針を刺す。一瞬眉にシワが寄ったがスレイは眠ったままだ。

 ポーション水筒を持って立ち、点滴を始める。光ポは決して透明とは言えないゴムチューブ越しでもその輝きが見て取れる。


 点滴の効果はすぐに出てきた。スレイの髪が黒くなってきたのだ。


「すごいのう!上ポ千本分ほどの因子を受け入れてまだまだ余裕がある。髪が半分も黒くなっておらんから、このまま行くと上ポ三千本、並の人間の三千人以上の因子許容量がありそうじゃ!」


 興奮のあまり、つい大声を上げてしまった。


 あっ、と思ってすぐに口を塞ぐが手遅れだったようだ。声に気付いたスレイがうっすらと目を開ける。


 その時の心境をスレイは後に「死神が迎えに来たのかと思った」と語っている。

 夜中見を覚ますと、枕元に怪しく光る老人の顔があって、ニタニタと笑いながら自分の腕に刺した針を眺めているのだ。しかも、その針には光るチューブが繋がれている。これでパニックになるなというのか無理だ。


「わ、わああああああああああ!!?」


 スレイの叫びが聞こえた瞬間、因子が活動を始めたのを察知して大賢者は死を覚悟した。好奇心は猫を殺す。そんな言葉が走馬灯と一緒に浮かんでは消えた。


 しかし、結論から言えば大賢者もスレイも無事だった。代わりに、大爆発によって家どころかあたり一帯の森まで消し飛び、広い範囲が更地になってしまっていたが。|スレイ(ばくしんち)に近すぎたために、爆発の範囲外だったようで、ベッドと僅かの床、そしてスレイと大賢者だけが無事だった。


 そしてスレイは再び髪を真っ白にしてぶっ倒れている。


「ははは、凄まじいな!!たった一人の魔法でこの威力!!」


 あまり反省していない大賢者は、飛び散った点滴の道具を回収してから光ポを数滴スレイの口に流し込む。それだけで彼はすぐに目を覚ました。


「あ、あれ?僕は何を?大賢者さま、ここは一体?」

「まず、ここはお主の家じゃ、もとい、お主の家の跡地じゃ。好奇心に負けてちょっとお主に光ポを注射したら魔法が暴発してあたり一面吹き飛んだ。今は反省している」

「大賢者さまはバカなんですか?」

「返す言葉もない」


 やってしまったものは仕方ない。正気に戻った大賢者とこれからどうしようかと途方にくれていると、村の方からたくさんの人がやってくるのが見えた。先頭は寝間着にカーディガンを羽織っただけのマリーベルだった。


「スレイ、何があったの?」

「大賢者さまが寝ている僕にこっそり輝くポーションを飲ませた。目を覚ました僕の魔法が暴発してこの有様です」

「大賢者様は馬鹿なの?」

「返す言葉もない」


 やがて他の人たちも集まってくる。


「私がやりました」


 大賢者は先回りして土下座していた。幸い、村の方では大した被害がなかったこともあって、大賢者への追求はとりあえず脇においておくことになった。


「ここらの森は私とスレイが入るくらいだったから、こんな時間だし誰かが巻き込まれたっていうことはないと思うんだけど、流石にこれどけの面積が吹き飛ぶのはまずいよねえ」


 何しろ見渡す限り更地になっいるのだ。森は村の食糧庫でもある。影響がないわけがない。


「気休めにしかならんが、成長促進のスクロールを持ってきておる。苗を植えてそれを使えば生態系への影響は最小限に抑えられるはずじゃ」


 そこへ、話を聞いていた村の男衆が口を挟んできた。


「セイタイケイってのはわかんねーけどよ、じいさん。このあたりの更地全部畑になんねえかな?」


 村としては、邪魔な木が根こそぎなくなった今の状態は畑を広げる千載一遇のチャンスだ。雨が豊富なこの地域では、濃すぎる森がその邪魔をしていたのだ。


「ふむ…このあたりは因子が薄くて作物の生育には不向きじゃが、原因がわかった今となっては対処の方法もあるか。確かにここまで森が破壊されたとあっては、畑にするほうがよいかもしれん。村の皆様がそれで良いのであれば、わしは協力を惜しまんぞ」


 おお、と声が上がる。誰も反対するものはいなかった。


 男衆はさっそく水路や区画の計画を始める。何人かは村に伝令に走った。村の方では夜中の突然の爆音で叩き起こされ、不安にしている人も多いのだ。


 日が昇る頃、伝令は馬車にいくらかの種子や苗、農具を積んで、作業を手伝ってくれる人手とともに戻ってきた。その中にはスレイの両親の姿もあった。


「…久しぶり、父さん、母さん。少し痩せた?」

「そっちこそ。ちゃんと食べてるの?」

「マリーベルがいてくれるからね」

「ベルちゃんにはどれだけ感謝しても足りないわね」

「えへへ」


 感極まって涙を浮かべる両親に釣られて泣きそうになるのをぐっと我慢する。


 なんとなくしんみりしていると、大賢者に呼び出された。まずは実験としてもともとスレイが畑を作っていたあたりに種を蒔いて魔法を使うらしい。


「このあたりが一番因子がスカスカじゃからの。ここで成功すれば、他のどこでも成功するじゃろう」


 畑の広さは、手が空いた者で夜から邪魔な石などをどけて馬で簡単に耕した一反ほど。そこそこ広いが今回更地になった範囲からすると極々一部に過ぎない。


「まずは豆じゃな。因子を取り込んで地面に固定する力が強く、痩せた土地にも肥沃な土地にも合う。何より美味い」


 手分けして種と水を蒔き終わったところで、大賢者がスクロールを取り出して畑の真ん中に無造作に置いた。


「これはわしがポーションの材料を作るために自作した特別なスクロールじゃ。売ればそこそこいい家が建つ代物じゃぞ」

「へえ、すごいんだね」


 さり気ない自慢をさり気なく受け流されて意気消沈しながらも、大賢者の作業は続く。とはいえ、内容自体は難しいものではない。


「スクロールの使い方はいろいろあるが、今回はここにポーションをかける。これで勝手に魔法が発動する」


 どばどばどば、と、水筒に入っているポーションをかけてやると、スクロールから光が畑一面に広がって、やがて地面に染み込むように消えた。


「へー、こんな使い方もあるんだね」

「普通はこんな使い方はせんが、お嬢ちゃんがおれば無限に作れるからのう。大盤振る舞いじゃ。あとはこれで少し待てば芽吹くはず」

「あ、ほんとだ。芽が出てきたよ」

「いや、いくらなんでもそこまで早くはならんわい。半日は様子を見んと、って確かに芽吹いておるな」


 そんな話をしている間にも、芽吹いた豆はすくすくと成長し、慌てて立てた支柱に巻き付きながら一時間も経った頃にはすっかり立派な豆畑になっていた。


「大賢者様の魔法ってすごいね!」

「じゃろう?」


 などと余裕を見せているが、内心は穏やかではない。

 明らかに異常だ。この手の魔法を初めて見る村人たちは驚きや関心こそすれ納得はしているが、魔法使いからすれば異常すぎる結果だった。

 そしてよく考えなくてもその原因は一つだった。

 村の中である意味最も魔法に詳しく、そしてポーションについて知っているスレイだけが、大賢者以外にその答えにたどり着いていた。


「あの、大賢者さま、」

「みなまで言うな。その通りじゃ。ついいつもの調子でドバドバとポーションをかけてしまったが、本来は並ポを使うんじゃ。うっかり光ポを使ってしもうた。光ポならば数滴で足りたはず。異常な生育はそのせいに違いない。いやはや、変なことにならなくて良かった。最悪、暴走で大爆発もあったぞい」

「で、ですよねー」


 このことは二人だけの秘密にすることにした。何しろ村人たちは目を瞠る成果にボルテージが上がりまくっている。


「よーしみんな!準備はいいな!!サボってる暇はねえぞ!」

「おうともさ!!」


 男たちは声を張り上げ、各々の担当区域に散っていく。女たちはできたばかりの豆を収穫して料理した。できあがったのは単純に豆を煮ただけのものだが、それがまた食べたことのないほどの味で村人のボルテージをあげる。


 そんなこんなで、昼過ぎまでは順調に作業が進んでいた。

 ちょうど地面に座り込んで休んでいたマリーベルが小さな異変に気付いた。


「なんか揺れてる?」

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