クレーマー vs クレーマー

@HasumiChouji

クレーマー vs クレーマー

 ある日、地方の……まぁ、人口が200万無いような県の……民放のTV局が自分の局に寄せられた苦情を動画投稿サイトにUPし始めた。

 何の論評も加えず、どう云う意図なのかも示さず、苦情を寄せた者の身元を明かさないように、性別・年齢さえすぐには判らないレベルで音声は変えられ、苦情を寄せた者の身元に関する情報は、電話であればピー音に、メールやFAXであれば、モザイクがかけられた。

 賛否両論は有ったが……あくまで、苦情が正当かは視聴者が判断してくれと云う姿勢を崩さず……やがて、1年経たない内に、もっと人口の多い県の民放も真似をし始め……民放のキー局も続き、公共放送も同じ事をやるようになった。

 その段階でも、それが当り前だと思うようにになった者、問題が有れば、すぐに廃れるだろうと思う者……どいつもこいつも呑気に構えていて、日本をあんな風に変えてしまうとは思ってもみなかった。

 申し遅れたが……私は……当時の官房長官だ。


「ですから、これは我々が、10年以上、与党の為にやってきた宣伝戦略を台無しにしかねません」

 党役員の会議の筈なのに、何故か広告屋が居た。ずっと、我が党の宣伝を任せていた代理店の人間だ。

「いや、公共放送が偏向番組を作ったんだよ。何か言ってやるべきだろう?」

「あのぉ……、我々は何度、この手の尻拭いをすればいいんですか? 太平洋戦争の時に日本軍が何をやったかと、今後の日本の政治の間に一体全体、何の関係が有るんですか?」

「いやぁぁ……でもぉぉ……毎度ぉ……やってきたぁ……事ぉですよねぇぇ? 今回はぁ……何が問題なんですかぁぁ?」

 首相の「丁寧に説明」は「ゆっくり話す」の意味だ、と偏向マスゴミに皮肉を言われ続けて5年以上。当の首相のしゃべり方は、偏向マスゴミの皮肉の通り、昔に比べて異様にゆっくりになっていた。未だに偏向マスゴミの言ってる事を信じている間抜けどもは笑い話のネタにしているらしいが、我々としては、少しも笑えない。

「あの……何で、ここまでスキャンダルまみれなのに、政府・与党の支持率が高いと思ってるんですか?」

「それはぁ……」

「首相の政策とは全く関係有りません。我々の努力の成果です」

 広告屋がそう断言した次の瞬間、怒号が飛び……。

「まずは、人の言う事を聞けぇっ!! この躾のなってねぇクソ老害どもがぁっ!!」

 我々の怒号は更なる怒号に、あっさりかき消された。広告屋がブチ切れたのだ。

 若い……と言っても世間では中年だろうが……ヤツに怒鳴られる、などと言う事に慣れていない我々は、完全に固まった。

 普通なら怒るべきだろう。しかし、我々は、あまりにも予想外の事態に、SEXのやり方すら満足に知らないまま、その手の店で童貞を捨てようとした馬鹿なガキよろしく、どう反応して良いか全く判らなくなったのだ。

 あぁ、そうか……こいつも色々とストレスを抱えてたんだな……。私の脳裏に浮かんだのは、あまりに呑気な感想だった。

「あのですね、まずは、誰が言った事か、言ってる事が正しいかは別にして、官房長官が放送局にやったクレームを聞いて下さい」

 そう言って、広告屋は、動画サイトにUPされた映像を再生した。


「ま……まずいね……これ……」

「たしかに身元に関する情報は……みんなピーになってるけど、政治家だったら……その……誰が言ったかすぐに判るな」

「少なくとも、放送局の人間が逆らえない『誰か』である事だけは……馬鹿でも判るな……」

 全員が私を見た。

「な……なんですか、その目はッ!! 総理も官房長官時代に似たようなクレームを、この局に入れたでしょう!!」

「みなさん、覚えてると思いますが……20世紀末から今世紀初めにかけて……国民の間に『クレーマー』に対する反感が強まりました」

 広告屋は、そう説明し始めた。

「そして、我々は、これを利用したんです。既存マスコミの番組や記事でもネット上の情報でも、野党を『クレーマー』に見立て、政府・与党を『クレーマーに苦しめられる会社員』に見立てるように誘導してきました。しかし……官房長官が……全てをブチ壊してしまいました」

「待て!!」

「このままでは、政府・与党が国民から『クレーマー』と見做されかねません。全てオジャンです」

 全てオジャンか……また古い表現だな……。こいつ何歳だよ。

 まさか、広告屋の意見で、自分が官房長官を辞める羽目になるとは思っていなかった私は、その時、あまりに呑気な事を考えていた。


 私は放送局に「不当なクレーム」を入れた事を認める羽目になり、謝罪会見を開き、そして官房長官の職を辞職し……もう、当分は閣僚にも党の役員にも成れないだろう。

 官房長官こそ辞めたが、議員までは辞めなかった私は、国会の会期が終ると地元に戻った。

「どうすりゃいいんだよ……これから……」

 自宅で頭を抱えていると、携帯電話が鳴り出した。

 ウチの政党の地元の支部からだった。

 しかし、夜も遅い時間だった。

「はい……」

『こっちに戻られたんですか? なら、何とかして下さい。クレームの電話が朝から晩まで鳴りっぱなしです』

「えっ? クレームって何の?」

『貴方が放送局にやったクレームに対するクレームです』

 おいおいおい……いや待てよ……。

 私の脳裏に、東京で広告屋が言っていた事が浮かんだ。

 国民はクレーマーを「悪」と見做している。今まで「クレーマーに苦しめられる者」と思われていた者も「クレーマー」と見做されたが最後、無事では済まない。つまり、誰かを悪に仕立て上げたければ……。

「そのクレームの録音は取ってる?」

『えっ?』

「『クレーマー』どもを、俺が遭ったのと同じ目に遭わせてやれ」


 それから世の中は、またたくまに変った。

 ウチの党は、本部・支部に来た「クレーム」を全て動画サイトで公開した。

 そのクレームの中で、誰がやったか、判るヤツにはバレバレだったモノが有ったらしく、そいつにもクレームが入り、そのクレームも公開され……。

 気付いた時には、政治家も一般の国民も、お行儀が良くなっていた。

 政治家は公の場では発言に気を付けるようになっていた。

 政治家のみならず、一般の国民もSNSなんかでの発言は……どんどん柔らかくなっていった。

 誰もが「クレーマー」だと見做される事を怖がるようになったのだ。そうなったが最後、泥仕合になるのが目に見えているので。


 議員会館の一室で、私は、PCで新聞の記事を読んでいた。

 齢のせいかスマホだと、字が小さ過ぎて読めなくなりつつあった。

 トップの記事は……ここ数年……私が官房長官を辞めた頃から……日本でSNSの利用者が激減しているしている、と云うのと……これまた、ここ数年、暴力事件が増加傾向に有る、と云うモノだった。

「すいません、遅くなりました」

「お……おい、どうした?」

 部屋に入って来た秘書の顔を見て、私は、そう聞いた。おいおい、急に病院に行く事になったので遅れる、と云う連絡は有ったが……。

「昨日の飲みの後……喧嘩に巻き込まれまして……」

「えっ? 何時まで飲んでたんだ?」

「いえ、センセイと別れてすぐです」

「いや……だったら9時前だろ? どうなってんだ?」

 しかも……昨日、スタッフと飲んだ場所は……私の同業や企業が接待で使っていうる店が、ほとんどの場所の筈だ。酔って喧嘩になるようなチンピラ紛いのヤツが居る筈は……。

 良く判らん……。

 世の中、上品になった割に……みんなストレスを溜めているようだ。

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