第28話 ミラーバトル

 橋の下まで後ずさりしながら、シシノは、目の前にいるもう一人の不死身を、複雑な感情を伴って睨みつけていた。

 不死身。いや、ニトラと、そしてマイマイガ医師に言わせれば、自分たちは不死身ではないらしい。だが、今までどれだけの傷を負っても、殺し屋に殺されかけても、脳髄にナイフが突き刺さったとしても、それでも死ななかった自分が、一体どうすれば死ぬというのか、シシノには分からなかった。


 だと言うのに、恐怖している。赤く無骨な形をした、その禍々しい血のつるぎを振りかざす、目の前のマミヤ・ニトラという男に。

 自分に近しい存在が、「自分達は不死身ではない」と明言するのだ。その説得力は、他の誰が言うよりも強い。だから恐怖する。


 ──こいつは、おれを殺すつもりなのか?


 生まれて初めて、同族とも言える存在と出会えたというのに、何故襲われなくてはならないのか。ニトラの言葉を思い出す。


 ──特別なのは君だけじゃないし、君は死ぬんだ。


 それを思い知らせに来たというのなら、もう分かった。こんなに嫌な気持ちになるのなら、恐怖するならば、自分はいずれ死ぬのだろうと、可能性があるのだろうと、そう思った。


「おい、待ってくれよ! もう分かった! 特別なのはおれだけじゃないし、おれは不死身じゃないってのも分かった! ほら、おれたち同じなんだろ? 何も戦わなくてもいいじゃねえか!」


 シシノは戦いたくなどない。二人は言わば、同族、仲間のようなものではないか。戦いなどするよりも、今までの、この身体特有の悩みみたいなものを語り合いでもした方がよっぽど建設的だ。そう思っての反論だった。だがーー。


「いいや、戦うよ。戦いにならないかもしれないけどね。ぼくが一方的になぶることになるかもしれない。……それにさ」


 ニトラの目は、暗い影を含み、シシノを睨みつけていた。


「君とぼくは違う。ぼくの方が優れているんだ」


 その目、言葉から感じるのは、敵対心だ。同じであることに、近しい存在であることに、仲間意識など毛頭ない。あるのは怒りと、拒絶だけだろう。


「ほら、いい加減、覚悟を、決めろよぉおおおおおお!」


 ニトラは血のつるぎを、ついに振りかざし切りつける。

 シシノは寸前で反応し後ろへ飛んだ。宙を浮きながら避けた後を見れば、その血の剣は、橋の柱を削り取っていた。アイスクリームをスプーンで削り取るように、何かが通った跡のようなものが柱に刻まれている。


 ──あんなのに切りつけられたら、ひとたまりもねえ……!


 着地するとシシノは、後ろを向き駆け出した。ひとまず距離を取らなければ。

 相手が長い武器を持っているのでは分が悪すぎる。シシノは駆けながら、何か武器になるものが落ちていないか周りを見渡した。


「逃げられると、思っているのかあぁぁっ!」


 後ろからはニトラの怒声が聞こえてくる。あんなに長い武器を持っているというのに、その走る速度は異常だ。このままでは、じきに追いつかれてしまうだろう。

 それにしてもニトラはキレすぎている。その様子を見て、「やべえ、やべえ」と呟きながら走り続けていると、ゴミが大量に投げ捨てられた水たまりを見つけた。中には、粗大ゴミも捨てられているようだ。


 ──ここになら、なにかあるかもしれねえ!


 ゴミの山を見渡していると、後ろから追いついてきたニトラの笑い声が聞こえた。


「はっ、はあっ、あは、あははは! 追いついたぞヒノミヤシシノぉ! 足の早さもぼくの勝ちだ!」


 ──なに小学生みたいなこと言ってんだこいつは。


 そう思いながら振り返ると、ニトラは血の剣を振りかざしていた。


「今度は逃がさないぞ!」


 そのままシシノへめがけて振り下ろす。だが──。


「──あ?」


「はっ、切れ味あんまり良くないみたいじゃねえか、その剣よぉ」


 冷や汗をかきながら煽り立てる。シシノは、ゴミの山から見つけた鉄パイプで、その攻撃を防いだのだ。

 ギリギリとつば迫り合いが続く。ニトラは剣を押し付けることをやめず、シシノはそれに耐え続けた。


「は、はは、いつまで耐えられるかな?」


 ニトラの顔を見れば、頭に相当血が上っているようで、ムキになって剣を押し付けているように見えた。追いついたときの発言といい、もはやシシノに勝つことが目的になっているように感じる。このつば迫り合いにすら、勝とうとしているのだろう。


 だが、シシノは違う。相手がムキになっているのならば好都合だ。押し付けることをやめないのならば、隙を作るのは簡単だ。

 シシノは身を引き、剣の軌道から一瞬で飛び出した。

 反発する力を失ったことで、ニトラはそのまま前のめりによろめいた。その隙をついて、血の剣を握るニトラの手に、シシノは鉄パイプを叩きつける。

 苦悶の声をあげ、ニトラは剣を手放した。地面に落ちる前に、シシノはそれを奪い取り、膝をつくニトラの頭上に切っ先を突きつける。これで形勢逆転だ。


「ほら、もう終わりにしようぜ。冷静じゃない奴は勝てねえ」


「はっ! なに勝ったつもりになってるんだ? それは、ぼくの剣だぞ」


 ──負け惜しみか。とシシノが半ば呆れたとき、剣を握る手に違和感を覚えた。

 そして瞬間、「バシャッ」という音を立てて、血の剣が弾けた。剣の形に固まっていた血は血液へと戻り、水たまりに降り注ぎ、混じっていった。


「ど、どうなって……」


 剣が弾けたことに驚き、意識が水たまりへと移った、その隙を突かれる。


 腹に、何かが突き刺さった。


「ぐ、あっ、つっっ、……な、なんでお前が、剣を持ってる……?」


 腹に突き刺さったのは、目の前のニトラに握られた血の剣だ。奪い取ったはずだというのに、今弾け飛んだはずなのに、なぜその手に剣が握られているのか。


「この剣はぼくの血からできてるんだぞ? 一瞬あれば作れるさ。その気になれば何本だってね……少し痛いけど」


 ニトラの腕を見れば、引っ掻いたような傷が塞がりかけているのが確認できた。剣が何本も作れるとは思っていなかった。完全にシシノの判断ミスだ。


「なんで……おれが持っていた剣は血液に戻った?」


 突き刺さった剣を引き抜こうともがきながら、シシノは尋ねる。


「んん? どうしてぼくがそんなこと教えてやらなきゃならないんだ? 説明するのも面倒くさい。ま、ぼくの剣は、ぼくにしか使えないってことだよ。……というか、暴れるなっ!」


 抵抗が気に障ったのか、ニトラは突き刺さった剣をそのまま横向に、シシノの腹を切り裂いた。

 シシノの腹の中心から左の脇腹まで、ぱっくりと大きな傷が開き、血が噴き出す。その傷の深さは内臓にまで届いていた。


「ぐ、あ、ああああああああああぁぁああぁぁぁっっっ!!」


 ──なんだこれ、なんだこれ。痛い、痛い痛い痛い痛い痛いっ。


 デオドラのナイフとは全く違う痛みだった。血の剣は切れ味があまり良くないようで、それは切られたというよりも、無理やりえぐられたようなものだった。肉の繊維が無理やり引きちぎられたのだ。


 苦悶の声をあげながら、シシノは思考する。痛みに耐えさえすれば傷は修復するのだ。ここは距離をとって回復を待つのが吉だ。シシノは走り出そうとする。だがーー。


「おっと、逃がさないぞ」


 脚を切りつけられる。血を噴き出しながらよろめいた脚を、なんとか踏ん張って、転ぶまでは至らなかった。しかし、攻撃はそれで終わらない。


 ニトラは剣をめちゃくちゃに振り回し始めた。何度も何度も、シシノの身体へめがけて、その剣を叩きつけようとした。

 シシノはかろうじて腕で防ぐポーズをとる。頭や腹を傷つけられなければ、脚と腹の傷が塞がりさえすれば、なんとか逆転のチャンスを作ることができるかもしれない。


 ──ここを耐えればなんとかなる。腕は後で治せばいい。


「ねえ、耐えればなんとかなると思ってる?」


 シシノの考えを見透かすように、斬りつけながらニトラは語りかける。


「それは違うよ。ぼくは逃さない。腕を切り落として次は腹だ脳髄だ。このまま切り続ければ君は死ぬよ」


 切りつけ続けるニトラの目は、虚ろにシシノを見ていた。だというのに笑みを浮かべている。その様子にゾッとする。

 その言葉は嘘だと、心の中で否定する。回復するスピードはそう遅くない。


 ──今だって、ほら、腹の傷は修復してきている。


「止まるよ。そろそろ、遅くなる。君の傷の修復は、今までのようにいかなくなる」


「な、何言って……」


「ぼくが言うんだから間違いないよ。ぼくだってその身体の仕組みは、よく知ってるんだ。君よりもね」


 その言葉を聞いたとき、確かにシシノは、傷が塞がるスピードが落ちたのを感じた。


「なっ、なんでーー」


 ニトラは剣を振り回すのをやめない。このままでは傷の修復が追いつかず、シシノはーー。


 ──死ぬ? おれが、死ぬってのか?


 死を、近くに感じた。今まで遠くの存在だと、自分には関係がないものだと思っていた死が、すぐそばに。


 腕が、引き裂かれる。傷が塞がらない。

 聞こえるのは剣が肉を抉る音と、耳障りな笑い声。ニトラは一向に切りつけるのをやめない。


 ──ああ、痛い。治らない。人ってのはこんなのに耐えて生きてるんだ。


 少しだけ、分かった気がした。マイマイガ医師やデオドラの言ったことは、こういうことだったのだと。

 よく知りもしない己の特殊な身体に頼るのは、危険なことだったのだ。

 傷は一向に治らない。腕はもう引きちぎれそうなほどに傷ついている気がする。この防ぐ腕がなくなれば、次は頭だろうか、腹だろうか。

 そうなればシシノは、死んでしまうだろう。


 だが、そうなる訳にはいかない。シシノには、死んではならない理由がある。


 ──おれがここで死んだら、誰がシエラを守るってんだ。


 あの日の四人の誓いを思い出す。確かにシシノはシエラを守ると言った。ここで死んでしまっては、その誓いは守れない。


 思い出す。シエラを、傷ついた自分を不安げに見つめるシエラの顔を。あんな顔は見たくない。だから、自分が傷つくところを見せるわけにはいかない。


「う、おおおおおおおおおおおっっ!!」


 シシノは咆哮をあげる。死ぬわけにはいかない。死ねない。死なない。死んでたまるか。その覚悟を、なんとか形にしたかった。


「なんだよ叫んじゃって、そんなに痛いか?……っっ⁉︎」


 煽りながらも、ニトラはシシノの異変に気がついた。


「ああ、痛えな。死ぬかと思ったぜ」


 シシノの傷は、みるみる回復していく。切りつけたそばから、剣を振り上げる間に、凄まじいスピードで傷が塞がる。


「けどよ、おれには死ねない理由がある。だから……」


 振り下ろされる血の剣に、拳を放つ。深く切りつけられた剣は、簡単には抜けなくなった。

 ニトラが戸惑った一瞬、シシノは逆の手でニトラの顔をぶっ飛ばす。


 剣から手を離し、ニトラは地面に叩きつけられた。

 拳から剣を引き抜くと、再び剣は血液に戻り、倒れ込んだニトラへ降り注いだ。


「痛いだろ、お前も」


 シシノはニトラに語りかける。その表情は、どこか穏やかだ。


「ああ、痛い。ムカつく」


 そう言ってニトラは立ち上がると、シシノを睨みつける。


「ぼくに切りつけられているとき、死ぬと思ったかい?」


「あぁ、めちゃくちゃ痛かったし、諦めかけた。死ぬかもしれないって」


「思い知ったかい? 不死身じゃないって」


「ああ、死ぬかもしれないと思ったら、傷も治らなくなった」


「……だったらどうして急に傷の修復が早くなった?」


「わからねえよ。ただ、守りたいものを思い浮かべただけだ」


「……ふうん。あっそ」


 質問が済んだのだろうか、ニトラはそのまま、どこかへ歩き出そうとした。


「お、おいどこ行くんだよ」


「帰るんだよ。君も思い知ったんだろ。ぼくはそのために来たんだから、後は帰るだけだ」


「そ、そうか、じゃあな」


 歩き続けるニトラに、一応別れの挨拶をしてみる。すると、ニトラは振り返り、再びこちらを睨みつけた。


「言っておくけど、ぼくは負けてないからな。続けていればぼくが勝ったんだからな。そこんところを覚えておいてくれ」


 そして、シシノが降りて来た階段を指差す。


「着替え用意してるから着れば⁉︎」


「お、おうサンキュー」


 礼を言ったというのに、ニトラはまだシシノを睨みつける。


「な、なんだよ?」


「いや……またすぐ会うことになるかもね」


 そう言うと足早に立ち去って行ってしまった。

 一人取り残されたシシノは、しばらく空を見上げぼうっとした。

 疑問は残る。誰がここに自分たちを呼んだのか。マミヤ・ニトラは何者なのか。そして、ニトラが言っていたこと。


 ──君だけじゃない、君は二番目にばんめだ。


 二番目ということは、ニトラが最初なのだろうか。なぜ自分たちは、こんな身体にされたのか──気になることは増えるばかりだ。

 ホムラノミヤ機関。シシノが立ち向かわなければならないのは、ラッカフルリルの殺し屋だけではないのかもしれない。

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KILLER × KILLER FALLs 【キラー×キラーフォール】 赤澤阿礼 @akasawa_ore

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