第27話 もう一人の不死身
「シシノ様、ここで降りていただきます」
黒服に目隠しを外され、言われたままに車を降りる。外へ出ると、空は夕暮れどきが近づいているようだった。さあ帰ろうとシシノは目を下ろす。だが、辺りを見回すと、ある違和感に気がついた。
「あの……ここは?」
いつもならば、定期検診の後は真っ直ぐあのアパートの近くまで送ってくれているのだが、今日は様子が違った。
目の前にある、広い石造りの階段の下には、短い緑が生い茂る河川敷が広がっていた。「
「天流川上流域の河川敷です。ここから五キロメートルほど南向きに進んで行けば、アパートに着きます」
黒服は淡々と言う。
「あの……どうしてこんなところで?」
「河川敷へ降りてください」
シシノの疑問に端的に答えると、黒服は車に乗り込み、そのまま走り出してしまった。
「な、なんだってんだ……?」
小さくなっていく車を、つぶやきながら見送る。
黒服の言葉の足りなさには恐れ入る。一体全体何の理由があって河川敷に連れてこられたのか、さっぱり理解ができなかった。
──とりあえず、言われた通りにするか。
五キロメートル程度歩くことはそこまで苦痛ではない。何か河川敷に用意されているものでもあるならば、早々に確認して帰ってしまいたかった。
シシノは目の前の階段を降りていく。
「──やあ、久しぶり」
階段を降りると、どこからか声がした。驚いて辺りを見回すと、大きな橋の下の陰に、男が
久しぶりと言うからには、出会ったことがある人物なのだろう。だが、シシノはその声に聞き覚えがなかった。
「だ、誰だ……?」
シシノが尋ねると、その男は、ゆっくりと影の外へと歩き出した。
「誰だ、か……悲しいな、悲しいよ、ぼくは……」
そう言いながら、男はシシノの前に姿を現わす。ようやくその全身が確認できるようになった。
男が着ているのはどこかの学校の制服だろうか、見た目からしても、シシノと同じくらいの年齢のようだ。体格は標準的で、シシノよりは数センチほど小さそうである。顔はなんというか、目がキリッとしていて整っていてる印象を受ける。そして、その容姿で最も特徴的なのは、毛先を遊ばせた髪の毛の色だ。白い毛髪と、黒い毛髪が、混じり合ったように生えている。染めているようには見えなかった。
と、ここまで注視しても、シシノはこの男に見覚えがなかった。だがどことなく、この男の雰囲気は誰かに似ていると思った。
「いや、悪い。……でも、本当に分からねえんだ。えっと……君は誰だ?」
シシノの問いかけに、男は
「そっかぁ、
「な、何言ってんだ? 忘れてるって……まさか、君は記憶を失う前のおれを知ってるのか?」
彼の口ぶりは確かにそう聞こえた。こんな身体になる前のシシノを、知っているというのだろうか。だとしたら、なぜシシノがこうなったのかを、彼は知っているかもしれない。
シシノは、それが知りたかった。
「ああ、知っているとも。よく知ってる」
「だ、だったら、おれの身体のこと、何か知ってたら教えてくれないか?」
シシノの質問に、男は再び嘲笑うような表情をする。
「おいおい、焦るなよ。自分のことばかり知りたがらないでくれ。まずは自己紹介させてくれよ」
確かに、失礼な事をしたかもしれない。「お、おう、悪い。どうぞどうぞ」と、シシノは一歩下がり、彼に自己紹介するよう促した。
わざとらしいお辞儀をしながら、男はその名を口にする。
「ぼくは、マミヤ・ニトラ。やっぱり覚えていないかい?」
シシノを見るその目は、どこか睨んでいるようにも見えた。シシノは、彼に何かをしてしまったのだろうかと不安になる。
しかし、名前を聞いても、やはり彼のことは記憶にないのだった。
「悪い……覚えてない。おれは、君に何かしたのか?」
「じゃあ教えない。永遠に気にしててくれ」
どうやら気に障ったようで、ニトラの表情は笑顔なのだが、目がシシノを睨んでいる。
「そ、それじゃおれの身体のことは……」
「それも教えない。気にしたまま死ね」
死ねとは、穏やかではない言葉だ。どうやら相当に恨みを買ってしまっているようである。この様子では何も教えてくれないだろう。シシノは自分に関する謎について訊く事を諦めた。
だが、それでも確認しなきゃならない事がある。そうしなければ家に帰れない。
「……それで、どうして君はここに来たんだ? おれもなんでここに連れてこられた?」
ニトラとシシノがここで出会うことがセッティングされていたのならば、それを仕組んだのはホムラノミヤ機関だろう。それに何か意味があるのならば、早々に知って帰りたい。
シシノは、ファーストコンタクトだがニトラのことは苦手に感じたのだ。さっさとお別れしたかった。
「どうしてって、それは──」
言いきらないうちに、ニトラは突然、シシノに飛びかかった。
突然の事にシシノは反応できず、ニトラが放つ掌底が懐に叩き込まれるのを、防ぐ事ができなかった。
息が一瞬止まる。そして、息をする事に必死になっていると、今度は蹴りが飛んできた。
だが、その蹴りに寸前で反応し、両腕をクロスさせ防ぐ。それでも腕に、じんじんとした痛みが伝わってきた。
──こいつ、素人じゃねえ……!
痛みの中、シシノは推測する。動きを見て、ニトラがただの同年代の男子ではないことを読み取った。だとしても、なぜ襲われなくてはならないのかが分からない。
「防ぐのか。やるじゃないか。でもこれは?」
言って、ニトラはシシノとすこし間合いを広げると、地面に転がる石ころを拾い、全力で投げつけてくる。それも、一つではない。シシノが防ぎきれないほど、何度も何度も、間を空けずに投げ続ける。
石は、最も簡単に調達できる凶器である。その硬度は、人の頭を粉砕するのには十分だ。
投げ続けられる石を受け止めて、シシノの腕には多くの打撲痕と傷がついた。
「おい! なんだってこんなことをするんだよお前!」
訳もわからず襲撃される事に苛立ち、シシノは声を荒げた。だが、その隙を見て、ニトラは再びシシノに飛びかかる。
その両手には、今度は漬物石のような大きな石が持ち上げられていた。
「ま、マジか……⁉︎」
シシノの驚愕を無視し、そのままニトラは、振りかぶった石を、シシノの頭をめがけて叩きつけた。
「ゴッ」という鈍い音が頭の中に響き、意識が飛びかける。裂けたであろう額から、血液が吹き出しているのを感じる。頭が、熱い。
「ぐ、うう、うううぅう」
熱さと痛みに、シシノは情けなくも呻き声をあげてしまう。血液が顔を濡らして、前が見えない。朦朧としながらも、倒れないよう踏みとどまる。袖で顔の血を拭うと、それ以上は血液が出てこなかった。どうやら傷は塞がったようである。
意識がはっきりしてきたところで、シシノは口を開いた。
「おい……テメエ、何しやがる。いくらなんでも、これはひでえだろうが」
ニトラを睨みつける。ここまで理不尽な暴力にあったことは、今までにもそうそうない。シシノは憤っていた。
だが睨みつけられたニトラは、まだ嘲笑うような笑みを浮かべていた。
「やっぱり、修復するんだね、傷。でもさ、ぼくがここに来たのは、思い知らせるためなんだ」
そう言って、ニトラは懐から小さな刃物を取り出した。それで襲撃するつもりなのだと推測し、シシノは身構える。だが、その推測はハズレだった。
ニトラは、その刃物を自身の左腕に押し付け、そして勢いよく切りつけた。制服の袖は大きく裂け、腕に深く刻まれた傷口から、鮮血が吹き出す。
「な、何してんだお前──⁉︎」
シシノの叫びを聞いて、ニトラは不敵な笑みを浮かべる。
「まあ、見ててよ。……はは、ははははははっ!」
右手を何かを握るような形にして、左腕の傷口に押し当てる。吹き出す血が右手の中に滲みだすと、傷口から、何かを引き抜くような仕草をとった。
シシノは、その目に映った光景に驚愕した。
ニトラの右手には、禍々しい深い赤色の、剣のようなものが握られていた。それが、傷口から引き抜かれたように見えたのだ。
「これはね、ぼくの血液でできてるんだ」
自身の身長とほぼ同じくらいの大きさだろうか、その禍々しい血の剣をくるくると振り回す。
腕の血液で剣を。そんなことがあり得るはずがない。シシノの思考が目の前の出来事に追いつけないでいると、もう一つ、シシノの目の前で信じられない事が起こっているのに気がついた。
「お、お前その腕……」
傷が、ニトラの左腕に、深く刻まれたはずの傷が、綺麗さっぱりなくなっていたのだ。
「ああ、そうだよヒノミヤ・シシノ。君だけじゃない。君は
言って、血の剣をシシノへ向ける。
「特別なのは君だけじゃないし、君は死ぬんだ。それを、ぼくは思い知らせに来た」
目を見開き笑みを浮かべながら、ゆっくりと、ニトラはシシノににじり寄る。その様子に、シシノは何かを感じて後ずさりをする。
──なんだ? なんなんだ、この気持ちは。ただの恐怖とは違う。これは──。
それは初めての、いや、忘れていただけかもしれない感情だ。自分と同じように修復する身体を持つ人間を目の当たりにして、そして自分には出来ない芸当をやってのける様子を見て、感じたのはーー。
──嫌悪。そして、悔しさだ。
傷が修復するのを見て気持ち悪いと思ったし、自分よりその身体を使いこなしているニトラを見て、悔しいとも思った。
そして、何かもう一つ、心に渦巻くものがあった。
「ほら、どうしたんだよ。どうして後ずさりする? ここまできたら、もう戦うしかないだろう。さもないと──」
ニトラは凶悪な笑みを浮かべる。そして、シシノはようやく、この感情の正体に気がついた。
「──死んじゃうかもよシシノ君」
これは、死への恐怖だ。これは初めて自分に似た存在を目の当たりにしたからなのか。ニトラならば、自分を殺せる事が出来るのかもしれないと、不安が、恐怖が、シシノの身体を支配して、その動きを鈍くさせていた。
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