第26話 定期検診は痛みを伴う
目隠しをされたまま黒服に手を引かれ、シシノは車を降りると、そのまま誘導される。自動扉が開くような音が聞こえると、独特な匂いがシシノの鼻腔へ吸い込まれていく。毎度のことだが、何も見えない中、この匂いを嗅ぐと、「あぁ、やっと着いたんだな」という気分になるのだった。
「シシノ様、目隠しをとります」
しばらく歩くと、黒服の声が後ろへ移動して、シシノの目にようやく光が入ってくる。といってもこの真っ白な廊下には、窓など一切なく、その光は全て照明によるものなのだが。壁のあらゆる箇所に、弱く白い光を放つライトが埋め込まれている。これはマイマイガ医師が強い光を嫌っているからなのだった。
「毎度お疲れ様です。場所さえ教えてくれれば、自分で行くのに。送迎も手間でしょう?」
後ろに立つ黒服に声をかけた。だが黒服は、そのサングラスの奥の目をピクリとも動かさず、淡々と答える。
「いえ、この場所は、誰に知られることも許されていません。たとえシシノ様であってもです」
もう付き合い(この送迎のみだが)も長いというのに、出会ったときから、彼は全く、その無表情で淡々とした様子を崩さない。
「はあ……プロですねえ」
「ありがとうございます。……では、ここから先はお一人で。自分はこの先の立ち入りを許されていませんので。外で待機しています」
そう言うと、くるっと綺麗な回れ右をして、彼は来た道を引き返して行く。背筋を伸ばし等間隔に歩く様子は、まるでロボットだ。
そんな黒服を見届けると、シシノはマイマイガ医師の待つ診察室へと歩き出す。
長く真っ白な廊下を進んでいると、同じ道をぐるぐる回っているような錯覚に陥ってくる。それも毎度のことだった。
改めて見ると、この廊下は異常だ。もし毎日ここへ来いと言われたら、シシノは激しく拒否するだろう。こんな何もない廊下を毎日毎日歩いていたら、気が狂いそうだと想像する。
──マイマイガ先生は、よくこんなとこに住んでられるよなぁ。
歩きながら、そんなことを考えていると、ようやく診察室の扉が見えた。
安堵のため息をついて、「おれです」と一声かけて、ドアをノックする。
すると「ガチャリ」と、オートロックの鍵が開き、ゆっくりと扉がスライドして開いていく。形は扉だというのに、実はスライドドアだというのは、マイマイガ医師の趣味なのだった。
「お久しぶりです……相変わらず、変な扉ですね、マイマイガ先生」
診察室の奥、机の前に、シシノを待ち構えるかのように座っている彼に、声をかけた。
「ようこそシシノ君。また死なずに会えるとは幸せだよ僕ァ」
マイマイガ医師は眼鏡を触りながら、柔らかそうな物腰で答える。
「けど扉は素敵だと言ってくれないかな? 一人でこんなところに住まなきゃいけないから、こういうところで自分の個性を出していかないと、落ち着かないんだよねぇ」
シシノが、マイマイガ医師の前に置かれた丸椅子に座る様子を、優しい瞳で見つめながら、そんな話をする。
彼の診察を受けるときは、無言になる時間がほとんど無い。口下手なシシノを気づかってか、いろいろな話をしてくれるのだった。その話は取り繕ったようなものではなく、面白かったり、ためになったり、くだらなかったりする。そのためか、シシノは昔から、診察の時間が好きだった。
マイマイガ医師はシシノにとって、心を許せる、数少ない人物の内の一人なのだ。
「一人で……それは大変だと思うけど、どうしてなんですか? ……いろいろと不便だろうし……その、足も……」
シシノは、マイマイガ医師の足を見ながら尋ねる。もちろん、こんな何も無い場所に一人で、というのも心配なのだが、それよりも、もっと肉体的に、マイマイガ医師が一人で生活しているというのは、昔から疑問であり、心配なことだった。
彼は、車椅子に座っているのだ。シシノが初めて彼を見たときから、ずっとそうだった。
「ははは、まあ不便だけどね。ここには機密事項が多いから、仕方がないのさ。でも黒服さんがよく来てくれるし、杖をつけば、立ち上がることくらいはできるしね。心配いらないよシシノ君」
「それでも、う〜ん、せめてここの場所が分かれば、おれもいろいろ手伝いたいんですけど」
「それは嬉しいね。僕も助かる。検診もすぐにできるしね。……けど、気持ちだけ受け取っておくよ。ありがとうシシノ君」
「さて」と、そろそろ検診を始めるのだろう、机の上に置かれたカルテのような紙を手に持つ。
「それじゃあまずは身体測定だね。いつものように、隣の部屋へ移ろうか」
~~~
この建物は、シシノは外観など見たことがないので大きさや形は分からないが、その内部は非常にシンプルな造りをしている。入り口から真っ直ぐ続く白い廊下、それを抜けると、目の前にマイマイガ医師の診察室の扉がある。そして、その部屋の両隣から、等間隔に並んだいくつもの扉があるのだった。
そのうちの一つ、診察室の隣は身体測定室だ。ここには様々な器具が設置されていて、体重、身長、座高などを測定する。
「そういえばシシノ君、前髪上げたんだね。いい感じじゃないか」
「あ、ありがとうございます」
身長計の目盛りを読み取ったとき、シシノの頭に近づいたからか、マイマイガ医師は気がついたように言う。
──そういえば、前髪を上げたことを褒めてくれたのは、シエラとマイマイガ医師だけだな。ネネさんに至ってはノータッチだ。今度感想を訊いてみよう。
そんな事を考えながら、シシノは次々と測定をこなしていく。毎度の身体測定は、もはやルーチンワークのようなものになってしまっている。マイマイガ医師と雑談をしたり、考え事をしながら、流れるようにこなしていくのだった。
~~~
身体測定の後も様々な検査をこなし、二人は最初の診察室へ戻ってきた。すると、マイマイガ医師は大きな機械を準備し始める。
プラスチック張りの、窪みがある透明な面の台。その上に、逆さにした薄いボウルのようなものを先端に取り付けたアームが浮かんでいる。だが、その内部には、まるで処刑用のギロチンのような刃が取り付けられていた。
ここからが、数ある検査の中で、シシノが最も嫌う時間だった。
「うん。こっちは準備完了だ。シシノ君、毎度嫌だとは思うが、準備してくれるかな」
「はい」と嫌そうな返事をして、シシノは上着を脱ぎ半袖になると、その機械の前に置かれた丸椅子に座る。そして透明なプラスチック張りの面の窪みに、むき出しの右腕を置いた。「カシャン」と音を立てて、ベルトのようなものが、シシノの腕を固定する。
「……それじゃあ、準備はいいかな」
「はい。ちゃっちゃとやっちゃってください。できれば一瞬で」
「悪いけどそれは無理だ。……では始めます。耐えてくれシシノ君」
マイマイガ医師は、機械のスイッチを入れる。すると、刃を振動させながら、アームが徐々に、シシノの腕へと降りていく。
徐々に、徐々に、唸りをあげながら、腕へと近づいてくる。そして、薄いボウルのようなカバーがシシノの腕を覆うと、激しい痛みが襲いかかる。
ブツッ。ブツッ。と嫌な感触が腕に伝わる。腕から何か熱いものが噴き出しているのを感じる。
「いっ、つぅ、う、ううぅ」
苦悶の表情を浮かべ、
すると、ようやく刃の振動が止まり、シシノの腕から離れていく。
「動かないでね。測定中です」
マイマイガ医師の指示に従い、じっと待つ。腕の傷が、ゆっくりと塞がっていくのを感じる。
やがて機械が甲高い音を上げた。測定終了の合図である。アームが上がっていき、シシノの腕を覆っていたカバーが離れると、腕を置いた窪みには、鮮血が飛び散っていた。
「まるでスプラッタ映画だねえ」
その様子を見て、マイマイガ医師はそんな感想を述べる。
「それが医者の言う事ですか……」
自由になった腕を濡れたタオルで拭きながら、シシノは愚痴のように言葉をこぼす。マイマイガ医師の言う事は確かにその通りなのだが、血を噴き出した腕の主としては、言われて気持ちのいいものではない。
「はっはっは。いやいやごめん。お疲れ様、検診は全部終わったよ。それじゃあ報告会にしようか」
二人は最初の位置に戻る。机の上に置かれたパソコンに、今回のデータが表示されている。
シシノに読み取れるのは、身長や体重くらいなもので、何を検査したのかわからない項目も多々あった。謎の数字が書いてあって、その内容はほぼ読み取れない。
「うん、では報告させてもらうよ。まあ健康状態に問題はないね。立派で丈夫な身体です」
「はあ、どうも」
毎度毎度、結果は同じだ。散々検診した挙句、「あなたは健康です」と告げられるだけだ。マイマイガ医師による検診でなければ、シシノはこんな不毛なことにはもううんざりして、来なくなっているだろう。
と、いつものように、終わったものだと気を抜いていると、マイマイガ医師の顔つきが真剣なものに変わる。
「シシノ君、最近死にかけたかい?」
突然の問いかけに、シシノは目を見開く。身体には冷たさのような感覚が広がっていった。
「いいえ。何でですか?」
平静を装って答える。宇宙から降ってきた殺し屋に殺されかけたとは、口が裂けても言えない。
「腕の傷の修復のスピードがね、上がっているんだよ。ほんの少しだけどね。これは普通に生活をしてたらあり得ない。何か大きな怪我をしたんじゃないかい?」
──なるほど、傷の修復を測定していたのは、そういう異常を検出するためだったのか。
納得したはいいものの、どう言い訳しようか言葉に悩む。信頼していても、マイマイガ医師は、ホムラノミヤ機関の関係者だ。シエラやデオドラの事を、彼に知られる訳にはいかない。その為には、死にかけた事を隠し通すしかない。
「いいえ。大きな怪我なんてありませんでした」
嘘をつく。マイマイガ医師は、シシノのその目を鋭く見つめる。
「シシノ君、僕は医者だよ。嘘は分かるんだ。心理学ってやつだね。それでも君は、何もないと言うのかな?」
「はい。何もありませんでした」
マイマイガ医師の目を、
しばらくの間、沈黙が続く。二人は長い時間、お互いを鋭い目で見つめ続けた。
「はあっ。分かったよ。相当隠したいことなんだろう。シシノ君がこんなに諦めないなら、僕は折れるしかない」
沈黙を破り、諦めたのは、マイマイガ医師の方だった。両手を上げ首を振り、やれやれといった感じの仕草をする。
「……すみません、マイマイガ先生」
「はいはい。……だけどシシノ君、無理を、無茶をするな。君は不死身という訳じゃない。生きているのだから、死は確実に訪れる。それを忘れないでくれ」
マイマイガ医師の言うことは、ひどく当たり前のことだ。だが、シシノにはいまいち、理解ができない。
もはや、シシノは麻痺してしまっている。死の恐怖など、とっくになくなっているのだ。
──自分は、死とは遠いところにいる。死ぬはずがない。
そう思っているのだった。
だが、分からなくても、答えるしかない。
「はい、分かっています。無茶はしません」
「……それも、嘘だね」
シシノの答えを聞いて、マイマイガ医師はひどく悲しそうな表情をする。その表情に、シシノも少し悲しくなるのだった。
「それじゃあシシノ君、もう診察は終わりです。黒服さんを呼ぶよ」
「……ありがとうございました」
なんだか喧嘩をした後のようになってしまって、シシノはモヤモヤとした気持ちになる。
──何か、言わねえと。マイマイガ先生とは、気まずいままで別れたくない。
「何か、質問でもあるのかい?」
シシノの気持ちを読み取ってか、マイマイガ医師は尋ねてくる。
だが、急に言われても、何を言えばいいのか分からない。とりあえず何でもいいから、言葉を紡ごうとした。
「マイマイガ先生、宇宙人って、いると思います?」
だが、マイマイガ医師は、優しい笑顔を浮かべていた。その笑顔は、なんだか遠い記憶を思い出しているような、そんな表情だった。
「いい事を訊くね、シシノ君。僕は、いると思うよ。いつか出会いたいものだね」
何なのだろう。その声からは、深い想いを感じる。シシノは疑問を感じたが、マイマイガ医師が気を取り直したように見えたので、今はホッと胸を撫で下ろすのだった。
「あ、ああ、おれもそう思います」
「うん。ではシシノ君、また会おう」
マイマイガ医師は、笑顔で手を振る。シシノも手を振り返し、診察室を後にした。
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