第3話 かわいいヒト

 ***


 安達さんは、まず自分の作業スペースの確保からはじめた。50㎝四方を、簡単に片付けていく。

「助っ人呼んだの、初めてでさぁ」

 紙を揃えながら言う安達さんに、篩の手を止めずに言う。


「声をかけたなら、掃除くらいしといてくださいよ」

「まさか今日来るとは思わないじゃん。しかも朝っぱらから」

「昼前です」

「世間的にゃ、そうだろうけどさぁ」


 そんなことをブツブツ言いながら、本棚に古そうな分厚い本をしまっていった。黒い机の面が程なくして見え、安達さんは片づけをやめて、流しから計量カップ、冷蔵庫から市販の業務用レモン汁を取り出す。その頃には、ボールの中では、きめ細かい粒の山が出来上がっていた。


「さっきも言ったようにうちは完全予約制だから、そんなに忙しいわけじゃないんだ」

 安達さんはレモン汁を計量カップへ注ぐ。400mlのメモリのところでピタリと止まった。


「珍しいから飼っていたとか、研究のためとか、理由は様々だけど、一緒に暮らしていくうちに愛着が湧いてくるんだよね。そのうち昆虫が死んでしまって。そのまま死を受け止められるなら、いいけどさぁ。標本にしたいって依頼が時折くるんだ」


 ボールを差し出すと、計量したレモン汁を一気にに注ぎ込んだ。ゴムベラをゆっくり動かして、中身をかき混ぜていく。ボールの中から、何故だか甘い匂いが広がった。


「前に一度、何でもいいから標本を作ってくれって頼まれたことがあって、こちらで採取したのを標本にしてみたんだけど、全然ダメだった。全然、死んでるの」

 一定のリズムに乗って粉と液体が混ざりあっていく。少しずつ粘度が出てくる。


「だから私は、オーダー専門」

 妙に納得してしまった。つまり、互いの想いが無ければ、心奪われるような作品にはならないということだ。きっとあのゲンジボタルも、非常に可愛がられていたから、あの姿になれた。


「てのは、私の作り方と、技量不足のせいなんだけどね」

 ふっと安達さんが苦笑いを浮かべた。ゴムベラをボールに押し付ける。白っぽい色が、だんだん透明度を増していく。さながら、わらび餅のようだった。


「それは、」

「あ、橘くん、ローズマリーのオイル出して」

 言葉をぶった切って、安達さんは冷蔵庫を指さした。俺は、続く言葉を無理やり飲み込んで、口を一の字に結び席を立つ。彼女の方に回って冷蔵庫を開いた。中は、薬品といくつものタッパで埋まり、ドア側にはオイル瓶がぎっちりと、詰まっていた。


「ローズマリーって、どんな効果があるんですか?」

「殺菌とかいろいろだけど、今回はそういう効果じゃなくてね。おまじないだよ。依頼主が落ち着いて過ごせるように、おまじない。よく食べてた葉の匂いとか、生息地に近い匂いをブレンドする」


 何種類も並んでいるオイルボトルから、ご指名の物を見つけ出して、キャップをつまむ。バタンと足元で音がした。

「それで、先程の話ですが」

「何の話?」

 安達さんの顔を見る。彼女はこちらを見ずに、2滴ね、とだけ言った。

 キャップを外して、言われた通りボールに垂らす。すっと抜けるような独特の香りが広がる。安達さんはオイルが均等になるように、丁寧に混ぜあげていく。俺は構わず続けた。


「技量不足のせいで扱うものの幅が狭いというのは、別に問題ではないでしょう。安達さんがこれからオーダー以外も扱いたいなら別ですけど。専門性を伸ばすのであれば、やり方が特化していくのは当たり前ですよ。安達さんは周りと比べず、自分の道を極めればいい話だと思いますが?」


 キャップを閉めてふと安達さんを見ると、手が止まっていた。顔を見れば、安達さんはあっけにとられた表情をしていた。お互いにまばたきを二度した後、安達さんはニンマリと笑う。


「橘くんは真面目だなぁ」

「普通です」

「真面目で、気配りさんだなぁ。もう少し肩の力抜かないと持たないよ?」

「変に思い悩んでるあなたの方が、肩の力を抜くべきです」

「うわぁ。そうやって女の子口説いてきたの?私も使おー」

「女は嫌いですし、口説くって何ですか」

「あはは、真面目だなぁ」


 ちょっと面倒くさい、と大変失礼なことを言われた。けれど全く気にならない。はて、と首を傾げる。

「で、練りあがったので、型に入れます」

 こちらの様子を全く気にせず、安達さんは机の引き出しから半球に掘られた型を取り出した。軽くほこりを払った後、ゴムベラでボールの中身を、型に詰めていく。


「料理みたいですね」

「堅苦しい物を使ってないからなぁ。単純でいいでしょ?」

「安達さんにしかわからない、さじ加減がありそうです」

「そりゃあるわ。何個作ってきたと思ってんの」

「いくつですか」

「……20個?」

「何で毎度聞くんですか」

「はい、半分くらいまできっちり詰めたので、一旦放置して少し固まるのを待ちます。休憩ね」


 ゴムベラについた液を丁寧に拭って入れた後、型を冷蔵庫に放り込んでタイマーをセットする。そのまま突然のコーヒーブレイクを宣言して、安達さんは御手洗へと消えていった。非常にマイペースだ。けれどやはり、嫌な思いは一つもしていない。


 振り回されているけれど、今までで一番落ち着いて話のできる女性だった。容姿がボーイッシュなお陰か、言動が明白な所以か、もしくは昆虫標本屋という特殊な職のせいか。自分の知る中でこれほどまで正直でまっすぐな人に会ったことがない。良くも悪くも、感心するばかりだった。


 自分本位に相手の領域にづかづか入り込み、好奇心と己の損得のみで判定を下していく、オンナというものと同種だとは思えなかった。

「トイレ奥にあるからねー」

 安達さんは戻ってくると、ポケットからタバコを取り出した。俺はマグカップを持って立ち上がる。


「橘くんは、標本にしたい相棒はいるの?」

 タバコを咥えながら、安達さんは言った。2杯目のコーヒーの準備をしながら、首を横に振った。


「今のところ、いません」

 煙がゆらゆら渦を巻く。少し、腹が減ってきた。サブレあるよ、と箱に入ったお菓子を勧められ、一枚受け取る。


「なら出来たら一緒においで。割引して迎えてあげる」

「検討しておきます」

 コーヒーを差し出すと、ありがとうと言ってマグカップを受け取り、灰皿にタバコを押し当てる。


「もちろん手伝ってね。定期的に来てくれると助かるけど。将来は研究者?」

「高校教師を目指してます」

「お、意外」

「理科室を独占したいので」

 笑い声が響いた。頬が緩む。


「動機が不順だな。何なら、うちで働く?」

「え?」

 安達さんは笑っていた。魅惑的な笑みというより、遊び相手を見つけた、少年のような無邪気さだった。


「給料よくないけど。現物支給ならできるよ」

「現物支給」

「うち農家もやってるから、米と野菜を定期的に配給できます」

「……農家、ですか」

「うん。実家が農家だから」


「何故、標本屋になろうと思ったんですか」

 コーヒーにたっぷりミルクを注ぐ安達さんに、俺は問いかける。口角を上げて、安達さんは声を発した。


「あー……聞きたい?」

「まぁ、多少」

「じゃ、多少話そう」

 安達さんは、含み笑いで頷いた。


「えーっと、そうだな。小学生の時は化石を掘る仕事をしたかったんだ」

「化石、ですか」

「うん。地層を探索してね、眠っている物を眠ったまま呼び戻す仕事がしたかった」

 ブラックコーヒーに口を付ける。部屋のもの全てが、耳を傾けているような静けさだった。


「んで、中学に入ったら、教師が化石掘りに誘うんだよ。理科部に入って、アンモナイト見つけようって。それでノコノコ入部したらその部活、園芸から天体観測まで、理科全般扱うのさ。もう面白くって、面白くって。気づいたら昆虫にハマってた」

「やりましたね」


「おう、やっちゃったさ。特にモンシロチョウを可愛がってたんだけど、すぐ寿命がきてさ。メソメソしてたら今度は標本にしたらいいって唆されて」

「やられましたね」

「おう、やられたわー。楽しくって、楽しくって。高校に入って、ホルマリンとプラスチック封入取得して、気づけばミス標本とか言われてた」


 笑う安達さん。少し壮絶だ。セーラー服に身を包み、片っ端から標本を作っていったのだろう。カブトムシ、アオガエル、文鳥の羽、テントウムシ、レモンバーム、カタツムリ、ムカデ、雀、ピンポンパール。

 死を見つけては、標本にしていく。乾燥、ホルマリン、プラスチック、骨格、剥製。どんどん、死を刻んでいった。


「最初は好き勝手作ってたんだけど、ある時飼っていた文鳥が死んでね。ちょっとだけ迷ったんだけど、標本にした。悲しくて、愛しくて、少し楽しくて。そしたら、生きていた頃の、一番綺麗な瞬間を引き出すことができたの。悲しければ悲しいほど、好きだから、心が通ってたから、綺麗な瞬間を永遠にできた」


「……魔法みたいですね」

 彼女は笑う。ちらりと自分の手を見ていた。

「時々嫌になるけどね」

「そうなんですか?」


「死ばかり触っていると、自分が生きてるのか、わからなくなるんだよ。ずっと天職だと思ってたし、今でも思うんだけどね。境目が、わからなくなるんだ。で、ピアス開けて、髪染めてるんだけどね」

 染めた髪の間から見える金属色は、道しるべのように、光っていた。俺は彼女の言葉を飲み込んで、頷く。


「此処では依頼主は息を吹き返しますし、きっと貴方も俺も、一度は死んでいます」

 有るのはきっと、愛しさと悲しみだけだ。それだけで、十分だと思った。

 彼女は一瞬、真顔になった。周りの様子を注意深く伺い、自分の手をもう一度見て、ブラインドの向こう側の、遠くの方を見た。


「……ん、ありがと」

 最後に俺を見て、微かに優しく笑った。

 タイマーがなる。最後の一口を煽って、安達さんは立ち上がった。


「よし、中に残り入れていって。ここからは、時間との勝負だから、手際よくね」

 マグカップを俺の分も回収した後、冷蔵庫を開く。俺はボールを引き寄せた。

「空気を入れないようにね。ムラにも気をつけて」

 型と一緒に取り出されたのは、15cm四方のタッパだった。


「こ、」

 声が掠れた。ゴムベラでボールの中身をかき集めて、気を取り直して口を開く。

「今回もホタルですか?」

「え、違うけど」

 ほら、と安達さんが蓋を開くと、輝くタマムシの羽が見えた。


「キオビルリ」

 思わず声が出た。どうしても落胆の色が滲む。黄色の線を背負ったタマムシは、大きな黒い目で、注意深く俺を見ていた。

「詳しいね」

「飼育してます」


 安達さんはピンセットで、ゆっくりタッパから依頼主を持ち上げると、一瞬依頼主が震えた。気温差なのか、これからの不安なのか。安達さんは安心させるように、丁寧に裏返してじっくり液体の中に沈みこませる。


「気泡をピンセットで集めながら、抜いていくの」

 そう言うと、安達さんは両手にピンセットを持ち、タマムシをいじり始めた。大きな瞳を見開き、型をのぞき込んで、忙しなく手を動かす。足の関節の角度や触覚の位置まで、細かに指定しているようだ。指に迷いは見えない。少しずつ固まっていく液体の中で、俺は息を忘れていた。安達さんは手短に素早くその作業を終え、ふぅと息を吐いた。


「で、型の蓋をして終わり」

 ハッと我に帰り、対になっている蓋を渡すと、安達さんは慎重に蓋を乗せて、密閉した。


「液体が動くと表情が変わるから、このまま固まるまで放置して、依頼主が新しい家に慣れるまで状況を見ながら整えるの」

 台の上に逆さのまま型を固定すると、今日はおしまい、と彼女は言った。俺は頭を下げる。どっと体が重く感じた。


「にしても、ホタル好きだねぇ」

 関心したように、彼女は言った。突然降ってきた話題に、どうにも居心地が悪くなる。

「好きというか、」

「好きでいいじゃん。ホタル、可愛いよね」

 設計図の視線が気になり、少しどもった後小さく頷いた。


「安達さんの、標本が綺麗で」

「あぁ、言ってたね。どこで見たの?」

「昆虫研に置いてあって」

「……あ、津田先生のかぁ。アレが良かったんだ」

 そんなにいい出来だったかな、と今度は首を傾げる。もう、正面から顔が見れない。


「標本になっても、生きているみたいで、でもずっと止まっていて、目が離せなくて」


 だんだん顔が熱くなってくる。どうしようかと一瞬迷ったが、ここまで言ったんだから、腹をくくるしかない。どうにでもなってしまえ。


「ひ、一目惚れでした」

 急激な寒波に見舞われた。重い。間が重い。居心地が悪くなり、ぎこちなく道具の片付けを始める。一つずつ拾い上げ、席を立ち上がった時、ふいに安達さんが目に映った。思わずそのまま固まる。


 口元を隠して、顔を赤くした彼女の視線は他所を見ていた。視線に気づいたのか、彼女は慌てたように首を振る。


「や、えと、純粋に嬉しいな」

「……一目惚れがですか?」

「ベタ褒めがだよ!!」


 あーもう、ありがとう!!と照れ隠しなのかキレながら、安達さんは背を向けて、ブラインドを上げた。外は、オレンジ色に染まり始めていた。

 じんわり感情が沁み込んでくる。初めての感覚だったが、悪くはなかった。

 頭の片隅で、ホタルの触覚が揺れた。


 ***


「タチバナ先生!!」

 廊下を駆ける音と、女子高生の声が後ろから聞こえる。ゆっくり振り返ると、お下げが揺れていた。

「どうしました?テスト範囲は放課後に貼りだしますよ」

「いえテストじゃなくて、えと、ずっと気になってたんです!!」

「何ですか?」


 走ったせいか、心なしか頬が赤い。はて、今日はちゃんと前ボタンも付けていたはずだ。ズボンのチャックも問題ない。思案する俺にお構いなく、スカートを握りしめて、少女は言った。


「理科室に飾ってある、ホタルの標本!!どこで買ったんですか!?」

 少し拍子抜けする内容だったが、ニヤリと口角が上がる。

 あぁ、なんだ。そんなことか。


「オーダー専門店ですよ。今度案内しましょうか?」

「えっ、いいんですか?」

「生徒で気に入ってくれたのは、君が初めてですからね」

 頬を染めてモジモジと動いている彼女に、白衣の胸ポケットから名刺を取り出し、渡した。


『昆虫標本屋 あだち』

「きっと、気に入りますよ」

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かわいいヒト 空付 碧 @learine

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