廃嫡の小太り

あんどこいぢ

ブルバギの都

 城門を出るなり桜の花吹雪に吹かれた。

 馬上、うっと呻きつつ右手で眼を覆った十年来の主、ムンクのその迂闊さに、シルは微かに溜め息を吐いた。表向き侍女として彼に附けられた彼女だったが、武芸の心得もそれなりなもの、お世辞にも質実剛健とはいえない主を宥め賺し、剣、弓、馬をどうにかこうにかといったところにまで持っていったのは彼女だった。それなのに……。

 馬を寄せながらシルはいった。

「ムンク様、隙だらけです。桜ごときに不意を突かれるようでは、敵の毒手を避けることなど出来はしません」

 軽い怒気に締まった彼女の顔は、実に美しい。鷹のような瞳に細い鼻すじ、シュッとした頬、顎。唇だけがポッチャリ肉感的だ。色の白さは七難隠すというが、彼女にはそんな誤魔化しは必要ないのだろう。焼けた肌をしている。

 ところが主のほうは彼女とは対照的な緊張感のなさ。城の鐘楼を振り仰ぎ、

「やっぱ叔母上、綺麗だったなあ」

 などといっている。小太り、加えて短足。馬にも乗り難そうだ。

 シルがさらに馬を寄せる。

「ですからムンク様──」

 彼女のほうに向き直った主が、微かにバランスを崩す。それでもなお、

「おっとっと」

 などと暢気にやっている。シルのほうは一瞬だが、肝を冷やされることになったのだが……。嫌な汗が背中でチクチクしている。

 東の都、ブルバギに勃こった武の勢力、ダンケン一族。その傍流に当たるフラシオン家の長子として、ムンクは生まれた。が、喘息だろうか? 残念なことに病弱だった。それゆえ家督は弟のタニスが継いでいて、彼はといえば、都の北にユンクという地を与えられ、ユンク侯を名乗っている。もっともそれは名目だけの称号で、領地は狭く、加えて寂しい片田舎なのだった。

 この二日間は一族総出の春の宴で、馬揃え、馬上槍試合なども催され、ここブルバギ全都が沸き立つような騒しさだったのだが、今日からは新たな一週間が、いや、新たな一年間が始まろうとしている。ただ、それにしては……。

 シルは周囲に先述の鷹の視線を走らせている。

 一行は十騎と供の者たち。名ばかり侯の一行としてはなかなかの威容だ。帰路である。ダンケン一族の棟梁であり東国一の太守、征東大将軍でもあるブルバギ公ヴラドの居館を出て、大路を北へと向かい始めたところだ。右手の山の中腹には一族が信仰する闘神イラの神殿が、桜の花吹雪に霞んでいる。

 ゆく手でちょっとした騒ぎが起こった。喧嘩だろう。シルの目配せで小姓二人が走り、そのひとだかりを散らす。そしてシルは軽い舌打ちとともに、

「今年はいつまでも騒がしいんだな」

 と零す。

 主と馬の轡を並べその辺りを通過する際には、腰に帯びた小剣をピリピリ意識する。そこでなぜか、当の主のククッという笑い声。視線は向けず、だが敢えて苛立ちを隠さず──。

「なんですか?」

「そんなんじゃ大将首ここにありって、知らせてるようなもんだよなあ」

 まあ、理屈ではある。とはいえ彼女にはここ数年のこの祭りには、思うところがあるのだった。……年々派手に、そして放恣になってゆく。意外なことに、いつも暢気な主の声が、そんな彼女の思いに添った。

「確かに今年の馬揃えは、ちょっとやり過ぎだったよなあ」

「いえ、馬揃え自体は将軍府開府以来の習わしごとで──」

 要するに騎士団の行進である。武門の示威行動としてはむしろ定番のものだといえた。問題はその派手さなのだ。たとえば一族の外戚中最大の勢力、ルシエンヌ軍の行列の露払いは、大陸から招かれた軽業師の一団だった。そんな連中がトンボ返りなどしながら、騎士たちの周りを跳び廻っていたのだ。おまけに……。

「ご当主は今年も来てなかったようだなあ」

「腰痛がひどく、馬に乗るのも難儀なんだそうです」

「僕だってお馬の旅は、やっぱ難儀だけどなあ」

 シルが主に例の鷹の視線を向けたが、言葉のほうは飲み込んだようだ。というわけで、主のほうが話し続ける。

「ルシエンヌ伯の腰、やっぱあの一件以来だよなあ。我がフラシオン家の当代にも関わることだし、遺恨になんなきゃいいんだけどなあ……」

 それは四年前の同じ祭り、馬上槍試合の終幕直前、ルシエンヌ伯ガロアがトーナメントを勝ち抜き、いよいよその年の桜の女王の手で栄光を授かろうという瞬間のことだった。優勝者は女王によって形見の布を槍の穂先に結んでもらう習わしなのだが、ドレスの袖を裂いて、などという古式こそ廃れたものの、あらかじめ侍女に持たせておいたリボンを女王ニコラが手にしたそのとき、

「もう一勝負っ!」

 などと大声でよばわったのが、現フラシオン家当主にしてワラキア侯、そして長幼をいえばムンクの弟でもあるタニスだった。ガロアは連戦直後だったし、さらに相手は傍流とはいえ太守ヴラドに連なる名門の惣領息子。彼には戦いようがなかっただろう。

 タニスは観客席の雛壇から駆け降りると、鎧もなしに手近な馬に飛び乗り、その馬を引いていた小姓から槍と盾とをもぎ取って、さっさと競技場の端まで早駆けしていってしまった。ガロアが真向かいの位置に着けば、やがて槍を構えての突撃となる。

 リボンを持つ女王の手が顫える。

 その年の桜の女王は太守の家の長女だった。外戚中最大の勢力、ルシエンヌ伯家に嫁すことが慣例になっている立場である。従がって出来レースといっていいような背景があったわけだが……。ゆえにタニスのこの挑戦は、やはり配慮に欠けるものだといえた。だが女だてらに一通りの武芸を嗜むシルとしては、

「勝って兜の緒を締めよ、ってところですかね」

 というニベもない科白になる。

「いやしかし、傍流とはいえ太守の一門、おまけに鎧も着けてない若殿様に、万が一怪我でもあったときにゃさあ」

「その場合はタニス殿の不覚ということになります。お互い武の者、遺恨などあろうはずがありません。ましてそのときの怪我を口実に例年の宴席を欠席し続けるとは──」

「だからそれをゆうなって。ルシエンヌ伯家の勢力を危険視する連中だっているんだからさあ。奴ら、それ口実に──」

「私もそれは、そのように感じています。いえ、ルシエンヌ伯家の危険性についてです。そもそもあのガロアがあのような落馬程度で──」

「だからそれを──」

 一行は都を囲む山々の登りにかかる。このまま大路をゆけば、イラ神殿の参道へと至る。一行は左に折れた。道が急に細くなり、両側から桜の木々が迫る。そしてシルの五体はふたたび緊張感に包まれる。伏兵を警戒しているのだ。だが主のほうは相変わらずで──。

「木陰にガロア殿でも隠れているのかなあ?」

 九十九折りの山道に入って行列が長く伸びる。それでもシルは主の周囲を追いつき追い越しし、巧みに馬を操ってゆく。

 他の郎党たちがちょっと遠くなって、二人だけの世界になった。そこでムンクは声を潜め、少々剣呑な話題を口に出す。

「我らを見限るつもりなら、それでもいいっていってあるはずだよなあ」

 先行していたシルが屹となって振り返った。そして今度は計算なしの怒気剥き出しで、

「その話は止せといったはずだ!」

 と言葉遣いまで無茶苦茶になる。

「しっ、声が高いっ──」

 二人のあいだで頻出する話題なのでムンクももう慣れっこになっているつもりだったのだが、毎度毎度この権幕には、気圧されてしまうのである。とはいえ──。

「僕がお前を帝都留学につき合わせたのは、そのこともあっての話だったんだけどなあ。女武芸者じゃ指南役ったって、こんな廃嫡豚野郎のお守りの役が関の山だろ。学でもつけりゃニコラ様のようなお方の家庭教師の役廻りだって──」

「私に女子供のお守りをしろってゆうのか!」

「女子供って……。僕だってお前と初めて会ったときゃあ、まだまだ子供だったよお」

「今でもそうだ! ガキが!」

 本当にこの話題になると、主従の立場などあったものではないのだった。

 小麦色の頬が紅潮している。肉感的な唇がキュッと突き出し、なかなか色っぽい。そういえばシルは派手な馬揃えを嫌っていたが、自分は乳房の形を打ち出した胸甲などを身に着けている。まあここ数年の馬揃えの雰囲気からすれば、着けさせられているといったほうがいいような感じなのだが……。

 ムンクもその際には黄金の全身鎧を着用したが、行進が終わるなりさっさと脱いでしまい、今は襟などにフリルがついた綿の普段着姿だ。彼にはいわゆるアレルギー体質の気味があって、喘息もそうだが、鎧などで汗を掻くと肌が真っ赤にかぶれてしまうのだった。

 と、突然視界が明るくなった。右手に舞台状に拓けた土地がある。ムンクがそこに馬を進め、シルも休めと供の者たちに告げ、そんな主と馬を並べた。

 眼下に都が一望出来た。キラキラした海を背に、桜の花吹雪に霞んでいる。

 シルの黒髪が風に靡く。

「やはり私が、信用出来ませんか?」

 先刻の怒りは収まったようだが、その代わりに少々寂し気な感じだった。

「信用出来ないってのとは違うんだけどなあ。解ってんだろ? お前は帝都留学の件でも僕に恩義を感じてくれてるようだけど、ありゃ僕の実力じゃない。親父殿の力だ。さらにいやあ、我らダンケン一族の盟主、ブルバギ公ヴラド殿の力だ。そして僕はユンク侯とは名ばかりで、実際は弟の一家臣に過ぎない。いやそれさえも武門としては末席も末席、騎士としちゃあ鼻汁も引っかけられない立場なんだ。だからお前にゃあ、もっと大きな舞台があるって思ってんだけどなあ」

「だったらあなたが、その舞台を拓いてくれればいいんです」

 心なし風が冷たくなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

廃嫡の小太り あんどこいぢ @6a9672

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ