大江山

 遠く幾重にも奥丹波に連なる山々が見通せている。だがその姿は春霞にぼんやりと輪郭を失っている。目を転じて眼下の大江町は漸く始まった田起こしで所々に土色が見える。米粒のようなそれでも高い樅木は村中でも我が家の目印なのだが、ここからでもその所在だけは分かる。

 まだ、上り始めて三十分、まだ春は浅いが日差しだけは強いのかもう汗ばんできて一休みだ。朝昼の気温の差が大きいこの季節、肌に心地よい冷気を感じながら出発したことを思い浮かべた。兄嫁が多目に持って行けと用意して呉れたおにぎり弁当と、水筒の重さが歩き始めの肩に堪えた。デスクワークばかりの社会人になってからは体を動かすことがめっぽう減った。だが、昔盛んに山行した頃を体が覚えていたのか、少しづつ慣らされて肩も足腰も今は苦痛はない。久しぶりの登山だが、取りあえず鳩ヶ峰の山頂を目指していく。

 三連休の初めの金曜日、あの雑踏から逃れるように新幹線に乗った。初めのうちは嫌な上司の不機嫌な顔が目の前でちらちらと横切って苦痛だった。しかし、京都駅で山陰線に乗り替える頃には持ち前の楽観的な性格があの顔を抹殺してくれた。 

 京都駅の一番ホームを出発したのが十八時を回っていた。特急出雲に飛び乗って福知山へ、そこから故郷の大江町まで丹後鉄道に揺られてようやくたどり着いたのは十時を回っていた。前触れもなく顔を見せた弟に兄はびっくりして目を見張った。何かしら異常な事態を想像したのだった。しかし、事情を知った兄は秘蔵の純米大吟醸を抜いてくれた。気の許せる肉親の情と大吟醸の酔いも回って日頃の愚痴が次々と噴出してくる。私だけのための遅くなった夕食。兄は黙って愚痴を聞いてくれる。それだけで今日一日の紋々とした気分が薄れて行くのを感じた。それよりも故郷へ戻った安らぎなのか、兄の一言ひと言が心に滲みる。それは同僚やあの嫌な上司の言葉と同じでも、受け止める自分の心の鍵が開けられていることに気が付いていた。やはり故郷は良い。リフレッシュが出来るのはここしかないと改めて思えた。十二時近くになって、遅くなった帰郷を兄嫁に詫びながら床に入った。久しぶりに満ち足りた心に負担のない無垢な睡眠が待っていた。

 昨日までは曇り空の幾日だったが今朝は朝日が眩しく晴天だ。大吟醸の酔いもすっかり醒めて快適な朝を迎えていた。すっきりした顔で朝食に向かった時、今日は久しぶりに山へ登って来ようかと思うと話した。ああ、それが良いと兄は番茶をすすりながら賛同してくれた。埃にまみれた登山靴を出して少しばかりの磨きをかけていると、兄嫁が包みをザックの傍らに置きながら言った。

 「浩二さん、今日は午後に一雨来るかも知れませんよ、雨具は忘れないでね」

 「はい、用意してますがこんな晴天にですか」

 「ええ、寒気が残っているからって天気予報は言ってました」

 「分かりました。お姉さん、弁当の用意ありがとう」

 「いいえ、御自分の庭みたいな山でしょうけれど、気を付けてね」

 「はい」

 兄は宮津の銀行へ車通勤している。丹後鉄道もあるが残業で深夜になることも稀ではない。支店を任され、どうにもならなくなって車通勤に替えたのだ。休日なのに今日も出勤だそうだ。私の目指す千丈ヶ嶽の登り口はその宮津への道の途中である。乗せてもらうことにして、兄の出発時間の七時半に合わせて支度を整えた。あたふたと車が走り出さんとした時、兄嫁が慌てて手を上げた。

 「ちょっと、待って」

 家の中へ駆けこむと用意してあったのかメモ紙を持って出てきた。

 「はい、これ帰りのバスの時間、バス停がどこか分からないから三か所書いておいたから」

 「ありがとうお姉さん」

 私は姉のちょっとした気遣いに何度助けられたことだろう。心からの言葉を口にした。胸ポケットにメモ紙を押し込むのを見た兄の、じゃ行ってくるという言葉で車は動き出した。車は暫く村中を走ってから九号線に出た。宮津までは一時間弱の距離だが、浩二が今日の登り口と決めたのはほんの十分ほどの宮川までだ。だが、歩くからここで、と言ったが九号線から下りて砂利道を佛性寺登山口まで送ってくれた。

 そんな兄の車を見送ってから直ぐにまだ冷気の残る林道の急な上りに取りついた。暫くはブナの原生林を蛇行して登ってゆく。急な上りでいきなり呼吸が乱れる。

暫く登って樹間の開けたところで小休止を取ったあと、一気に稜線に出ようと上を目指した。薄手のジャンパーは上り始めに、そして、登山用のいつものチョッキは先ほどの小休止でザックにねじ込んでいる。だが、もうジャケットの上のボタンを外し、袖も折り上げている。額からは耳の脇を伝って汗が流れ始めた。胸突き八丁の急坂に喘ぎながら久しぶりの登山靴で一歩一歩踏みしめる。ブナ林を抜け、登り道の蛇行の先に明るい空が広がってきた。

 稜線が近い。汗は滴り落ちているがもう一息だ。稜線で休息を取ろうと思った。まだ登り始めて一時間も経っていない。突然高い木立が切れてナナカマドやヤマボウシなどの灌木が目立ち始める。下草がいつの間にか熊笹に変わっている。見上げると鳩ヶ峰と鍋塚を結ぶ稜線まではすぐそこだ。もう一息と自らを励ましながら稜線に上り詰めると、吹き上がって来る西風に愛用の登山帽が吹き飛ばされそうになった。思わず両手で抑える。と同時に抑えていた手で帽子を取る。そして、立ちはだかった全身で西風を受けて思わず叫んだ。

 「うわ~、気持良い」

 ジャケットの開け広げられた首筋から入って来る風に溜まった汗はたちまちの内に消し飛んで行く。一息ついて周りの景色を見ると、その風は遠くに霞む与謝野町からなだらかな斜面を登って来るものだと分かる。稜線は真っ直ぐに南西方向に伸びあがって鳩ヶ峰の山頂へ向かっている。浩二はザックを下ろして水筒を取り出した。そして、立ち上がって口を付けた。番茶はぬるかった。でも、乾いた喉に番茶の美味さを改めて知った。

 気持のよかった西風も汗が引き終えると少々余計な好意に思えて、道端のナナカマドの曲がった太枝に腰かけた。風を避けるとそこはの陽光が降り注ぐ別世界だ。暫く腰を下ろして鼓動を整える。まだ時刻は九時半を回った処だ。これからゆっくり登っても千丈ヶ嶽へは昼前には着ける。そう思って腰をずらすと熊笹の上に尻餅をついた。そこは尚一層風が遮られていた。

 休息にしては長すぎたかと思って立ち上がった。すっかり汗は引いて鼓動も常と変わらない。ザックを背中へ回すと登山帽を被った。目指す鳩ヶ峰を仰ぎ見て稜線の反対側へ首を回したなだらかな稜線が続く先に鍋塚の峰が望まれる。その先は遠く丹後半島の山々が連なる。今日は霞みが濃くて宮津の町も若狭へ続く海岸は望むべくもない。

 浩二は水筒の紐を首に掛け回すと、稜線の上りに歩を進めた。緩やかな傾斜である。ほぼ一直線に伸びあがる稜線の先は標高七百四十六メートルの鳩ヶ峰だ。その下りを二人連れの登山者が下りてくる。鬼嶽稲荷神社の登り口から千丈ヶ嶽を経て鳩ヶ峰を今下りてくるとすれば、かなりの早朝出発に違いない。上りは喘ぎながらだが、下りは早い。見る見るうちにそこまで降りてきた。かなりの荷物を背負っている。

 「こんにちは」

 浩二は声をかけた。相手はまだ十代かと思わせる若い二人連れだ。だが、体格はどっしりしていかにも山で鍛えた強者という感じだ。

 「こんにちは、良い天気ですね」

 一人が愛想よく答えた。もう一人も小さな声であいさつを返した。

 「早いですね、もう縦走も終盤ですか」

 「いえ、鍋塚まで足を延ばします。今日中に大阪まで帰りますので」

 「それで、朝早かったんですか」

 「いえ、それほどでも、神社脇で野営しましたので」

 「ああ、そうでしたか・・・・・・お気をつけて」

 「はい、貴方も、午後は一雨来るそうですから早めに下りられた方が良さそうですよ」

 「はい、ありがとう」

 浩二は道を譲った。大きな荷物が目の前を通過してゆく。そうか、野営して夜明けと共に行動開始なのか、道理で早い分けだ。それにしても、これしきの山行に大層な荷物だなと思ったが、どこかの大学の山岳部が本格的な夏山に向けて訓練するのはよく聞く話だ。

 折角引いた汗がまた噴いてくる。次の休憩は鳩ヶ峰山頂かと思いながら一歩一歩足を踏み出す。いつの間にか急な上りに差し掛かっている。道の両側の灌木は無くなり一面の笹原が広がり、一本の登山道だけが笹原を分けるように伸びあがっている。

 山頂の長椅子に腰を下ろしザックを下ろして帽子を脱いだのはそれから三十分も経っていなかった。最後の登りは流石に堪えたが、少しペースを落として喘ぎながらたどり着いた。今までも何回かこの坂を上ったが今日は思った通りで運動不足は否定しようがない。

 時計を見た。十時過ぎだ。稜線に出た時の休息が意外と長かったことに思い至る。それでも千丈ヶ嶽で早めの昼食は取れそうだ。山頂に人影はない。だが、近年山頂表示や道標整備が著しく進んだ。昔、小学生の頃に初めて上った頃にはほとんど道標らしきものはなく、山頂表示も白い丸太が一本建てられて、そこに墨で書かれていただけだった。その頃は登山よりも冬場のスキーの名所でもあった。今のようにリフトの整備もなかったが山岳スキーヤーのメッカでもあったのだ。近年雪も少なくなりスキーより登山客が増えた。それに伴って整備も進んだのだ。

 それにしても休息時間の長い山行だなと苦笑しながら、尚も腰を落ち着けている。汗をかいた後の爽快感は昔散々に味わったが今、それをちょっぴり取り戻しつつあることを実感している。日頃とは違う自分に浸っていると言ってもいい。

 大江山は大江町からすれば裏山のようなもので一日あればゆっくり縦走して帰って来れる。気分的にもゆったりしてリフレッシュにはもってこいだ。

 少し山頂に飽いた時、賑やかな話声が上がってきたようだ。十人以上のグループ登山である。一人ベンチに座って休んでいる浩二を見て幾人かはじろじろと珍し気に見たが、グループの全員が揃ったところを見ると、高齢者の混じる中高年のグループだと分かる。中には数人の女性の姿もある。千丈ヶ嶽を経由してやってきたのだからか、少し疲れ気味という人もいる。その中の一人がベンチに寄ってきて言った。

 「あの~、座らせてもらっても良いでしょうか」

 「えっ、ええ、どうぞ、私はもう立ちますので」

 私はそう言わざるを得なかった。もう二十分近くも座っていたベンチをそのグループに明け渡し、賑やかな声を背中に聞きながら千丈ヶ嶽への道へ踏み出していたのだった。

 道は鳩ヶ峰の山頂から下りながら再び灌木の繁る樹木道を縫ってゆく。直ぐ下はブナ林が広がり、下り切ると林道のように平坦な曲がりくねった道が続いている。大江山の山行は三つの峰を縦走するのがコースだが、細かな起伏はあるものの三つの峰の上り下りが難所と言っていい。峰と峰の間は少しの平坦部があるだけだ。いよいよ千丈ヶ嶽への稜線登りへと取りつく。初めはなだらかな上りだが、頂上が見えると捗らなくなる。

 頂上は平坦な広い広場の様だ。昔は大きな丸太に大江山スキー場と書かれていたのを思い出す。一面の笹原だったが今は野球場のように土の露出した広っぱだ。小さな木造の小屋があって雨宿りか雷対策なのだろう。今日は晴天で小屋より外が景色を楽しめて良い。だが、鳩ヶ峰の山頂とは違ってベンチがない。草地を探しても良いが面倒になったのでそこで早いが昼食を取ることにした。

 包みを開けると大きな握り飯が五個入っている。多めに入れておくわね、って言ってたけれど、こんなに大きな握りなら二食分にでもなる。悪いと思ったが二個は残して帰ろうと思った。いくら何でも五個は入らない。かぶりつくと中に蕗の佃煮が入っている。その塩加減が握りとマッチして絶妙の味である。いつも帰郷すると兄の作る米の美味さに堪能するが、この握り飯の米粒とその握り具合が又良い。大きいが一個目を瞬く間に食べ終える。二個目は何が入っているのだろうと、外から眺めまわすが分からない。思い切ってがぶりと噛み付く。赤い果肉の梅干しが一個丸ごと入っている。だが、姉の作る梅干しは勿論、畑の梅の木の実なのだが、塩加減が辛すぎず梅の香りを残していてこれも又絶妙の味といって良い。三個目はきっとあれだなと見当をつけて取り上げる。二個でかなり満たされているはずだが、自然に手が出るのが又不思議だ。予想は果たして当たるか。二回目の噛み込みで歯にその感触が伝わった。やっぱり、手製の沢庵なのである。朝食でも散々食べてきたのだが、握り飯の中の沢庵は又別格の味がする。三つの握りを平らげて残り二つに好奇心がくすぐられるが、流石に胃の方が遠慮したいと言っている。未練気に水筒の蓋を取ってがぶ飲みする。包みをもとに戻しながら、何だかこの昼食が今日の目的のような妙な錯覚に囚われて苦笑した。

 その時、この小屋を男女二人の登山者が覗いた。二人は誰も入っていないと思ってきたらしい。尤も四、五人はゆうに入れそうな小屋だが、何を遠慮したのか躊躇している。私は立ち上がって顔を出した。

 「どうぞ、私だけですから、中は十分に広いですよ」

それでも二人はペコペコとお辞儀だけして、もういいんですというような仕草をする。何だか一人占領したような気分になって、何となく居たたまらなくなって出発の用意をした。これからが昼食時で次々とこの小屋を目当てにする登山客が来そうな気がした。ザックを背負って外へ出るとあのアベックが小屋の日陰で休んでいた。私は何も言わず小屋を離れた。

 山頂の広場から下山道を一歩下ると灌木の林の中を曲がりくねった道が麓に向かって続いている。急な下りには丸太を敷いた滑り止めはありがたい。下りは早い。上りは三十分はかかるが半分以下で下りられそうだ。半ばまで駆け足に近い足取りで下ってきたが、ふと、雷鳴のような響きを聞いた。まさか、こんな晴天に雷なんてと思ったが、あの稜線の西風が頭の上で南東に向けて雲を湧き上がらせているのが見えた。午後は天気が崩れるかも、と姉もあの若い登山者も言ったが、こんなに早く・・・・・・。

 雨はその時の予想より早くやってきた。ほぼ下山を終える鬼嶽稲荷神社の屋根が見える所まで来た時だった。雨粒が登山帽に当たったのを感じた。いつの間にか空は黒雲に覆われている。最後のジグザグの急な段坂を駆け足で下りた。雨に背中を押されるようにしてアスファルトにたどり着いた。それを待っていたかのように大粒の雨が落ちてきた。道の脇にある無料休憩所に飛び込む。誰もいなかった。

 ようやく車の来る道路までは下りて来れたが、ここからバス停まではまだ二十分ばかり歩かねばならない。雨具の用意はあるが土砂降りでは困る。暫く雨宿りすることにした。この休憩所は周囲に椅子が配置されて結構多くの人を収容できそうな建物だ。中に案内ポスターがあって鬼嶽稲荷神社の由緒が書かれている。それによると元は山頂に近くにあったものをここへ移したとある。京都の伏見稲荷神社から宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を勧奨した。ご利益は五穀豊穣、養蚕、稲作の神で信仰されてきたとある。その案内の横に周辺の絵図がある。駐車場や千丈ヶ嶽への登り口、その先の鳩ヶ峰、鍋塚への縦走路がかかれている。絵図の神社の左手に目を移すと鬼の洞窟というのがあってここから三百メートルほどの距離だ。へ~今までも何度か来ていたがそんなものがあるとは知らなかった。ちょっぴり興味を持った。

 窓から外を見る。雨は細かくなって止みそうな気配である。これ位ならと雨合羽を取り出した。このままピタリと止むとは思えないからだ。ザックの上から雨具を付け休憩所を出た。細い雨もやんでいた。

 「な~んだ、もう止んだぞ」

 独り言を言いながら駐車場の方へ歩き出した。そして、立ち止まる。時刻はまだ一時にもなっていない。早過ぎないか、このまま帰るのは。先ほどの鬼の洞窟でも見てこようか。三百メートルなら直ぐだ。そう思って踵を返した。神社の登り口を右手に先へ進むと、看板があった。同じように書いてある。その方向に進むといきなり左斜面に作った細い道が続いている。二百メートルほど辿ると大きく折れて次は右斜面の細い道になる。かなり下ってゆくが神社からはそんなに離れてはいない。道は斜面の中腹の行き止まりに出会う。あっれと思って見回していると太い綱が斜面から垂れ下がっていて上に岩場が見える。ああ、あれだなと思って綱を持って上りかけた。先ほどの雨で草が濡れており滑りやすい。気を付けて足元を固めながらよじ登る。ようやく目当ての鬼の洞窟というものの前にたどり着いた。

覗き込むと、入口はしゃがんで人がようやく入れる位の大きさだ。中は一坪ほどの空間があって広いとは言えない。こんな所に鬼が住んでいたとは、ちょっと考えにくいと思ってしまう。雨宿りには良いがゆっくり出来る空間ではない。もっと奥行きがあって神秘的な洞窟を想像していただけに少しがっかりして引き返すことにした。

 又、綱を辿って元の道へ下りる。あ~あ、と思って気を抜いた。それがいけなかった。狭い道の背後は雑木林の傾斜地だ。濡れた草に足を取られてズズズッと滑り落ちた。落ちたといっても傾斜を滑り下りるようなものだ。ニ、三メートルほどの所で木に捉まった。やれやれ、とんだ失敗だと思って登ろうとする。木から手を離したら又滑った。今度も又、二、三メートル。こりゃ駄目だ。いっそのこと横へトラバースして登りやすい所を探そうと今度は意識して滑り下りる。

 もう最初の道から十メートルほども下ったことになった。しかし、斜面は尚続く。十五メートルほども下った所でようやく平坦な場所に下りた。辺りは雑木林の中だが道はなく落ち葉が濡れて水を含んでいる。木立を縫いながら登り易さを求めて移動した。見上げると岩肌が所々露出して雨に光っている所がある。ここなら何とか登れそうだと木を掴んで上り始める。岩は意外に大きな突き出た壁になっている。上へ上へと探しながら向う側へ回り込んだ。そして、見上げた時、私はそれを見つけた。

 先ほどの洞窟とは比較にならない大きさの洞窟を。あっけにとられている顔に大きな雨粒が当たった。ぐずぐずしている間に又、次の雨がやってきたのだ。おまけに近くで稲光がした。こんな所でぐずぐずしてはおれない。私は慌てた。上りの道を確保しなくてはならない。しかし、空はみるみる内に黒雲に覆われて行く。これはまずい。私は洞窟の入り口まで登りつめた。高さは二メートル、幅は一・五メートルはある。中を覗くが奥は見えない。入口の地面も苔に覆われていて人の立ち入った気配はない。先ほどの鬼の洞窟より大きくて奥深だ。その時、木の葉を鳴らして本格的な雨がやって来た。私は背中を押されるように中へ入って行かざるを得なかった。

 洞窟は先ほどの鬼の洞窟より快適に思われた。ひょっとしてこちらが本物なのではないかと思った。なぜ、本物に近いこちらが無視されたのだろう。こんなに大きなのが近くにあって見つけられない筈はない。外の強い雨の飛沫が入って来る。少し奥へ移動する。奥行きは確認できないが相当奥くまで続いている。稲妻がして外の雨の激しさを写した。短時間で止みそうもない。時計は十三時少し前を指している。焦っても仕方ないと思い定めて腰を落ち着けることにした。見回すと腰を下ろすに格好の石がいくつか転がっている。雨具を外すと覚悟を決めて腰を下ろした。

 その時、洞窟が閃光に充たされ、同時に譬えようのない衝撃音が襲った。

 ”バリバリバリ“

 洞窟の前に雷が直撃したのだと直感した。私は反射的に両手で頭を覆い体を丸めて突っ伏していた。目の前の光は容易には消えなかった。そして、一陣の風が吹き抜けていくのを感じた。頭の中はいつまでもその衝撃音が木霊している。雷の強烈なエネルギィ―をその時ほど痛烈に感じたことはなかった。あれが直撃していたらとぞっとした。

 どの位の時間が経ったのだろうか、ふと頭を上げて入口を見た。軟らかな緑の葉影が揺れている。いつの間にか雷雨は止んで陽差しが優しい。何だ、あっけない雨だった。局部豪雨というやつか。最近の異常気象の象徴のようなものだったのかと思った。それにしても突然の雷雨に見舞われたがこの洞窟のお陰で救われた。もし、あのまま雑木林の中だったら雨具を付けていても隙間からの浸透でずぶ濡れに違いない。助かったと思って立ち上がった。

 私は妙な感覚に囚われた。先ほどとは違う何かが変わっていると感じたのだ。それが何か分からない。自分でも分からない動物としての感覚なのかもしれない。

 「フウ ア~ユ~」

 洞窟の奥から突然、低いが張りのある人の声を聴いた。私はビクッとして体を固くする。それは明らかに人の声に違いなかった。ゆっくりと頭を回して洞窟の奥へ目をやった。真っ暗に目が慣れるのに暫く時間がかかった。何で今まで気が付かなかったのだろう。五メートルほど奥の右壁に二人の人影が腰を下ろしているのを認めた。傍らに仄かな灯火も見える。一人は大きな上体を反らして堂々とした体躯の持ち主だと分かる。その傍らに小柄で背中を丸めた子供のような人影が控えている。

同じように突然の豪雨で先に入った先人なのだと思った。暗くて分からなかったが、声をかけてくれても良さそうなものをと思った。

 「すみません。雨宿りです。先におられたとは思ませんでした」

 私は二人にむかって声をかけた。聞き終えた小さい人影が大きな方の耳元で何事か囁いている。そして、今度は大きいのが小さい方を見下ろして言った。

 「デスイズマイプレイス、バット、ドントマインドステイングインザレイン」

 私にもはっきりと聞こえた。どうも英語の様だ。すると、大きい方は外人?。今度ははっきりと小さい方が声を発した。男の大人の声である。

 「ここはシュッタイン様の住まいである。雨宿りなら入って構わない。しかし、雨とは」

 小さい方は明快な日本語を喋ったから日本人だろう。だが、大きい方は英語だからアメリカか?しかし、ここが住まいとはどういうことだろう。

 「あなた方のお住まいですか。どうしてこのようなところに住んでいるのですか」

私の質問に再び小さい方が耳打ちする。そして、聞き終わった二人は顔を見合わせている。質問に対する明らかな戸惑いが感じられた。

 「カムヒヤ~」

 大きい方が手招きした。こっちへ来いということだと私にも分かった。先ほどから二人は座ったままで応対しており決して害意のないことは明らかだ。私の警戒心もなかった。意を決して歩み寄ってゆく。目が暗闇に慣れてくると、意外に灯火は明るい。中へ行くほど広い空間になっていて敷き藁が一面に敷かれ、中に炉が切ってある。火はなかったがここで煮炊きもしているようだ。周囲の壁には衣類や干し肉がぶら下がっている。洞窟の主人というシュッタインは金髪の髪を肩まで垂らし、顎髭は胸まで垂れて青い目でじっと私を見つめた。壁を背にして座っているのは木製の蔓で編んだ大きな自作椅子である。それに増して驚いたのは傍らに立てかけられた剣である。話には聞いていたが見るのは初めてのヨーロッパ騎士の持つ剣である。そして、灯火の影になって見えなかったがシュッタイさんの背後に銀白色の西洋鎧が立てられている。いったいこの人たちは何でこのようなところに居るのだろう。大きな疑問と共にこの状況に好奇心を掻き立てられた。

 一方の小さい男はシュッタイさんの傍らに従者のように控えている。薄汚れてはいるが歳はまだ若い。総髪を後ろで縛って古びた小袖を着、これも古びたたっつけ袴をはいている。赤茶けた肌はかつて漁師ではなかったかと思う。小さな目で瞬きも忘れたかのようにじっと私を見つめている。

 「シッツダウン」

 私はシュッタイに言われて腰を下ろした。背もたれのない木の低い椅子である。面と向かって対座すると、聞いてみたいことが山ほどあるのに頭の整理がつかないことに気が付いた。。

 「ファチュアネーム」

 今度も名前を聞かれているのだと分かる。即座に答えた。

 「マイネームイズ コウジ」

 シュッタイさんは驚いたように隣の小男を見た。小男もシュッタイさんを見上げて驚いている。

 「お前は英語を話すことが出来るのか」

 小男が聞いてきた。

 「少しなら分かる。難しい単語は苦手だがな」

 私は半分おどけて答えた。シュッタイさんが小男に向かって耳を出した。それに向かって囁きかけている。どうも、小男は通訳係の様だ。聞いたシュッタイさんが低く笑った。少し、気分が落ち着いてきたことを自覚する。思い切ってそれぞれ顔を見ながら聞いてみた。

 「ユアネームイズミスターシュッタイ、バット、ファチュアネーム」

 シュッタイさんが破顔した。話が通じ始めたことを喜んでいるのだ。小男が真剣な眼差しで私に向いた。

 「浩二さんと仰ったね、私は与助という宮津の漁師じゃ。実は事情があってシュッタイ・ドッジさんと一緒この洞窟を住処にしておりますがの、歴とした日本人じゃ。追々お話しますが、あんたはどこから来なさった。服装を見ておると日本のものではなくて、西洋のものの様じゃが・・・・・・それにその頭はお坊様か」

私は登山帽をスッポリと被っている。そう見えるのであろうか。それにしても、何かがちぐはぐで噛み合わない。

 「あなたたちこそ私から見れば現在には見られない変わったな風体です。一体どこから来られた方ですか。私はこの山の南東へ下った大江町から登ってきたんですよ」

 「ああ、大江村なら知った者もいる。よく宮津の浜へ魚を買いに来る志功というものを知っておるじゃろう。大江は二十戸ばかりじゃでな」

 「ち、ちょっとお待ちください。その志向って人は知りませんが、それより大江の戸数はそんなものじゃありません。千戸は超えている」

 「千戸・・・・・・そりゃとんでもない数字だ。宮津だってそんなにはない」

 話に夢中になっていると、時々シュッタイさんが何を話しているのか、通訳せよと身振りで与助さんに迫っている。だが、二人の話は噛み合っていないことに捉われて与助さんもどう話せばよいのか迷っているようだ。

 話はお互いに自分を主張しているだけに終始している。尤も現実に目の前にいる二人の話す内容も、風体すらも異次元の人のように見えるのはなぜだろう。この人たちはなぜ、こんな洞窟を住処にしているのか。

 話がかみ合わないことを通訳されたシュッタイさんは頻りに首を傾げている。

もう少し話を続けていれば何か分かるかも知れない。そう思って与助さんに向いた。与助さんの方も同じ思いらしく真剣な目を向けてくる。

 「あの~、与助さんもう少しお互いの事を話し合いませんか、噛み合わなくてもその内に何か分かるような気がするのですが」

 「ああ、そうじゃね、よし、そんならわしが身の上話でも始めるか」

 「お願いします」

 「わしは宮津の浜の漁師の子じゃ、歳は三十二、天徳四年の生まれじゃ。物心ついてからはずっと船に乗って一本釣りで魚を取ってきた。それしか知らぬ浜の男じゃ。二十二の歳に思いもかけぬ出来事に会うた。朝から雲行きの悪い夏の日じゃった。いつもは昼前には浜へ帰るのじゃが、今日に限って鯛がよう釣れた。つい、時間を過ごしてしまい、気が付いた時には海は大荒れじゃった。瞬く間に雨風が強うなって小さな船は木の葉のように波間にに翻弄された。どこをどのように流されたか、わしは船底にしがみ付いて生きた心地もなかった。朝から雲行の怪しい日じゃったから、このような日は海へは出ぬものなのじゃが、それがわしの運命というものじゃな。気が付いた時はどこの島か分からんが砂浜に乗り上げておった。暑い夏の太陽が真上から照り付けて喉がカラカラじゃったが水を求めて島の中へ入ると幸いにも小さな流れがあってな命拾いした。結局この島で三日を過ごすことになった。食い物は水と海辺さえあれば我ら漁師は何とかなる。その三日目に船が沖合に停泊したんじゃ。助かったと思うた。小舟が漕ぎ寄せてくる。きっと水を補給するのが目的じゃろう。処が乗っていたんは毛むじゃらの巨漢揃いの海賊じゃったな。しかも見た事もない髪の色と目の色でどこの国の人間か分からんかった。それで彼らに捉まって奴隷にされてしまったんじゃ。船底に押し込められて何日も何日もどこへ行く先も知らず日にちだけを数えていた。そして、漸く船底から出された港は大きな船が幾艘も止まっておったな。そこで、わしら奴隷は売られたのよ。港はゴアという町だった。其処の貿易商のお屋敷でな大きく立派な白い建物じゃった。そこのご主人夫婦が良い人たちでわしは助かったと思うた。奴隷じゃというても一日三度も食事を与えられ、言いつけられた仕事をやりさえすればちゃんとした寝床を与えられる。これは宮津で漁師やっているより余程、楽じゃなと思った。ただ、困ったのは言葉が通じなかった事じゃ。それでも、若いご主人夫婦はその都度丁寧に教えてくれた。お陰で三年目には不自由なく話せるようになった。自分の身の回りが安全で安心になるとやはり気になるのは日本の事じゃった。まだ、嫁や子供はいなかったが、両親は健在だし、兄や姉もいてよく夢に見た。そんな朝は大概目を腫らしてご主人様に挨拶していたので、初めは不審に思われたが、その内、事情を知って慰められたこともあった。奴隷の中で遠い日本人はわしだけで、後のものは大概近在のものばかりだったから、余計に哀れに思われたのじゃろう。五年経った。ある時、ご主人様が珍しく自分たちの居間にわしをお呼びになった。何事だろうと恐るおそるドアを開けると、こう仰った。与助、お前は五年の長い間この家のためによく働いてくれた。褒美にお前を自由の身にすることにした。ついては旅費を与えるから日本へ帰りなさい。わしは一生奴隷の身でこのお屋敷に世話になるとばっかり思っていたのに、何という幸せが舞い込んできたのかと思うた。又、両親や兄弟にも会えるし、まるで夢の様だと、これはご主人様ご夫婦には感謝しかないとな。新しい洋服一式も揃えていただき見知らぬ港を転々と一年もかけてようよう九州の室津の港に帰り着いたというわけじゃ。九州から宮津まで十日がかりでようやく故郷に帰り着いた。しかしな、故郷はたったの五年で変わり果てておった。人の心がじゃ。わしはもう死んだと思われて墓まであった。初めのうちは親兄弟も大層喜んで呉れたが、一度死んで戻ってきてもいつまでも喜んでくれるとは限らんことを知った。わしはもう船に乗って漁師をやる気が亡くなっておったからじゃがな、五年の年月はすっかりわし自身の生き方まで変えてしまったのよ。毎日ぶらぶらと厄介者になって過ごすうちに、山へ追われた鬼の話を聞いた。わしは直ぐに分かった。この人たちは西洋の人たちだと。そこで意を決して一人山に分け入った。二日目にようよう、それらしい洞窟を見つけた。洞窟の入り口で呼ばわったんじゃ。わしが習った言葉が通じたのでな。そして、この人たちを助けることがあのご主人様への恩返しじゃとも思ったな。そう言う分けでこうして共に暮らしているという事なのじゃ」

 与助さんは一気に喋ると大きく息を吸い込んだ。私は一々相槌を交えて話に聞き入ったが、終わっても、今の状況の答えを見出すことが出来なかった。ただ、今の世の中に奴隷買いが横行しているはずもなく、いくら遠くても一年もかけて帰らねばならない地球上の国はない。それに国内だって、十日もかけて九州から宮津までかかるはずもない。この点が矛盾点だった。

 「与助さんは苦労なさったのですね。ただ、たったの五年でご両親や御兄弟の縁が薄くなるとは考えられないですね。それに恐らくは英語でしょうが、そんな能力を身に着けたからには色々と仕事が見つかるでしょうに」

 先の矛盾は抑えてまずこの点を聞いてみた。すると、意外な答えが返って来た。

 「はははははっ、異国の言葉が何で役になんぞたちましょうか、皆、気持ち悪がって嫌われるのが落ちでしたよ。あなたも少しはお出来になるらしいが誰も分かっては呉れないででしょうに」

 答えを聞いて私は矛盾点の一角を見通せたと思った。ここは未開の地だという事だ。しかし、日本から離れたわけではない。とすれば、時代が違う・・・・・・。

 「浩二さん、次はあなたの番だ。あなたの事を話してもらいましょうか」

 与助が次に私の話を聞きたがった。私の質問から与助さん自身も矛盾点を感じているらしい。

 「分かりました。じゃ、私も自分の事を話します。その前に、シュッタイさんに今までの話の進展を話しておいてあげてください。さっきから落ち込んでおられる」

 「ああ、そうだね、そうしよう」

 与助さんはシュッタイさんの耳元に口を寄せて流ちょうな英語で話し始めた。五年でここまで話せるようになるのか、羨ましいなあ、私はあこがれの眼差しで見つめていた。シュッタイさんは時々深く頷き、私の顔をチラチラ見ながら聞いている。

 「浩二さん、ではお願いします。今度は区切りながら話してください。シュッタイにも話しますので」

 「分かりました。分からないところは後で聞いてください。話が繋がらないと困りますので、私は苗字を塩見といいます。その昔は浜に住んでいたのでしょうね。実家は大江町北原です。生まれは平成十年、西暦千九百九十三年生まれの二十三歳です。地元の大江高校から京都の府立大学を出て今は東京の商社に勤務しています。ここらで区切りましょう」

 「ちょっと待ってください。話がさっぱり分からない。どのように通訳してよいのかも、まず、ここのところまでを詳しく説明いただきたいが・・・・・・」

 「いいですよ。じゃどうぞ」

 「まず、大江町に住んでいる塩見さんまでは分かりました。お生まれは平成とか西暦とかは何ですか」

 「平成は年号です。今は令和ですが平成の前は昭和でした。西暦は西洋の暦です」

 「そういう年号は聞いたことがありません。それに西洋の暦は私もシュッタイさんもよく知っています。今もそれで年を数えていますから。しかし、千九百何十年なんてのは想像すらできない将来ですがね」

 「じゃ、今は西暦で何年なのです」

 「九百九十六年です。今年は改元されて永祚元年だと聞いています」

 「えっ~、それじゃ千年以上も開きがある。そんなことはあり得ない。あなた方、どうかしている・・・・・・」

 「どうかしているのは浩二、貴方じゃないのか。貴方が千九百何年に生まれたのなら、何か証拠をお持ちでしょう。その入れ物の中に何か入っていませんか」

私は完全に頭を混乱させている。千年の開きのある人達と今こうして会話しているなんて、そんなことが信じられようか。しかし、与助さんやシュッタイさんも同じことを考えている。この開きをまず解決しなければお互いの溝は埋まらない。私はザックを引き寄せると中身を掴みだした。何がその証拠になるだろうかと考えた。二人は向こう側から目を皿のようにしてそれらを見詰めている。

 「これなんかは証拠になりませんか」

 私はスマホを取り出して差し出した。

 「何ですかそれは・・・・・・」

 与助さんは手を出そうとはせず、見つめるだけで聞いた。

 「これはコンピューター端末です遠隔地の人と話すことも出来るし、写真だって取ることが出来る。計算をしたり世界の地図だって見れる。現代人はほとんどの人がこれを一台づつ持っています。今はもう二千二十年なのですが、証拠になりませんか」

 恐るおそる受け取った与助さんは裏や表を眺めまわして、首を傾げながらシュッタイさんに渡した。

 「訳の分からない器械だね・・・・・・」

 現代人でスマホを知らない人は居ない。少し前なら携帯電話と言われた折り畳み式のもの、恐らくそれも全く分からないに違いない。千年近く前なら電気もなければ電灯もない。ほとんどの文明はまだ作られてはいない。本当にこの人達は現代の人たちではないのかも知れない。私は徐々にそう思うようになっていた。そうだ、これなら比較的早くに作られたはずだ。私は腕時計を外すと与助さんに手渡した。

 「これはお分かりになりましょう。時を計る。時計です」

 しかし、この期待も裏切られた。秒針が刻む動きをじっと見つめていた与助さんは私に目を移すと覗き込むように言った。

 「これは奇妙な物じゃ。なぜ動いておるのじゃな。時計じゃというたが時を計るといえば水を垂らして図るというのを聞いたことがある。わしらはもっぱらお天道様の居場所で凡その事が分かるだけじゃが・・・・・・」

 「この時計は太陽の光を溜めてその力で動いている」

 「へ~、光を溜めるってか」

 与助さんが左手で掲げた時計をシュッタイさんが素早く奪い取った。両手で翳して目を細めて見入っている。

 「ビューティフル、イッツライクアジュウェリー」

 シュッタイさんは単純に美しい、まるで宝石のようだと言ったことが分かった。これでシュッタイさんですら、時計を知らないことが分かった。確か時計がイタリアで考案されたのは千四百年代だったから、この人たちはそれ以前の人だと分かる。水時計の歴史は紀元前に遡るからそんなに古い話ではない。

 大江山へ登るのにまさかこれはいらないが、いつもザックに入っていてそのまま持ち運んでいるものがあった。磁石である。これは結構古い発明だと聞いたことがある。ザックのポケットを探ると磁石を取り出す。

 「それならこれは見た事がおありでしょう」

 「うむ・・・・・・」

 与助さんはそれを掌に受け取る。しげしげと見つめていたが何のことだか分からない様子だ。

 「これは、こうして水平に置かなければ分からない」

 私は与助さんの掌から取ると地面に置いて水平の場所を探った。中に針がくるくると回ってやがて落ち着いてくる。

 「与助さんも一年もかけて遠い国から日本に帰ってこられたわけだから、その間に船でこれに似たものを見た事はありませんか。これは方位磁石といって北の方角を知る道具です」

 「いや~、知らない。先ほどの時を刻む道具もそうだが奇妙なものだ。この針が差す方向が北だというのかね」

 「そうです。地球の磁場に沿ってこの針が動いているのです」

与助さんは首を傾げるばかりだ。横から見入っていたシュッタイさんがいきなり手を伸ばして磁石をつかみ取った。そして、叫んだ。

 「ディスイズマグネット」

 私は驚いてシュッタイさんの顔を見た。

 「アイハブシーン デスサムノース ポインテイングマグネット」

 真剣な訴えかけるような目で私に言った。私は与助さんを見て何を言ったのかという顔をした。早口で分からなかったからだ。

 「シュッタイさんはこれと同じ働きをする磁石を見たことがあるって言ってます」

 「やっぱり・・・・・・」

 私は磁石の発見は磁鉄鉱が天然に存在することで早く、紀元前だったという事を歴史で習った記憶があった。シュッタイさんがどこか遠くの外国からやってきた人ならきっと船旅であろう。船旅なら磁石を見る機会はどこかであったはずだと思ったからだ。しかし、今は方位磁石の一個やニ個誰でもは持っているという事を知らせたかった。私はシュッタイに向かって言った。

 「エニィワンナウ ハズサムシングライクディス」

 「オウ~インクレージブル」

 信じられないと応じた彼の言葉で初めて話の通じた瞬間だった。しかし、お互いの時間のずれを確実なものとして受け止めざるを得ない瞬間でもあった。私は拙い英語が通じる快感もあって質問した。

 「ホエアーアーユーフロム」

 答えはシュッタイさんではなく与助さんから帰って来た。

 「じゃ、次はシュッタイさんに話してもらいましょうか、きっと長くなりますから知っているところは私が話しましょう」

 「イッツユーターン レッツミスピークフォユー」

 「オケー」

 変わって話すことの了解を取ったようだ。

 「シュッタイさんは遥か海のかなたノルウエーという国のベルゲンという港町で生まれたそうです」

 「ノルウエ―・・・・・・、それは北欧のスカンジナビア半島じゃないか」

 私は話の初めから反応して叫んだ。それにシュッタイさんが両手を広げて喜びの態度を示した。

 「オウ~、デュユーナウ スカンジナビア」

 「イエス アイブネブアービーンデア バット アイノァウデアイッツイズ」

 私は行ったことはないが世界地図の中の位置は分かっている。シュッタイさんは自分の故郷を知っている者がいた事に興奮している。

 「浩二さん先が進まないから話を聞いてください」

 与助さんが先を急かせた。

 「ああ、先を聞こう」

 「シュッタイさんの家は代々の漁師で持ち舟をやっと持てる程度の豊かでない家だったそうです。そこの三男で将来独立できるかどうかは運のようなものだったそうで、私とどこか似たような境遇ですね。そこで選んだのは交易の仕事でした。それも同じような立場の者同士が数十人集まって一つの組合を作ったんですって、そして、船を持てるようになって初めは近くのイギリス相手だった。英語はその時に学んだ。それから遠くはスペインやローマまでも旅をしたそうです。処が船旅には付き物の海賊に悩まされついには船は武装が必要だった。初めは交易のための武装だったが他の交易船を外敵から守るとか、どこかで戦いがあれば雇われ兵士となってゆくなどその内に戦うことが仕事になった。当然、武器を使う技量も上がって来る。陸上の兵士は騎士と呼ばれるが船の兵士はブァイキングと呼ばれた」

 「ブァイキングなら知っている」

 私は思わず声に出した。与助さんがびっくりして私を見つめた。シュッタイさんは何が起こったのかは分かってはない。

 「ブァイキングはローマ帝国のカール大帝が異教徒との戦い、即ちザクセン戦争の時、散々ローマ軍を手こずらせた海の勇者だ」

 与助さんはあっけにとられて私を見つめている。そして、シュッタイさんに向き直ると耳元に口を寄せた。私には何を言ったのか分からなかったが、恐らく浩二はブァイキングを知っているとでも言ったのであろう。シュッタイさんの目がそれを物語っている。それからは明らかに二人の私を見る目が変わったと思った。私の事を何者なのだろと今まで以上の疑惑の目で見るようになったと思われる。与助さんの言葉も丁寧な慎重な言い方に変わってきた。

 「取りあえず最後まで話します。そのブァイキングだったシュッタイさん等はその頃大勢力になりつつあったローマ帝国のカール大帝と宗教上の対立から戦争を始めます。浩二の言ったザクセン戦争です。この戦争は十二年も続くのですが八年目のある戦いでシュッタイさんは仲間十数人と共に捕虜になってしまうのです。そして、ローマに送られます。ローマでの捕虜生活は悲惨なものでした。ローマ人は人間の顔をした悪魔です。異教徒の国の戦士同士を戦わせてどちらかが殺されるのを楽しむのです。捕虜になって何ヶ月目かにシュッタイさんもその場に引きずりだされました。相手は東国の名も知らぬ兵士でした。お互い相手を知らないのが幸いです。何せ相手が死ぬまで戦いを止めさせないのですから。双方に獲物を選ぶことが出来ました。シュッタイさんの得手は剣でしたから迷わずそれを取りました。相手は遣りを取りました。勝負はあっけなく片がつきました。シュッタイさんの剣が槍を跳ね上げ相手の腕に傷をつけたのです。相手は遣りを持てなくなり勝負がつきました。それでも観客は承知しません。一方が殺されなければならないルールです。しかし、シュッタイさんはそれ以上相手を攻撃しませんでした。こういう時はローマの兵士が入ってきて二人共に殺してしまうのが常だったのです。ローマの兵士が三人入ってきました。三人は二人を囲みました。それでもシュッタイさんは傷ついた相手を後ろに庇って三人に対峙したのです。三人の兵士は猛然と襲い掛かりました。しかし、落ち着いていたシュッタイさんはあっという間に三人の兵士の剣を地面にたたきつけてしまったのです。会場は騒然としました。次にローマの兵士の集団がなだれ込んできたのです。そして、二人を囲みました。一対何十人の対決です。シュッタイさんに勝てる見込みはありません。その時、見物席の上段の貴賓席から声がかかったのです。女性の声でした。今日の賓客は大帝の娘のアッパイダだったのです。アッパイダはこう言ったのです。お止めなさい。今日のショーは終わりですと。シュッタイさんは武器を取られ両脇を抱えられて宮殿の奥深く連れて行かれました。そこはアッパイダの部屋だったのです。常に兵士の監視はあったのですがアッパイダから様々な問いかけがあり、それに答えさせられました。そして、酒や食事の相手をさせられ、今までの武勇伝の話をさせられました。それは何日も続きました。明らかにアッパイダはシュッタイさんに好意を寄せていたのです。そんな我がまま娘がついに大帝にシュッタイさんと結婚させてくれと言い出したのです。奴隷の身のシュッタイさんとの婚儀を許すはずはありません。大帝の命令でシュッタイさんがアッパイダの部屋へ行くことを禁じたのです。それでもアッパイダは諦めませんでした。ついに大帝はシュッタイさんを追放すると宣言したのです。追放は場合によれば殺してしまう意味でもあります。それを知ったアッパイダは大帝に懇願したのです。追放は止むを得ないが命を助け仲間と船と食料を与えて東洋の国に流して欲しいと言ったのです。それでアッパイダが諦めるならと大帝は約束し、同時に奴隷にされていた仲間五人とブァイキングの船、武具や食料を与えてスエズから紅海へ向かわせ、アデン海からアラビア海へ出、更に東へ行くように命じられました。もし帰って来たら命はないと宣言された追放でした。何日も何日も只管、岸沿いを東にある時は北へ向かいました。立ち寄った港で食料や水の補給を行うのですが、ほとんどがイスラムの国だと分かりました。彼らの礼拝は今まで見た事のないものだったからです。それから南へ南へと暑い熱帯の海を辿り大きな島、スリランカ島のコロンボという港町に落ち着いたのです。島はインド南部を支配するチョーラ国に併合され、更に東に向けて版図を拡大していました。この国はヒンデォー教を国教する国でした。今や遠くスマトラから中国南部へ侵攻を進めている最中でした。そんな国情からシュッタイさんたちの武力が欲しかったのでしょう。大いに歓待されたのでした。食料や酒はもとより家やメイドまで宛がわれたのです。元々が武勇の士の五人ですから、戦場に駆り出されることに不安はありませんでした。しかし、五人の中には現地妻を持って安定した生活をし始めた者までいました。シュッタイさんは何時戦いに駆り出されるかは時間の問題だと思っていましたからそんな気にはなれませんでした。半年の安らかな生活に終止符が打たれる日が来ました。やはり南アジアへの遠征軍に加わることになったのです。部隊は大掛かりで戦士が乗る船は二百艘にもなり、一艘に二十人の戦士、漕ぎ手は五十人もいてこれが交代で昼夜なく進む大編隊でした。既に支配下にあったマラッカ海峡を南下し再び北上してベトナムのブンタムという港町を攻撃しました。そこでのシュッタイさんらの活躍は言うまでもありませんでした。この地のリー国は中国への帰属意識の強い国でしたが、既に独立して久しく援軍を得ることなくブンタムは遠征軍によって強奪されたのでした。このブンタムは温暖な気候の良い所で占領軍は一年もの間駐留し現地に統治官を置きました。そして占領軍は守備兵を置いて帰国することになったのです。我々五人も毎日が酒浸りの日々に少々飽きていた処でした。しかし、コロンボの生活とこのブンタムの生活に差はありません。結局家庭を持った一人は我々と別れてコロンボへ、我々はここへ残ることになったのでした。それから半年、何事もなかったコロンボは八月の終わり頃でした。突如中国の大軍に囲まれたのです。逃れる所は海しかありません。その海にも敵の軍船が溢れていたのです。残された守備部隊は逃げ惑いながら壊滅したのです。シュッタイさんら四人は元々海の戦いは得意でしたから、他の守備兵たちがあっけなく海に沈められる中、勝ち残っていたのですが敵の数に頼る戦法に押されて沖へ沖へ遁れざるを得ませんでした。気が付いた時には敵の船も陸地からも離れて大洋の真ん中を漂っていたのです。食料も水もない。そして、船には欠かせない帆や櫂さえもない全くの漂流状態だったのです。二日目に最悪の天候が我々の船を襲いました。この季節には必ず出会う大嵐です。小さな小舟の我々は出会ったこともない大波によって天地が逆になるほでどの激しい翻弄に遭ったのです。それでも幸いなことに雨水で久しぶりに喉を潤したのが不幸中の幸いです。必死に船の底にへばり付いて嵐の過ぎるのを待ちました。辺りが明るくなるか暗くなるかで岸を離れて四日目だということは分かりました。三度島を見ましたが近寄る術がありません。そして、もう体は限界に達していました四人は船底に寝て起き上がれませんでした。波は静かで星が迫るように輝いていました。もうこのまま餓死するのだと観念していました。すると、突然船底が何かと擦れる音がしました。全員が同時に首を上げたのです。船は海岸の砂に乗り上げていました。暗くて分かりませんが山が近くその間に美しい松林が広がっているようです。人の姿は見当たりません。ここは一体どこだろう食料はあるのか?全員の思ったことでした。ふら付きながら松林を抜け食料を求めて林に分け入りました。暗くて何も分かりません。林を抜けると水田が広がっていました。その向こうに藁で葺いた家が数軒見えました。自然にその家に向かって歩いて行きました。時刻は分かりません。家の住民は寝静まっていました。家の軒下に毛をむしった鳥が二つぶら下げられていました。恐らくは明日の食糧だと分かりましたが四人にはもうそんなことは構っていられませんでした。それを音を立てないように外すと一目散に元の海岸に戻ったのです。それからの四人は無我夢中で火を熾しました。林の木は乾燥していてそれほど苦労はしませんでした。二羽の鳥をたらふく腹に収めた四人は漸く一息つくことが出来たのです。腹が満たされれば急激な睡魔が襲ってきて朝まで四人はぐっすりと眠ることが出来たのです。処が朝には大変なことが待っていました。松林の四人を鋤や鍬を持った男たちが取り囲んでいたのです。彼らは口々に何事かを叫んでいました。四人は決して争うつもりはなかったのですが、彼らの大切な食糧を盗んだのだから当然といえば当然だったのかもしれません。ここは取りあえず船に戻ることにして松林から海岸へ向かいました。その間、彼らは鍬や鎌を振り上げることはあっても決して襲い掛かって来ることはありませんでした。極度に四人を恐れているように見受けられました。手ごろな櫂の代用を持って船に乗り込み一旦岸を離れました。男たちは何時までも四人を見張っていました。場所を変え深夜なって浜に上陸する日が何日も続きました。そして、食料を確保するのは大変だったのです。岩場で貝やエビ、カニなどおよそ食べられるものは何でも口にしました。元々海の男たちですから海の生活は問題なかったのですが、雨の日や日中に夏の太陽に照らされる苦痛は並大抵ではありません。ある時、船底が岩に削られて海水が入ってくるようになったのです。修理は得意な彼らも何もない異国ではなす術がありません。四人は話し合って昼間よく見上げていた山へ分け入ることにしたのです。その日の深夜になって四人は船を乗り捨てました。持てる物は武具だけでした。まだ海岸の見える山中に上りつめました。幸い好天が続いて野宿も苦になりません。ウサギや山鳥が面白いほど取れ食物に苦労することがありませんでした。人家からは離れていたと思っていましたが彼らは我々の船を見つけ上陸したことを知ったのでしょう、我々を山から追い立てようと山狩りを始めたのです。我々は仕方なくどんどんと奥山へ追われて行ったのです。余りのしつこさにある時は我々も大いに威嚇しました。彼らはその時だけは逃げ散るのですが又、大挙してやってきます。ついに不幸がやってきたのです。それは山狩りに武人が加わったことから始まりました。二人の将に率いられた十数人の兵たちでした。我々も挑まれた戦いは相手せずにはおれませんでした。何度かの攻撃を撃退した後、彼らは弓隊を率いてきました。我らも盾で防備しながら敵を数十人倒したのですが我々も矢の攻撃で三人が傷つきました。二人はかなりの重傷でした。次の攻撃には到底反撃できる力はありません。やむなく我々は更に奥山へ遁れました。そしてこの洞窟を見つけたのです。二人は矢傷が元で二日後に亡くなりました。このような東の果て故郷を遠く離れての最後はどれだけ残念だったか図り知れません。残されたシュッタイさんは二人を洞窟の近くへ埋葬し、傷ついたもう一人も面倒を見たのです。そんな時でした私が洞窟を訪ねたのは・・・・・・。洞窟の入り口で中に向かって叫んだのです。アイドンッドウユウアニィハーム。私は敵ではないと知らせたかったのです。シュッタイさんは中々出ては来ませんでした。何度目だったか白い甲冑に盾を翳したシュッタイさんが恐るおそる姿を現しました。そこで私は精一杯を込めて話しかけました。あなたたち西洋の人たちと共に暮らしたことがあり、言葉も分かる。あなたたちが困っていることが理解できる。役に立ちたいと。それでようやくシュッタイさんは私を信じてくれたのです。そして、この洞窟での三人の生活が始まったのです。私が来てから三年になりました。

 これがシュッタイから何度も聞いた彼の経歴とどうしてこの国にやってきたのかの話です」

 長い与助さんの話が終わった。彼は大きく溜息を吐きながら傍の木椀の水を一気に飲んだ。私も暫く返事も忘れて放心していた。余りもの突拍子もない話に茫然として心の整理がつかなかったからだ。

 「信じられない」

 そんな月並みな言葉しか出てこない。ここから近い浜といえば宮津しかない。今の宮津は一万五千人以上の住人が暮らす都市である。話に出てきた宮津は鄙びた漁村に過ぎない。それに今時ヨーロッパからやってきた人は珍しくもない。ローマ帝国やカール大帝の時代の人が今、目の前にいる。これは一体どうなっているのだろう。これはどう考えてもこの人たちが千年の時空を超えてやって来たか、私がその時代に紛れ込んだかのどちらかでないと説明がつかない。

 「浩二さん、貴方、本当にどこから来たのですか」

 与助さんが真剣な眼差しで聞いた。

 「私には少し分かってきたことがあります。それは私には貴方方の時代が過去として少しは知識がありますが、貴方方からは私の時代は未来であって知る術がないという事です」

 「どういうことか私のは分かりません」

 与助さんは首を傾げるばかりだ。長い話の間、居眠っていたシュッタイさんが目を見開いて私の話の通訳をせがんだ。与助さんが長い話の後のやり取りを耳元で話している。シュッタイさんは目を輝かせてその話に聞き入っている。そして突然、私に向かって叫んだ。

 「ファトカインドオブカントリー イズノルウエーインコウジズタイム」

 私は即座に彼が私の時代が未来であることを悟ったし、その時代には自分たちの故国がどうなっているのかを知りたがっているのだと思った。与助さんは一人取り残されているような顔をしている。私はノルウエーについては詳しくない。北欧の福祉の充実した国で立憲君主性国家だという事位だ。それでもシュッタイさんには何某かの心の平安につながるかも知れない。

 「アイキャンスピークアリトル」

 少しなら話せると言って見た。

 「アイウオントヒアイツ」

 聞きたいと答える。

 「ノルウエーイズビウテフルカウンツリー フルオブネチュァー」

 ノルウエーは自然が美しい国だと小学校の教科書のような説明をする。

 「オオ イエス」

 大きく頷いて思い出すように目を細めた。

 「キングスカウントリー バットダ ピープルハブアパーリアメント」

 王国だと聞いて大きく頷く、そして、人々は議会を持っていると聞いて目を輝かせた。

 「オオ パーリアメント」

 シュッタイさんの時代は恐らく絶対君主の国だったんだろう。恐らく議会の役割までは理解できないに違いない。

 「イッイズアワールドクラス ウエルフェァステイト ナウ」

 世界有数の福祉国家であることも有名だが、果たして分かるか・・・・・・。

 「ウエルフェァステイト・・・・・・」

 やはり福祉が理解できないらしい。弱者を国が守るということが具体的に想定できないのだ。

 「ビコーズザカウンツリーイズリッチ」

 経済的に豊かな国だといえば分かるかもと思って言った。

 「ソウアーピープル ハッピーナウ」

 シュッタイさんが知りたがっていたことはこのことだったのだと思った。故国の人たちが幸せに暮らしているかどうかと言う事。

 「イエス エヴリワンライブスハピィ」

 「オウ ワズベリーグッド」

 シュッタイさんはとても嬉しそうに笑った。初めて見せる笑顔だった。シュッタイさんにとっては何年先の未来であっても故国の事は忘れ得ないことなのだ。

 「ジャストモーメント」

 シュッタイさんはそういって立ちあがった。そして、背中を向けようとして振り返った。振り返ると同時にズボンのポケットに入れていた右手を出すと、何かをポ~ンと私に投げてよこした。見ると銀貨だった。見覚えはないがノルウエーならノルウエークローネなのだろう。

 そして与助さんに手で合図した。説明してやってくれという事の様だ。私は与助さんを見た。

 「浩二さん、この奥に足に矢傷を負って寝ている人がもう一人いるのですよイッバリ・デイルといいます。その人にも聞かせたいと思ったのでしょう。戻ってくるまでに私にも聞かせてください。この国の未来はどうなるのですか」

 与助さんにも目の前の私がどういう人間なのかが少し分かり始めてきたようだ。

 「与助さん、今、この国は何と呼ばれていますか?」

 「えっ・・・・・・和の国ですが・・・・・・」

 「わたしの時代は日本という国になっています。都は平安京したね。それも今は京都といいますが私の時代の都は東国に移っています。長い長い武士の支配する時代を経て人民の代表が集まり国を動かす議会制民主主義になっています。様々な災害や国内の戦争、外国との戦争を経て今はとても平和な時代になりました。世界の国々と比べても豊かで生活も安定し、誰でも外国へ行けるようにもなりました」

 「何だかよく分かりませんが、道理で浩二さんも少し外国語が話せるわけだ」

 「ええ、七歳で人民はすべて学校へ入り教育をうけます。それから九年間は誰もが学ばねばなりません。その後、人によって三年、七年の高等教育を受けるのです。私も全部で十六年の教育を受けました。だからすこし分かるのです」

 「へ~、そんな素晴らしい世の中になるのですか」

 「でも、与助さん、良いことばかりでもありません。私たちの時代は生きずらい事も沢山起きています。自然を壊し、過剰な競争に明け暮れる人たちに溢れています」

 「それは今の世だって同じですよ。追剥や人殺し、盗みや暴力は日常のことです。現にこうして難破して困っている人たちを助けもせずに皆で追い回しているのですよ」

 「そりゃ、そうだ。時代が変わっても人の本性は変わらない。どの時代にも同じような人間が違う顔をして生きているってことなのでしょうね」

その時、薄暗い洞窟の奥から人が出てくる気配がした。もう一人を連れたシュッタイさんだ。シュッタイさんは金髪だが肩車をされて足を引きずって来たイッバリさんは赤茶色の髪をしている。背丈はやや低めで目は同じく青く輝いている。イッバリさんは聞いてきたのかあまり極端な驚きはないようだ。しかし、まじまじと私をなめるように見る。

 沈黙が来た。四人は輪になって座っているが、誰からも話を始めようとはしない。ただ、誰もが今置かれている状況をそのまま受け入れることが出来ないでいる。私は投げられたコインを右手に弄びながら時間と共に自分の置かれた状況を冷静な目で見るようになっている。それは自分がいる世界はどちらの世界なのかという疑問だった。彼らがやってきたのか、自分が迷い込んだのかどちらなのかは重大だった。私はザックの中から昼に食べ残したお握りの包みをそっと傍らに置いた。誰も気付かない。

 イッパリさんがシュッタイの顔を見ながら時々私を見て言った。

 「デウユナウ ザタウンオブ ラクセヴォグ?」

 私は一応ラクセヴォグという町を知っているかと問われた事は分かった。だが恐らくノルウエーのどこかの町の名前であろうが、行ったことのない北欧の国、知っているはずもない。すると目の色を変えて更に言った。

 「イッツザタウン ネックストツベルゲン ゼアアイワズボーン」

イッパリさんの生まれた町らしくベルゲンの隣町らしいが、私は止む無く知らないと答えるしかなかった。与助さんに向かって言った。

 「与助さんから説明してあげてください。私はノルウエーに行ったことがなく、ベルゲンという町もラクセヴォグという町も知りません。ヨーロッパの北のスカンジナビア半島に美しいノルウエーという国があるという程度の知識だけなのです」

 「分かりました」

 与助さんは答えるとイッパリさんに向かってゆっくりと話した。一々頷いて聞いてるイッパリさんは徐々に落胆の表情を隠さなかった。きっと、生まれ故郷の事が聞きたかったのだろう。話が終わると再び沈黙が訪れた。その頃から私の頭の中には何かしら普通とは違う違和感を感じ始めていた。時々フラッシュのような閃光が目の神経を刺激してくる。何だろう。そんな不自然な感覚の中で又英語で話す声が聞こえた。

 「ウオントツーゴーバックツザカントリー」

 誰が言ったのか分からないが悲哀に満ちた声だった。その直後だった。突然私は激しい力で両肩を揺すぶられた。

 「コウジ ウオントアシップ・・・・・・・」

 耳元で大きな声が響いたが私の耳はその時既に雷鳴のような大きな騒音に支配されていた。そして体が後ろへのけぞるように倒されるとそのまま横向きに突っ伏した。目の前は真っ暗になった。時々閃光が走り雷鳴が轟く中で叫ぶように私の名前を呼ぶ声がした。

 「コウジ、コウジ・・・・・・」

 「浩二さんどうしたのだ」

 呼びかけられる声が遠のいて行く。私は突っ伏したままガタガタ震えている。寒さではない。自分の体を襲った経験のない電撃のようなものがまだ五体を麻痺させているからだ。何が起こったのか分からない。子供の頃、興味本位で百ボルトを触ってみて電気を体験したことがあったが、あれを全身で味わったような不快な感覚が続いている。何分位じっと体を伏せていただろうか。雷鳴は遠くで聞こえる。電気ショックがやや薄らいでそっと頭を上げると目を開けた。入口からの仄かな明かりで洞窟であることがかろうじて分かる。しかし、目の前にあった灯火はない。

 「ミスターシュッタイ・・・・・・ 与助さん」

 小声で呼んでみた。あんなに話した時には気付かなかったが洞窟の奥に反響して自分の声が返って来る。目の前にあった焚火の炉や三人の男たちの姿はない。勿論、背後にあった鎧や剣も。

私は小さくつぶやいた。

 「戻ってきたんだ」

 途轍もなく長い年月を隔てた時空を一瞬に、またぐように行き来したなんて、一体どう説明すればいいのか。行ってきたとか戻ってきたとか、そう言う言い方の出来る事ではないんだ。たった今までそこでお互いの履歴を交換したではないか。最後に船が欲しいって叫んだのは誰だったのか。郷愁に苛まれながら切実に訴える声、あれは私に助けを求める最後の叫びではなかったか。私はまだ彼らと対面して話していたそのままの感覚の中にいる。

 やや明るさを取り戻してきた外光を背に胡坐をかいて端座している。突然の雷雨に遭い、この洞窟に飛び込んでからどのくらいの時間が経っているのだろうか。あの人たちと随分話し込んだ気がする。さっきまでの目の前の出来事は夢だったのか、それとも幻覚・・・・・・。

 それから尚も二、三十分も洞窟の中に座っていただろうか。突然、背後からの光であろう、洞窟の壁に反射した光が眩しくて目を細めた。振り返った顔に映えたのは西に傾いた陽が丁度斜めに入口から差し込んだ光だった。ようやく私は決心したように傍らの雨具を丸めるとザックにねじ込んで立ち上がった。そして、ゆっくりと出口に向かった。外は新緑が雨に濡れ明るく輝いている。時計を見た。時計は二時半を指している。あれから一時間半ほどの時間を洞窟で過ごしたことになる。ひと眠りにしては長かったが通り雨の雨宿りの時間なら納得がいった。出口でもう一度中を振り返って自分に言い聞かせるように声を上げた。

 「ミスターシュッタイ、与助さん グッバイ」

 声は中で反響している。私はさっと洞窟の前を離れた。引き戻されるのを恐れたわけではない。あり得ない出来事に対して未練を断ち切りたかったからだ。林の中は雨を含んだ腐葉土で歩き難い。斜面の木立を縫いながら元の山道へ上り詰めようと思った。緩やかな傾斜はそれほどでもなかったが、やはり雨に濡れた斜面に足を取られることが何度かあった。一旦乾いたズボンが泥だらけになるのは仕方なかった。そして何とか山道に上りつめて一息ついた。脇の下に汗が伝った。

 身体の疲労感はなかったが元来た道を歩いているのが自分ではないような妙な感覚になった。鬼嶽稲荷神社の檜皮の屋根が見えてなぜかホットし、神社への石段の前まで来て前を一団の登山客が行くのが見えた時、やっと現実感が戻ったように思った。

 無料休憩所まで来て入口から中を覗いた。中で三、四人の女性登山客がおしゃべりに夢中だった。バス停までは二十分の距離だが最寄りの丹後鉄道駅との間で朝夕二本のバスがある。彼女らはそれを待っている客なのだろう。バスの時刻は気にならない。どうせ私は駅までの五十分の道を歩く積りだった。

 休憩所からすぐの左手に大きな案内看板があった。何気なくその文字を追いつつ行き過ぎようとして足を止めた。鬼伝説の物語の中に酒呑童子の文字を見たからだ。酒呑童子は聞いていて知っているが、待てよ、今まで気が付かなかったが酒呑童子ってシュッタイ・ドッジの事ではないか。そして、二番手に書かれている茨木童子はイッパリ・デイルではないのか・・・・・・。あの夢か幻か、千年を超えた時空の中の人たちが今も生き生きと語り継がれていることに言い知れぬ感動が起きた。そして、あれは決して夢でも幻でもなく、あの洞窟で過去に有った事実に違いないと思った。

 先を行ったあの登山客の一団が案内看板の向こうで道路わきに屯していた。私は彼らを追い抜いた。山の中ならお互いが挨拶を交わすのに平地では無視同然だ。彼らも早くも娑婆の空気に染まったのだと思った。私も道を辿りながらあの洞窟から遠ざかる実感を感じている。恐らくは今日の体験を誰に話したところで信じてもらえるはずもない。雨宿り中の居眠りにみた夢で片付けられるのが落ちだ。

向うから背の高い若そうな男の二人連れが来る。今からなら山へ登る人ではなさそうだ。逆光で顔はよく見えない。仲良く話しながら来る。さっぱりしたジャンパーにザックを背負っている。向こうから手を上げた。

 「ハ~イ ハウマッチラター?」

 「クインテル」

 外人だ。とっさに返事をした。何だか洞窟の続き゚のような妙な気持ちになった。私は答えながら顔を見た。金髪に青い目、髭こそないがドッキッとしてポケットの中の銀貨を握り締めた。隣のやや低いのも赤茶けた髪に同じく青い目で同じ取り合わせだ。

 「ハブアナイストリップ」

 二人はそう言ってすれ違った。まさか、又出会った分けではないのに心臓が動悸を打っている。私は振り返って二人の後ろ姿を見送った。その背中は傾いた陽に輝いている。ポケットの中の銀貨は私の体温で生暖かくなっていた。

                                      (完)

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あなたにも起こるかも知れない・・・・短編集 阿之根 満 @SM430225

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