死神の話

 彼女は、真夜中に目を覚ました。

 いつもは一度眠ってしまえば、朝まで起きない。彼女は目を開けて、部屋の中がまだ真っ暗なのを、ぼんやりと眺めた。そして、注意深く耳を澄ませて、自分を起こしたものの正体を探った。換気扇の回る微かな音だけが聞こえた。

 暗闇に目が慣れると、布団に入ったまま、部屋の中を見回した。と、窓際に、とても大きな黒い影があった。誰かが立っている。

 びっくりしたのは一瞬で、あとは、余波みたいに心臓の高鳴りだけが残った。

 立っていたのは男だった。そう、彼女は思った。その人物は、とても綺麗な顔をしていたし、髪も長かったが、それでも男だと感じた。

 しばらく眺めていたが、男は彼女に興味がないのか、カーテンの隙間から外ばかり見ている。


「・・・あなたは・・・誰?泥棒?」


 彼女は息と一緒に、言葉を吐き出して尋ねた。

 そこでようやく男は、彼女を振り返った。外から入る光が、銀髪に反射してきらめく。肌は自らが発光しているように白かった。日本人には見えない、かといってどこの国なのか、予想できない顔立ちだった。強いて言うなら人形のようだった。


「・・・僕?」


 男は小首を傾げた。


「他に誰もいないわ」


 男は、ためらいがちに「死神だよ」と答えた。


「死神?」


 彼女は、その単語をじっくりと反芻して、

自分の知っている死神のイメージと、男を比較した。


「あまり、恐くないのね」


 そう彼女が言うと、男__死神は、口の端を少しだけ持ち上げた。笑ったのかもしれない。


「鎌は持っていないの?」


「ここにあるよ」


 死神は暗闇から、一本の古びた木の棒を取り出して見せた。死神の身長よりも長い。


「刃がない」


「使わないときには仕舞ってあるんだ」


 彼女が話しかけないと、死神も口を開かなかった。彼女は、彼を放っておいて、もう寝てしまおうか、と考えた。だが、眠気はどこかになりを潜めてしまったようだ。


「・・・あなたは、何のために、そこにいるの?」


「仕事のためだよ」


「死神の仕事ってなあに?」


 出来るだけ幼く聞こえるように発音した。本当は、死神の仕事が何であるか、それとなくわかっていた。


「魂を回収して、それを安全に運ぶんだ」


「運ぶって、どこに?」


 死神は上を指さした。そこにあるのは天国だろうか。


「誰を?」


 死神は再び小首を傾げた。これは、きっと知らない、という意味ではないのだろう。


「私が死ぬのね」


 死神は答えなかった。


「あなたが私を殺すの?」


「違うよ」


「じゃあ、病気?それとも大地震がきちゃう?」


 母親が、水や缶詰などを流しの下に仕舞っているのを彼女は見ていた。


「いや・・・もうすぐここに、強盗がやってくるんだ」


 死神は彼女から目を逸らすと、カーテンの外に視線を戻した。


「パパとママとマサキはどうなるの?」


 両親は一階で、弟は彼女の隣の部屋で眠っている。


「・・・死ぬのは、ずっと先になりそうだ」


「私だけなのね」


 彼女は、大きく息を吐いた。


「恐いかい?」


「うん。でも、みんなが大丈夫で良かった。弟は、まだ小さいもの。パパもママも必要だわ」


 換気扇の音が聞こえた。家の中は静かだ。強盗は、まだ侵入していなのだろうか?それとも、もう扉の向こうまでやって来ているのだろうか。


「僕は、君のことを助けられないんだ。ごめんね」


「しょうがないわ。だって死神なんでしょう?」


 死神は、窓から離れると、ベッドの脇にやってきて、彼女の額に手をやった。冷たい手だった。彼女はその手を取ると、自分の胸の上に置いた。深呼吸をすると、二人の手が上下する。


「痛いのかな」


「すぐに終わるよ」


「ずっとそばにいてくれる?」


「ああ」


 そのとき、微かに何かが割れる音が聞こえた。一階だ。それから静かになって、今度は声。両親の声だ。


「・・・大丈夫なのよね?」


 死神は頷く。


「まだ、時間はある?」


「少しなら」


「直前までお話しても良い?とても、とても恐いの」


 彼女は死神の手を強く握った。死神は優しく握りかえす。


「私ね、最初にあなたを見た瞬間、天使だと思ったの」


「どうして?」


 死神は、あいている方の手で、自分の黒い服を引っ張った。


「それって、神父様の服でしょう?」


「ああ・・・そうだね」


「びっくりはしたけれど、恐い感じはしないし。本当に死神なの?」


「もし僕が天使だったら、きっと君を助けられるよ」


「ごめんなさい」


「どうして君が謝るの?」


「あなたを傷つけたと思ったから」


 階段を駆け上がる音が聞こえた。

 二階には部屋が三つあって、足音の主はまず、誰もいない部屋を荒々しく開けた。物が倒れる音が続き、次に、彼女の部屋の扉が開いた。

 強盗は戸口で立ち止まると、ぎらぎらした目で、部屋の中を見回す。息が荒い。

 死神はそっと彼女から離れると、窓際の暗がりに戻った。

 彼女は、悲鳴一つあげなかった。ずっと死神の目を見ていた。死神も、彼女から目を離さなかった。

 彼女が動かなくなると、強盗は一階へと下りていった。

 ベッドから転げ落ちた彼女の横に、死神は膝をつくと、彼女の手を取り、引っ張り上げた。すると、彼女の体と重なっていた魂が、死神の手によって引き抜かれた。

 ぶら下がった状態から床に下ろされると、彼女の魂は、彼女の体を見下ろした。


「本当に強盗だったのかしら…」


「公には、そうアナウンスされるはずだ」


「痛くて…怖かった」


  彼女はそこで少し泣いた。魂になっても涙が流せるのが不思議だった。


「こっちに」

 

  死神が彼女の体を自分の元へと引き寄せる。彼女の肩に手を置いたまま、周囲に気を配る。死神は呼吸をしていないかのように静かなので、彼女も泣くのをやめた。


「また、誰か・・・くるの?」


 彼女は囁くように聞いた。その声はちゃんんと死神に届いていたようで、彼女を見下ろすと、かすれた声で返事した。


「ああ」


「さっきみたいな強盗?」


「いいや。今度は、君の魂を狙いにきた奴だ」


「そのためにあなたは来たのね」


「そう。君を安全に上まで連れて行くために」


 死神は手に力を込めると、さらに彼女の体を引き寄せた。すると、二人の体の境界がなくなり、彼女の魂は、死神の体へと入ってしまった。


「しばらく、ここにいてくれ。君の意志でこの体は動かせないから、違和感があるだろうけれど、その代わり痛みを感じないで済むから」


 彼女は「わかった」と返事をしたつもりだったが、それは音にはならなかった。

 彼女は、死神の目を通して世界を見ていた。今までよりもずっと高い位置である。思わずしゃがんでしまいそうになったが、体は動かなかった。


「怖かったら、目を瞑っていればいい」


「体がないのに、瞑ったりできないわ」


 死神は溜息をついた、でもそれは、呆れて出たものではないと、彼女にもわかった。


「やってみる」


 彼女がそう答える。

 死神は頷き、銀の髪が揺れた。片手にずっと持っていた木の棒を、とん、と一度床に打ち付けた。

 しゅるり、という音がして、棒の先端から、大きくカーブした刃が滑り出てきた。


「すごい」


「くるよ」


 死神は身構え、彼女は目を瞑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

短編集 秋月カナリア @AM_KANALia

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ