リライト版 影

黒い綿棒

第1話

【リライト】 影


「あっ、先生!いやぁ、いつもお世話になっております!」

葬儀屋が、周りに愛想を振り撒きながら、僕の方に近づいてくる。

「別に、お世話しているつもりは、ありませんが」


僕が医者になり、この総合病院に勤務して五年が経つ。


どうも、病院と葬儀屋の関係が好きに成れないままでいる。

僕には、葬儀屋が死人に集る死神に見えてしまい、自ずと目の前の

彼から距離を置くようにしてきた。


「それにしても、毎度、毎度。こうもタイミングよく現れますね」

つい十分前。長期入院をしていた老人が亡くなったばかり。

葬儀屋は、必ず誰かが亡くなった直後に現れた。

「そりゃ、こっちとら商売ですから。必要な時に現れますわ。おっ、いけね。

ちょっと挨拶してきます。二〇四号室でしたっけね?」

彼は、そう言うと、小走りで病室に向かって行った。

「ちょっと!院内は、走ら…。院内は、走んなっつーの」

もう彼には、僕の声は、届いちゃいなかった。

きっと、また『あれだ、これだ』と、高い葬儀代を吹っ掛ける算段に

夢中なのだろう。


「それじゃ、また明日」


当直の勤務から解放されたのは、夕方だった。

『緊急、緊急』と、帰る機会を失って、この時間。

まぁ、よくある事だ。

僕は、目頭を押さえながら、更衣室を後にした。

「あっ、先生」

葬儀屋だった。

彼は、廊下に置かれた長椅子に腰掛けている。

その姿は、どこかいつもと違う気がした。

「いいんですか?こんな所で油売って。さっきの患者さんの葬儀の準備

じゃないんですか?」

少し嫌味を込めるように言った僕の言葉に、彼は静かに微笑んだ。

「えぇ、まぁ。でも、息子もいますから。最近じゃ、私は

御用聞き専門で。それより、先生。さっき言ったでしょ。

何で、そうもタイミングよく現れるのかって?」

彼の言葉に、僕は会話を巻き戻す。


「あぁ。気を悪くしましたか?」

僕が、そう言うと、彼は長椅子から腰を上げた。

「そんなんじゃ、ないですよ」

そう言いながら、彼は手招きし、僕に一緒に来るように催促した。


正直、勘弁して欲しかった。


もう、とっくの昔に、当直は終わっている。帰って、熱いシャワーを

浴び、キンキンに冷えたビールが飲みたかった。

しかし、何故か僕は彼の招きに逆らう事なく、後に続いた。


そこは、病室の前。


「ほら、見て。何か気が付きませんか?」

病室には夕日が差し込み、重篤患者の顔を夕日色に染めている。

「いや、別に。いい加減、看護師はカーテンを閉めるべきとは、思いますが」

その言葉に、彼は笑顔を見せた。

「間違いねぇ。けど、違うんですよ。ほら、よく見て。影。影ですよ」

「影?」

「ないんですわ。あの人には」

僕は、彼の言葉に驚き、夕日に照らされる患者に目を向けた。


確かに、影がない。


「人間、最期が近くなると、影が、たまに消えるんですわ。長く入院している

人ほど頻繁に消えて、何処かに行っちまう。これは、私が思うに、影が本人

に代わって、もう一度、自分の生きた証のある場所を訪ね歩いてんじゃないか

っておもうんですわ。けど、誰も気が付かない。誰も影なんて見ちゃいない

ですから」


信じられない話だった。

何とも非科学的じゃないか。けれど、影は、そこには居ない。


【ピッ・ピッ・ピッ】


ポケベルの音で、僕は我に帰る。

「おや、先生。呼び出しですか?先生は、忙しいですなぁ」

彼の言葉に、僕は後ろ髪を引かれる思いを断ち切り、走り出した。

「…先生!」

彼の大声に、僕は走りながら彼に方へ振り向いた。

「院内は走っちゃだめよ」

ふざけた事を言う。

僕は、そう思い、手を厄介払いするかのように振り、緊急搬送口に

走った。


「…急いでも、意味ないんですわ」


「あっ、先生!まだ居たんですか?よかったですよ。急患が運ばれて

来るんですが、人手が足りなくて」

「足りてた時があったか?」

そう言ってる間に、救急車は搬送口の前に止まり、患者を降ろしに

掛かっていた。

「えっ!葬儀屋の、おっさんじゃないか!」

看護師の言葉に僕は、救急隊員を払いのけ、急患の顔を覗き込んだ。

そこには、どす黒い顔をした、六十過ぎの小柄な男性。

紛れもなく、さっき話しをしていた葬儀屋だった。


もちろん、影は無い。

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