第8話 第1章-8
アリサの側の洞窟探索は、いたって快適。圧迫感がない程度には広めの洞窟。迷わせるような脇道もない。光で照らしておけば、ただの道という気すらしていた。
「しかもまっすぐすぎる。これ、自然にできた洞窟なのかな。あとは、まっすぐなのに先に光がないのが気になる。結構歩いてきたのに行き止まりだったら泣いちゃうな!」
進み始めて五分ほど。少しアリサが不安になってきたときに、それは目の前に現れた。
「うわぁ」
目の前に、壁、ではなく、壁に見せかけたような扉があった。左側、腰の高さよりやや高い位置に飛び出した丸い岩は取手だろうか。その岩の横からほんの少しだけ隙間風が漏れていることも、この先に空間があることを示している。
「いきなりすぎてぶつかるかと思った」
扉らしきものがあるのに、小さな灯りの一つもない。ここに扉がつけられている以上誰かが利用していると考えられるが、その誰かはさっきのアリサのようにぶつかったりするのか?
「不便すぎるでしょ、見えない場所の扉って! お宅の安全意識どうなってらっしゃいますー?」
粗削りのドアノブを掴み、ぐい、と押し開けた。するとそこには。
「いらっしゃい」
燃えるような赤い髪の女性が、土の床の上に敷かれた絨毯に寝そべっていた。アリサに背を向けて寝ているので表情は伺えないが、その声色から敵意がないことはわかる。それがわかっても、この状況が一体どういうことなのかはわからないが。
「おじゃまします?」
おそらく家主と思われる女性に軽く頭を下げ、扉を閉めた。部屋は石からの光が必要ないくらい、家の中のように明るかった。さらに見渡せば、アリサの家のリビングくらいの大きさの部屋に、絨毯だけでなく、ソファに机、本棚、洗濯物まで干されていた。さっきまで洞窟にいたことを忘れそうなほどに、どこにでもありそうな家の一室のようだった。
「玄関の灯り、切らしてて。大丈夫だった?」
来客に気がついていて、おそらくアリサの悪態も聞こえているのに、振り返ったり立ち上がったりするそぶりも見せない。寝転がった状態で、下の手は枕にされたまま、上の手は何かを取って顔の方へ運んでいる。
「なんとか大丈夫でしたけど、私じゃなかったら怪我してたと思います」
「でもあなたが怪我なくて、私も怪我しないから、このまま放置かな」
「私、今知り合いとはぐれていて、もしかしたら後から彼が来るかもしれないんで、できれば彼に怪我がないようにしたいんですけど」
女性はうーん、と言っただけで動き出そうとしない。これは言っても無駄だとわかったアリサは、一旦部屋の外へ出て、光っている石をドアノブの真下に置いてから中に戻った。
「今は私のを置きましたが、ここがあなたの家なら何とかしたほうがいいと思いますよ!」
「はいはい。どーもどーも。
何にカッカしてるのか知らないけど、とりあえずこっちに来なよ。お疲れじゃない?絨毯で寝ていいよ」
ぽんぽん、と叩かれる音。アリサに寝るつもりは毛頭ないが、入り口に立ちっぱなしもなんなので、女性の近く、顔が見える場所へ向かう。横を通りすぎるときに、さっきまでは影になっていた女性の正面を見ると、絨毯の上に食べ物が置かれていた。色とりどりのお菓子が、口の中へ消えていく。瞳まで赤く、整った顔をしているのに、それを台無しにしてなお借金が残りそうなくらいのマナーの悪さ。
「床に食べ物を置かない、食べ物を置いてるところに人を寝かせようとしない!」
「おおっといけない。私としたことがくつろぎすぎちゃった。ついうっかり。」
今度の忠告は聞き入れられた。よっこいしょ、と声と勢いをつけて立ち上がり、お菓子が壁際に寄せられていた大きな机の上に移動させられた。が、それを終えるとまたもとの場所で横になってしまった。
「これで広くなった。どこでも寝てもらっていいよ」
「そもそも別に寝たくないんですけど、なんでそこを強制してくるんですか!」
マナーのなっていない家主に勢いで注意を続けるアリサだが、その言葉は全くと言っていいほどかすりもしない。平行線な現状に苛立ちを隠せないアリサだったが、今まで半日歩き続けていた分の疲れは溜まっていたので、靴を脱いで絨毯に腰を落とした。
「まずは長旅ご苦労様でした」
座ってまず、労われた。寝てもいい、は女性なりのサービス精神だった様子。人里を離れて暮らすとこうも常識を失ってしまうのかとアリサは心の中で震える。私はグレイと二人暮らしだからこんな変な人にはなってなかったはず、昨日は会話に飛び込んじゃったりしたけど!
「はあ、どうも。
私はなぜあなたにご苦労様って言われているのかわからないんですけど」
他にも、あなたは誰? ここは何? どうしてこんなところに? と聞きたいことは山ほど浮かんでいたが、来客であるという立場をわきまえ……たつもりで一つずつ下から聞いていく。女性の顔が下にあって話しにくいな、と思っていても、口には出さない。
女性は、そうかー、と間延びした返事をして、枕にしていない方の手をアリサの方……ではなく先程までお菓子があった場所に伸ばした。アリサが、さっき片付けたじゃないですか、と言うと、笑って体を起こした。どうにも行動が読めない。
「すっかり食っちゃ寝生活が続いちゃって、癖になってた!」
「そうですか」
「そうそう、お姉さん、山籠り今年で七百周年なんだけど、全然変化がないからずっとこんな感じで。食べて、寝て、起きて、食べて、寝て、起きて。たまに食べ物がなくなったら、村まで買い出しに行って……」
「村まで行っていたら山籠りじゃなくないですかね」
「そうだな! ついに自給自足に挑戦するときがきてしまったようだ……」
レシピがないから買ってこないといけないな、と言って、ズボンの後ろのポケットから紙と親指ほどの長さの鉛筆を取り出して、メモを取り始めた。全てがずれていて、アリスは持ちにくそうな鉛筆を見て待つしかなかった。三十秒以上かけてようやくメモを終えた女性は、座ったまメモをポケットにもどそうとしてまたもたつき、結果一分近く見守っていたことになった。これだけ待たされてしまうと、その前の会話のずれている点を突っ込む気にもならない。
「ところで、お姉さんは、あなたたちが見かけた足跡をつけた龍なんだけど」
「ぐっ」
今度は直球の急展開。そこにお菓子がまだあって、手をつけていたら危なかった。勢いで変な音が出た喉を咳払いで落ち着ける。これ以上相手のペースに飲まれないように、どこから聞くか。一瞬で纏めて、出した答えがこうだった。
「どこまで知っているんですか?」
「いい質問だ。ちまちましたことを繰り返すより、一気に進めてしまいたい。よく分かったね」
アリサ的には、いきなり投げ込まれたものを全力で打ち返しただけだったが、それが気に入られたらしい。
「じゃあ、自己紹介からしよう」
引きこもりらしからぬ饒舌さで語り始めた。
「お姉さんは、びっくりするほど昔に生まれた龍なんだ。龍以外の大体の生き物より年上だから、君も『お姉さん』って呼んでくれて構わないよ。七百年、いや、いまだと八百年のほうが近いくらいかな、大体それくらいからこの山でこんな感じ。人が来ないように雲をかけたりしてるからほぼ来客はなくて、だんだん食べ物を取りに動くのがめんどくさくなっちゃって。わかる? この気持ち」
「わからないです、『お姉さん』さん」
「さん、にさん、はいらないんだけど。でも語感がいいからそれでもいいよ。
で、今日はいっぱい山に人が来たから、テンション上がっちゃって、わーいって飛んでって、脚だけ見せつけて、またお菓子食べてた。
そうだ、お菓子といえば、さっきのクッキーだ。あれ、大分前の買い出しの帰りに、近くの村で子供が手売りしてるのを見つけて。一つ食べたらおいしすぎて全部買っちゃった。そしたら、次に見たときは数が増えていたからそれも纏め買い。その繰り返しだと買い出しよりも早くなくなっちゃうから、クッキーだけ買いに山を下りて纏め買い。でも結構な頻度で繰り返していたから、たくさんの人に見られてた。それ聞いてここまで来たんでしょ?」
アリサはこういうことについて、人に言える立場ではないことがわかっていた。けれど、言わずにはいられなかった。
「いやもうちょっと考えて行動しようよ! なにテンション上がったって、見せつけって! そのまま山頂まで行って『残念だったねー』で帰ることにならなかったからほんのちょっとだけそれはありがたかったけど、動機! しかもうっかり見られた、からの今日テンション上がって見せに行った? 反省とかなさらないんですか!」
「確かに反省はする。でも目撃情報が出たところで、実際は誰も来ないじゃん。そこの村の大人が勝手に止めてるらしいし。
あとさ、君ならわかると思うんだけど、長生きすると、退屈じゃない?」
「どうしてそれを」
自分のことはほぼ話していないのに。
「勘? 雰囲気? 臭い? なんだかそういうのでわかるんだよね。あ、さっき『お姉さん』って言っちゃったけど、何歳だった? 年上だったら恥ずかしいから、教えてほしいな」
「五百……二十二」
「マメだねぇ、お姉さん、三百から数えてなかったよ。
でもよかった、お姉さんのほうがやっぱり上だった。なんだか青いなっていうのが当たった」
自分のどこを青いと判断されたのかわからず、むっとしてしまうアリサ。お姉さんは、その様子を見て笑った。
「人間である君がいくつまで生きるのかはわからないけど、そういったかわいい部分は残しておくべきだ。青いって言ったのは誉め言葉ではないけど、直せって意味でもないからね。自分らしくあるのが一番だ」
長命な、生きることの先達からのアドバイス。さっきまでの会話との高低差がありすぎたので、アリサの心の中にすとん、と落ちていった。
「自分らしく……」
「そうそう。したいと思ったことをして、言いたいと思ったことを言って。考えなしじゃいけないけど、考えすぎてもいけない。強くそう思ったのなら、そうするべきってことはいっぱいある……らしい。知らんけど?」
「知らないんだ」
「そうじゃなくって、これを最後につけると責任がなくなるらしい、って大分昔に聞いた」
あまり使わない言い回しだな、と思ったが、便利そうなので覚えておくことにした。
「雑学に流されたけど、良い感じのことを言っておいて自分の責任をなくすってどうなんですかね」
「まあまあ、ひとそれぞれで、考えてってことが言いたいんだから、鵜呑みにするんじゃないぞー! っていうことさ。
さあさあ、次に行こう。次はなんだっけ?」
無理やり話を終わらせられたが、二人とも、どこまで話したか、どんな話だったかをすぐには思い出せない。無言のまま時が流れる。
先に口火を切ったのはアリサ。
「龍の卵って、ご存じですか」
これ以上忘れないように、目的から突っ込んだ女性は、おお、と驚いた様子で立ち上がった。そのまま、アリサが入ってきたほうとは反対側の壁に向かう。
「あるよ。取ってくる」
そう言って、壁から飛び出していた岩を押して、暗い通路へ消えていった。
「そっちも灯りないじゃん。ほんとだらけてるなぁ」
他人の部屋に一人残されてしまったアリサ。することもないが、人のものは勝手に触れないので、空いてしまった手で絨毯を撫でる。さっきの自堕落な生活からは考えられないほど柔らかく、引っかかりもない。周りを見渡しても、ゴミは一つも落ちていない。ただ食べ方が非常に悪いだけで、他のところはキチンとしているのか。
「わからないなぁ」
今だって、あるよと簡単に言っていたが、何を持ってこられてしまうのか。
「お待たせ!」
そのとき、両手に物を抱えた彼女が、扉を蹴り開けて戻ってきた。アリスは絨毯を撫でていた手を止め、声のした方向を見た。
抱えられていたのは、顔よりも大きい、一つの石のようなもの。乳白色の表面はつるりとしていて、形は鶏の卵と同じような、けれど大きさは段違い。
「これから龍って産まれてるんだ……」
思わず感嘆の声が漏れてしまう。生命を感じる、気がしてくる。
「これをどうしたい? 世界一の目玉焼きを作るとか?」
生命がフライパンの上で焼ける音。アリサの力も抜けてしまう。
「それはないです。
実は、この山には龍の卵を探しに来たんです。持って帰りたくて」
アリサは正直に目的を告げた。
「いいよ」
ぽい、と、軽く投げ渡された。アリサは倒れこむように滑り込み、なんとか手をクッション代わりにすることができた。
「って、想像以上に重い!」
両手の掌にずっしりとかかる、卵の重さ。手も抜けなければ片手でこの重さを支えることもできないので、うつぶせの状態から起き上がれない。
投げ渡してきた当の本人は、そんなアリサを見て笑い転げている。
「ひーっ、おもしろ! 君、運動神経悪いでしょ。引きこもり?」
「引きこもりに、言われたく、ない!」
「買い物には出てるので、引きこもりじゃないしー?」
「わ、私も、買い物には行ってるから、同じ、なのに、この手の角度じゃ無理……」
悲しみのギブアップ。やっと笑いが止まったお姉さんが、両手で挟んで簡単に持ち上げてくれた。手についた地面の汚れを落としてから確認すると、赤くなっていた。
「やっぱり人間には重たかったかぁ。帰るときには籠か何かに入れて渡すよ。
でも、これは卵じゃない可能性もあるんだけど、本当に持って帰る?」
「卵じゃない可能性って」
机の上に置かれたそれを、布で磨くお姉さん。つるつるの表面に、柔らかな天井からの光が反射する。
「これ、いつだったかな、だいぶ前に、朝起きたら転がってたんだよね。でも、それ以来何の変化もなし! だからさっきもどこにあるか分からなくて、探すのに手間取っちゃった。
ここからは誰にも言っちゃだめだからね。実は、龍っていうのはどうやって産まれるのかわかっていないんだ。私も、気がついたらそこにいて、なにができるのかも、なにが必要なのかも知ってた。身体の大きさが変わるような成長もなかったし、食べる必要も寝る必要もない。いつかは死ぬのかもしれないけど、今のところ『老けたなぁ』みたいなことはない。だから、子どもを産むことはないんじゃないかな、って。そうだとしたら、これは卵ではなく、起きたら近くにあっただけの綺麗な石かもしれないな!」
大きな口を開けて笑ったあと、さあどうする、ともう一度判断を迫る。
アリサの答えは決まっている。
「それでもいいので、持って帰らせてください」
『龍の卵』を持ち帰ることを頼まれたのだから、そうといわれるものを持ち帰ればいい。そのあとに目玉焼きになろうが、孵ろうが、もし石であっても、困ることはない。龍ですら正解を知らないのだから、嘘はついていない。価値あるものではあるし、マホが渡せば納得してもらえるはずのものだから。
アリサは、深く頭を下げる。
「別に、そこまでへりくだらなくてもいいのに。
じゃあ、包んで籠に入れるから、ちょっと待ってね」
「ありがとうございます!
あ、お礼とかは、どうしたら」
「お礼?」
そうだなあ、と言って、お姉さんはアリサのつま先から頭のてっぺんまでをなめるように見た。そのあと、
「だったら、友達として、たまに遊びに来てよ! 暇だから」
「え、それだけ?」
「うん。逆にそれが一番ありがたい。この辺に近づいたら雲を薄目にするから。間違えて山頂に行かなければ来れると思うよ」
「じゃあそれまでに、玄関を明るくしといてね」
善処する、と笑って、籠に入れられた卵が渡される。持ち手があるので、少しの間なら片手でも持てそうだった。
「これなら、帰れそう! 本当にありがとう」
「いいって。玄関の扉を開けるところまではするから、そこからは大変だろうけど、足とか踏み外さないようにね」
連れ立って、アリサが入ってきた扉まで向かう。その間に、アリサは気になっていたことを聞いた。
「さっき雲が……って言ってたけど、この山の動かない雲もお姉さんさんが出してるの?」
「だからさんは一回でいいってのに。
そうだよ。走り出した辺りで上手く二人が離れるように濃度をちょちょいといじったんだ。あとで謝っといてもらえると助かる、かも」
「なんでそんなことを」
「実は……。
この部屋に、男の子を入れたことがなくて。恥ずかしい」
アリサは右手を籠から離し、すぐ前を歩いている彼女の肩を叩いて言った。
「その気持ち、わかる」
エピローグのその先へ 千代紙 @yuyuyu_
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