後編

「少年、ひとつ教えてあげよう。探偵はね、舐められちゃいけないんだよ。生き抜くために、ふてぶてしく笑うくらいで良い。感情的になったり、過去に囚われるようでは三流だ、ってね」

「僕はあなたの助手であって……別に継ぐつもりはないんですよ……」

「そんな……アタシは君のメンターだと思ってたのに! 後進の育成……」

「はいはい。整理した調査データ、送りますね」


 記憶の中で、半義体の女性は笑った。左脚と臓器を義体化した〈半義体探偵〉という肩書きを自称している、僕の師匠だった人だ。耐汚染ダスターコートに身を包み、義眼代わりのアンダーリム眼鏡は多機能内蔵である。

 働きやすいアルバイト先を探していた僕にとっては理想の雇い主であり、憧れの存在であり、相棒だった。依頼がない日は二人で無駄話をしながら、永遠に続きそうな退屈を緩やかに享受していたのだ。


「ヒトはヒトであることから逃れられない」とは、師匠がよく口にしていた言葉だ。体をどれだけ機械に置換しようと、電脳空間に跳ぼうと、自我がある限りヒトはヒトであり続ける。テセウスの船を構成する最後の1パーツだ、と。

 僕のように完全な義体化をすれば、肉体的な死は存在しなくなる。代わりのパーツを揃えて、そこに自我を入れ直せばいいからだ。記憶を引き継ぎ、新たな自分になる。スワンプマンでも、擬態でもないのだ。


 だが、半義体の師匠が帰ってくる事はなかった。ロド・テクノロジー社の不正会計を調査する依頼を受け、師匠自らの足で調査を始めた翌日の話だ。

 ポータルを介して事務所に送りつけられた荷物は、割れたアンダーリム眼鏡だった。僕はそれを手に取り、内部データを解析する。禍々しいパーティクルが、挑発するかのように映っていたのだ。間違いなく、〈S.L.U.G.〉の仕業だった。


 自我をサルベージできれば、とっくにやっていた。だが、現実世界にも電脳空間にも彼女の痕跡はないのだ。

 唯一の形見として残った事務所を引き継ぎ、僕は彼女の思惑通り後継者になってしまった。


 〈S.L.U.G.〉を白日の下に晒し、ロド社の不正会計の真偽を調べる。感情的に復讐を決め、過去に囚われた僕は、三流探偵だと師匠に笑われるかもしれない。それでも、やらねば納得できないのだ。


    *    *    *


 僕は店主の紹介状データを携え、電脳空間にダイブした。体が重力から解放され、流動するデータで構成された外壁を伝って狭い空間に降り立つ。合金の厳めしいアバターが部屋内をうろうろと行き来していた。


「サンバルド社の者だ。〈S.L.U.G.〉について、知っていることを聞かせてほしい」

「御託はいい……さっさと聞いてくれ。あいつらに逆らったことがバレたら、ヤバいんだよ……!」

 電脳空間はあいつらの庭だ、とアバターは語る。この部屋は厳重なセキュリティに覆われてはいるものの、あまり時間を取るのは好ましくない。


「あいつら、無法者気取りのくせに選民思想が強いんだよ。完全義体以外は認めない、って言いやがるんだ。しかも、ロド社製の物に限るとよ。俺、あいつらはロド社と裏で繋がってんじゃないかと思うんだ……」

「サンバルド社も、その件に関して調査中だ。奴らのアジトや拠点がわかれば、追えるんだが……」

 合金アバターは震えた。何かを、過度に恐れているようだ。

「知ってる。ポータル移動中のあいつらをこの世界で追えば、行けるんだ。俺は、それで…………待て、来る!!」


 セキュリティが突破された。壁を破られ、白い無貌のアバター群が襲いかかる! 合金アバターはフリークアウトし、逃げるように脱出した!

 無数のアバターはデータ壁を破壊しながら、銘々に携えた武器を振り回す。銃を持つ者、剣を持つ者、無貌に巨大な牙を生み出して食らいつく者!


「ちょうど良い。手間が省けた! 一人残らず、倒すッ!」


 電脳空間であれば、武器は想像力だ。無数のショットガン・オブジェクトを出現させ、蹴り抜いて発射する! 0と1の弾丸が無貌アバターたちを急襲し、粉砕した!


「このためだ。このために、用意をしてきたんだ! 一人残らず、徹底的に! データ片にしてやるよ……!」


 地中から出現したガトリング砲が残ったアバターに風穴を開け、発生した地割れが見る見るうちに飲み込んでいく。

 数少なくなった敵は、恐れをなして逃亡を図っていた。ここから脱出しようと意識を集中させる隙を掴み、僕はその動きに割り込んだ!


    *    *    *


 重力が戻るのを感じる。無個性なフリーの義体に乗り込み、僕の自我は目を覚ました。傍には治安維持用の拳銃。どうやら、シェリフの義体に割り込んだらしい。

 周辺の義体群の半分がシェリフで、残り半分がハッカー用にチューンされている。どれも岩場めいた床に伏し、再起動を待っているのだ。


「地下、か。成功したんだな……!」


 背後のゲートは広い。数多のハッカーがここから移動するのだろう。僕は一時ハック用義体に乗り換え、ゲートのセキュリティを強固にした。これで、増援が来ることはないはずだ。

 シェリフの義体を被り、足音を立てないように歩く。普段の小柄なカスタマイズとは違い、体格に優れた身体は操るのに苦心した。


 洞窟めいた地下施設はサーバールームと繋がっていて、天を衝く巨大なサーバーが青白く発光していた。側面には、どれもロド社のロゴ。疑惑が確信に変わっていくのを感じる。


 サーバールームの重厚な扉を抜けると、純白の部屋が広がっていた。今までの部屋のどれよりも無機質な雰囲気で、無菌室めいている。

 部屋の中央に立つ人影は、一見すると義体だった。白いスーツに、端正な顔。間違いなく、ロド・ルーカスCEOだ。


「……シェリフか。どうした? 何か問題でも……!?」


 反射的に、僕は銃口を突きつけていた。対象の額に汗が滲む。


「何のつもりだ……?」

「黙れ。義体に精通してるなら、外見で所属を計ることが無意味だってわかるだろ? ロド・エリーン女史からの依頼に従い。そして、〈半義体探偵〉の復讐に。参上いたしました……!!」

「〈半義体探偵〉……!? 馬鹿な、それを知るものはもういないはず……! あの時は徹底的に潰したはずだぞ……?


 銃口の先で、対象は震えている。その態度で、すべてが繋がったのだ。


 事件は、ロド・ルーカスの自作自演だ。彼は〈S.L.U.G.〉や買収したシェリフと結託し、自らの意思で失踪して地下に潜った。サ・トライド通りにいた義体は、アリバイ作りの囮だ。ハッカーの被害者である証拠を用意することで、緊急時の責任を覆い被せるつもりなのだ。

 何故、そのようなことをする必要があったのか? 恐らく、彼はセレモニー内でのポータルでの移動を避けたかったのだ。銃を恐れていることから推察するに、彼は“擬態”していたのだろう。


「……“生身”か? この時代に、サイバネティック企業の長が。その追及を避けるためだけに、こんな自作自演の事件を……?」


 義体に見えていたロド・ルーカスの身体は、半義体ですらない生身だ。自我をアウトソーシングすることもできない、不完全な肉体に命を預けているのである。

 今なら殺せる、と心中で囁く声がした。肉体を破壊し、師匠と同じ苦しみを味合わせてやるんだ、と。


 僕は引き金を引いた。命中したのは右耳の真上、背後の壁に弾痕が残る。

「ヒッ……」


「話をしようか。なぜあんたは、義体化しない? 何か事情があるのか……?」

「権力を持ち、サイバネティクス関連の業務を行なってきた。妻も、部下も、義体が揃っている。それでも、価値観は変わらないものだな」

 ルーカスは自嘲じみて笑った。その眼は、妙に老成している。

「怖いのだよ、自らの姿を変えるのは。自我などという希薄なものを頼りに、ただの鉄クズやシリコン塊を人間と認めるのは。ヒトとしての純度じゅんどにぶる行為ではないのか? 利便性を求めて、わざわざ紛い物になるなど……」

「……ずいぶんと時代遅れな考え方だな。仮にも、義体化を推し進める立場であるあんたが」

「立場と思想が一致していれば、わざわざ義体として振舞ったりなどしない。哀れだと笑えばいいさ」


『ヒトはヒトであることから逃れられない』


 師匠の言葉が脳裏を過ぎる。上手く義体に化けたつもりでも、根本の価値観は変わらないのかもしれない。たとえ紛い物でも、ヒトはヒトにしかなれないのに。

 反論しようとして、無駄だと諦めた。こんな言葉ひとつで価値観が変われば、この事件は起きなかったのだ。


「どちらにせよ、あんたは立場を失うだろうな。この事がバレたら、選民思想で凝り固まったお抱えのハッカー連中がどう考えるか。今までの悪行が、すべて白日に晒されるだろうさ」

「頼む。隠しておきたいことなんだ、これは! 私の地盤のために……今後の国の未来のために! 依頼料は上乗せする。君のロド社でのポストも確約する。だから、この件は内密に……」

「もう遅いよ」


 シェリフの義体には、非常時のために会話を録音するための機能が内蔵されている。その録音データを脆弱になったこの施設のセキュリティに、既に流し込んでおいたのだ。

 今頃、意識を取り戻した〈S.L.U.G.〉の連中は血相を変えている頃だろう。遠くから聞こえる足音を確認し、僕は安堵の息を発する。


 復讐は、これから成されていくのだ。


    *    *    *


 それからの事は、あえて語るまでもない。誘拐と監禁の罪でハッカー連中は一斉検挙され、同時に何者かのリークによってロド社が過去に行った不正会計が明らかになった。後に、ルーカスが近づいた権力者やシェリフにも、真っ当なメスが入るだろう。


 僕はといえば、次の依頼を懸命に探している。ロド社の重役から依頼料を払えないと明かされたのだ。社内の腐敗を一掃するまでは、大金の移動は顧客に怪しまれるという理由らしい。

 大家に頭を下げ、大金が入るまでの間は家賃の支払いを免除してもらった。師匠が遺した事務所の看板を、そう下ろすわけにはいかない。


「金が入ったら、サンバルド社の義体も揃えてみるか……」


 事務所で義体をチューニングしながら、僕は誰に宛てるでもない独り言を呟く。オーダーメイドでカスタマイズをすれば、女性型のモデルも作れるらしい。

 クローゼットに入ったままのダスターコートを一瞥し、僕は苦笑する。気の迷いを起こしてしまった。師匠は、唯一無二のはずなのに。自我のない人形に、何の意味がある? それこそ、ヒトを模した擬態でしかないのに。

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義体探偵 @fox_0829

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