間違いなく君だったよ

江戸川ばた散歩

静かの海で

 君は約束通り待っていた。

 ここでもうカタを付けなければならない。さもなくば、周囲への被害は酷くなるばかりだ。

 足取りは奇妙に軽い。担ぐ荷物も常にはなく。

 君は車の中に居た。私の姿を認めると扉を開け、駆けだしてきた。


「来てくれたのね」


 闇の中、車内灯の光で浮かび上がる、身体の線が浮かび上がるスーツ。深みのある青とみずみずしいオレンジの色を使ったそれは、君によく似合う。


「呼んだだろう?」

「だからって来てくれるとは思ってなかった」

「何故そう思う?」

「判ってるくせに」


 ああ判ってる。君はいつもそうだった。



 まだ十代の頃、気がついたら同じ教科を取っていたことが何度あっただろう。

 決して器用ではないくせに、同じバイトに申し込んでいたり。

 バイトならまだいい。同じ学校に進学しようとしていた時には驚いた。まさか私が行く様なところに君が行くとは思っていなかったから。

 私は一介の貧しい市民で、君とは住む世界が違う。ここだったら進学するのに金がかからない、将来の仕事にありつける、と聞いたから行く気になったくらいの場所だ。

 それが私自身の未来につながっていたとしても、君の未来とはかけ離れていたはずなのに。


 そこに通い出してからも、君は精一杯私にくっついてきた。絶対数が少ないからと興味半分で近寄る同期達を蹴散らす勢いで。

 実際は皆、君の方に目を奪われていた。

 君はその小柄で華奢な身体にも関わらず―――いや、活かす勢いで食らいついてくる。模擬戦での姿はとても綺麗だった。君のその手に長く大きな斧は似合わないというのに。

 練習を重ねた射撃の精度もその努力を裏切らなかった。

 無論私も、死に物狂いでがんばった。ただもう、少しでも卒業後の配置先を良くするために。首席次席まではいかずとも、上位五人までの中に入ることができた。

 君はさすがにそこまでは無理だったらしい。綺麗だったけど、君には致命的な欠点があった。振り上げた斧をどうしても相手に下ろせなかったから。

 そこでとうとう君とお別れだと思った。私の志望は外勤だったから。できるなら前線に出たかったから。

 だけど君はこう言った。


「お父様に頼み込んだわ。あなたができれば地上勤務になる様に」


 私はその時、彼女の両襟を掴んで真っ直ぐ睨み付けた。


「余計なことはしないでほしい」


 君は涙目で私に訊ねた。どうしてそんなに危険なところへ行こうとするの? 私は答えた。決まってる。より早く昇官のチャンスが欲しいからだよ。

 すると君はこう言った。


「あなたを頼りにする様なひと達はもう居ないのに」


 だから私と一緒に後方勤務にしましょう。出世しなくてもいいじゃない。この戦争は長いのよ。いつまで続くか判らない。出番はいつか回ってくる。その時まで、前線で危険な目に遭って戦わなくてもいいじゃない……

 判ってる。君に言われなくともそんなこと。ただ君は判っていない。

 私の家族は殺されたんだ。無能な上官の理不尽な命令で。父が斃れ、母も倒れ、兄は召集されて。

 私がどれだけ、効果的に奴等に近付き復讐できる機会を狙っていたと思うんだ。

 それは前線でなければ果たされない。

 木の葉を隠すなら森の中。死体を隠すなら?

 前線で、家族を死なせた奴等を死体の山の中に入れてやりたかったんだ。

 そして私は黙って君の元を去った。



 だがその数年後。


「大尉、密命が下った」


 後方勤務の女性士官が重要機密を持ち出して敵方に逃亡しようとしている。それを追跡し捕縛せよ、と。


「しかし何故自分なのですか? 自分はあくまで現場指揮官であり……」

「件の女性士官が君を指名してきた」


 曰く。

 その女性士官は情報局勤務の凄腕だったという。名家の令嬢だというのに驕ることなく勤務成績も上々。

 だが半年前から様子がおかしくなり、内密に調査をつけたところ、特別な通信回線を繋げていたというのだ。―――敵方と。


「事情聴取しようとしたところ、一歩こちらが遅かった。システムに仕掛けをして逃亡した。破壊と復旧を拒むプログラム。丁寧に置き手紙つきで」

「まさか―――」

「君を呼び出している」


 ああ、彼女だ。私は反射的にそう思った。 



 静かの海と言っても水がある訳ではない。月面のとある地帯を昔ながらの名でそう呼んでいるだけだ。


「何でこんなことをした?」


 彼女の置き手紙はこうだった。私を使者として寄越して欲しい。そうすればシステムの修復プログラムを渡す、と。

 そして上司からの命令はこうだった。

 渡さない様だったら射殺せよ。


「知らなかった? 私あなたのことがとても好きだったのよ」

「知っていたよ」


 君の気持ちは判らない訳ではなかった。だけど私に何ができよう?

 だって君は、あの無能な上官の娘だったじゃないか。

 だからこそ名家の娘であっても士官学校なんてところに入ることを許してくれたんだろう。軍人一家だったのだから。

 そしてある程度の腐敗を当然のものとして判っていたから。

 だけど君はその下で潰された者の痛みを知っていただろうか?


「知ってたわ」


 私の心を読んだかの様に彼女は言葉を発した。


「あなたが時々苦しそうな顔をしてたこと。だから私、情報局に入ってから調べたのよ。父のことも、あの作戦のことも。……そしてあなたのお母様とお兄様のことも」


 私は黙って彼女の言葉を聞いていた。あの頃よりなお涼やかに耳に響くその声。以前は耳元で聞こえていた。じゃれつく腕。背中に張り付く胸。漂う香り。


「……あなたはいつか私の父を殺すだろうと思った。仕方がないのかもしれない。だけど」

「君は似ているよ。そうやって、システムを止めればどれだけの者に影響を与えるか本当の意味で判っていない」

「判ってるわ」

「じゃあ何でそんなことを」

「そこまでしないとあなたに会うことができなかったから」


 自分に酔うのはいい加減にしろ、というのは容易い。だが。


「システムの解除と情報そのものはこの車にあるわ。別に敵方に渡そうとか向こうに渡ろうなんて思ってない」


 淡々と語るその声が震えているから。


「信じられるか」

「父に結婚しろと言われたの。もう後が無かった。―――死んでもいいわ」  


 嗚呼。

 それだけは、言われたくなかった。

 せっかくずっと押し殺してきた感情が。君に対して、ずっと。

 私は彼女にゆっくりと近づいて行く。彼女はそのスーツにぴったりとくるまれたしなやかな腕を伸ばす。

 抱きしめる。 

 スーツ越しでも、鼓動が判るくらいに。

 何処かへ逃げてしまおうか? 一瞬そんな気持ちが湧く。

 と。

 右手に何かが当たる。銃だ。

 撃って、と彼女の声が耳に届く。判った、と私は答えた。

 私は彼女と共に逃亡することはできない。右手で銃を受け取る。


「最後に、一つだけ本当のことを聞かせて。貴女が一番好きだったのは誰?」


 だから精一杯の気持ちを込めて私は言おう。


「間違いなく君だったよ」


 そしてそのヘルメットにつけた銃の引き金を―――

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