57 ~懐中時計は脈々と~

「簡単に会えると思ってるの? ましてや、僕がそれを待つほど暇だとでも?」


 ランディが目を細め、初めて面白くなさそうな顔つきに変わった。形勢は不利に思えるなか「それなら大丈夫です」と勇ましく手をあげたのはサヤカだった。


「今なら視えます。シズエさんの姿と記憶が。探さなくても、想えばここに、すぐにでも」


 サヤカの手のひらで懐中時計が光を纏う。いつか見た眩いばかりのものではなく、形容するならそれは、川沿いで二人が追いかけていた蛍のようだった。


「なんだ、エイジアの時計に入っていたんだ。いや、良かった。探す手間が省けたね」


 ランディが言い終わるのも待たずに、二人は背後に気配を察知しふりかえる。そこにシズエがいた。あまりにも自然に。あたかも三人でこの部屋を訪れたかのように。


「お姉ちゃ――――」

「シズエさん――――」


 二人の声は、シズエが抱きついたことでかき消された。


「……こわかった」


 二人を抱き寄せたシズエの第一声は微かに震え、しぼりだすようなものだった。


「あのときから今までの記憶はないんだけど、自分が失くなる感覚はあったの。すごく……こわかった」


 シズエの弱々しい腕に手を添えたダイチは徐々に表情が崩れていく。


「良かった……。あんな終わりかたで、家に帰っても気になって仕方なかったんだよ。また会えて……本当に良かった」


 ダイチがいつの間に溢れでた涙を拭く間も惜しみ、現世で渇いたままだった想いをこめて抱きかえす。彼のとなりには同じく泣き張らし、言葉にならない声をあげるサヤカがいた。


 ランディは三人に背を向ける形で椅子をまわし、しばらく天を見上げたまま束の間の思案にふけっていた。


 もっとも彼だけでなく、この場にいる全員が「別れ」という避けられない現実を脳裏においている。それでも、あるいはだからこそ、必ず訪れるときを思い出の棚に仕舞うため、生きている者は再会を喜びまた涙するのだ。


 シズエが泣きじゃくるサヤカの耳もとに口をよせる。


「ダイチのこと、よろしくね」


 ダイチには聞こえないほどの小声で言い、「これを言えて良かった」とつけたしてシズエから腕をほどいた。


 そのまま二人の体を後方へ促す。ランディが待ち構えている方へ……。


「じゃあ、もういいかな?」


 足に根がはったように動けない二人のもとへ、ランディがゆっくりと近づきながら、先ほどの質問への答えを再度もとめた。


「この時計が本来の機能を発揮すれば、ルートを作り変えられるし、君のお姉さんも、他の保留者も、すぐに行き先を決められるさ」


 澄んだ水面のような声音が二人のなかに染み込んでいく。


「でも、死んでもいない、時計の所有権を持たない君たちは当然だけどルートでは存在できない。もう、お別れになるけど……良いね?」


 うつむいていたダイチが顔をあげ何かを告げようとしたとき、それを遮ったのはランディではなく、背後から肩をたたいた細い手だった。


「振り向かないで。お願いだから……」


 三人はもうそれ以上くちを開くことをせず、ダイチとサヤカが合わせて肯定の意思をみせる。


「うん。じゃあ二人の時計を僕に」


 二人の手からランディの手へ、時計が渡される。最後にシズエの声で「元気でね」と聴こえた気がした。それも今となっては蝉しぐれに飲み込まれ、二人の耳に残る微かな感触だけがすべてだった。


「……帰ってきたんだ」


「うん……お別れ、できたよね」


 時刻は正午を迎えたばかり。逃げ場のない直射日光が、疑いようのない空の青さが、二人の帰還を約束していた。


 そして今も握られている、文字盤を失った懐中時計も。


「誰にも言えないけど、忘れちゃいけない体験だったね」


「誰にも言えない。でも、俺たちでたまに思い出すのは良いよな」


 シズエの墓石に手を合わせ、二人はどちらからともなく歩きだす。


「二人で一緒に抱えていけばいいじゃん。ルートは現実にあるんだから、いつかまた皆に会えるかもしれない」


 互いの手が幾度かすれ違うのち繋がり、ダイチがサヤカの歩幅に合わせるかたちでシズエのもとをあとにした。互いの胸に、懐中時計のイミテーションをしたためて。






・・・






 分解を経て、再構築された死後の国ルート改め『中間地点ルート』その機関長室。


「本当に良かったの? あんなに会いたがっていたのに」


 ランディが文字盤に写る現世の二人に目を向けながら、不遜な態度で佇む女性に問いかける。


「記憶をとりもどした途端に嫌味ね。あなたこそ、門を小さくしたがってたじゃない。大きいままよ。いいの?」


 疑問符の矛先にある青々しい眼光が、幾度か瞬いた後おどけた顔を作ってみせた。


「まあね。でもだめだよ。ラサンタ達が通れないと怒られるから。それより君はこれから忙しくなるよ。四人が消えちゃったからね」


 腕をほどいた女性は鼻をならし、それ以上何も言わずに部屋をあとにした。


「現世に残った時計の核。何十年後かな。楽しみだな」


 再び静寂を迎え、ひとりになった室内。手もとの時計に夏の景色をふくらませ、誰にともなくランディが口ずさむ。夜明けを知った鳥がさえずるように、おもちゃを隠した子どものように。


「本当に……楽しみだ」






・・・・・・・・・




第一章 完

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死後の国 ルート 白川迷子 @kuroshi

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