8(終)
何度か霧吹きを吹きかけたスタイリストに、仕上がりを確認するよう促される。
鏡には産毛の剃り残しひとつない、なめらかな顔が映っていた。丁寧に仕上げられた私の貌は、しかし平生の血色を失った土気色に染まり、くすんだ目元の色合いが実際の隆起以上に落ち窪んだ眼光を強調していた。
完璧だ。ありがとう、と、私はスタイリストに率直に謝意を表す。
確認を取るように取締役のほうへ振り向くと、力強く
取締役が握りしめている経済紙の一面には、対照をなすように二枚の写真が配置されている。ひとつはよく見知ったテッドの不遜な笑顔と、そしてもう一枚は、窶れ憔悴しきった私の顔だ。
役員たちが会見に私を同席させることを思いついた決め手が、この見出しだった。匿名のリークによる発覚から四日が経つ。世論の潮流は、問題の発覚が極めて初期の段階だったこともあって、スキャンダルの原因をテッド個人の人格と資質に求める方向へと流れつつあった。社へのイメージダウンは最小限と呼んで差し支えない範囲でコントロール可能だろう。事態の収拾とガバナンスの再度徹底。そこでシンボリックな役割を果たした私は、コトが落ち着いた暁にはプレミアチケット付きであの会議室の、神殿の参事として迎えられるであろうことは、いまや既定路線であるといえた。
『爆弾』は、私個人にとって最も好ましいタイミングで爆発してくれた。それが一体誰の作為によるものかなどといった課題には、誰も興味を向けないだろう。ここから先の最大の課題は、イメージ操作になる。15分後には私の顔、土気色にコーティングされた私のなめらかな面の皮が、全メディアと大衆の視線と関心の向かう範囲となる。面積にして0.2平方メートルにも満たないなめらかな面の皮が、多くを左右するのだ。
記者会見の時間はもう間近に迫っていた。私は髪を掻き上げ、最後にもう一度だけ、と、顔色と表情を確認する。指の腹で髪の束の触感を確かめた私は、ふと思いついた提案を、スタイリストに投げかけた。
「そうだ、髪はもう少し乱したほうがいいかな?たとえば、何本か額に垂らしてみるとか……」
スタイリスト、そして取締役からの賛同を得ると、わたしは鏡へと向き直った。整髪料で固く丁寧に整えられた毛髪を乱し、ほどよい乱れ具合へと整えはじめた。
鏡を見ているうちに、しぜんと鏡面に映る猿の相貌が目に入った。
猿はもう、毛繕いをしているのでも、目をまろくしてわたしをじっと見つめているのでも、微笑んでいるのでもなかった。猿は、これまで私が一度も見たことのない貌をしていた。
猿は唇を引き攣らせると大きく開き、今まで一度も私に見せたことのない歯茎までを露わにして、大きく歯を剥いて見せていた。なぜだろうか、その表情はちょうど、嬉色をこれ以上ないほど満面に充たしてわたしに向かって笑いかけているかのように見えた。
<了>
わたしのなめらかな毛皮 威岡公平 @Kouhei_Takeoka
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