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 また、長針が動く音が聞こえた。


 長針の動く音一度ごとに、鼓動は大きく、リズムを速めていくように感じた。試験終了まで、時間はもう残り5分を切っていた。


 この時私の脳裏には、数か月前に見た父のどこか狒狒じみた貌が不思議と鮮やかに浮かび上がってきていた。ケンの書いた字は相変わらずはっきりと見て取ることが出来たが、私はそこに書かれたものの意味を読み取ることを拒否していた。


 だが一方で、保証などなかったが、ケンならば正解しているであろうという確信は、頭の中では無視しきれないほど大きくなりつつあった。私の前でケンは常に、それを確信させるに足る少年だった。


 父の貌とケンの筆跡と確信との三者が、もはや記憶と瞳が映す図像と観念の区別なく目まぐるしく入れ替わっていた。


 逡巡の最中、窓の向こうの猿と目線が合った。


 猿は何かを確信したかのように、顔を歪めた。

 

 瞬間、私は両の眼を真円の形を取っていたのではないかと思ってしまうぐらいに見開いて、ペンを走らせていた。




 しばらく後、休暇を間近に控えたある日、件の定期考査の結果が発表され、点数を添えた順位表が廊下に張り出されることになった。


 「1位」という順位とともに、私の名前は結果発表の大きな紙のいちばん左隅の位置に記され、そのすぐ下にケンの名前が並んだ。

 

 帰省してすぐ、私はその結果を父に報告した。

 極めて平静を装ってこそいたが、名状し難い種々の葛藤としこりが、未だに私の心中で蠢いていた。父は拍子抜けするほど素直に私の勝利を喜んだ。


 あの日の教室の中で、あれだけ焦燥と逡巡とで頭を満たしていたのに、記憶の中の父の表情は茫漠としている。相反するように、教室の窓の向こうに映った猿の顔だけは、ひどく鮮明に記憶に残っていた。


 鮮明というよりも、脳裏にこびりつき離れてくれない、とさえ言ったほうが正確かもしれない。


 何十年かの間、私は猿がそうする様をごく僅かにしか見たことがなかった。


 その瞬間、猿は笑っていた。


 目にした瞬間、その猿は嬉色を顔面に漲らせるように、引き絞った両の頬を釣り上げ窓の向こうで笑っていたのだった。

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