ライオンとサクラ

朔 灯花

第1話

降り積もるサクラが見えた。




片田舎の進学校の授業中、冷気が入る窓ごしに、ぼてぼてと落ちてくる綿ぼこりのような雪をみながら、彼女はいつもと同じ悩みをただグルグルと考えていた。

「遠くに行きたいな」ただその一言に尽きる。

別に深い悩みではない。

物心ついたときからそんな思いが心を通過し続けている。


特に親が虐待してくるとか、友達がいないとか、勉強ができないとか、スポーツができないとか、容姿がイマイチだとか、どれも当てはまらない。

母は専業主婦でたまにヒステリーになるが仲は良い。父は高校教師で厳しいが愛してくれるイイ人だ。

友達も多く、よくいう学校ヒエラルキーの中でも上位、勉強も運動もそこそこ上位、容姿もそこそこイケているので男子にもそこそこモテた。

ただ特に突出したものはない器用貧乏で、全部が上の下なので、特に誇れるものや好きなもの、ハマるものはない。

こんなことをみんなに言えば叩かれそうだ。

特に生活に不自由はない。門限が早くて厳しいくらいだ。ただ幼少期の1人で外に出ることを禁じられていたときから、家のトイレの小さな窓から外を眺めて、ただ「遠くに行きたい」と思った。


その思いは十数年経っても減ることなく、膨らんでいた。特に小さな窓から見上げる、ピンクと紫とオレンジと淡い紺色が混じり合い、薄い巻雲が揺蕩う空を眺めるとその想いは強くなり続けていた。


旅行はもちろん好きで、いろんな世界を知れる地理の授業も好きだったが、ただ自分の思う「遠く」とは何か違う気がしていた。


授業内容は片耳でなんとなく頭に入ってくる。今は現代文。異常に背の高い巨神兵みたいな若い教師の眠たくなる低い声が、外の景色とマッチして物悲しい気分になる。

そんな気持ちを続けると病みそうなので、部活の今日の練習メニューは雪上サッカーにしようかなと考えを巡らせる。

校庭にこんもり、ふんわりと積もった綿ぼこりの中にダイブして、サッカーコートを作れば楽しいし筋トレになる。



冬の部活は早めに終わる。

日暮れが早いからである。室内の筋トレだけでは夏の外練よりは早く終わるし、遅くなる日は人工芝の室内コートが使える日だけだ。

今日もそこそこ疲れた。家まではここから一時間半はかかる。寝落ちしないように気を付けて帰ろう。

そんなことを考えながら高校から駅まで、吹雪の中を伏し目がちに歩いた。


駅についたころには、一番防御の薄い、タイツだけの太ももは感覚を失っていた。

電車まではあと26分。ホームに出ると吹雪に当たるため、数人いる駅利用者はそれぞれホーム手前の風を防げる壁がある階段で待機している。


その駅利用者の中に、見覚えのある姿を見つけた。

小、中一緒だったマユコだ。一緒といっても大きな学校だったし、クラスも同じになったこともないので付き合いは薄い。友達の友達というくらいで、共通の友達を通して何度か輪になって話していたときに、会話はしたことがある。二人だけですれ違えば会釈くらいはする。

そんなに仲の良くない人には興味がないので、マネキン程度にしか認識しないが、この子は覚えている。

顔が可愛らしく笑顔が素敵だなと思っていたからだ。芸能人のように色白でキレイというより、地黒で健康的、髪もいつもおさげだが、それがよく似合う。黒目がちなくりくりの瞳が可愛らしく、笑うとヒマワリのような自然な明るさがある。

彼女はなにか本を読んでいるみたいだ。周りにはまったく興味がないかのように読み耽っている。

彼女と最寄り駅は同じだ。私のことを覚えているだろうか。そんなことを考えて、めったに自分から声をかけることはないのに、唐突に声をかけるべきだと思った。

ただ手ぶらでは心もとない。電車が来るまではあと24分。そこで反対側のホームにある自販機に目がついた。あ、暖かい飲み物を買って近づこう。自分で思い付いておいて、おじさんのナンパみたいだなと心の中で苦笑いを浮かべつつ、自販機まで歩いた。

自販機は吹雪のホームにあり、だいぶ凍っている。あたたか~いと書いてあるマークをチェックし、ココアとコーンポタージュを買う。この組み合わせでどちらも嫌いな女子高生はそういないだろう。


がごん。という音と共に落ちてきたが、拾い上げるためのプラスチックの蓋の縁が凍っている。手袋をしない派の手をポケットから出し、雪が触れては溶けるという苦行に耐えて、張り付いている氷を長めの爪で剥ぎ取る。やっと拾い上げた缶の熱さは感じられない。走ってホームを去り、風を防げる階段まで来て手の感覚を取り戻したが、熱すぎて今度は缶を落としそうなる。慌ててコートの裾を引っ張り、コート越しに缶を抱えた。


お気に入りの紫色のムートンの底についた雪をギシギシ言わせながら歩き、彼女のもとへ歩く。

先ほどみたときと変わらず、彼女は本に没頭している。スマホばかり見ている女子高生が圧倒的なため、おさげ姿で本を読む彼女はなんだか昔の女学生というようなイメージだ。


思い切って声をかける。


「久しぶり」


緊張したが、緊張してないように振る舞うのは私の唯一といって良い少しばかりの特技だ。

急に声をかけられ振り返った彼女は、きょとんととしながら私の顔を見上げ、その表情はパッと笑顔になった。


「久しぶり!会うのは卒業以来?同じ駅使ってたんだ!!」


あーそうだ。この子はこんな声だった。ヒマワリをイメージするのは顔だけじゃなくこの声のせいもあるなと思った。


「そーだね。今まで会わなかったの不思議だね。あ、これ飲む?どっちがいい?」


そう言って、ココアとコーンポタージュの缶を差し出す。


「え!あ、ありがとう!レイカちゃんはどっちがいい?」


彼女はさして親しいわけではない子から差し出された手に驚きながらニコニコしている。


「私はどっちも好きだから、お好きな方をどーぞ」


「ありがとう。ならココアもらってもいいかな?」


「もちろんだよー」


そう言って私はココアの缶を差し出す。


プシュ、カポ、と音が響き2つの缶が開く。

ホカホカと湯気を立てる飲み物を手に、比較的濡れていない場所を見極めて、マユコの近くに腰をおろす。

コーンポタージュを一口飲むと口の中で粒々のコーンが転がり美味しい。


「レイカちゃんが私のことを覚えててくれてるなんてビックリ!元気にしてた?2年ぶりだよね?」


「覚えてるよ!そうだね、卒業してから会ってなかったもんね。元気だよ、部活で朝晩とも登校時間がずれてるから会わなかったのかな?」


「あー!きっとそうだね!私は忙しくない文化部だから。今日はたまたま図書館寄ったら遅くなっちゃって」


そう言ってマユコは照れ笑う。

自分とは違い裏がなさそうで相変わらずステキな子だと思った。


「そんなに面白い本あったの?さっき読んでたやつ?」


「そーそー、つい夢中になっちゃって。ファンタジーなんだけど、主人公が女子高生でカッコいいの」


「へー!そーなんだ。私も小学生中学生のころはよく読んでたんだけど、高校からは部活が忙しくなって全然読まなくなったなぁ。また読もうかな。」


その後もココアとコーンポタージュを挟みながら、二人でとりとめもない話を続けた。

なぜか、彼女との会話は外の吹雪とは反するように、夏の木陰で話しているような心地よさを感じた。

そういるうちに、ホームに電車が入ってきた。

古びた2両編成のワンマン列車。出入口にある(開)ボタンを押して、モワァッとした空気の車内へ入る。


乗客は見える範囲で三人だけ。コートや靴に付いた雪が溶ける前に一通りはらってから、マユコと共に硬い小豆色の座席に座る。


家まではこのまま48分電車に乗り、最寄り駅から20分程度歩けば着く。マユコはずっと話している。聞いていてもこの子の口からは悪口や噂話が少ないので楽だ。

相づちを打ちつつ、一人で彼女との心地よい時間を満喫していた。



いつから眠っていたのだろう?

ハッして周りを見渡す。隣にはマユコがいるが眠っている。他に乗客はいない。列車は止まっている。

もしや終点まで来てしまったのか。今の時間では戻りの電車はあっても2時間後かもしれない。そうだとすれば親に連絡しなければ。吹雪の中、車を運転してきてもらうのは忍びないが仕方ない。

そんなことを思いながら、ポケットのスマホを手で確認し、マユコを起こす。


「マユコ起きて、寝過ごしちゃったみたい」


「んー。なにー?」


事態を理解していないマユコはのびをしている。

そのマユコの手をひき、とりあえず今どの駅にいるのか外を確認しようとドアに近づいた。


ドアの横、(開)ボタンを押す。




目の前には、降り積もるサクラの景色が広がっていた。

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