灯籠流し

清野勝寛

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灯籠流し



「人間って凄いよな。死んだ人の魂がまだこの世界にあるって考えてるんだから。ある意味間抜けかも」

 暗闇に浮かぶ薄明かりを、川べりにしゃがみ込んで見つめながら、どこか悟ったような口調でジュン兄ちゃんはそう言った。色々多感な時期なんだろうな、と私より二つ年上の彼に対してそんな感想を抱いたのは、私の方がジュン兄ちゃんよりもずっと大人だと思っていたからだ。

「何それ。じゃあジュン兄ちゃんはどこにあるって思うのさ、魂」

 川に浮かぶ灯籠に、手を合わせている人がいる。その人達に聞こえたら怒られるだろうなと思い、こそっとジュン兄ちゃんに聞いてみる。あぁ、と勝手に何かを納得したように立ち上がり、呟いた。

「ないよ。魂なんて。そんなものはない」

 ずいぶんはっきりした物言いだ。いつもは少し頼りないところがあるジュン兄ちゃんがそんな風に言うなんてちょっと意外で、私は更に問い詰めた。

「どうしてそんなことが言いきれるのさ?」

「仮にあったとしたら、この世界は魂ってもので溢れ返っちゃってるだろう。一体これまでに、どれだけの生物が生き死にを繰り返していると思うんだよ」

 その言い分にはとても納得だった。確かに、いつまでも漂っているのだとしたらこの世界は魂というもので飽和してしまう。例えば空気中に含まれる酸素や窒素、二酸化炭素のように、ごく微量でも、口にしたりしているのかも。それはちょっと嫌だから、ジュン兄ちゃんの意見を私は支持したい。

「それに、」

 言いかけて、私の顔をちらっと見る。私の方が少しだけ背が高い。でも、それもそのうちうんと離されてしまうのだろう。ジュン兄ちゃんの家系は、みんな背が高かったから。

「そんなもの、あったって意味ないんだ。死んじまったら」

 吐き捨てるようにそう言って川から離れていくジュン兄ちゃんを、追いかけるか一瞬迷う。私は一年に一回のこの行事が、好きだったから。


――ジュン兄ちゃんのおじさんは、私がまだ小学二年生だった頃に死んでしまった。あの時もジュン兄ちゃんはしばらくの間塞ぎ込んでしまっていたけれど、おばさんが無理矢理私とジュン兄ちゃんを遊びに連れて行ったり、おじいちゃんおばあちゃんも一緒になって、皆で旅行に行ったりした。おばさんだって本当はおじさんがいなくて悲しかっただろうけど、悲しんでいるところなんて、私達に見せたことなかった。

 そうこうしているうちに、なんとなくおじさんがいない生活が当たり前になっていた。でも年に一回、この日だけは少しだけ皆真面目な顔をして川に灯りを積んだ船を流すんだ。こんなこと思ってしまうのは間違っているのかもしれないけれど、私は皆とこうやって一緒に、船を見つめる時間が好きだった。静かで、綺麗で。少しだけ寂しくて、少しだけ、温かいような。そんな気持ちになるから。


 去年の年末、おばさんが倒れたのは突然だった。そしてそれから結局、意識が戻らないまま死んでしまった。最後におばさんとどんな話をしたかさえ覚えていない。それくらい突然だった。おじさんの時もそうだったけど、隣でジュン兄ちゃんがずっと泣いていたから、泣くタイミングを失ってしまった。まぁ、私が泣くよりきっと、ジュン兄ちゃんが泣いた方が良いし、それでいいかと思った。



――一度、川を振り返り見つめる。色々な思いを乗せた箱舟が、灯りを背負ってゆらり、ゆらりと流れていく。大きいものから小さいものまで、不規則に揺られて。川の周辺は街灯が少ないから、灯りの一つ一つがとても良く見える。せせらぎに合わせて震えたり、明滅したり。蚊が鬱陶しいのと、蒸し暑過ぎるのが厄介だけれど。

「――ごめんね」

 はっと振り返っても、近くには誰もいなかった。聞き覚えのある声。昔、私に氷菓子を振舞ってくれた時を思い出す。なんだか懐かしくなって、少し嬉しくなった。

 でも、ジュン兄ちゃんはそうじゃないんだ、きっと。悲しくて、悲しくて、一年に一回、この行事がある度に、おばさんがいた時のことを思い出して悲しくなって、おばさんがいなくても自分が生きているということで悲しくなって、おじさんの時のように、少しずつおばさんがいなくても平気になっていく自分がいることを思い出して、また悲しくなってしまうだろう。

「大丈夫だよ、おばさん」

 空中に呟いてみる。ジュン兄ちゃんは、一人になってしまったけれど、私がいる。ジュン兄ちゃんのおじいちゃんとおばあちゃんもいる。寂しくなんかない、はず。今日だって一日中、一緒にゲームをして遊んでたんだよ。ちょっとだけ宿題をやって、それから庭の草むしりをするからお前も手伝えって。私は優しいから、ちゃんと手伝ってあげてさ。それから、一回家に帰ってご飯を食べて、ここまで一緒に来た。

「――」

 その呟きに、返答はなかった。当然だ。だって魂なんてものは、この世界には存在しない。

 でも、想いは残っているのかもしれない。ジュン兄ちゃんを大切に思う、おばさんの想い。その方が、私にはしっくりくる。

「またね、おばさん」

 私はすっかり見えなくなったジュン兄ちゃんの背中を追いかけた。



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