ライラックの花が咲いて

デッドコピーたこはち

ライラックの花が咲いて

 宇宙の暗黒と大気の青さの狭間にその白い機体はあった。そのコックピットの中にパイロットの男は居た。神経的、肉体的にも機体と繋がり、半ば機械と一体化した男は、そのガンカメラで、遥か下方に見える復興した祖国を見つめていた。


 バズヴ・6は冷戦期に作られた終末兵器の一つであり、戦略核ガンシップの一機である。機体は無尾翼で、ひし形の一方の対角線を長く引き延ばしたような形状をしている。その長大な翼には、大型のマイクロ波空気プラズマ式ジェットスラスターが6基据えられていた。このスラスターは、エアインテークから取り入れた空気をマイクロ波で加熱してプラズマ化し、電磁加速して推進力を得るというもので、燃料や推進剤は必要なかった。バズヴ・6はほぼ自己完結したシステムを持っており、発電衛星からの電力供給をその翼で受け取り続ける限り、半永久的に飛ぶことができた。

 スラスターの6基中2基は故障し、完全に動作を停止していたが、バズヴ・6は理論上スラスター1基だけでも飛行が可能で、飛行自体に支障はなかった。

 この巨大なガンシップは、機体下部に核弾頭を極超音速まで加速可能なレールガンを持っている。敵国の核攻撃に対して即座に反応し、高高度から戦略核を撃ち込んで、敵首都を確実に破壊するのが任務だ。

 バズヴ・6が任務を果たすとき、それは世界の終わりを意味していた。


 この半世紀の間、幸いにして、バズヴ・6が攻撃指令を受けることはなかった。それどころか、一時期から司令部との連絡も途絶え、定期メンテナンスの為の一時帰還命令すらも下されることはなかった。

 パイロットの男はうすうす何かが起きた事を察していたが、命令がない限り地上に戻ることはできなかった。それ以上に、男は地上に戻る事を望んではいなかった。男の魂は空にあった。

 男は幸せだった。ヒトの形を捨ててまで、できるだけ長く飛び続けようとしたこの空を、半世紀の間飛び続けることができたのだから。男は祖国の遥か上空にある周回ルートを延々と飛び続けていた。

 男は、時に星を見て、時に地上を見た。司令部との定期連絡が途絶えた頃からの祖国の発展具合といったら、凄まじかった。木々が枝葉を伸ばすように国中に交通網が伸び、首都には信じられないほど高い建築物が林立するようになった。夜の間でも、都市たちは星々の様に光を放ち続けるようになり、男は上を見ても下を見ても、星空を楽しむことができる様になった。

 各地に大きな空港が作られ、見たことのないタイプの航空機が飛び交う様になった。驚くべきことに、その航空機たちの中には、敵国の都市に直接向かうものすらあった。

 男は失ったはずの嗅覚で、ライラックの匂いを感じた。春先に、故郷の草原に花咲く紫色のライラック。男は悟った。どんな寒い冬にも、やがて暖かい春が来るものなのだと。


 そんなある日、男は半世紀ぶりに通信を受け取った。男にまだ足があったのなら、飛び上がっていたことだろう。

 コード1001。「敵核攻撃により首都壊滅、反撃せよ」、そういった意味のコードだった。男は急いでガンカメラを祖国の首都に向けた。何ともない。SF映画でみたように林立する高層建築物も、その谷間を縫って走る色とりどりな自動車たちも健在だ。

 レーダーや赤外線カメラにも目立った反応はない。観測範囲内で核爆発があった様子などどこにもなかった。

 何かがおかしい。男は「核攻撃を確認できず。そちらでも再確認されたし」と通信を送ると、今度は、コード1000、「敵弾道ミサイル発射が確認された。反撃せよ」といった意味のコードが送られてきた。いよいよおかしい。核攻撃のコードはこんな風に二転三転して良いものではない。

 男は「何かの間違いではないのか」と通信を送った。すると、またオウム返しのようにコード1000が送られて来た。

 男は通信の発信元を逆探知した。発信元は国内ですらなかった。隣国の国境線にほど近い山岳地帯だった。男がそこへガンカメラを向けると、数台の大型自動車が停まっているのが見えた。解像度が足りなくてよくはわからないが、そのうちの一台が大きなアンテナの付いた通信車両のようだった。

 男は「お前たちは誰だ?」と通信を送った。返事はなかった。


 男が考えを巡らせていると、突如としてレールガンが稼働し始めた。バズヴ・6に結合した男の意思に反した動きだった。外部からの攻撃指令が、男が下したバズヴ・6への指令を上書きオーバーライドしてきたのだ。

 正規の手段ではない。男は、何者かが強制的に核攻撃システムを乗っ取ろうとしているのだと理解した。

 男は何度も核攻撃の停止指令を下したが、すべて却下リジェクトされた。

 レールガンの12連大電力キャパシタに電力がチャージされ始めた。バズヴ・6の胴体下部が変形し、格納されたレールガンの砲身が頭を出す。

 何としてもこの攻撃を停めなければならない、男は決心した。男はもうレールガンの攻撃システムには手出しできなかったが、まだ機体の操作系は動かすことができた。

 男は右翼端の故障したスラスターに電力供給を再開した。スラスターは異常加熱を起こし、爆発した。機体に衝撃が走る。警報が機内に鳴り響き、警告灯がコックピットを真っ赤に照らした。だが、バズヴ・6はこの程度で機能を停止する機体ではない。

 次に、男は左翼の根元にある故障したスラスターに電力供給を再開した。またスラスターが爆発する。今度の爆発の衝撃は男に大きく伝わった。男と人工心臓を繋ぐパイプが大きく揺らされ、その接続口が破損した。男は自分の命が流れ出ていくのを感じた。

 バズヴ・6の長大な翼は、発電衛星からのマイクロ波送電を受け取る為の受電装置でもある。その翼が欠損したことで、受電能力は大きく損なわれた。12連大電力キャパシタにも十分な電力が送られなくなり、レールガンの発射フェーズは中止された。

 同時に、スラスターも電力不足になり、機体の高度が落ち始めた。機内の電力源が非常電源に切り替わった。


 核弾頭を乗せたこの機体を市街地に墜とすわけにはいかない。男は焦った。市街地でなくとも、国外に落とせば、あの核攻撃をさせようとした勢力に核弾頭が渡るかもしれない。それは、なんとしてでも避けなければならなかった。男はやっとのことで機体の制御を取り戻しつつ、機体を下ろせそうな場所を探し始めた。

 バズヴ・6の炎上した機体が黒煙を上げ、大きな螺旋を描きながら滑空していく。まだ高度に余裕はあるが、あまり悠長にしていると機体の方が持ちそうになかった。本来、離着水を行うべき海は遠すぎた。

 男はやっと着陸できそうな場所を見つけた。祖国の南西部に位置する大丘陵地帯である。そこは石灰岩が浸食されて作られた、なだらかな丘があるばかりで人気もなく、バズヴ・6を下すのに十分なスペースがあった。

 男が機体の高度を落としつつ、なだらかな丘々のその緩やかな谷間に沿う様に機体を調整していく。

 核弾頭が破損して核物質が祖国の地にまき散らされるような事態も避けたかったが、一種の飛行艇であるバズヴ・6には、ランディング・ギアすらない。男には胴体着陸しか選択肢はなかった。

 男は限界まで高度と速度を落とした。機体の下部に据えられたガンカメラが地面スレスレまで近づいた。そのとき、男は見た。丘陵に咲いたライラックの花々を。紫色の花びらが散るのを見て、一瞬その甘い芳香を感じた。

 次の瞬間、バズヴ・6の巨体が地面に触れた。機体に凄まじい衝撃が走った。元々大きく破損していた左翼は根元から折れた。機体が右に傾き、破損していた右の翼端が地面に触れた。バズヴ・6はそのまま右の翼端を引きずるようにしながら、右に緩やかにカーブを描いて丘陵の谷間を滑っていき、やがて止まった。


 分離主義者たちの核攻撃テロは失敗に終わった。

 逮捕されたテロリストの供述によると、政体が変わった際に、放棄されていた戦略核ガンシップへの攻撃コードを偶然手に入れ、利用しようとしたのだという。しかし、ガンシップは核攻撃コードを受け付けず、核攻撃システムを上書きしようとすると、自爆したのだと。


 ビーコンによりバズヴ・6の残骸は発見され、秘密裡にブラックボックスと核弾頭は回収された。

 男が世界を救ったことは公表されなかった。だが、その遺体は回収されて、男の故郷に葬られた。その墓地は小高い丘の上にあり、そこからは草原が見えた。草原には、毎年春になるとライラックの花が咲き誇った。

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