第3話 遺書と空想
さて。
神田という人間をわたしは知っている。
神田は、人助けが好きな奴だった。
と言うか、人を助けて感謝されるのが好きな奴だった。
弱者を助けてやるのが好きな、
他者を助けるための自己犠牲を厭わない奴だった。
神田は、相馬の幸せの話ばかりして自分の話を避けている。
しかし神田にとっての幸福は何だったろうか。
そもそも幸福とは何か。
考え方は色々だが、当人の望んでいることが満たされているというのは一つの考えだろう。
神田は何を望んでいただろうか。
誰かを助けて感謝されること。
さて。
遺書には違和感がないだろうか。
取り返しのつかないこと、についての記述があまりにも曖昧だということ。神田が何をやらかしたのか良く判らない。
状況から推察すると殺したことのようだが、殺した理由が判然としない。
自分の行為が相馬を救えていなかったことに衝撃を受けた。それは判るが、だからと言って脅迫して毒を飲ませるものだろうか。
しかも、あの書き方では自殺を決意したのは、取り返しのつかないこと以降である。
本当に心中なのだろうか?
疑問はまだある。
何故、相馬のように交際に触れなかったのか?
本題ではないから省いたのかもしれない。
偏見に晒されるのを厭うたのかもしれない。
しかし、そうではないかもしれない。
最後に。
相馬の母親が死ぬ時期が、都合が良すぎないか?
これは空想だ。
わたしの邪推だ。
人助け、というより人を助けてやるのが好きな神田は実のところ人から頼られる方ではなかった。
恩に着せるからだ。
物質的な謝礼を求めることはなかったが、感謝という感情を求め、更には悪意なく人を傷つけるようなことを言う。
つまり。
誰か、神田に頼り続ける人物がいたら、その人物は神田を独占できると言って良いのではないだろうか。
わざと神田の前で転ぶのは難しいだろうか? 階段から落ちるのは? 意図的に他の旧友と
要するに、神田の前で故意にに困り続ける誰かがいたら。
その人物が過剰なほどに感謝していたら。
神田にとっての幸せは、人助けで感謝されることである。とすれば、その人物は神田に対する幸福の供給を事実上独占することに成功したのだ。
もちろん全てが意図されていたとは言わない。幼子が交通事故が起こせるとは思えない。
しかし例えば、母親の転落はどうか?
家のなかで事故が起きやすくなるように、さりげなく細工をしておくのは不可能ではない。罠と判らぬ罠を一か所しか設置しなければ、まず発動しないだろう。けれども複数設置したら、成功の確率は上がる。
バレなかったとしても無理はない。
もちろん、わたしには証明不可能だが。
額に負ったという怪我も、当人の意図が絡んでいたのではないか。
神田の、誰かを助けたいという欲求を自分へより強く向けるために。
その人物の望み通りに同居が始まった。
そうすれば、一緒に出掛ける機会も珍しくないだろう。
写真を撮ることも簡単だろう。
相馬がSNSを、やろうと思えば個人を特定できる情報をばら撒きながら運用し始めたのは一昨年である。
それ以前からではない。
一昨年と言えば、神田を始めとして我々は二十代も後半に入った頃である。
往々にして、親が結婚の話を持ち出す頃合いだ。
神田の親も、結婚を促したのではなかろうか。
わたしのように無視する奴は無視するが、神田は感謝されたくて堪らない奴である。
親に感謝にさせるために結婚しかねない。
いや流石にそんなことはないのかもしれないが、そうした不安を抱かせる性格なのだ。
だから、その人物は神田を真に独占しようとした。
SNSの運用は、ほんの下準備だ。
神田は感謝されるのが大好きだった。
人助けのためなら、自己犠牲を厭わない奴だった。
その人物は、それを利用したのだ。
その人物は、神田によって自分は死に追い詰められていると主張した。
その人物は、死にたいと主張した。
一人で死ぬのは寂しいと主張した。
後を追ってくれると嬉しいと、それが自分にとっての救済なのだと再三主張した。
相馬が不幸でなくなる唯一の方法だと主張した。
だからと言って。
都合良く、神田が後追い自殺を図るとは限らない。実行したとしても、遺書に不都合なことを書かれるかもしれない。
しかし、そうした危険を回避する方法は存在する。
本当に相馬が先に死んだのだろうか。
神田が先だったのではないか。
遺体は二人とも腐乱していた。
数日の差なら判るだろうが、数時間の前後関係を判断できなくても不思議はない。
いかにも顔色の悪く見えるような化粧をする。保冷剤か何かで皮膚の温度を下げる。
そして、自ら右腕に傷をつける。神田の指紋の付いた包丁は、同居人なら容易に手に入っただろう。それから、噴き出す鮮血を、左掌になすりつける。
遠目には、手首を斬ったかのように見えるように。
手首の脈なんて、脇に何かものを挟んでおけば一時的に止めておくことは可能だ。
人が近くにいる間だけ息を止めておくのも。
素人が眼の反応を確かめたり、手首以外で鼓動を確かめることは少ないだろう。
まして、自殺をほのめかしていた相手なら。
その時点では、偽の動機を
神田の気配が消えたら、相馬は起き上がる。
神田が死んでいる、あるいは、もう助からないことを確認する。遺書に目を通し、書かれては困ることが載っていないか注意する。
そして、神田と同じ手法で、今度は本当に自害する。
こうして、神田が無理心中を図ったかのような現場が完成した。
相馬の計画はまだ終わらない。
最後の罠が、あのSNSに残された記録だ。
読者に解かせるために謎が作られた
不謹慎な連中に百合心中と
つまり、神田と相馬が恋人同士であったと世間に認めさせることが、相馬の狙いだったのではなかろうか。
世間は実質的に、心中だと認めている。
思慮を欠いて騒ぐ連中に批判的な人も多い。しかし批判者たちも、交際の事実を否定はしていない。女性同士であることに差別的な物言いをする人々もいる。それもまた、付き合っていたことを前提としている。
相馬は、神田の愛を独占していたことを世間に承認させたのだ。
片一方の証言しかないのに。
そもそも神田に恋愛感情はあったのだろうか。なかった証明は、もちろん不可能だ。
しかし、恋人としての行為について言及しているのは相馬だけだ。
かくして、全てが相馬の思い通りになった。
相馬は不幸だと神田は書き残したが、そうではなかった。
神田に助けて貰い続けて、最後には神田の全てを手に入れて。
相馬は、幸福だったのではないだろうか?
神田にしても、失意のために自殺したのではなく、相馬を救うための自己犠牲のつもりだったのだとしたら、不幸な思いのなか死んだとは限らない。
自分の命を相馬のために役立てられたことに恍惚としながら毒杯を
この上ない幸福感のなかで。
これは、やはり空想だ。証明しようがない。事実であろうとも、誰かに罰を受けさせられる訳でもない。
神田に恋愛感情がなかったなど、邪推の極みだと我ながら思う。
それでも、そう思わずにいられない。
だって神田は、中学の頃わたしの告白をすげなく断ったのだから。
「ごめんね。私、みんなを幸せにでしてあげたいから、いま恋愛とかに興味ないの」
卒業式の前日。たどたどしく愛を語ったわたしに、神田はあっさりと言い残し、帰ってしまった。
わたしは落ち込んだ。
異なる高校へと進んだわたしたちは、会わなくなった。
当分立ち直れないと思っていたが、数年経てば多少記憶も薄れる。
十年以上経てば完全に吹っ切れたと、そう思っていた。
誰かと同居しているという噂を友人に聞かされた。
恋人かもしれないと友人は言った。いま思うと、例のSNSをこの時期から見ていたのかもしれない。
恋愛に興味はないと言いきっていた癖に恋人と同棲だって?
ふざけるなと思った。
結果的には、わたしはとても幸せだった。
相馬の一方的な愛だったと解釈してしまえば、わたしが相馬に負けたことにはならない。相馬が事件を起こしたお蔭でそう考えられるようになった。
相馬のお蔭で、あの失敗を喜べるようになった。
失敗の原因も、おそらく相馬だろう。他の女の手作り菓子など食べさせたくないと嫉妬したに違いない。
相馬には感謝しなければならない。わたしは警察に疑われずに済んだのだから。
衝動的に行動してしまったのに、破滅せずに済むなんて。
本当に幸運だった。
幸せとはこういうことかもしれない。
こんな考え方は良くないと否定しようとしても、つい、そう思ってしまう。
だって──。
わたしは人を殺さずに済んだし、誰からも嫌疑をかけられなかったのだ。
菓子に毒を仕込んでいたのに。
本当の幸せは 舞川秋 @falltoshi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます