『茄子』黒田硫黄

柚木呂高

『茄子』黒田硫黄・著 講談社 全三巻(新装版 上下巻)

 コロナの緊急事態宣言を期に、テレワークやソーシャルディスタンスなど現在の就労環境が否応なしにテコ入れされていくのを、ある種の浄化作用のようにちょっとわかった風な遠巻きから眺めているのは、私の生活がそもそも人と会うことが滅多になく、普段人との関わりがSNSやメッセージ、ボイスチャットやビデオ通話で成り立ってもう何年もなるからだし、人との距離なんぞも私はちょっと潔癖のケがあるので外で合う人などは犬をちょこっと撫でさせてもらう以外は数歩も離れて歩く癖があるような人間だからで、――なんだか世間が色めき立って私自身もソワソワするものであるが――その生活のほどはコロナ以前と以降では何も変わっていないからだ。


 で、そんな人との関わりが希薄な私がちょっとした人間との関わりに飢えたときに読み返すのが黒田硫黄の『茄子』という漫画で、他の人にも効果があるかは確約できないけれども、これはコロナで恋人と手が繋げないとか、気軽に友人と飯を食うのができないとか言う皆さんの寂寞というか虚無感に何かしらの詩情を与えてくれる一粒の処方箋のようなものだと思ってくれれば良い。


 本作は茄子をテーマに様々な人々の生活や小さな事件を切り取った短編連作となっている。都会を捨てて土いじりをしているインテリのおっさん、親が借金で逐電して子供だけで残された女子高生、フリーターを続けている女の子と若隠居がしたい青年、スペインのロードレーサーなど様々な人が登場するが、彼らの生活や仕草が、作者特有のカメラワークと言葉回しで独特の詩情を帯びて生き生きと描かれる。


 何だって、生きるのはめんどくさい。それがそれなりに何かしていると、例えば茄子とビールを深夜にやりたくなったり、誰かと徹夜でゲームをしてエンディングを見たり、楽しみにしてた客がずっと寝てたりする、そんなものが意外と心に残って、なんとはなしに人にはそれぞれ人生があって、いっとき一緒になったり、すれ違ったり、一人になったりしてひどく流動的な人間関係というものを築く。で、その何気なく流れていく景色や言葉が、後で見るとなんだか詩情を帯びるようである。


 私がコロナ時代的な自分の生活で不自由していることと言えば他人の人生が見えづらいからで、それは一緒に飯に行ったときに聞き流すようなくだらない話の断片から収拾されるものであって、そう言った顔を突き合わせてお互いの吐く息を交換するような居酒屋のコミュニケーションから、他者のパーソナルな情景から見たナマモノのような人の営みのアレコレというのが得られる。それを家に持ち帰って酒でもやりながら思い出すと、なんだか不思議と心に引っかかって丁度良いのだ。


 そんな他者の人生の情景というものが濃縮されたのがこの作品で、これが自分の生活という孤独との食い合わせが良く、滋味のある景色がジワリと気持ちに染み込み、ちょっとした豊かな感情を呼び起こすのである。


 この本は人の温もりの代替品にはならないが、生活や人との会話に詩があったことを発見/再確認させてくれる。何も難しいことはない、ちょっと寂しくなったら酒と一緒に軽く読むと良いと思う。


「なるほどロマンチストとは自分以外はばかだと思っている奴か」

「いや昼間っから酒食らってる奴のことだろうな」

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『茄子』黒田硫黄 柚木呂高 @yuzukiroko

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