第21話 山尾庸三5 村田蔵六

○村田蔵六

 山尾は箱館帰港後も、しばらく同地に滞在し、武田斐三郎から短期間ではあるが「洋学」「測量学」を学んだという。

百一日間の過酷な経験だったが、山尾はさらに本格的に外国(欧州)で学びたいと思うのである。

江戸に帰ると、山尾は「ある懇意なる人物」に洋行の想いを吐露した。

「海外へ出て見ると誠に利益がある。就てはどうか洋行したいものであるがーといふ事を相談して見ると」

 相手は答えた。

「それはむつかしい。もし易く行かれる様な機会があったならば、自分が行きたいと想ふて居るのだ。しかし好機会があったならば心配はしてやる」(『伊藤公実録』中原邦平・明治四三)

 山尾が相談した相手は、村田蔵六(大村益次郎)である。実は村田と山尾は、以前からよく知る間柄だった。

長州ファイブの洋行計画は、山尾と村田のこの会話から始まっていたのだ。

村田は鋳銭司出身。村田の父親は秋穂の藤村家出身で村田家に養子に入った人である。秋穂二島の山尾家はよく知っていたのだ。


○不変の親心

 安政三年、山尾が上京した時期に話は遡る。

この年、四国伊予宇和島藩の御雇として仕官していた村田蔵六は、宇和島藩主の参勤に乗じて江戸へ上り、一番町に私塾「鳩居堂」を開いている。当時の「江戸切絵図」を見ると、山尾が起居する三番町の斎藤塾とはおそらく数百メートルの距離であろう。この近さもあって、村田は山尾の居場所を知り、秋穂の山尾実家に知らせたものらしい。  

 ある日、山尾は(中原邦平は、山尾の上京後「大凡十ヶ月経ってからだらうと思いますが」と書く)村田から呼び出された。村田は言う。

「お前のお父さんから手紙が来て、庸造が江戸で苦学をして居るが国へ帰してくれ。旅費は送ると言って来たが、どうだ。帰る気はないか」

 山尾は、これを拒否すると、

「どうしても帰らないならば、月謝だけでも送らせようか。お前の親父とは私も懇意の間柄だから」

と言う。山尾は、

「私は金は一文も要りませぬ」

と言い切り、村田と別れたという。


 だが事実は、山尾は親から仕送りを受けていた。『大村益次郎文書』(内田伸・昭和五二)所収の、藤村孝益(村田の実父)から村田あての書簡。(年不明二月二十四日付)

「彼父忠次郎(山尾の実父)儀、金子三両持参致し、為替呉候様相頼申候・・・此段山尾庸造子え御達し可被下候。」

 この後、事細かな記述があるが、要するに、

「金は送るが、一年十両で生活するよう言ってほしい」

と書かれている。

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真説・長州ファイブ 津和木一郎 @shiraito84

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