第46話:【終】《フィアーズ・ノックダウン》


 それから――。

 シンディの瞼がピクリと動き、ゆっくり開かれる。

 二、三度瞬いて、シンディは特に体調の異常もない様子でベッドから身を起こした。


「ここは?」

「保健室だ。あれから三日ほど経過している。気分はどうだ?」

「なにせ神に取り憑かれていたわけですからね。念のために検査しましたが、体調は良好そのもの。特に異常や後遺症はありませんよ」

「……あんたが真っ当に保険医らしいことしてるところ、初めて見たかも」

「起きて早々はっ倒されたいのですか?」


 エリゼはそう言って睨みつけるが、シンディが目を覚ますまでしっかり看病してくれていた。俺が特別目をかけている女だから、と語ったときの表情はなんとも複雑だったが。人でなしの俺に、女心というヤツは殊更よくわからない。


 ま、面白い展開の火種になるならなんでもいい。自分、悪魔なので。


「私はなんともないわ。むしろ、まさに憑き物が落ちた感じでスッキリしてる。そういうギルこそ大丈夫なの? なんかひとりでにズタボロだったじゃない」

「悪魔だからな。八つ裂きどころか百に裂けても平気なのさ」

「どんな理由よ、それ」


 俺がニヤリと笑えば、シンディは細い肩を揺らして苦笑を返す。

 そして、どこか遠くを見るような目で言った。


「ねえ。騎士の強大な魔力は《鎧》によるもので、騎士自身に特別な力があるわけじゃない……君はそう言ったわよね? でもあの自称神に操られている間、確かに感じたの。私の中で荒れ狂う、魔力とは別の、なにかとてつもない力を」

「ふむ。それはこいつのことだろうな」


 俺はシンディに、異空間の収納から蒼銀の短剣を取り出して見せた。


「このスフィアダガーって、私に刺したヤツ? なんか装飾が豪華になってるけど」

「シンディの言うとてつもない力……シンディを神の器足らしめていた力が、こいつに封じ込めてある。おそらく、魔族が言うところの《白き龍》の力だ。通常のダガーじゃ到底収まり切らないエネルギーでな。必殺キックを打ち込んだとき、同時にエネルギーが収まるよう改造したんだ。装飾も合わせて豪華にしといたぞ」

「どういう気遣いかはよくわからないけど、それほどの力が私の中にあったなんてね」


 尋常ならざる力を宿しているのが、その眼でよく視えるのだろう。

 おそるおそる蒼銀の短剣を手に取ったシンディは、戦慄を禁じ得ない面持ちだ。


「俺も散々人体を解剖していながら、今の今まで発見できなかった。俺の科学力も、現段階では手の出しようがない。いやはや、人間の体にもまだまだ秘密があるようだ」

「君のカガクでもわからないことがあるの? ちょっとビックリ」

「今はまだ、な。わからないことを解き明かし、未知を叡智に開拓する。それこそが科学の本分であり、楽しくて堪らないところなのさ」


 人間。魔族。神。龍。まだまだこの異世界は値踏みのし甲斐がある。

 どんな悪の計画で試してやろうか、今から悪魔の頭脳がフルスロットル回転中だ。


「《鎧》を壊し、《龍》の力も抜き取った。もうシンディが神の依代にされることはないだろう。その代わり、決して《幻装騎士》に変身することも不可能になったが」

「別にいいわよ。そっちに変身できないのは元々だったし」


 王族の血を取り込んだ魔族が五大公の代替となったことから、《龍》の力は神の器に必要不可欠な要素だと思われる。これと《鎧》の双方を失くしたシンディが今後、デウスに体を乗っ取られる心配はないはずだ。


 しかしシンディからすれば、たとえ障害のために扱えずとも、自分が騎士であり王族であることの数少ない証明。密かな心の拠り所だったのではないか。


 それを失ったことに内心複雑な感情がドロドロかと思ったが、とっくに吹っ切れている様子の顔だ。さらなる悪堕ちへの布石になるのを期待していたので、ちょっと残念。


 俺はシンディの手から蒼銀のスフィアダガーを回収し、異空間にしまい直す。


「こいつはしばらく、研究用に預からせてもらうぞ。いずれ、シンディ専用の強化アイテムに改造してやるよ」

「任せるわ。どの道、今の私には扱えそうにない力だし。……これって魔族の言う通り、私たちの先祖が魔族の神から奪ったものなのかな?」

「断言はできないが、無関係ということはまずないだろうな。付け加えて言えば、こいつはあの自称神にとっても脅威となる力だと俺は見ている。幻装騎士の《鎧》は、人間が《龍》の力に目覚めないようにするための『枷』なのかもしれない」


 シンディがデウスの依代となったとき、《鎧》はまるで拘束具のようにシンディの体を覆っていた。そして鎧の隙間から確かに見えた龍の鱗。人間に宿る《龍》の力を封じ、神の器として都合よく利用するのが《鎧》の本来の役割だとすれば筋が通る。


 ならば《龍》の力は、人間が神に対抗する鍵となるはずだ。

 人間たちに神殺しという壮大な舞台を演じてもらうためにも、張り切って研究を進めないとな。いやあ、楽しみだ!


「それにしても――神様までご登場とはね。君みたいな悪魔がいるくらいだし? 今更、神くらいじゃ驚く気も失せるけどさ。つくづく、今までの自分がちっぽけな世界で生きてきたのを思い知るわ」

「オイオイ、もうへばったか? まだまだ始まったばかりだぞ」


 お腹いっぱいとばかりに寝転がるシンディに、俺は低い声音でくつくつと笑う。


「俺たちが目指すのは、まだ見ぬ世界の遥か彼方。騎士も、王国も、人間も、魔族も、全てが理想の贄であり礎だ。犠牲と屍の山を積み上げて、星の大海の最果てまで踏破する。それが俺たちの『世界征服』だ」

「世界、征服」


 改めて言葉のスケールを実感するように、シンディは生唾を呑み込んだ。


「怖くなったか? 引き返すなら、今のうちかもなあ?」

「……冗談。ギルこそ、そこまで大見得を切ったからには、途中で情けないところ見せたら承知しないわよ? そのときは、私が組織を乗っ取ってやるんだから」


 示し合わせたように、俺たちは悪い笑みを交わす。

 デウスのヤツは、奇蹟がどうこうと偉そうに語っていたが。こういう奇特な相手との巡り合わせこそが、俺の力も及ばない本物の奇蹟と言うのだ。


 やはり世界は、人の生は面白い。異世界転生を試した甲斐もあった。


「ギル様。学院長から報告が。準備が整ったとのことです」

「準備? 今度はなんの悪だくみよ?」

「なに、世界征服の第一歩といったところだな。先にシンディの身支度と腹ごしらえを済ませようか。――ああ、それと」


 三日間寝ていたのだ。自室で風呂と着替えと食事が必要だろう。

 そう思ってシンディをベッドから連れ出しがてら、脇に控えるエリゼに手を伸ばす。

 彼女の頭に手を乗せ、軽く撫でた。


「ご苦労。これからも頼りにしてるぞ」

「……っ。もったいない、お言葉です」


 大した理由も意味もない。たまには労いも必要かと、思いつきでやっただけ。俺がそういう薄情な男なのは、エリゼも十分承知のはずだ。


 それでも彼女は感極まったように頭を垂れる。人でなしの俺にその胸中は推し量れないし、あまり興味もない。忠実で役に立つ、それが俺にとっては全てだ。


「あんた、それでいいの?」

「構いません。あなたも以前言ったでしょう。あなたがオンリーワンで私はナンバーワン。私は彼の最も忠実なる配下。ただ、それだけの話です」

「そ」


 同じ女であるシンディには、なにかしら感じ入るものがあったのか。

 言葉少ないやり取りで、なぜか若干通じ合った風に二人の間の空気が和らぐ。

 よくわからないが面白いので良し、と俺は二人を伴って歩き出した。


「ああ、そうだ。これから悪の組織として活動する際は、素性を隠した方が良いだろうからな。前にも話したが、それぞれコードネームを名乗って呼び合うことにするぞ。うってつけの名前が思いついてな――」


 さあ、これからますます楽しくなるぞ。





「…………」


 学舎裏で一人、ソアラは黙々と聖剣を振るっていた。


 脳裏に駆け巡るのは入学してからの、思い描いていた光景とはあまりにかけ離れた一ヶ月間。どうしてこうなったのか、なにを間違えたのか、未だ理解が追いつかない。唯一確かにわかったことは、自分で思っている以上に自分が無力だったということ。


 ダンジョンの最下層でもそうだ。神を名乗る存在と黒金の怪人の戦いで、自分たちは完全に蚊帳の外だった。


 他に並ぶ者などいない、人と国を守護すると信じて疑わなかった騎士の力。

 それが、あの恐ろしい悪魔の前ではあまりに矮小だ。


「力が要る。あの悪魔から、弱い人々を守るための力が」


 そして、道を誤ったかつての友を連れ戻すための力が今の自分にはない。

 剣を下ろし、ソアラが手に取ったのは《神剣》の破片だ。


 ――封印の間で発見した《神剣》はダミー、見かけだけの偽物だった。

 如何にあの黒金の怪人が想像を絶する存在でも、本物の神剣がああも脆く砕けるはずがない。あの剣が発していた強大な魔力は、ほんの残滓だったのだ。


 しかし、それは裏を返せば。残滓でさえあれほどの魔力を伴う『ナニカ』が、あの場所にかつて存在していた証拠でもある。

 神剣は確かに実在したのだ。それが今は失われ、行方も知れない。


「ふっ…………ぐ、がああああ!?」


 意識を集中して破片の魔力を体内に取り込んだ瞬間、激痛がソアラを襲う。

 吸収したのはほんの一滴。それだけで、千々に乱れて荒れ狂う力で体がバラバラになりそうだった。心臓の奥深くから迸る激流を、全く御すことができずにのた打ち回る。


「はあっ。はあっ」


 どれだけそうしたのか、かろうじて繋ぎ止めた意識で身を起こす。

 ふと、自分の手が目に留まる。手首から上を真紅の鱗で覆われた手が。

 軽く手を薙げば、余波だけで学舎の壁が割れた。同時に力も霧散し、手は元に戻る。


《龍》。それは魔人たちが崇める神。騎士王学院にも『赤い竜』の紋章が用いられているが、その由来は実のところ定かでない。騎士王の逸話では大いなる龍を退治したとも、友好を交わしたとも語られている。


 自分たち王族の血統に秘められた力。今はほんの一滴すらまともに扱えない力。しかしこれを十全に引き出し、御することができたなら。


 決意を燃やすソアラの耳に、遠くから呼びかける声が届いた。

 シーザーとヨシュアだ。血相を変えてこちらに駆け寄ってくる。


「ソアラー! 大変だ! 大変が大変で大変なんだよ!」

「落ち着いて。なにがあったの?」

「そ、それがですね――」

「俺が説明しよう。二度手間になるしな」


 ヨシュアの声を遮り、ソアラたちの頭上から降り立ったのは三つの影。


 ギルダークとシンディ、そしてバットナイトの変身者と思われる三人目。しかし三人とも黒いフードを被り、素顔を隠すように仮面を付けていた。しかも認識を阻害する効果があるらしく、注視しようとすれば三人の姿がぼやけてしまう。


 それでもなお見間違えようのない、邪悪な笑みを口元に刻んでギルが告げた。


「本日。学院長を始めとする教員、及び生徒の過半数の署名により、《暗黒生徒会》の発足が決定した。同時に《三角形》の生徒は《裏六芒星クロウリー》と称号を改める。《円卓生徒会》が束ねる《六芒星》と《暗黒生徒会》が束ねる《裏六芒星》、双方の組織と生徒はあらゆる面で対等な地位と権限を持つものとする」


 ギルは左肩の紋章をこちらに見せつける。

 無地だったはずのそこには、《三角形》でも《六芒星》でもない図形が。二つの三角形ではなく、二つの「Z」あるいは「N」を重ねたような六芒星だ。


 傍らの二人、さらにその後方から《三角形》の生徒たちが続々と現れ、同様の紋章を一斉に示す。統率された一連の動きには、虫の群体を彷彿させる不気味さがあった。


「我々は幻装騎士に替わる新しい時代の騎士として、諸君らを淘汰することをここに宣言しよう。……先日の宣言通り、この学院は半分我々の支配下に落ちたというわけだ」

「馬鹿な。私たち円卓生徒会になんの報告もなく、そんな決定が通るはず」

「それがですね。怪騎士の件で、僕たち生徒会の能力不足が問題に上がったそうで。逆に怪騎士がそれほどの力を持っているなら、怠慢著しい生徒たちの競争相手として、『新時代の騎士』としても一考の余地があると。円卓生徒会が口を挟んでは公平性に欠けるから、僕たち抜きで決定を下したと言うんです」

「しかも学院長を始め、身分も高いお偉方が揃って賛同したもんで、誰も逆らえなかったらしいんだよ! なにがどうなってやがるんだ!?」

「半分は半分でも上半分を支配したからな。学院長たちはとっくに俺の傀儡なのさ。いやあ、権力を味方につけると楽でいい。それに……《幻装騎士》の古き時代が終わりだという象徴として、俺が破壊した《神剣》の残骸はいい見せしめになったよ」


 つまり、既に騎士王学院は悪魔の手に落ちているというのか。

 衝撃的な言葉に眩暈を覚えながらも、ソアラは反射的に剣を構える。

 悪魔は動じた様子も見せず、肩を揺らして笑った。


「やめとけ、やめとけ。今ここで俺に刃を向けても、学院での立場を悪くするだけだぞ。仮に俺を倒したところで、氷山の一角を削るだけに等しい。俺はこの騎士王学院、引いては王都の征服と実験都市化を任された、組織の一幹部に過ぎないからな」

「一幹部? あんなバケモノみたいな力でかよ!?」

「おっと、そこは誤解しないでもらいたいな。アレは我々の偉大なる長、《大首領》の力。あの自称神と同じで、俺は器となってほんの一端を借り受けただけだ」

「大、首領? なんなんですか、貴様らは一体!?」

「それでは、改めて名乗らせてもらおうか。人を捨てた、悪魔の真名を」


 バサッと黒いローブを翻し、悪魔たちは高らかに名乗りを上げる。


「キキキ。私は組織の幹部、《ファウスト》です」

「シュシュシュ。同じく幹部、《メフィスト》よ」

「クハハッ。そして俺が大幹部、《マクスウェル》」


 三人はそれぞれ蝙蝠、蜘蛛、鬼面の騎士へと変身。

 合わせて背後の生徒たちも、一斉に骸骨騎士に変身する。

 日陰の暗がりに並ぶ異形の集団を従え、悪魔は笑った。


「我々は《フィアーズ・ノックダウン》――世界征服を企む、悪の組織だ」


 荒唐無稽極まる宣言。

 しかしこれこそが、後に世界を震撼させる恐怖の始まりだったのだ。

 

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騎士王学院の怪騎士~悪の組織の大首領にして最強怪人、転生して剣と魔法の異世界を征服する~ 夜宮鋭次朗 @yamiya-199

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