#4
「どうしてあれをやらないの?」
いつの間にかベランダから戻ってきた翔太は、
「あれって?」
「指で叩くと綺麗な音が出るんだ。」
「…ピアノのこと?」
「うん。目を閉じて聞いていると星がキラキラしているみたいで何だか楽しくなる。あの曲名も思い出せそうな気がするんだ。ねぇ、聞かせてよ。さっきの人みたいに。」
さっきの人とは
ピアノを見ると充夏はそれを買ってくれた父を思い出す。思い出すといつも悔しい気分になるのでいつも意識的に視界から外している。いっそ何処かにやってしまいたいが、手放すことは父を二度も見捨てることになるような気がして、それは出来なかった。
「あたしピアノ嫌いだから。」
「嘘つき。」
瞳だけで非難すると、彼はピアノの元へ駆け寄った。嘘つき、と言われた充夏は、ムッとし、言い返そうと翔太を見据えた。
「ほら、こんなに楽しそうな顔をしてるじゃないか。」
翔太が指したのはピアノの上に飾ってある写真盾だった。ピアノの前に座った、十歳の充夏がこちらを向いて笑っている写真。充夏は言われるまでその写真の存在を忘れていた。
「とてもピアノが好きなんだね。」
写真を手に取って、楽げに話す彼に苛立ちを覚えた。
「ピアノなんて大嫌いだって言ってるでしょッ!」
純粋な笑顔に、自分のものでありながらも何がそんなに嬉しいんだ、と叫びたくなるような衝動に駆けられる。無言で翔太から写真を奪うと近くにあった棚の引き出しの奥へ、乱暴に仕舞った。
「…嘘つき。」
少年はもう一度そう呟くと、静かに部屋を出て行った。
「…。」
視界の端に入ったピアノを睨み付ける。充夏は何故か悔しさが込み上げてきた。あんな子供に何が分かるのだろうと、唇を噛み締めるが、涙は出なかった。充夏はふと、自分は父を想って涙を流したことがないことを思い出した。離婚して、父が家を出るときも、死んでしまったときも。悲しみより先に後悔が押し寄せるのだ。あの頃いつも胸中で渦巻いていた感情が、言葉となって充夏を苛む。
『何で離婚なんかしたのか。離婚しなければ独りで寂しく死ぬことはなかったのに。ピアノのコンクールなんかに出なければ最後でも顔を見せてあげられたのに。』
『…ピアノなんて始めなければ良かったのに。』
父が死んで、充夏はまずピアノを捨てた。そして母を責めた。時が経つにつれて充夏も母も父の話を口にしなくなり、忘れたようにしているが、このピアノがある限り父を独りで死なせてしまった悔しさは、充夏を苦しめる。充夏はそうすることで自分を戒めてきた。
続く
星座の譜面 宇宙音 @tsurusawa22
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