#3

 母は傷ついた顔をしていた。口では言わなくとも充夏みかには分かる。母を責めたつもりはないが、自分が責められていると思ったのだろう。


 充夏の両親も、3年前に離婚している。離婚は悲しかったが二人が決めたことなら、と充夏は理解していた。そして充夏は迷わず母について行った。母の方が弱いと思ったからである。自分が付いていなければいけないと判断したのだ。父は最後まで充夏の意志には何も言わなかった。何故自分を選ばないのか、とは一言も言わなかった。只、家を出てゆくときに『母さんを頼んだよ』とだけ充夏に笑って言ったのだ。


 それから半年後に父は癌で亡くなった。その間、充夏は父には一度も顔を見せなかった。


 父は強い人だから一人でも大丈夫だと思っていたし、ピアノのコンクールが迫っていたのだ。大きなコンクールで、充夏は優勝候補であった。勿論父は見に来てくれるのだと信じて疑わなかった充夏は、このコンクールで優勝して、父に立派な自分を見せたかった。一人でも母を助けてゆけるんだと伝えたかったのだ。


 だが、コンクール当日に父の危篤を知った。充夏の出番直前のことだった。すぐさま出場を取り止め、母と共に病院に駆け込んだ時には父はもう亡くなっていた。充夏は泣くことも出来ず、その場で只呆然としいてた。母も信じられないといった様子で立ち竦んでいた。


 コンクールは勿論選外だった。それから充夏はピアノを弾くのを止めた。


「何を考えてるの?」


 充夏ははっとして隣を見た。さっきまでベランダのフェンスにしがみついていた少年が不思議そうな顔をして充夏を覗き込んでいた。充夏の部屋のベランダは、今はこの王子さまの占領区なのをすっかり忘れていた。


 相変わらず星を見ていたのだろう。空は晴れていて、この辺りでは珍しい程に星が姿を現していた。今の時期、昼間は暑いが夜はまだまだ冷える。今夜は特に風が冷たくて、空気が澄んでいるのも星がよく見える要因だろう。


「…あんたが一体何星人か考えていたの。」


 ふざけたように答えると、王子さまは真剣な顔をしてフェンスに身を乗り出して空に向かって真っ直ぐに人差し指を出した。


「あのオレンジ色に輝いている星の隣だよ。イプシロンだから肉眼では見えないんだ。…地球からとても離れているからね。」

「ふーん。…じゃあ何で地球になんて来たの?」


 わざとだと分かっていても、王子さまに成りきったの様子が面白くて、充夏は促すように会話を広げた。


「元々僕はこの地球にいたんだよ。でもいられなくなったんだ。だから出て行って、自分に合う星のもとへ行ったんだ。もうずっと昔のことだけどね。僕が見つけた星は僕みたいに幼い星なんだ。でもとても綺麗なんだよ。」


 でも…と、誇らしげに星の話していた彼は、急に落ち込んだ様子で膝を抱えてしゃがみ込んだ。聞こえてきた微かな音色はとても悲しげに夜の空に広がってゆく。昼間のときと同じフレーズである。充夏は王子さまの言葉を待った。


「…もう直ぐ旅に出ることになってるんだ。千年に一度の星の大移動だよ。」

「旅?」

「うん。気が遠くなる程長い時間を待って、やっと僕の順番が回って来たんだ。…時期が来たら皆が迎えに来る。だけど僕は連れってもらえない。」


 充夏は昼間の会話を思い出した。王子さまは名前を思い出せなくて、仲間に入れてもらえないのだと言っていた。翔太の中では自分は“家”から追い出されたとでも思っているのか、と充夏は勝手に分析する。親が離婚した子供の心理はよく分かっているつもりだが、翔太はまだ幼い。きっとコントロールが出来ない自分を偽っているんだろう。


「さっきの口笛の曲名が分かればあんたは元に戻るってわけ?」

「この曲名が分かれば僕にとっての大事な意味、つまり名前を持つことが出来る。

そして旅を終えれば僕は本当の星になれる。…でも名前を持たない今の僕にはその資格はないんだ。」


 深くため息を吐き、顔を星空に向けたきり王子さまは何も話さなくなった。充夏もつられて顔を見上げたが、何の変わりもない普通の星が、二人の頭上で音もなく瞬いているだけだった。



続く

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