真冬の息吹と二枚貝の薬
初めて夕映えのねえさまと会ったのは、ここに買われてきて当日のこと。
私は、売られてきたのが比較的遅かったから、教養も何もない娘だった。もう少し前から教育されていれば、高級妓楼の妓女になれることもあるのだけれど、私はそういう目がないのだと事前にきかされていた。
だから、年季が明けるまでずっと下働きをやるか、それとももう少し格下の妓楼ですぐにお客の前に出されるかだとおもっていたから、花形である彼女に仕えられるなんて、とても意外なことだった。
「まあ、かわいい子ねえ」
と開口一番、私のことを気に入ってくれたおねえさまは、店の主人にいうのだった。
「ちょうど、身の回りのお世話をする女の子が必要だったんです。この子、もしよかったらいただけないかしら」
私は、だからとても運がいいのだ。
*
この国には四季がある。
砂の国だけれど、冬はちゃんと寒いのだ。雪というのはふらないけれど、それでも風が冷たいし、空気は乾燥する。
基本的には私は恵まれているけれど、それでも冬の下働きは重労働だ。
「シャシャ、これも頼めるかしら」
「はい」
私は基本的には夕映えのおねえさま専属の侍女だけれど、基本的には下働きだから、ほかのお姉さま方に仕事を頼まれることもある。
掃除が終わって次は洗濯。冬の水仕事はきついものだが、仕事が終われば温かい室内においてもらえるのだから、外に追い出されるよりずいぶんいい。
ここは老舗の大きいお店だから、私のほかにも下働きの娘はいる。その中には未来は妓女となるようにとすでにいろいろ教育されているものもいる。
私は、というと、売られてきたのもあまり早くなかったし、愛想もよくないから、まだそういう話もでていなくて、今はただの下働き。夕映えのねえさまに見出されていなかったら、たぶんもっときつい雑用をしていたのかもしれない。
洗濯が終わって、洗ったものを干す。今日は天気がいいので、それほど寒くないのはよい。
そうやって仕事が終わると、今度はおねえさまに呼ばれて部屋に行く。
「シャシャも何かと忙しいわね」
おねえさまの部屋は暖かくて、まだ仕事が残っているのに眠くなってしまいそうだった。
夕映えのねえさまは、そのままお昼寝しちゃいなさいよ、などとのんきなことをいうが、そんなことをしていては仕事がたまってしまう。
でも、おねえさまの部屋であたたかいお茶を飲みながら、お菓子を食べるのは、至福のひと時ではあるのだった。
「あら、あかぎれになってるじゃない、シャシャ」
不意に夕映えのねえさまが、私の手をとってそういった。
確かに先ほどから痛かったのだ。ねえさまは私の指をみやりながらため息をつく。
「最近水仕事が多かったからねえ」
「いえ」
おねえさまは、ほかの妓女たちが私に仕事を頼むのをあまり快く思っていないらしい。
「シャシャは私の侍女なんだから、そんなに簡単に次から次へと仕事を頼まないでほしいものねえ」
軽くやきもちがまじったみたいな、そんなことをいうお姉さまに私は苦笑する。
「でも、私はただの下働きですし、雑用しかお役に立てないので」
「シャシャは将来有望なんだから、そんなこと言っちゃだめよ」
夕映えのねえさまは、そういいながら近くのきれいな木箱から二枚貝を取り出した。その中に膏薬が入っているのだ。
ねえさまは私の指に膏薬をぬってくれる。薬のためかじんわりと指先があたたかくなった。
「シャシャは、私が選んだ子なんだから、そんなこと言っちゃだめよ。私が選ぶってことは、シャシャが特別にかわいいってことなんだから」
「私がですか? でも、ここに売られてきたとき、あまりいい値が付きませんでした」
「それは
ねえさまは珍しく憤慨する。
「本当にシャシャは気立てもいいし、聞き分けもいいし、かといって気が弱いわけでもない。見た目だってちょっと大人びているけれど、絶対に美人になると思うのよね。だから、本当、女衒が悪いわ。うちの店のご主人様はよい買い物をしたと思うわよ」
「そうでしょうか」
「そうだわ。だって、シャシャ、子供のころの
そういいつつ、薬を塗り終えておねえさまはつづけた。
「シャシャは売られてきたのは遅いほうだけれどね、磨けばとっても光るんだから」
おねえさまはやたらと自信満々にそういう。
*
確かに、おねえさまが本気で私を使わないようにと注意すると、みんなは守るのだろう。
ただ、私はそのことでおねえさまの立場が少しでも悪くなるのは嫌だ。なので、おねえさまには余計なことを言わないようにとくぎを刺そうと思っている。
妓楼の中で、乙女と呼ばれる彼女たちはやはり特別。容姿や才能に恵まれ、まとめ役にもなりがちだ。
一方で実力でなりあがってきた妓女達とは、壁があるのも事実だった。
ただ、乙女達はそれをねじ伏せられるような器量や才能、人格を求められてもいるので、表向き大騒ぎになるようなことはない。
夕映えのねえさまだって、普段はふんわりしておっとりしているだけのようで、妓女達の相談に乗ったり、楼主に直談判したりもするし、おねえさまに義理のある妓女も非常に多かった。
ねえさまいわく、そうでないと乙女は務まらないのだとか。乙女はある種の人格者であることも条件なのだという。
一方で、それゆえに彼女達は妓楼の中に親友というものが出来づらい。格の違いができてしまうし、その辺りは難しい。
乙女の年季は、ほかの妓女たちと違い、神殿の神託がかかわってくる要素があるという。私たちみたいに金銭の額と等しいわけではないのだとか。代わりがなければ、落籍の許可が下りず、次が派遣されて許可が下りても、落籍される場合も相手が複数いれば籤をひいて決められる。
ほかの女たちとはまた少し違う不明瞭な未来。それまでの間、彼女たちは妓楼をとり仕切ることを求められる。
だからこそ、ねえさまが、私にえこひいきしているみたいな、そんな言われ方をされたくない。
夕映えのねえさまには、ほかの妓楼の妓女たちがうらやむような、素敵な乙女でいてほしい。
けれど、立派で素敵な乙女はやはり孤独なものでもあるので、それゆえか、ねえさまは私と仲良くできるのが楽しいと日頃から言う。
「乙女同士は仲がいいんだけれどね。上下関係もそんなに強くないし。でも、実際に気軽に会えるわけじゃないから」
縦の妓女とのつながりが希薄な代わりに、横の繋がりは強いのだと、ねえさまは言っていた。
横のつながりとは、乙女同士の繋がりだ。乙女達は、星の女神の神殿で勉強をするのだけれど、そこで一通り顔を合わせている。その時の親交が乙女になってからも続くのだという。
王都の、乙女のいる妓楼同士は競合していてもあまり激しくは争わず、協力関係にあるとされるけれど、それは乙女同士の関係が良好なことと無関係ではないという。
「私の同期は蓮蝶ねえさんねえ。私と違ってとても気位が高くてどうどうとしているのよ。年は一つ上だから、ねえさんって呼んでるの」
夕映えのねえさまはそんなふうに話してくれた。
「私は泣き虫だったから、ねえさんにもっと強い女になれってよく叱り飛ばされたものだわ」
ねえさまはそういって笑いながら、それでもちょっと不安げにため息をつくのだ。
「私も、蓮蝶ねえさんみたいに、強くならなければねえ。もっと立派な乙女にならなきゃ」
そんな風にねえさまはいうけれど、私から見るとねえさまだって立派な乙女だと思うのだった。
*
「だから、シャシャも手をきれいにしておかなければね。お肌がきれいなのって重要よ。お化粧のノリも違うし」
ねえさまは、私に膏薬をぬりおえてから、保湿のためだといって手袋を貸してくれた。私は手袋に手を通しながら、ねえさまの話の続きを聞く。
「でも、私はやっぱり下働きだと思うのです」
「そんなことないわ。望めば、シャシャはいつだって妓女になれるもの。そういう引き合いもないわけではないの。確かにお習い事では先を越されているかもしれないけれど、あなたは筋がいいんですもの。今からでも遅くはないのよ」
夕映えのねえさまはそうつづけた。
「ええ、踊りやお唄や文字や詩や。いろいろ習うべきことは多いけれど、シャシャならできるわ。私も教えられるし」
そういってから、夕映えのねえさまは少し複雑そうな微笑みを浮かべた。少しだけ寂しさのようなものがにじんでいた。
「シャシャは、勉強したい?」
「……はい」
少し悩んでから私はそううなずいた。
「そう、そうよね」
夕映えのねえさまは、ちょっと悲しそうな顔になりつつ、首をかしげて微笑んだ。
「妓女になったら、扱いが全然違うもの。シャシャならきっといい妓女になれるから、ぜいたくだってできる。将来の旦那様だってぐっといい身分の方を選ぶことができるかもしれない。きっといいことなんだろうけれど……。それにシャシャもそろそろ年頃だし……」
とねえさまは独り言のようにつぶやきつつ、ため息をついた。
「でもね、わがままなんだけれど、私、シャシャを妓女にはしたくないなあ……ってどこかで思っているのよ」
「どうしてですか?」
ねえさまにそう尋ねると、ねえさまはちょっと物憂げに微笑んで、
「ううん、これは私の我儘だから」
私がきょとんとしていると、ねえさまは言った。
「私がここを出ていくときに、シャシャも一緒に行けるといいのになあ」
夕映えのねえさまがそうぽつりとつぶやいた。
それは普通はかなわぬことなのだと、私でもわかっていた。
夕映えのねえさまと私が一緒に妓楼から出るためには、ねえさまを落籍したひとが、私も一緒に買い取ってくれなければならないのだ。
乙女と呼ばれる彼女たちですら、自分の身一つ自由にはできないのだ。私なんて。
もし、ねえさまの言う通り、私が妓女になったとしたら、きっと一緒に引き取ってもらえる可能性はぐっと低くなる。
けれど、私は微笑んで答えた。
「私も、そうだと嬉しいです」
*
次の日から、姉さまは私に文字を教えてくれるようになった。
もともと、文字や計算は少しずつ教えてくれていたが、古典の本や詩などを折に触れて教えてくれた。
私はねえさまからもらったあかぎれの薬をそっと指にのばす。まだ寒い日が続いている。
春になったら、もっと本格的にいろいろな習い事をするのだろう。
ねえさまは、私に表向き選ばせてくれたけれど、本当は私には何の選択権もなかったのだろうな、とうっすらと思った。
きっとねえさまは、日ごろ、妓楼のご主人から私を妓女にするべく教育するようにと話をされていたのだと思う。
薬を塗った指がじんわりと温かい。
私は春になってほしくないな、とうっすらと考えていた。
紅楼の紗羅紗 渡来亜輝彦 @fourdart
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