16.ヴィル・グリフォールの嫁

「アルヴァラの森の討伐クエストを受けたいだぁ~?」


 カウンターを挟んで立つ酒場の店主が、リリナの言葉を受けて嘲るように顔をゆがめた。


「おいおい冷やかしはお断りだぜ。帰った帰った」

「いや、冷やかしじゃなくて、本当に受けるつもりで……」

「はあ?」


 店主は不躾にリリナを上から下までじろじろ見回し、鼻で笑い飛ばした。


「無等級の灰色マントに、魔力補助用のばかでけえ魔法杖ロッドに、どこのギルドの紋章もねえ装備……いかにもな”初心者セット”そろえて Sランククエストを受注だと?」

「初心者ではないです」

「ハッ。そもそもおめぇ、酒場ここでクエストを受けようってこたぁ、ギルドにも所属してないんだろ? その時点で魔道士としては初心者も同然よ」

「……まあ、そうですけど」


 痛いところをつかれて、リリナは言葉を詰まらせた。


 魔道士は、クエストを受注するとき、大抵所属しているギルドを利用する。ギルドはそれぞれ独自の専用カウンターを持っているからだ。


 もちろんクエストを受けるならギルド員のみが利用できる専用カウンターから受注する方が良い。そのギルドにしか依頼されていない特別なクエストや報酬物があったり、報酬金額に色を乗せているところも多いからだ。クエストの種類も豊富。


 一方でギルドに所属できていない魔道士がクエストを受注するには、等級関係なく全魔道士を対象に開放されている一般カウンターを介さなければならない。


 大抵酒場に設置されているが、報酬金額が低かったりクエストの種類も少なかったりと、うまみはないと言っていい。駆け出し魔道士が路銀ほしさに仕方なく利用するというパターンがほとんどだ。


 そう、魔道士にとってギルドに所属するというのは、社会的信用を得るという点においても、仕事を得るという点においても、非情に重要なことなのである。


「薄汚ねぇ灰色マントひっさげてのこのこやってきたギルド無所属の初心者に、クエストを受けさせろって? 嫌なこった!」

「一般カウンターは全魔道士対象なのでたとえ等級無しでも受けられるはずですが……」

「初心者相手に仕事するほど俺ぁ暇じゃねえんだよ! ――おい! ちょっと誰か来てくれ! 変なのが来たよ!」


 マスターが声をあげると、酒を飲んでいた客たちがぞろぞろとリリナを取り囲んだ。鋭い目つきには手練れの空気がただよい、身につけた防具や装飾品はそこらの店には売られていないような特殊なものばかり――明らかに経験を積んだ魔道士たちだった。

 

「なんだなんだ。せっかく酒を楽しんでたってのに」

「悪いがこのバカをどうにかしてくれ。アルヴァラの森のSランククエストを受けたいんだとよ」


 とたん、酒場中に笑い声が響き渡った。


「報酬金に目がくらんだか? それとも死にたがりのバカか?」

「ありゃどのギルドも手を焼いてるクエストだぜ、雑魚等級無しごときがアルヴァラの森にいっておままごとでもするつもりかよ」

「そりゃ店主おやっさんも困るだろうなぁ。あんまりゴネるなら、身の程ってのをわからせてやることになるが?」


 ゆらり、と魔道士の一人が腰の剣に手をかけた。それを合図に、ほかの魔道士たちの纏う空気もぴりりと張り詰める。


 たちまちただよう不穏な空気に、リリナは小さくため息をついた。


「わかりました……諦めます」


 さすがに首都に来て早々に騒ぎを起こしたくない。良くも悪くも灰色マントは目につく装衣だ。厄介な魔道士だと噂が広まって、魔道騎士団に目をつけられると面倒である。


「ぎゃはは! その灰色マントが違う色になってから出直してきな!」


 魔道士たちの笑い声を背に、リリナはきびすを返した。


 最悪Sランクの魔物とやらはどうでもいいとしても、とにかく立ち入り禁止措置のとられているアルヴァラの森にさえ入れればと思ったのだが、結果は予想通りだ。


 灰色マントの等級無し、おまけにギルド無所属の“見習い魔道士”では、そもそもクエスト受注からして難しい。


 目の前に魔道士になる方法が転がっているのに――もどかしい思いでリリナは唇を噛んだ。


 一般カウンターが無理となると、ギルド無所属のリリナにはもうどうしようもない。


 無論、今から“等級無し魔道士”を入団させてくれるようなギルドを探してギルド専用カウンターから受注という手もあるにはあるが、とても現実的ではないだろう。


(仕方ない。迷い込んだとか適当な言い訳をつけてむりやり森に入るか……あんまり騎士団の目につくようなことはやりたくないんだけど……あの様子じゃクエスト受注は無理そうだし……)


 リリナが悶々と考えながら酒場を出ようとしたそのとき、


「ちょ、ちょっと待て!」


 ふいに慌てた声に呼び止められて、リリナは足を止めた。


「なんですか?」


 店にいる客たちが世間を知らぬ見習い魔道士を笑いとばすなか、一人だけ動揺した様子でリリナを呼び止めた男がいた。


「お、おいあんた、そ、その指輪、どこで手に入れた……?」

「指輪?」


 男の視線の先にある、リリナの左手の薬指。そこにはヴィルからもらった結婚指輪――もとい呪いの指輪がはめられている。


「これは――」


 ヴィル・グリフォールからもらった結婚指輪です――と言いかけて、すんでで口をつぐんだ。事実とは言え、もちろんそっくりそのまま伝えられるはずがない。


「――ただのもらいものですけど」

「も、もらいもの……」


 リリナの適当な回答に、男はむしろごくりと喉をならした。


「ちょっとよく見せてくれねえか……?」


 男の尋常ではない様子に、リリナは眉をひそめて警戒を強めた。


「言っときますけど、これ、呪いがかかってて私の指からはずれませんからね」

「と、盗りゃしねえよ! そんなおっかねえことできるか……!」

「?」


 明らかにリリナを見習い魔道士だと馬鹿にする他の客とは異なる反応である。怪訝なリリナの前で、薬指ごと指輪をまじまじと観察した男は、みるみる顔を青ざめさせていった。


「やっぱり……間違いねえ! この揺らめきを見せる薄濁りの蒼い宝玉……こりゃとんでもねえ魔宝玉だぞ……!」

「ふーん?」


 ただの呪いの指輪だと思っていたが、確かに改めてよく見ると男の言うとおり、小さな宝玉はまるでなかに蒼い炎が閉じ込められているかのごとく、わずかに揺らめいていた。


「まあ、ちょっとは綺麗かも」

「いや綺麗とかそういう問題じゃねえよ! そりゃあ――した……えげつねえ魔宝玉だぞ!?」

「は?」

「つまりその宝玉には、炎獄の番犬ケルベロスと契約を交わした者しか扱えない、第三魔法の火が込められている……契約者同様、炎獄の番犬ケルベロスの加護を受けているも同じ……! そんな代物、作れるとしたらたった一人だけ――炎獄の番犬ケルベロスと契約をかわした国家級魔道士、ヴィル・グリフォール……!」


 ぽかんとしているリリナを、男は震える手で指差して、唇をわななかせた。



「その指輪が……左手の薬指にはめられてるってことは……つまり……あんた、ヴィル・グリフォールの嫁か!?」



 とたん、それまでリリナを笑い飛ばしていた周囲の魔道士たちの表情が一変し、次々驚愕の声があがる。


「はああああ!?!?」

「ヴィ、ヴィル・グリフォールの嫁!?!?」

「ちょ……っ、ちょおい、嘘だろ!? こんなちんけな等級なしの小娘が!?」

「まてヴィル・グリフォールって女にはめっきり興味ないって話だったじゃねえか!」

「そうだ聞いてねえぞ、あれに嫁がいるなんて!」

「だ、だがこんな指輪、あの人以外に誰が作れるって言うんだよ!?」

「も――もし! もしもだ――」


 にわかに一人の魔道士が神妙な顔をして、ぼそりと低くつぶやいた。


がこれを知って報復にでも来たら……この等級なし――い、いや“グリフォール婦人”を笑い飛ばしたオレたち一人残らず……炎獄の番犬ケルベロスの火に焼かれて……一瞬で消し炭なんじゃ……」


 一転して、しん、と酒場はが静まりかえった。


 いっそ人一人死んだくらいの沈痛な空気が立ちこめ、どんよりと重い沈黙が、魔道士たちの間に立ちこめた。


「……お、おおおおおおおおおい、だから言ったろ――」


 その重い沈黙の中、ぼそりと声をひねり出したのは店主の男だ。


「みみみみみ見てくれで人を判断するもんじゃねえって……俺は馬鹿にしてねえからな」

「ずりぃぞマスターっ、誰よりでけえ声で笑い飛ばしてたろっ!」

「うるせえ! お前らなんか危害まで加えようとしてたじゃねえか!」

「そりゃあんたが頼んできたからで――!」


「あのー」


 なんだかよくわからないが勝手に血相を変えて喧嘩しだす酒場に、リリナは改めて声をかけた。


「私、アルヴァラの森のクエスト、受注したいんですが」

「いくらでもどうぞっっ!!!」


 結局、店主はもう何も言わずにリリナのクエスト受注を許可してくれた。



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魔力0の落ちこぼれ、最強魔道士の嫁になる  まとん @matomato1129

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