第12話 ナルシトル
未熟児として生まれた。
生まれたときから彼は人よりも劣った者として生まれた。
大きくなっても変わらなかった。
勉強も、ピアノも、武術も、何もかも人より劣っていた。そして、彼は自分の持っているものが人よりも劣っていることを、不幸にも彼なりにちゃんと理解していた。
彼が唯一人よりも優れていたものは家柄だけだった。
いや、違う。家柄は自分のものではない。本当に自分が持っているものではない。
だから、やっぱり彼の中には人に認められるものなんてなかった。
だから、彼は装うことにした。
強いものを、高貴なものを、自分のものではないけど、自分のものとして扱われている家柄に相応しい振る舞いをしようとした。
だが、彼は大根役者だった。
不完全な強さの猿真似は、かえって彼をみじめな境遇に追いやるだけだった。
それでも、彼を愛してくれる人はいた。
母である。
思えば、母も悲しい人だった。
母は、父と結婚する前、好きな人がいたそうだ。
詳しくは話してくれなかったが、多分許されない恋だったのだと思う。
だが、貧しい貴族だった母の実家は、母を政略結婚の道具として使うことを決めた。
親の言いなりになって好きでもない人と結婚する。別段よく聞く話だ。だが、母はそれに耐えられなかった。
母はあまり社交界に出ることはなかった。普段から部屋にこもっていることが多く、彼が母に会うときはたいてい彼が出向いた時だけだった。
母は優しくて、繊細な人だった。
彼が部屋に行くと、母はいつも儚げな笑顔で迎え入れてくれて、膝の上にのせて本を読んでくれた。
母の部屋だけが、この屋敷に居場所のない彼にとっての唯一の安らぎの場であった。
10歳の誕生日の日に、母は彼に、青い宝石のはめ込んだロケットを渡した。
「昔、大切な人にもらったものだけど、あげるわ。お父さんにも内緒にしているものだから、大事にしてね」
そういって微笑む母の顔はあまりに儚げで。
後から思い返せば、母はこの時に何かを察していたのかもしれない。
それから3か月後の冬のある日。母は部屋の中でひっそりと息絶えた。
医者は原因不明だと言っていた。
彼はそんなわけがないと医者につかみかかった。
「昨日まで、昨日まで普通に話してたんだぞ! そんな、急に死ぬなんて、そんなわけがあるか!!」
彼の慟哭は屋敷中に響いていたが、誰の耳にも届かなかった。
母の葬儀はひっそりとおこなわれた。参拝者に挨拶をする間、父はひどく陰鬱な表情をしていた。
意外だった。父は母のことをどうでもいいものと考えているのだとばかり思っていた。
でも、客が帰った後、父の顔はすっといつもの冷たい表情に戻ったのを見て、それが全部演技だったことを知った。そして、母と同じように自分のことも見ていないのだと、彼はこの時はっきり理解した。
母の死んだ前と後で、屋敷の景色が随分と色あせたように彼には感じられた。でも、きっと他のみんなには何も変わらない景色で映っているのだろう。
母の部屋は父の意向でそのままの形で残っている。きっといずれほとぼりが冷めたころにあっさりと片づけてしまうのだろう。それでも、残してくれたことに彼は少しだけほっとしていた。ここに来れば少なくとも母の面影を感じることができるから。
翌年、決闘で死んでしまった指導係の魔闘士の代わりとして、ヘイルという女性の
彼女はもともと暗殺者業をやっていたのだそうだ。運悪く仕事中に人に見つかってしまい、死刑寸前だったのを奴隷になることで免れたらしい。
元暗殺者と聞いて警戒していたが、驚くほどに彼女は誰に対してもフランクだった。
厄介者の彼に対してもそれは同じだった。
「マスターってさ、嫌われてんの?」
そんなことを臆面もなく聞けてしまえるくらいに。
「き、嫌われてなどいるか! 俺はこの家の次期当主だぞ!」
「そう? その割には随分と蚊帳の外だなぁって思ってさ」
「蚊帳の外なんかじゃない! みんなが俺を畏怖しているだけだ!」
「へぇ~。ま、そういうことにしておくよ」
ヘイルは彼のことを何かと気にかけてくれた。
彼は相変わらず強がりばかりを言っているが、そんな彼を見てヘイルは楽しそうに笑う。いつしか、そんなやり取りが彼にとっての日常になっていた。そして、絶対にヘイルには言ったりしないが、不思議とその日常が彼には居心地がよかった。
そんなある日、ヘイルが興奮したように今日あったことを話していた。
「今日来た魔闘士見習の子なんだけど、ヤバい」
「ヤバいって、何がだよ」
「めちゃくちゃ綺麗。美人とか、可愛いとか、かっこいいとか、そういうのじゃなくて、とにかく綺麗って感じ。そんでめちゃくちゃセンスあるの。スポンジどころじゃなくてバケツに水注ぐ感じで、一滴も漏らさずに今日教えたこと吸収しちゃった。あれは天才だよ」
彼は興味ないという様子で「ふーん」と言った。それはなんとも羨ましい話だ。自分がそうであったのならどれだけよかっただろうか。そう考えて、奴隷にすら嫉妬を覚える自分に心底嫌気がさした。
「えー、何その反応。そのうちマスターの魔闘士になるんだよ?」
「ふん。魔闘士なんて下賤なもの、俺は別に要らない」
「マスターは本当に魔闘士嫌いだよね」
「あんな野蛮な者を好きな奴の気が知れないね」
それに、あれを見ているとどうしても父の顔が浮かぶ。母のことを見限った父。彼にも幼かったなりに母の死に父が関わっているのだろうことは察していた。父のあの冷淡な顔を思い出させるもの全てが、彼は嫌いだった。ただ、嫌いだからと突き放すには、あまりに彼は彼の母に似て弱く、繊細だった。そしてその弱さを隠すように、彼は一層他者を突き放すようになった。
もはやこの時、彼のことを見ている者は、ヘイルを除いて誰一人いなかった。
15歳。彼の前にジエロが現れた。
綺麗だと話では聞いていた。だが、まさか目の前にして絶句してしまうほどに心を奪われるとは、彼も考えてはいなかった。
蒼銀に煌めく美しい髪。紅玉を思わせるような深紅の瞳。すっとした顎に薄く染まった唇。しなやかに伸びる手足に、一切の無駄のない体。
作り物のように整いすぎた風貌。これが果たして同じ人間なのかと疑うほどに、ジエロの美しさは完成されていた。
ジエロの存在は呪いのように彼の心をつかんで離さなかった。
ジエロは自分から彼に語り掛けることはほとんどなかった。
ただ、いつも彼のそばにいて、彼を見守り続けた。けれど、不思議とそれが不快ではなく、すぐにそれが自然なものとして受け入れられるようになった。
まるで天使のようだ、と彼は思った。
それから一月もたたないうちに、ジエロの魔闘士としての初戦が決まった。
本当はジエロを戦わせたくはなかった。
この美しさが闘いによって損なわれることが彼にはたまらなく罪深いことに思われてならなかった。
それでも、彼の意志とは関係なく闘いは切って落とされた。
ジエロは強かった。舞うように闘うジエロの姿を、彼は客席から食い入るように見つめていた。
ジエロはとんとん拍子で勝利を重ねていき、瞬く間に
彼は不安になった。
これまでは敵も強くなかったからよかった。だが、この先はきっとそうもいかない。
自分が守らなければいけない。どんな手を使ってでも、ジエロの美しさを守り通さなければならない。
「ヘイル。話がある」
「ん? どうしたのマスター。そんな怖い顔して」
「殺してほしい奴がいるんだ」
それから、彼は脅威となる挑戦者を排除するようになった。
殺せる相手は殺し、ヘイルでは殺せない相手は闘えないように裏で手を回した。
幸いというべきか、ジエロが強かったために本当に手に掛けなければいけない相手はそれほど多くなかった。
ジエロさえ、ジエロさえ守れれば、あとはどうだっていい。ヘルナット家だって、自分自身だって、全部どうなってもいい。
彼は、いつしかそう考えるようになっていた。
紅き拳にて天を撃つ~最強空手家荒垣紅蓮の異世界無双録~ ヨシダコウ @yoshidakou4489
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