第11話 会談

 紅蓮の元気がない。

 親指での逆立ちを終えた後、基本稽古と呼ばれる、空手の基礎となる練習をしている。

 正拳中段突きから始まり、受け、手刀、蹴りと、それぞれの攻撃の基本となる形を順番に行う。

 一見すれば、紅蓮の無表情も相まっていつも通りに見えるが、何度も彼が練習している姿を見てきたミーシアには何処となく精細を欠いているように見えた。

 

「紅蓮、少し休まない?」


 ミーシアが声をかける。だが、手刀顔面打ち(基本稽古の中の一つ、耳の後ろから構えた手刀を水平に繰り出す技)に一心不乱に取り組む紅蓮には届かない。


「グーレーン!」


 さっきよりも大きな声を出してみた。それでも紅蓮は気づかない。

 ちょっとイラっとしてきた。

 ミーシアは足元に落ちていた手ごろな石を拾って紅蓮に投げつけた。

 石は紅蓮の脹脛に当たり、そこで初めて紅蓮はミーシアの方へ振り向いた。


「呼んでるんだけど」

「あ、ああ。済まなかった」

「何かあったの?」

「……いや、何もない」


 嘘だ。絶対何かあった。その証拠に今一瞬だけ視線を逸らそうとした。

 試合に出られないことを気にしているの?

 そう聞こうとして、やっぱりやめた方がいいと思ってミーシアは口を閉ざした。

 聞くまでもないことだ。気にしているに決まっている。紅蓮は誰よりも魔闘士との闘いに掛けてきたのだ。わかり切ったことをわざわざ聞いてどうしようというのか。

 ……何か別のことを考えよう。せっかくだし、普段聞かないことを聞こうと思った。


「……ねえ、その基本稽古っていうの、毎日やってるけどどういう意味のあるトレーニングなの?」

「なんだ? 珍しいな、ミーシアがそんなことを聞くなんて」

「ちょっとね、ずっと見てたら気になってきちゃって」


 紅蓮はミーシアの気遣いを察して、僅かに笑みを浮かべる。それから、表情を引き締めて説明を始めた。


「基本稽古とは文字通り空手の攻守の基本となる動きを身に着けるためのものだ。この中に空手において必要な技のすべてが詰まっていると言っていい」

「そうなの? はたから見ているとあまり実戦的な動きには見えないけれど」

 

 基本稽古というものは通常その場から動かないで行う。挙動も実戦の動きよりも大きなものも多く、素人目にはそんな練習に意味はあるのかと思うだろう。


「確かに全てがそのまま実戦にも使えるかと言えば否だ。だが、この稽古の神髄は『形を覚える』ことにある。何百回、何千回と繰り返すことで『技の本質』を体に覚えこませる。これが基本稽古だ」

「技の本質?」


 いまいち納得できてなさそうなミーシア。「そうだな……」と呟いて、紅蓮はうまく伝える方法はないものかと考える。


「例えば、掌底回し受けという受けがある。こうして、両手を回転させて相手の攻撃を受ける方法だ」


 そう言いながら、紅蓮は左手を胸の横に、そして左手の上に右手の立てるようにして構える。そして両手を開いたまま、右手を大きく時計回りに、左手を大きく逆時計回りに動かした。


「どうだ? 見ていてどんな攻撃でも受けられそうに見えるか?」

「全然。ただ手を回しているようにしか見えない」


 ミーシアの素直な感想に紅蓮は小さく笑った。


「だろうな。だが、実際のところこの受けは実に合理的に出来ている。まず、最初の構えは体の急所である水月(鳩尾みぞおちのこと)を守りつつ、右手は攻撃にも防御にも展開できるようになっている。さらに、この回転して受ける方法は、防御の基本である中段うち受け、下段払いという動きの複合になっている。つまり、掌底回し受けの本質とは、防御の基本である受けと払い、そして、中段、下段、つまり全身防御の同時展開にこそある。だからこそ、この掌底回し受けは全身を守る動きとして無類の防御を誇るのだ。逆に、このことを理解しないで行えばただ手を回しているのと変わらない。理解して繰り返すことで初めて『掌底回し受け』ひいては『受け』の神髄に辿り着ける」

「なるほど?」


 普段ではありえないほどに饒舌に語る紅蓮。一方のミーシアは分かったような分からないような表情である。


「技とは即ち『合理性』だ。全ての動きに理由があり、理由を突き詰めることで神髄に辿りつける。そして基本稽古とは技の『合理性』を最もシンプルな形に落とし込んだもの。我々空手家は基本稽古を繰り返すことで、この『合理性』を全身に染み込ませているのだ。手を抜くことはできないだろう?」

「とりあえず、大事ってことはわかったわ」


 ミーシアは理解を諦めた。紅蓮も完璧に理解してもらうのは難しいと思ったのだろう。「ま、大体でいい」と軽く口角を上げて笑った。


 どうやら、紅蓮の肩の力は抜けたようだとミーシアは一安心する。紅蓮は空手をやっている時が一番生き生きしている。結局のところ、紅蓮を癒せるのは空手しかないのだろう。それがミーシアにはちょっとだけ悔しく、でもそれを理解しているということが、紅蓮の隣に立てているような感じがして少しだけ嬉しかった。

 


 ~~~~~~~~



 ウルティア王国は主に王城を中心とした『王都』と、円形闘技場を中心に、商業施設などが集まる『南都』に二分される。

 前者の王都はウルティア建国期からの都であり、『王権派』の貴族たちが牛耳っている。一方『南都』の歴史は100年前の大戦まで遡る。大戦中、あるいは大戦後に勢力を拡大した新興の貴族達は当時『王権派』の貴族からにらまれることが多く(今でもそうだが)彼らとは別の拠点を欲していた。そこで、当時のヘルナット家と同じく5大公爵家の一つ、アルゴア家は当時まだ小さな港町であったザラに目を付けた。彼らはザラを拠点に海外との貿易を拡大した。さらに円形闘技場を建設してシンボルとしたことで、ザラを第二の都『南都』と呼ばれるまでに成長させたのである。

 その功績もあり、彼らは『南都』において王族よりも強い権力を持っていた。「『南都』に住みたいのなヘルナット家とアルゴア家には逆らうな」というのは南都においては常識中の常識である。

 その一角、ヘルナット家において、これから会談が行われようとしていた。

 片方は当然ヘルナット家の当主、コルトス・ヘルナット。

 齢は48。ナルシトルと同じく金髪に青い瞳。やや垂れ目がちの目元が柔和な印象を与える。体躯はナルシトルとは違い、痩せても太ってもいない標準的な見た目をしており、髪色と目元を除けばはた目からは親子と思えないほどに風貌に差があった。

 そのコルトスが向かい合う相手。

 細長い蜘蛛のような手足に、大きすぎるシルクハット。骸骨のように痩せた顔の大男。

 バーラット・グラディウス。その人である。


「本日はよくお越しくださいました。グラディウス卿。貴方のお噂はかねがね聞き及んでおります」


 コルトスが、人の好い笑みを浮かべてバーラットを歓迎する。


「そんなそんな。どうせ珍妙な噂ばかりでしょう。それをおっしゃるならヘルナット卿の方こそ素晴らしいお話ばかり耳にします。ヘルナット卿の代になってからこの南都はますます大きく栄えるようになった。これこそ貴公のお力あってこその偉業です」


 バーラットはややオーバー気味に身振り手振りを使ってバーラットを褒めたたえる。

 事実、南都の発展はコルトスの代になってから目覚ましいものがある。先代が比較的若い年齢で亡くなったことで、10代でヘルナット家を継ぐことになったコルトス。この当時ヘルナット家とアルゴア家の力は円形闘技場を立ち上げたころよりもやや衰退していたこともあり、王権派の貴族たちは南都までその手を伸ばそうとたくらんでいた。だが、コルトスは当時国内だけに収まっていた円形闘技場の人気を海外貿易を用いて国外にまで宣伝し、その結果魔闘士の闘いを見に来た観光客により収益を飛躍的に増加させた。ヘルナット家の勢いは最盛期の頃、あるいはそれ以上までに引き上げられ、その勢いに乗じて南都へ進出しようとする王権派を一掃したのである。

 コルトスという男は貴族ではあるが、どちらかと言えばその性質は商人に近いというのが一般的な見解である。

 損得を何よりも重要視し、見栄や名誉というものに踊らされない。なぜこの男からナルシトルのような子供が育ったのか心底不思議だと、バーラットは内心考えていた。


「私のしたことなど、別段たいしたことではございませんよ。それよりも、要件をお伺いしていませんでしたね。私としたことが、グラディウス卿からお会いしたいと連絡が来たと聞き、あまりの珍しさにそんな大事なことを聞くことすら失念していました」

「私も出来る事ならあまり表には出たくないのですがね。ですが、知るべきものは知っておかなければいけない。私の要件はヘルナット卿のご子息、ナルシトル様の件についてです」

「私の息子が何か粗相をしてしまったのですか?」


 とぼけているのか? それとも本当に知らないのか?

 バーラットは冷静にコルトスの表情を探りながら、慎重に話を進める。


「先日、私の奴隷である紅蓮とご子息との間で少々がありましてね。ご存知でしょうか?」

「いえ、その話は初耳です。どのようなことがあったのですか?」

「実は、ナルシトル様が私の奴隷に暗殺者を仕向けたのです」

「それは! 大変申し訳ないことを致しました」


 話を聞いたコルトスは目を丸くして驚き、深々とバーラットに頭を下げた。焦ったのはバーラットの方だった。


「そんな、頭をお上げください! ヘルナット卿」

「いえ、愚息のしでかしたことであれば、それは私の責任でもあります。それで、あなたの奴隷は今どのような状況ですか? もし壊してしまったのであれば私の方で


 その言葉に一瞬、バーラットは眉が動きそうになるのを寸ででこらえた。ここで下手な表情を見せては話がこじれてしまう。

 コルトスの中では奴隷とは貴族の持ち物、道具という認識なのだろう。そのため、彼が謝罪しているのは「バーラットの持ち物を息子が壊した」ことに対してであり、「紅蓮を殺そうとしたこと」については全くなんの感情もないのである。

 こういうところは貴族らしいのだな、とバーラットは彼の態度に逆に安心した。得体のしれないと思った相手がようやく「自分のわかる範囲」に降りてきてくれたと分かったからだ。


「ご心配なく。紅蓮の方には何の問題もありません。ですが、今回のことで一つご子息との間で契約したことがございまして」

「それはよかった。それで、契約とは?」

「『そちらの魔闘士であるジエロとの決闘を棄権しろ』といった内容です」

「……なるほど。それは困った話です」


 声のトーンが少しだけ下がる。コルトスの瞳に影が差した気がした。


「ええ。そちらの魔闘士と闘わないということは即ち鷹の階級へ上がれないということを意味します。私としても魔闘士を雇っている以上、自分の魔闘士が戦い以外の理由で活躍ができない状況に置かれるのはいかんともしがたいのです」

「ええ、私も大会運営者の一人として、同じく魔闘士を雇っているものとして、そのような行為は看過できるものではありません。契約証はもう交わしてしまったのですか?」

「ええ。すでに」


 「そうですか」と視線を伏せるコルトス。

 契約証には通常『束縛ギアス』と呼ばれる呪いが掛けられるのが一般的である。名前を書いたものに、その約束を破ることが出来なくなる暗示をかけるのだ。そして、『束縛ギアス』は契約書を燃やさない限り解けることはない。

 バーラットはこの時、なぜか呼吸すらできないくらいの緊張感に襲われていた。一見誠実なやり取りに見えるが、ならばこの背筋を伝うような寒気は一体何なのか。


「わかりました。

「よろしいのですか?」

「ええ。どのような事情があったのかまではわかりませんが、息子のことだ。グラディウス卿へ何らかの脅迫でもして、無理やり契約を結ばせたのでしょう。ですが、本来このようなことは大会運営上あってはならないことです。契約証もこちらで破棄させます。グラディウス卿は通常通り参加していただいて問題ありません」

「……感謝いたします」

「いえ、当然のことです」


 そう言って、コルトスは穏やかな笑みを浮かべた。

 何もおかしなところはない。その自然さが、バーラットにはどうにも気にかかって仕方なかった。



 ~~~~~~~~



 バーラットを見送った後、コルトスとその付き人であるカイナは二人だけでコルトスの自室に戻っていた。


「やれやれ。あいつには毎度毎度手を焼かされる」

「心中お察しします」


 コルトスはそのままベッドへ腰かけ、両手を膝の上で組む。先ほどの会合の時とは違い、どこか荒々しさを感じさせる振る舞いだった。


「ナルシトルだが、そろそろ見切るべきだな。あれははっきり言って邪魔だ」


 コルトスは、まるで他人事のようにそう言った。

 それを聞いたカイナも、何の疑問を挟む様子もなく受け答える。


「すでに新しい養子の候補は上がっております。いずれも当家を継ぐにふさわしい気質と知性を持った粒ぞろいです」

「最終的には俺が選ぼう。はもう用済みだ」

「わかりました。では」

「ああ。殺してくれ。シナリオはお前に任せよう」

「ジエロとヘイルの方はいかがいたしましょう?」

「どちらも殺して構わない。二人はナルシトルにべったりだ。残したところでうちの得にはならない」

「かしこまりました」


 そう答えると、カイナは一礼して退室していった。


「全く。これだから無能は面倒なんだ」


 一人になった部屋で、コルトスは心底迷惑そうにそう呟いた。父親としての情など一欠けらも感じない。底冷えするような冷たい響きだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る