第10話 嘗めるな

 あれから2日が経った。

 紅蓮のもとにギドからまた飲みにいかないかとの誘いがかかり、紅蓮はいつも通りバー『渡り鳥』へ向かった。


「だから、ギドさんには闘い対する誇りってものがないんです!」

「ああ? うるせぇなぁ。ンなもん箒で掃いちまえばいいんだよ」

「その埃じゃないです! そんなことも読み取れないんですか!?」

「わかっててそう言ってんだよ! てめぇこそ冗談を冗談と受け取れねぇのか堅物野郎!」

「なっ! 私は堅物じゃない!!」


 ギドとセルウィンが前回の時と同じ席に座って何やら言い争いをしていた。随分と仲良くなったものだと紅蓮は微笑ましい気持ちになった。


「ん、やってるな。待たせてしまって済まない」

「おう、おせーよ紅蓮ー。コイツほんとどうにかしてくれ! 俺じゃ手に負えねぇよ!」

「あ、紅蓮さん! お疲れ様です! この前は家まで送っていただきありがとうございました!」

「ああ、あれは俺じゃない。ギドだ」

「な!? う、嘘だ!」

「嘘ってどういうことだてめぇ!! もう二度と送ってやらねぇぞ!?」


 紅蓮は先にいた二人の言い合いを気にした様子もなくカウンターに座り、バーのマスターに『ドレイク』という酒をロックで注文する。


「この前の時も思いましたけど、紅蓮さんよくそんな強いお酒飲めますよね」

「ん、そうか? 俺にはいまいち強いかどうかはわからん。ただ、この味が好きだから飲んでいるだけだ。適度に甘くて飲みやすい」

「あ、紅蓮さん意外に甘党なんですね」


 セルウィンが苦笑いを浮かべる。出てきた『ドレイク』を紅蓮はうけとり、二人に差し出す。


「乾杯」

「乾杯!」「おう」


 カツン、と子気味よくグラスがなる。この音が紅蓮は好きだった。


「それにしても、ようセルウィン。今日はこの前みてぇにつぶれんなよ?」

「あ、あの時はちょっと緊張してて舞い上がってただけです! 今度はそうはいきませんから」


 ゲラゲラと笑うギド。顔を真っ赤にして怒るセルウィン。酒を静かに飲みながらその様子を楽し気に眺めている紅蓮。


「失礼。お兄さん方。ちょっとここいいかな?」


 突然後ろからかけられた声。振り向くとそこにはここ最近でだいぶ見知った赤毛の有角種の女がにこやかな表情で立っていた。


「貴様は」

 

 紅蓮の雰囲気が険しいものになる。紅蓮の態度が変わったことに気づいたギドとセルウィンも先ほどまでの軽いノリから一転して、視線に緊張感が宿った。


「おい紅蓮、誰だコイツ」

「そんな険悪にならないでほしいなぁ。大丈夫。今日はちょっとこれにサインをもらいに来ただけだから。何もしないって。ねぇ紅蓮、ここのお酒でおすすめはある?」


 ヘイルはそう言いながら一枚の紙を紅蓮に渡す。紅蓮は警戒しながらそれを受け取りつつ、律儀に「ドレイク」とだけ答えた。


「えー、それめっちゃ強い奴じゃん。私を酔わせてどうする気?」

「どうでもいい」

「うっわ冷たい。その反応はさすがに傷つくなぁ」


 ヘイルは前に会ったときよりも大分砕けた口調で軽口を言う。張りつめていた以前とは違う、リラックスした様子に紅蓮も少しだけ警戒を解く。


「それで、これはなんだ?」

「誓約証。あんたがジエロと戦わないっていうね」

「はあ!? おいどういうことだ!?」


 ギドが立ち上がって怒鳴る。


「ちょっと、あんまり騒がないでほしいんだけど」

「うるせぇ!! おい紅蓮答えろ!?」


 問い詰めるギドに、紅蓮は持っていたグラスを置いて答える。


「申し訳ないがそういうことになったんだ。お前との闘いはしばらくお預けだ。俺も口惜しい」

「シラっとした顔で言ってんじゃねぇ!! 俺と闘いたくはねぇってのか!?」

「闘いたくないわけではない。先に延びるだけだ」

「同じだ!!」


 ギドが紅蓮の襟首を掴む。ギドの顔は怒りに震え、今にも殴り掛かりそうな剣幕だった。


「ちょっと、ギドさん」


 セルウィンが慌ててギドをなだめようとするが、当然ギドは止まらない。聞く耳も持たず、ギシリと襟をつかむ拳が軋むほどに握りしめる。


「おい紅蓮、もしかしててめぇ自分は絶対に死なないなんて詰まらねぇ妄想持ってるんじゃねぇだろうな? ここを逃しても次があるなんて、そんな甘っちょれぇこと考えてんじゃねぇだろうなぁ?」


 紅蓮は黙ったまま、しかしギドから視線を逸らすことはない。


「魔闘士を嘗めるな。てめぇはここまで連戦連勝で上がってきた上に、誰も殺さねぇなんて縛りをしてきたから実感が湧いてねぇだろうが、魔闘士の敗北ってのはつまり死だ。そうじゃなくたって二度と戦えない体になることなんて当たり前にある。いいか? てめぇがここまで五体満足でこれたのは実力だけじゃねぇ。相応に運だってあったんだ。が、てめぇをここまで導いてきたんだ」

「ギド……」

「てめぇは強ぇ。それは知ってる。だが、。実力で優ってようが死ぬときは死ぬ」


 ギドの目はいつになく真剣だった。ギドは誰よりも現実的な男だ。夢や誇りみたいなものは掲げず、ただ目の前で起こったこと、起こりうることだけを直視して、それに最善を尽くして生きている。それ故に誰よりも力を渇望するのだ。だからこそ、目の前にある現実を脇に置いたまま理想ばかり語っている紅蓮が許せなかった。


「その女との契約なんて無視しろ。事情なんて知らねぇが律儀に守ってやる必要なんてねぇ」

「それはできない。約束は決して違えない」


 紅蓮は、それでもきっぱりと、ギドの目を見て答えた。


「なぜだ?」

「それが俺のだからだ」

「っ……そうかよ。じゃあ勝手にしろ!!」


 ギドは紅蓮を突き飛ばして、立ち去ろうとする。


「ギドさん?」

「帰る。興が冷めちまった」


 去り際、一度だけ立ち止まると、ギドは振り向くことなく紅蓮へ話しかける。


「紅蓮。てめぇは確かに強い。強くて誰よりも高潔だ。だが、いつかそれがてめぇの首を絞めることになる。時には汚濁に塗れねぇと乗り越えられねぇものもこの世にはあるんだ。それだけは忘れるんじゃねぇぞ」

「……ああ、肝に銘じる」

「ハッ、どうだかな」


 そう吐き捨てると、ギドは乱暴にドアを開けてバーを出ていった。

 その後ろ姿を見て、ヘイルがほっとしたような表情をする。


「はぁ、よかったよ。もしかしたらサインしてくれないかと思っちゃった。紅蓮が約束を守る男で助かった」

「煩い。用が終わったらさっさと立ち去れ」

「ありゃ。嫌われちゃった」


 紅蓮は乱暴に誓約証にサインをすると、ヘイルに突き返した。


「ありがとう。ごめんね、迷惑かけて」

「そう思うなら二度と顔を見せるな」

「そんな突っぱねないでほしいなぁ。個人的には紅蓮のこと凄く気に入ってるんだよ? 仲良くしたいなぁとは思ってるんだから」

「いい迷惑だ」

「はは。今日は何言ってもダメそうだね。また今度一緒に飲もうよ。仕事の話は抜きでさ」

「いやだ」


 ヘイルは子供みたいな拒絶をする紅蓮に楽しそうにはははと笑うと、「じゃあね」と言ってその場を後にした。

 残ったのは紅蓮と、気まずそうにしているセルウィン。


「済まなかった。気分を悪くさせてしまったな」

「いえ……」


 紅蓮が酒を飲む。セルウィンも同じようにグラスを口に着けた。


「正直、私も少し怒っています」


 ことん、とグラスをテーブルに置くセルウィン。


「貴方は私に勝って、今回の戦いを勝ち取ったのです。貴方の決断は、私のことを、いえ、貴方がこれまで勝ってきた全ての相手を侮辱するものです」

「……済まない」

「謝らないでください。解っています。やむにやまれぬ事情があったのでしょう。貴方は不義理なことを何よりも嫌う人だ」


 セルウィンは複雑そうに視線をグラスに落とす。

 セルウィンは悔しかった。どんな事情があったかは分からないが、紅蓮がこんなふうに諦めざるを得ない状況に追い込まれてしまったことが悔しくて仕方なかった。なにより、自分が心から憧れた男の姿が、今はすごく小さく見えてしまう。それがたまらなく嫌だった。


「……今日はお開きにしましょう。紅蓮さんも今日は疲れたと思います。また今度一緒に飲みに行きましょう」

「ああ、そうだな。ありがとう。セルウィン」

「いえ、気にしないでください」


 そう言って、セルウィンは自分の分の酒代をテーブルに置いて、「それでは」と告げて帰っていった。

 紅蓮ただ一人、残されたカウンターで酒に口を付ける。

 甘めなはずの『ドレイク』が、今だけは少しだけ苦く感じられた。

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