第9話 ジエロ
ミーシアを縛っていた縄を解く。彼女はずっと縛られていたせいで体が痺れていたのか、立ち上がろうとした瞬間、バランスを崩して紅蓮にもたれかかってきた。
「大丈夫か?」
「ええ、ごめんなさい。って、それよりも紅蓮!」
「どうした?」
ミーシアは何かを言いかけて口を開きかけ、それから申し訳なさそうに項垂れた。
「……ごめんなさい」
「? 何がだ?」
「私が捕まってしまったばっかりに、貴方の大切な試合の機会を奪ってしまった」
悲痛な彼女の声。ミーシアは紅蓮が今までどれだけ努力した果てにこの闘いの権利を得たのかを見てきた。だからこそ、それを棒に振ってまで自分を助けてくれた事実に、感謝以上に申し訳なさが勝ってしまっていた。
紅蓮はそんなミーシアを支えながら、「大丈夫だ」と答えた。
「謝る必要なんてない。今回のことは仕方がなかった。なに、また10回勝てばいいだけの話だ。約束についても俺が守るのは今回限りだ。次はこんな真似はさせない」
紅蓮は何でもないように淡々とミーシアを励ます。だが、ミーシアの気持ちは晴れなかった。
魔闘士として、10回勝つということがいかに大変なのことかを知らない紅蓮ではない。今まで勝ち続けることができたのは紅蓮の血のにじむような努力と運があったからこそだ。この機会を逃してしまったら、次同じように挑戦できるかなんて——
「それとも、ミーシアは俺がもう一度挑戦できないくらい弱い魔闘士だと思っているのか?」
「……その聞き方はズルいわよ」
まるで見透かしたような問いかけに、ミーシアが力なく笑う。
紅蓮は本当に強い人だ。この強さがあるから、どれだけ苦しい練習も、どれだけ恐ろしい相手にも立ち向かっていくことができたのだろう。
「また仕切り直しだ。俺もまだまだ鍛えなおす必要がある。いい機会だと思うことにしよう」
「ええ、ありがとう、紅蓮」
紅蓮はミーシアの肩を支えながらゆっくりと立ち上がらせる。
そして、物陰に隠れている人物に声をかけた。
「それで、貴様はこれでいいんだな。ジエロ」
「なんだ。ばれてたんだね」
物陰から顔を出す。昨日の夜に聞いた中性的な声の響き。
明かりの中で見たジエロの顔は、やはり男性とも女性ともとれるような端正な顔つきだった。
「貴様は、この展開に納得してるのか?」
「納得するとか、しないとかじゃないよ。僕はただマスターに従うだけ。マスターが闘えというなら闘う。マスターが闘うなと言ったら闘わない」
「そうか。それが貴様の魔闘士としての在り方なのだな?」
「うん」
ジエロは穏やかな表情でそう答える。
紅蓮はじっとジエロを見据える。水のようだと紅蓮は思った。濁りも、混じりけもない純粋な真水のように澄んだ目をしている。とてもじゃないが、嘘や誤魔化しを言っている人間の表情には思えなかった。
(これ以上何を言っても無駄だな)
ジエロと紅蓮では魔闘士というものの捉え方が根本的に違うのだろう。ならば、ここで言い合ったところできっと堂々巡りになる。
「……わかった。俺たちはナルシトルの跡を追うつもりはない。心配するな」
「そう? わかった。じゃあね」
ジエロはあっさりと納得すると、音もたてずにナルシトルの跡を追っていった。
~~~~~~~~
「マスター、戻ったよ」
ナルシトルの乗る馬車のドアが開き、ジエロが入ってくる。ちなみに馬車はヘルナット邸目指して進み続けている。ジエロは動く馬車に飛び乗って中に入ってきたのだ。
「ジエロか。あいつらは?」
「追ってこないってさ。そのあとも暫く見張ってたけど、動く様子もなかったからもういいかなって」
「そうか。ならいい」
ナルシトルは腕を組みながら仏頂面で目を閉じている。
そんな彼の正面にジエロは座る。
「ねぇ、マスター」
「……なんだ?」
「マスターは、僕のことを信じてくれてる?」
「……なんだよ。唐突に」
ナルシトルは目を開けて、不機嫌そうにジエロを見た。ジエロはいつもと変わらない、無機質な表情でこちらを見ている。
ジエロがこんな風にナルシトルの感情を探ってきたのは初めてだった。ジエロはいつだってナルシトルに従順で、素直に、忠実に、彼の言いつけを守ってきた。
「あいつらに何か言われたのか?」
「ううん。なんとなく聞いてみたかったんだ」
ジエロの真っすぐな瞳がナルシトルを覗き込む。ナルシトルは居心地悪そうに視線を外の景色に逃がした。
~~~~~~~~
ジエロは自分の生まれを知らない。
物心ついたときから奴隷であり、その美しい見た目から愛玩用の奴隷として育てられてきた。
ジエロには意思というものはなかった。ジエロがやるべきことは全てその時の飼い主が決めてくれた。むしろ意思を見せたときには激しい体罰がジエロを待っていた。
だから、ジエロは何も考えないようにした。ただ、言われるままに、言われたとおりに生きればいい。ジエロは短い間にいろんな家を転々とした。そして、飼い主の望むままに、子供にも、大人にも、男にも、女にもなった。
ジエロがヘルナット家に来たのは8歳の時だった。
ヘルナット家に多額の借金を抱えていたジエロの元の飼い主が、ジエロを借金のかたとして売ったのだ。
ジエロは来てすぐにその秘めている闘いのセンスを見抜かれて、魔闘士として育てられることとなった。
元傭兵であり、数年前から魔闘士への指導係を務めていたヘイルの指導の下、闘いに関するあらゆる技術をスポンジのように吸収していった。
そうして訓練をある程度こなして15歳になったころ、ジエロはナルシトルの護衛兼専属の魔闘士として彼にプレゼントされた。
ナルシトルは最初、奴隷なんて下賤なものはいらないと言い張っていたらしいが、ジエロを一目見るとコロッと態度が変わって、仏頂面のまま何も言わずにジエロをもらい受けた。
この時、どうしてナルシトルがジエロを受け入れようとおもったのかは、ジエロには今でもわからない。
ナルシトルは誰に対しても高圧的だった。決して弱みを見せることなく、他者を見下し、自分は優れていると主張した。彼はその振る舞いを「貴族として当然のもの」だと言っていた。そして、ジエロに対しても同じように高圧的だった。
そう、本当に同じだった。同じなんだけど、少しだけ、本当に少しだけ優しかった。その爪の先よりも僅かな優しさが、ジエロにはたまらなく大きなものに感じられた。
ジエロはこれまでたくさん愛されてきたけど、優しさをもらったことは一度もなかったから。
ナルシトルは誰よりも意地っ張りで、努力家で、人に弱みを見せるのが大嫌いで、みんなから性格が悪いと思われている、ジエロにとっての大切なマスターだった。
~~~~~~~~
「……し、信用してるに決まってるだろ。お前は俺の奴隷なんだから」
不器用に、たどたどしく答えるナルシトル。そっぽを向いて、頬杖を突きながら顔を真っ赤にしている。ジエロにしか見せない素直じゃなくて、とっても素直な表情。
「うん。ありがとう。マスター」
そんなマスターを見て、ジエロはにっこりと笑みを浮かべた。
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