第8話 交渉
屋敷に戻ると、紅蓮はミーシアの寝室へノックもせずに駆け込んだ。
「……クソ! 遅かったか」
部屋の中は荒らされた形跡はない。ただ、無造作に窓は開け放たれており、ベッドの上に寝ているはずのミーシアの姿はなかった。
窓際に寄り、何か手掛かりはないかと確かめる。
すると、窓枠の上に一通の手紙が置いてあるのをみつけた。
中を見てみると、『明日の7時。港の17番倉庫にて待つ。アラガキグレン一人で来ること』とだけ、タイプライターで打ち込んだ文字で書かれていた。
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「なるほどねぇ」
後から戻ってきたバーラットと二人、談話室で状況を確認しあう。
バーラットはソファに座り、頬杖を突きながら手紙を見ていた。
一方の紅蓮は壁に背中を預けて腕を組んでいる。
「やはり俺一人で行くべきだろうか」
「うーん。難しいところだね。人質を取ってまでこういう手段に出るとは私も予測していなかった。恐らく相手さんは相当切羽詰まっているんだろう。だとすると、意に反して複数で行けば、逆上した相手さんにミーシアが傷つけられるかもしれない」
「それはだめだ」
狙われた自分が傷を負うのはいい。だが、ミーシアはこの事件とは関係のない被害者だ。彼女が怪我をすることだけは絶対に避けなければならない。
「そうだね。私もそれは望んでいない。かといって君一人で行かせるのも相手の思う壺だ。さて、どうしたものか」
バーラットは手紙をテーブルの上に放り、思案する。
「今回の首謀者はやはりヘルナット家なのか?」
「タイミング的には間違いないだろうね。ただ、さっきも言ったけどやはり違和感がある」
「違和感?」
「浅はかなんだよ。とても5大公爵家まで上り詰めた海千山千の貴族のとる行動ではない。暗殺なんて簡単に言うけど、魔闘士はいわば貴族の所有物。それを殺したとなれば、たとえ公爵家であっても非難は免れない。握りつぶすのだって手間も金もかかるしね。そう考えると、家ぐるみの犯行という線は薄くなる」
「つまり、個人的なものか?」
「ま、そうだろうね」とバーラットは答える。
「個人的にジエロと紅蓮君の闘いを回避したいと考える人間がいるのだろう。そしてその人物は暗殺者を雇えるくらいには金と伝手を持っている」
「俺とジエロの闘いを回避したいのはなぜだ?」
「打算的な意味では正直わからないね。ヘルナット家が抱えている魔闘士は別にジエロだけではない。それこそ鷲の序列9位のマキアだってヘルナット家の魔闘士だ。ジエロの序列も十分高いが、負けたからと言ってそこまでヘルナット家の権威を下げるようなことにはならないだろう」
「なら、打算以外の理由では?」
「ジエロが殺されてほしくないとか?」
「ばかげているな」
紅蓮はふんと鼻を鳴らした。殺してほしくないのなら最初から魔闘士になどさせなければいいのだ。それを負けそうな相手が敵になったら暗殺者を仕向けるなど、はっきり言って愚かに過ぎる。
「とはいえ、やはり手掛かりが少ないこともまた事実。もしかしたら全然関係ない人物が黒幕かもしれない。さて、紅蓮君はこの状況、どう行動する?」
紅蓮は考える。果たして相手はまだ自分を殺しに来るのだろうか? 先ほど撃退した時点で彼我の差ははっきりと示したはずだ。それなら、人質を取ったのは? 人質を盾に俺を殺そうとするか? わからない。情報が少なすぎる。
「……とりあえず、明日は俺一人で行こう。もしかしたら交渉の目もあるかもしれん」
「おや、随分と平和的だね」
「相手の目的が俺を戦いから遠ざけることにあるのなら、何も俺を殺す必要なんてない。ミーシアを人質に俺を脅して『あなたとは闘いません』と言わせればそれで済む話だ」
紅蓮の言葉にバーラットが念を押すように問う。
「君はそれでいいのかい?」
「全て納得できているわけではないが、ミーシアのためだからな」
「そうか。すまないね」
「謝るな、バーラット。こうなってしまっては仕方のないことだ」
紅蓮はそれだけ言うと、「失礼する」と言って談話室を後にした。
残されたバーラットはふうとため息をついてソファーにもたれかかった。
「やれやれ、こうなってしまっては私も動く他なさそうだね」
~~~~~~~~
ひどい頭痛と体の痛みに目を覚ますと、そこは見知らぬ建物の中だった。
ミーシアは両手と両足を縛られたまま、無造作に石畳の上に転がされていた。
「痛っ……」
昨日の夜あったことを思い出す。
ミーシアはいつもと変わらず、一日の仕事が終わって日記を書き終わった後、ベッドで就寝を取っていた。だが、深夜。窓を閉めて寝たにも関わらず、吹くはずのない隙間風に目を覚ますと、窓枠に足をかけるフード姿の人影があった。
驚いてベッドから離れようとしたが抑え込まれてしまい、声を上げる間もなくミーシアは意識を失った。恐らく魔法か何かで眠らされたのだろう。
(ここはどこ? どこかの倉庫に見えるけど、見覚えはないわね。身動きも取れないし)
ミーシアは何とか身をよじって抜け出そうと試みるが、手足は頑丈に縛られているためほどけそうにない。
「ん? あ、やっと起きた」
声がする方へ首だけで振り返ると、赤髪に二本の山羊のような巻き角の生えた
「どういうつもり?」
「いやぁ、ほんとは攫う予定ではなかったんだけどね。なかなか計画がうまくいかなかったからマスターが怒っちゃって」
女は申し訳なさそうに頭を掻きながらそうミーシアに言う。
「貴女のマスターのご機嫌なんか聞いてないわ。私を攫って何をするつもりなの?」
「別にあんたには何もしないよ。私たちが用があるのはあんたのところの魔闘士だけだ。用事さえ済めばそのまま何事もなく返してあげるよ」
「紅蓮に何をするつもり?」
「うーん、交渉かな? 殺すのは昨日でもうあきらめたよ。あれは私たちじゃ手に余る」
「交渉?」
「おいヘイル!! お前人質に向かって何べらべらとこっちのことを話してるんだ!」
ミーシアが聞こうとした、その直後、奥から中肉中背の身なりのいい金髪の青年が眉を吊り上げて入ってきた。
「マスターおっそーい。というか、人質いるのに名前呼んじゃダメでしょ?」
「ふん、どうせ昨日お前がヘマして顔を見られた時点で時間の問題なんだ! そんなこと気にしてられるか!」
「うぐ、それ言われると痛いなぁ」
ヘイルと呼ばれた女は気まずそうに語尾を窄める。
「それで、こいつがグレンをおびき寄せる餌か?」
「そゆこと」
「本当に来るんだろうな?」
「たぶんね」
男の苛立ちをするりと受け流しながら、ヘイルは答えていく。
その顔を見て、ミーシアは歯を食いしばって睨みつける。
「ナルシトル・ヘルナット」
ミーシアには男の姿に見覚えがあった。以前闘技場で行われたジエロの闘いの時に騒いでいたのを見たことがある。その際に名前はバーラットから教えられていた。
ナルシトル・ヘルナット。ヘルナット家の嫡子であり、酷く傲慢な性格で社交界でも有名だった。
吐き捨てるように言ったミーシアをナルシトルはギロリと睨みつける。
「……おい、今奴隷が僕の名前を呼び捨てにしたか?」
「女の子を縛ってこんな固いところに寝かすような悪趣味な男なんて、本当は名前ですら呼びたくないのだけどね」
「っ!! この女!! 調子に乗りやがって!!」
身動きの取れないミーシアをナルシトルは乱暴に蹴りつけようとして、
「マスター。それはだめだ」
「……くっ!!」
ヘイルがかけた制止の言葉に、彼は悔しそうな顔で踏みとどまる。
「……クソっ、わかってるよ。ちょっと頭に血が上っただけだ」
「そうそう、マスターが偉い子で私はほっとしたよ」
「……随分物分かりがいいのね」
そのやり取りを見て、ミーシアが目を丸くして驚いていると、それを察したヘイルが、「ああ」と言って答える。
「ま、うちはちょっと特殊でね。こういうのも許されるんだよ」
「許してはいない! 仕方なく見逃してやってるだけだ!」
「……漫才なら他でやってほしいのだけれど」
ミーシアが二人の予想外な関係に困惑していると、ギィ……と音が鳴って倉庫のドアが開いた。
「来てやったぞ。ミーシアは無事だろうな」
「紅蓮!」
顔を紅蓮のいる方へ向けて名前を呼ぶミーシア。
その様子を見て、とりあえず無事なことが確認できてほっとする紅蓮。
「よく来たね。待っていたよ」
「……様子を見るに、闘いたい、というわけではないんだな?」
「もちろん。僕は君たちとは違って野蛮なのは嫌いだからね」
ナルシトルが木箱に腰を下ろして偉そうに話を進める。
「君、どうやら巷では『
「……何を言いたいんだ?」
「単刀直入に言うけど、次の試合、棄権しないか? そんな二つ名がつくくらいだ。君も本当は闘うのが好きではないんだろう?」
高圧的に語るナルシトル。だが、ここにいる彼以外、ヘイルも含めて全員こう思っていた。
闘うのが嫌い? 何を言っているんだ? と。
「……あーえーっと、つまりこういうことだよ。あんたはジエロと闘わないと約束する。その代わり私たちはあんたにこのメイドを返す。どうかな?」
ヘイルがナルシトルの言っていることをフォローする。だが、それを聞いたミーシアはその意味するところを知り、目を見開く。
「そんな! それじゃぁ紅蓮はジエロが今の序列から動かない限り昇級できないじゃない!」
「随分と一方的だな」
「ま、そうマスターがご希望だからね。それで、受けてくれるの?」
「駄目よ! そんなこと! 絶対駄目!」
「それでミーシアを返してくれるんだな?」
「ああ、約束するよ」
「わかった。俺は次の試合を棄権しよう」
「紅蓮!!」
ミーシアが悲痛な声で紅蓮の名を叫ぶ。
一方のナルシトルは満足げな表情を浮かべていた。
「さすがは『
「そんな……」
ミーシアの顔に絶望が浮かぶ。絶句する彼女をそのままにナルシトルとヘイルの二人は、
「僕たちはこれで失礼するよ。約束、破ったら許さないからね」
そう言い残し、その場を立ち去った。
あとに残されたのは、表情なく立つ紅蓮と、力なく横たわるミーシアの二人だけだった。
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