第7話 闇夜

 セルウィンとギドは帰り道の方向が一緒らしく、ギドが肩を貸して帰っていった。素面であれば意地でもギドの肩なんて借りようとはしないだろうが、泥酔して前後不覚になっていたセルウィンはどうやらギドを紅蓮だと勘違いしたらしい。「ありがとふほざいはぁ……」と呂律の回らない口調でお礼らしきものを言っていた。そんなセルウィンを気にした様子もなく、ギドはにこやかに手を挙げて「じゃあな」といってセルウィンを引きずっていった。あれでギドは意外と面倒見がいいのである。


 深夜の6番街通り。昼間であれば闘技場目当ての観光客向けの露店でにぎわうこの通りも、この時間は人っ子一人歩いていない。

 街灯だけが寂しく立ち並ぶその道を逸れて、紅蓮は一人脇道へと歩みを進めた。


 月明りさえ届かない闇の世界が広がる。

 足元に転がる空きビンを跨ぎ、足元を一匹のネズミが通り過ぎていった。紅蓮はさらにその奥を目指そうとし、


 うなじ目掛けて飛来したナイフを指で挟んで止めた。


「せっかく人目のつかないところに来たんだ。顔を見せてもいいんじゃないのか?」

「さすが。そんな風にナイフを止められたのは初めてだよ」


 ナイフを地面に投げ捨てながら、紅蓮は振り向いて相手をの姿を伺う。

 暗がりから顔を出したのは小柄なフードの人影。

 顔は隠れて見えないが、体つきや声からして恐らく女性だろう。


「いきなりナイフとは、穏やかじゃないな」

「穏やかな暗殺がある?」

「なるほど。それで、俺を殺してどうする?」

「殺す相手に言う必要あるかな?」

「ないな」

「でしょ?」


 フードの女はにやりと口元を歪めた。


「てなわけで、死んで?」


 彼女がそう言ったのと同時、紅蓮目掛けて無数の氷の礫が飛来する。

 紅蓮はその悉くを叩き落とす、が、視界の端に銀色の光を捕らえた瞬間、氷に被弾するのを覚悟でその場でしゃがんだ。

 氷に紛れて一本のナイフが頭上を通り過ぎていく。

 全身に刺さる氷に顔を顰めつつ正面を見た。だが目の前に女の姿はない。


(上か!)


 見上げると、驚異的な跳躍をしたフードの女が頭上でナイフを構えている。紅蓮がとっさに後ろへ飛んで回避すると同時、さっきまで立っていた場所に3本のナイフが突き刺さった。

 女が音もなく紅蓮の前に着地する。

 無数の氷ではなくあのナイフを切り札として扱うあたり、恐らく刃には毒が塗ってあるのだろう。

 だが、フェイクであった氷も決してこけ脅しではない。事実、紅蓮の体には氷の破片がいくつか突き刺さっており、致命傷にこそならないが確実に体力を削っていた。


(手ごわいな)


 紅蓮は目の前の相手の認識をただの暗殺者から、戦闘員へと切り替えた。


 立ち上がり、構えをとる。


 範囲攻撃を仕掛ける相手の場合、どうやって懐に入り込むかがカギとなる。一足で相手との間合いを詰め、対応策を取られる前に片づける。それが定石。本来こういうタイプの相手には先手を取らせてはいけないのだ。


 間合いは遠い。不意もつけない。路地の幅は狭く、逃げ回ることもできない。


(なら、どうする?)


 絶体絶命の状況の中、それでも紅蓮は冷静だった。焦りこそが闘いにおいて最大の敵である。思考が止まればそこには死しかない。次の手を読むことが困難な魔法使い相手であればなおさらである。


 最短の事後処理。最速の後出しじゃんけん。後の先を取り続けることが勝利につながるのだ。


(まったく、心躍らせてくれるっ!!)


 昂る心を必死になだめながら、紅蓮は目の前の相手に集中する。


天眼てんげん、解放』


 気合とともに視界を極限まで開く。人間の視界は横に120度、縦に130度ある。その視界に映る全てに意識を張り、視界の外へは聴覚でもって気を巡らす。全方位への索敵。『天眼』と名付けたこの技術は、どこから攻撃がくるかわからない魔法使いという相手と戦うために紅蓮が会得した絶技の一つだった。

 




(おーこわ。なんて顔してんのあいつ)


 紅蓮を前にして、フードの女は冷や汗が止まらなかった。

 夜闇、狭い脇道、正体を知られていない、こちらは魔法使いであり、距離も離れている。これだけの好条件が揃っていてもなお、目の前の男を殺すビジョンが浮かばない。


(ていうか、そもそもなんで首の後ろに飛んできたナイフを受け止められるわけ? 後ろに目でもついてんの?)


 本来、最初の一撃で仕留めるつもりだった。相手は徒手空拳で魔闘士と闘い勝ち残ってきた化け物だ。確実に仕留めるにはあの手しかなかった。真正面から打ち合った時点でこちらの積みである。タイミング的にも酒が回っているこの瞬間が的確だったはずだ。


(あー畜生、私のバカ。あいつ昨日から全然隙がなかったからつい焦っちゃった。暗殺者失格だよ)


 後悔先に立たず。これ以上悔やんでも仕方ないと頭を切り替える。


(とにかく、相手はいくら化け物といっても魔法も使えない丸腰の男だ。ナイフは警戒して当たらないけど、氷の弾幕を張れば避けることはできない。そうやって体力を削ったのちに、とどめを刺す)


 スマートじゃないプランしか考えられない自分に内心舌打ちしつつも、彼女は氷の弾幕を展開する。


「避けてみな」


 路地裏を埋め尽くすように放たれた礫。一分の逃げ場もないその様はまるで壁が迫ってくるようだった。

 これで片を付ける。少なくともそう見積もった攻撃である。


 だが、女は忘れていた。目の前の荒垣紅蓮という男がどこまでも規格外だということを。


 壁が紅蓮の眼前に迫った、その瞬間、紅蓮の右足が稲妻のように縦に空間を引き裂いた。

 紅蓮の目の前の氷は一瞬で粉々に砕け散り、一人分の空間を残して壁は紅蓮の横を通り抜ける。

「嘘?」

 あまりの事態に呆然とする女。そして紅蓮は、そんな隙を見逃してくれるほど優しくはない。

 蹴り上げた足が地面についた瞬間、右手を腰だめに構えながら瞬時に距離を詰める。


「……クソ!!」


 魔法。駄目だ、間に合わない!

 女はナイフを構え、全身に肉体強化の魔法を付与して迎え撃つ。

 紅蓮の体が女の眼前に迫る。足、腰、胴と伝わってきた捻りが生む、渾身の一撃が放たれようとする。


(っ! やばい!!)


 防御の姿勢を解除し、死に物狂いで首を右に振るう。

 顔のあったところを、砲弾のような右拳が通り抜けていった。

 紅蓮の正拳が巻き起こした突風が女のフードを巻き上げる。

 

 赤い髪に黒い山羊を彷彿とさせる角が生えた女だった。翡翠色の瞳は驚愕に見開かれている。

 

 女の内心は焦りと動揺でパニックになりかけていた。

 顔を見られた! 最悪だ!

 女は右手に持ったナイフを紅蓮の胴目掛けて横なぎに振るおうとし、


「!! かはっ!!」


 鳩尾に深く突き刺さった紅蓮の膝を受けて、その場に崩れ落ちた。

 地に付して悶絶する女からナイフを取り上げると、後ろ手に押さえつける。


「さて、お前の雇い主はどこのどいつだ?」

「それは私も知りたいねぇ」


 独特の芝居がかった口調に顔を上げると、バーラットが杖を突きながら通りから歩み寄ってくるところだった。


「見ていたのか?」

「心配になって迎えに来たら、偶然この場に遭遇したのさ。それで、私のかわいいペットにしようとしていたのはどこのどなたかな?」


 バーラットは杖の先で女の顎を上げさせる。

 女は苦しそうに顔をしかめつつも、強情な態度を崩すことなく、「知るか」と言い放って杖に唾を吐いた。


「あーあーあー。なんてことをしてくれるんだい? この杖特注品なんだよ?」

「へ、ざまあみろ。蜘蛛野郎」

「ふうむ……」

 

 バーラットはコンコンと杖にはめ込んである宝石を指でたたきながら思案する。


「ま、実際のところ検討は付いているのだけどね。ただ、こう言っては難だが、5大公爵家ともあろうお方が使ってのは、どうにもおかしい気がしてね。そこのあたり聞かせてもらいたいんだけど、いかがかな?」


 バーラットが女へ圧力をかける。だが、女は依然として口を噤んだままだった。


「困ったねぇ。どうしたら口を割ってもらえるだろうか。拷問でもしてみるかい?」

「俺はやらないぞ」

「だよねぇ。紅蓮君、意外と甘いところあるし」


「その子、返してもらってもいいかな?」


 不意に、バーラットの背後から中性的な声が聞こえた。はっとした紅蓮は女を抑えたまますぐに意識を臨戦態勢へと切り替えた。


(ここまで近づいていたのに、俺が気づかなかった?)


 背丈は170㎝はないくらいか、女同様フードをかぶっているうえに通りからの逆光になってしまっていて素顔は見えない。声色的に男か女かもわからない。ただわかることは、その影の人物は巨大な両手剣を片手で持ち、バーラットの首筋へあてているという事実だけだった。

 バーラットは参ったといった様子で両手を上に上げる。


「やれやれ、これはやられたね」

「誰だ?」

「教えない。君は彼女を僕に返して、僕は彼を君に返す。それだけのこと」


 影の人物の口調は淡々としている。声色に感情が乗っていない。


「命を狙われたんだ。事情を知るまではそうやすやすと返せない」

「それならそれでいいよ。僕はこいつの首を切り落とすだけだから」

「脅しには屈しない」

「紅蓮君。別に折れてくれてもいいんだよ? あんまり刺激すると本当に僕の首が体と離れ離れになっちゃうからね?」


 あまりに動じない紅蓮に逆にバーラットが焦り始める。

 その時だった。紅蓮の意識が影の人物へ向いた隙を突いて、女は唾を紅蓮の目掛けて吐き掛けた。


「くっ!」


 とっさに目を抑える紅蓮。その隙に戒めから逃れた女は影のもとへ駆け寄っていった。


「ごめん。ヘマした」

「気にしないで。次善策はもう進んでいる」

「次善策だと?」


 バーラットの問いかけに二人は答えない。


「じゃあね。『平和主義者ピースメーカー』」

「何やってるの。早く行くよ」

「わかったよ」

「待て!」


 紅蓮の制止も虚しく、二つの影は6番街の闇夜へ溶けていった。

 取り残された紅蓮とバーラット。だが、バーラットの表情は解放されたというのに険しいままだ。


「……これは、まずいかな」

「何がだ?」

「私が屋敷を空けたのは失策だったかもしれない。奴らは次善策と言っていた。最初の策が紅蓮君の暗殺のことだとすると、次善策で狙われるのは……」

「! ミーシアか!!」

 

 その名前に至った瞬間、紅蓮は目にもとまらぬ速さで屋敷目指して駆けだした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る