朱殷(4)(終)
本編連載前に「こんな場面あるかな」で書いた原稿のリメイク版です。
こうなるかもしれないし、ならないかもしれない。そんなお話ですので、あくまでその心算でお楽しみください。
——————————————
(前略)……
越瑚はちらりと眼下の惨状を見遣る。
天高き赤月に照らされる焼け野原。可燃物はない。燃えているのは『オニ』だ。いや、『オニ』のようなもの、『オニ』が噴き出る炎であった。それは、まるで本の
ドォン——!
上がる黒煙は『オニ』の仕業か。はたまた、善戦を強いられる
山もまた燃え盛るように赤かった。紅葉の赤が一面を埋め尽くして、咲き誇っていた。
越瑚は、がくんと、一段と背にのしかかる重さに膝を付きかける。
「——ッ! んもう、しっかりしてよ! さっきから重いんだってのッ!」
だらんと垂れ下がった腕。真宵の呼吸は——もはや、自分の荒い息に掻き消されて聞こえやしない。越瑚は、どくどくと背中で脈打っていた血の感覚で、彼の命がからがら永らえていることを信じているだけだ。
『
「ししょー死んだ!」
すぐに駆け寄ってきた
目が回って、とても立っていられない。腕の感覚はとうにない。少しでも気を抜けば、嘔吐いてしまいそうだった。ぼたばた。綺麗に掃除された土間が瞬く間に、滴り落ちる血と汗で汚れてゆく。
「縁起悪いこと言うな、バカ越瑚! 生きてるってのッ!」
遠くなりかけた耳を刺す小桃の怒声。
——良かった。
越瑚は、どっと襲いかかる安堵に呑まれそうになるのを、気力を張って押し留める。これに呑まれてはいけない。まだ終わっていない。血と灰と死の匂いに塗れた自分が帰る場所はまだ、ここであってはいけない。
——早く戻んなきゃ、
ひたりと頬に冷たい手が添えられて、越瑚は我に返った。
「……ここ、血が出てる」
顔を上げると、
雛は越瑚に冷たい水を飲ませ、水を溜めて用意した桶で顔を洗うように勧めた。
水を掬ってみれば、指先の感覚が鈍くもあるにはあった。洗顔すると、頬の傷口にツンと滲みる痛みが走る。
白い手拭いを差し出した彼女は、
「……ねえ、越瑚。真宵様の刀はどうしたの」
「
冷たい水はよい気付けになった。拳に力が入る。これなら、まだ刀を握れそうだ。
越瑚が立ち上がり、雛に背を向けようとした瞬間だった。
「越瑚ッ!」
今まで、雛の口から聞いたこともない高声だった。きんきんと声を張った彼女は越瑚に対して怒りを露わにしていた。
「どこに行くの」
「えーと、ししょーの刀取りに行ってくる」
「ダメ」
「だいじょーぶ」
「大丈夫じゃないッ! ダメッ!」
越瑚だって怪我してるじゃない。雛は声を震わせて言った。
「ううん、だいじょーぶだよ」
越瑚は首を横に振った。
今までだってそうだったから。真宵だって大丈夫だった。これからだって、全部大丈夫にしにいく。何度だって証明してやる、雛が疑う余地がないくらい。
『雛と同じくらい自分の体も大事にしてって言っているの。無茶ばかりしてはだめ』。
そう
越瑚とて、そんなことはわかってる。わかりきってるに決まっていた。越瑚は馬鹿ではないのだ。
越瑚が刀に懸ける
——オレが死んでたまるか。
「僕も一緒に行く。越瑚はちゃんと連れて帰るから」
奥から秋弦がやってきた。彼が帯刀している姿を見るのは久方ぶりだ。
「
「……馬鹿やろう。なら、もっとダメじゃないか」
手早く襷をかけた秋弦は唇を噛んで、苦い表情を浮かべた。彼が言わんとすることはわかっていた。
五十鈴が刀を振るってなお、ここまで苦戦を強いられる事態とは何事か、と。
「……早く帰ってきて」
俯いた雛は越瑚の裾を掴んだ。
「早くってどれくらい?」
「越瑚が次、私に会いたいって思うときくらい」
越瑚は一瞬えっとなり、次には「わはは」と思わず声を上げて笑ってしまった。
「そしたらオレもうどこにも行けないじゃん!」
雛は眉間に皺を寄せ、なんとも言えない表情だ。「だって」と越瑚は続けた。
「ずっと一緒にいたいよ」
彼女の赤らいでゆく顔。ここにも紅葉が散る。越瑚は瞬きするのも惜しかった。
雛はゆっくりと越瑚を抱きしめた。胸に顔を埋め、優しく、きつく。
本当は、彼女を抱き寄せたかったのはよっぽど越瑚の方だったのだが、全身が血やら『オニ』の体液やらで赤く汚れていたから堪えていた。彼女に血の匂いが移ってほしくなかったからだ。
しかし、彼女が厭わないなら。越瑚もまた、雛の腰に手を回す。彼女の体が普段よりも小さく、痩せて感じた。
不意に顔を上げた雛は背伸びをし、潤んだ目で越瑚の顔を見つめる。
雛がそれを
「秋弦いるのにいいの?」
「……もういいの」
越瑚が少し屈んで雛に顔を寄せると、残りの距離は雛が埋めた。触れる唇。それは微かに鉄の、血の味がした。
「行ってらっしゃい」雛が言った。
「今日はばいばいじゃないんだね」
うん。雛は少し躊躇って、控えめに頷いた。
「ばいばいって嫌だった。オレだけすきみたい」
雛が大きく首を横に振った。
「好きだよ。ずっと」
吹き零れるような喜びが全身に回る薬になって、越瑚は束の間、痛む傷も流れる血も忘れるほどであった。
屋敷から一歩外に出れば、そこはもう苛烈な戦場だ。真宵の血に誘われた『オニ』が山にも湧き始めていた。
疾風怒濤。越瑚は一も二もなく駆け出した。一瞥。四方に散る『オニ』を目で数える。見たならば、視界に入れたならば、確実に仕留める。
一分一秒が惜しい。足を止めている時間ほど無駄な時間はない。もはや、刀を抜く時間すら勿体無い——!
カッ——! 次の瞬間、山が流星のように瞬いた。ついさっきまで『オニ』だったものどもは、炎槍に串刺しにされたただの肉の塊になった。じゅうじゅうと焼き切れて、溶岩のようにどろどろに溶け出す。
越瑚の後ろについて駆ける秋弦が叫んだ。
「こんな雑魚相手に飛ばし過ぎだっての! 夜明けまでまだ時間がある、僕のことは構わず『
「わかった!」
越瑚は手頃な幹を掴んで、木に飛び乗った。
眼下に霞蜘蛛を臨む。戦況はどうなっている。朱鷺は、五十鈴は——黒煙が邪魔でよく見えない。
——とっとと行った方が早い。
「じゃ、先行ってる!」
蹴り出した越瑚は斜面の方へ飛び降りた。ここから降るのが霞蜘蛛への最短距離だ。
「……っ、だからって崖から飛び降りる奴があるかあーー! ほんとに死ぬだろーがー!」
秋弦の叫び声を背に受ける。それは面白いくらいによく響いた。
「いいか、くれぐれもそれ以上怪我するなよー! 僕の仕事を増やすなよー!」
(後略)……
とぐさものがたり! リンダ3月 @Rinda_of_march
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