朱殷(4)(終)

 本編連載前に「こんな場面あるかな」で書いた原稿のリメイク版です。

 こうなるかもしれないし、ならないかもしれない。そんなお話ですので、あくまでその心算でお楽しみください。

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 (前略)……

 越瑚えつごは負傷した真宵まよいを背負って、山道を駆け抜ける。

 霞蜘蛛カクモの大火は鎮火した。『オニ』は燻べたはずだった。だのに。

 越瑚はちらりと眼下の惨状を見遣る。

 天高き赤月に照らされる焼け野原。可燃物はない。燃えているのは『オニ』だ。いや、『オニ』のようなもの、『オニ』が噴き出る炎であった。それは、まるで本のページを端からく炎のように地に満ち満ちるのだ。

 ドォン——!

 上がる黒煙は『オニ』の仕業か。はたまた、善戦を強いられる朱鷺ときか。いくら一騎当千の彼とて一人でこの数相手ではそう長くは保つまい。五十鈴いすずが合流するまでは、彼が無理を通さねばならない事態。誰もが、真宵が致命傷を受け、離脱するなんて想定していなかったのだ。


 山もまた燃え盛るように赤かった。紅葉の赤が一面を埋め尽くして、咲き誇っていた。

 越瑚は、がくんと、一段と背にのしかかる重さに膝を付きかける。

「——ッ! んもう、しっかりしてよ! さっきから重いんだってのッ!」

 だらんと垂れ下がった腕。真宵の呼吸は——もはや、自分の荒い息に掻き消されて聞こえやしない。越瑚は、どくどくと背中で脈打っていた血の感覚で、彼の命がからがら永らえていることを信じているだけだ。

ちから』の使いすぎで摩耗していた彼のからだはひどく熱かったのに、吹き出す汗が山の夜風に吹かれるたびに冷えてくる。越瑚には今足を止めるともう二度と立ち上がれなくなる確信があった。力を振り絞って、小桃こももの待つ屋敷に転がり込んだ。


「ししょー死んだ!」

 すぐに駆け寄ってきた秋弦しづるに真宵を預けかけたところで、越瑚は膝から崩れた。

 目が回って、とても立っていられない。腕の感覚はとうにない。少しでも気を抜けば、嘔吐いてしまいそうだった。ぼたばた。綺麗に掃除された土間が瞬く間に、滴り落ちる血と汗で汚れてゆく。

「縁起悪いこと言うな、バカ越瑚! 生きてるってのッ!」

 遠くなりかけた耳を刺す小桃の怒声。

 ——良かった。

 越瑚は、どっと襲いかかる安堵に呑まれそうになるのを、気力を張って押し留める。これに呑まれてはいけない。まだ終わっていない。血と灰と死の匂いに塗れた自分が帰る場所はまだ、ここであってはいけない。

 ——早く戻んなきゃ、

 ひたりと頬に冷たい手が添えられて、越瑚は我に返った。

「……ここ、血が出てる」

 顔を上げると、ひながいた。彼女がそう言った。彼女は裸足のまま土間に降り、越瑚の前で屈んでいた。

 雛は越瑚に冷たい水を飲ませ、水を溜めて用意した桶で顔を洗うように勧めた。

 水を掬ってみれば、指先の感覚が鈍くもあるにはあった。洗顔すると、頬の傷口にツンと滲みる痛みが走る。

 白い手拭いを差し出した彼女は、

「……ねえ、越瑚。真宵様の刀はどうしたの」

ちかいのせいでから置いてきた」

 冷たい水はよい気付けになった。拳に力が入る。これなら、まだ刀を握れそうだ。


 越瑚が立ち上がり、雛に背を向けようとした瞬間だった。

「越瑚ッ!」

 今まで、雛の口から聞いたこともない高声だった。きんきんと声を張った彼女は越瑚に対して怒りを露わにしていた。

「どこに行くの」

「えーと、ししょーの刀取りに行ってくる」

「ダメ」

「だいじょーぶ」

「大丈夫じゃないッ! ダメッ!」

 越瑚だって怪我してるじゃない。雛は声を震わせて言った。

「ううん、だいじょーぶだよ」

 越瑚は首を横に振った。


 今までだってそうだったから。真宵だって大丈夫だった。これからだって、全部大丈夫に。何度だって証明してやる、雛が疑う余地がないくらい。

『雛と同じくらい自分の体も大事にしてって言っているの。無茶ばかりしてはだめ』。

 そう紫暮しくれに言われたのは、いつだったか。

 越瑚とて、そんなことはわかってる。わかりきってるに決まっていた。越瑚は鹿ではないのだ。

 越瑚が刀に懸けるちかいは『悉皆護持』。それは雛の『目に映るもの全て』。例外はない、この身もそのひとつだ。大切な師名ひとを喪った、大切な彼女が、これ以上何かを喪わないための大切な契。

 ——オレが死んでたまるか。


「僕も一緒に行く。越瑚はちゃんと連れて帰るから」

 奥から秋弦がやってきた。彼が帯刀している姿を見るのは久方ぶりだ。

五十鈴様ばーちゃんいるからだいじょぶじゃね」

「……馬鹿やろう。なら、もっとダメじゃないか」

 手早く襷をかけた秋弦は唇を噛んで、苦い表情を浮かべた。彼が言わんとすることはわかっていた。

 五十鈴が刀を振るってなお、ここまで苦戦を強いられる事態とは何事か、と。


「……早く帰ってきて」

 俯いた雛は越瑚の裾を掴んだ。

「早くってどれくらい?」

「越瑚が次、私に会いたいって思うときくらい」

 越瑚は一瞬えっとなり、次には「わはは」と思わず声を上げて笑ってしまった。

「そしたらオレもうどこにも行けないじゃん!」

 雛は眉間に皺を寄せ、なんとも言えない表情だ。「だって」と越瑚は続けた。

「ずっと一緒にいたいよ」

 彼女の赤らいでゆく顔。ここにも紅葉が散る。越瑚は瞬きするのも惜しかった。

 雛はゆっくりと越瑚を抱きしめた。胸に顔を埋め、優しく、きつく。

 本当は、彼女を抱き寄せたかったのはよっぽど越瑚の方だったのだが、全身が血やら『オニ』の体液やらで赤く汚れていたから堪えていた。彼女に血の匂いが移ってほしくなかったからだ。

 しかし、彼女が厭わないなら。越瑚もまた、雛の腰に手を回す。彼女の体が普段よりも小さく、痩せて感じた。


 不意に顔を上げた雛は背伸びをし、潤んだ目で越瑚の顔を見つめる。

 雛がそれを強請ねだるときのいつものやり方だ。彼女に何を求められているか、越瑚にはすぐにわかったが、

「秋弦いるのにいいの?」

「……もういいの」

 越瑚が少し屈んで雛に顔を寄せると、残りの距離は雛が埋めた。触れる唇。それは微かに鉄の、血の味がした。

「行ってらっしゃい」雛が言った。

「今日はばいばいじゃないんだね」

 うん。雛は少し躊躇って、控えめに頷いた。

「ばいばいって嫌だった。オレだけすきみたい」

 雛が大きく首を横に振った。

「好きだよ。ずっと」

 吹き零れるような喜びが全身に回る薬になって、越瑚は束の間、痛む傷も流れる血も忘れるほどであった。


 屋敷から一歩外に出れば、そこはもう苛烈な戦場だ。真宵の血に誘われた『オニ』が山にも湧き始めていた。

 疾風怒濤。越瑚は一も二もなく駆け出した。一瞥。四方に散る『オニ』を目で数える。見たならば、視界に入れたならば、確実に仕留める。

 一分一秒が惜しい。足を止めている時間ほど無駄な時間はない。もはや、刀を抜く時間すら勿体無い——!

 織式おりしき展開。炎槍装填——

 カッ——! 次の瞬間、山が流星のように瞬いた。ついさっきまで『オニ』だったものどもは、炎槍に串刺しにされたただの肉の塊になった。じゅうじゅうと焼き切れて、溶岩のようにどろどろに溶け出す。

 越瑚の後ろについて駆ける秋弦が叫んだ。

「こんな雑魚相手に飛ばし過ぎだっての! 夜明けまでまだ時間がある、僕のことは構わず『ちから』は最小限で山を降れ! すぐに追いつく!」

「わかった!」

 越瑚は手頃な幹を掴んで、木に飛び乗った。

 眼下に霞蜘蛛を臨む。戦況はどうなっている。朱鷺は、五十鈴は——黒煙が邪魔でよく見えない。

 ——とっとと行った方が早い。

「じゃ、先行ってる!」

 蹴り出した越瑚は斜面の方へ飛び降りた。ここから降るのが霞蜘蛛への最短距離だ。

「……っ、だからって崖から飛び降りる奴があるかあーー! ほんとに死ぬだろーがー!」

 秋弦の叫び声を背に受ける。それは面白いくらいによく響いた。

「いいか、くれぐれもそれ以上怪我するなよー! 僕の仕事を増やすなよー!」

 (後略)……

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