やっぱり嫌いだ。

 美味しいと思ったことがあまりないから普段お酒を飲まないのだが、今日はそれが裏目に出た。


「みんな飲んじゃったから、あんたがアヤカちゃん迎えに行ってよ」


 県外に進学したアヤカがいま最寄り駅に着いたらしい。母さんにそう言われて何でもないように「ああ」と返したけど、内心は複雑な気持ちでいっぱいだった。きっと母さんも父さんも、アヤカの両親も、僕がこんな気持ちだなんて気づいていない。


 アヤカとは幼馴染ってやつで、もともとお互いの両親が友人同士なのもあって小さい頃は毎日一緒にいたし、両家で遊びに行くことも多かった。さすがに思春期に入ると、昔のようにはいかず、それでも異性の友人とはまた違った距離感で過ごしてきた。

 

 そんな日々の中で、僕はアヤカを異性として好きになった。

 だけどアヤカは違った。ただ、それだけの話だ。


 思えば、なんとも幼稚な恋だった。好きだと自覚してからは、なんとなく教室の彼女を目で追ったり、男子生徒と楽しそうに談笑していると少しもやもやしたり、彼女を家に送るまでの帰り道の時間でそんな心の曇りが吹き飛んだり、些細なことで一喜一憂する毎日だった。アプローチの1つもできず、気づけば卒業が迫っていた。


 丁度いい、と当時の僕は思っていた。彼女が県外の大学に進学することは知っていたから、仮に告白が失敗しても気まずい思いをするのは少しで済む。どのくらい成功の見込みを感じていたかはもう思い出せないが、そんな消極的な、ある意味不誠実な動機で告白は卒業式の前日にしようと決めた。


 あの日から、3年近く経った。さすがに年に2~3回しか会わない彼女のことを考える日は少なくなっていた。だけど今日みたいに会う機会があると、当時の記憶がよみがえって少し苦い気持ちになる。


 帰りの車内でどう話そうかと、運転しながら頭を悩ませる。けど最寄り駅は車で行けば5分くらいで着いてしまうので、結局なにも思いつかなかった。子供の頃は一生懸命に自転車をこいでも15分はかかったのに。

 田舎の夜の無人駅というと、独特の雰囲気があって情緒を感じられそうなものだが、久しぶりに訪れた感想はただ「ボロい」というものだった。地元に娯楽が少ない子供にとって、駅は非日常へと誘う異世界の扉みたいに思えて、ホームに足を踏み入れる度にワクワクしていたはずなのに、あの頃とはもう何もかもが違うのだと思った。


「……久しぶり」


 アヤカは年季の入った待合室の、少し汚れたベンチに腰掛けてスマホを眺めていた。垢ぬけた格好をしている彼女は、まるで別のところから切り抜いてこの背景に無理やり貼り付けたみたいに浮いていた。10年以上も変わらずに停滞している駅の空気の中で、彼女だけが”今”を進んでいるように思えた。


「久しぶり、お迎えありがとね。どうせみんな出来上がってるんでしょ」

「ああ、相変わらずな。みんなテンション高くて素面だと置いてかれる」

 

 軽口を叩き合いながら車に乗り込む。


「なんか不思議だなぁ、キミが運転する車に乗ってるなんて」

「たしかに、こっちもなんか不思議だ」

「安全運転で頼むよ?」

「へいへい」


 なんだ、ちゃんと喋れるじゃないか。大丈夫じゃないか。


「今日は何してたんだ? サークルとか?」

「んーん、ちょっと遊んでて」

「友達?」

「……いや、彼氏」

「……そか」


 意外とあっさり受け入れられた。むしろ、アヤカも色恋に興味があったんだなぁ、とかぼんやり思った。あんまりそういう話を聞いたことがなかったから、アヤカが恋人を作るって想像ができなかった。


「そっちは? 彼女とかいないん?」

 アヤカに気まずそうな様子は見られない。当たり前だ、3年も前に振った相手を過剰に気遣う人間なんていない。これも他愛ない話題だ。

「悲しいことに一切できませんな。それらしい相手もいないし」

 不思議なことに、大学に入っても僕は恋人どころか好きな人すらできなかった。最初は引きずっているのだと思っていたが、そういうわけではないらしい。

 

 そうこうしているうちに家に着いた。外からでも声が聞こえるくらい、飲み会は盛り上がっていた。

 アヤカが帰ってきたということで、改めて乾杯しようということになった。僕は自分のグラスにビールを注いだ。「乾杯~」と笑ってみんなとグラスを合わせるアヤカを眺めながら、一気に飲み干した。

 苦かった。お酒はやっぱり嫌いだ。でもこの苦みが、なんだか今はありがたかった。  

 

 しばらくすると、アヤカの彼氏について話題が移った。大人たちがアヤカをからかって、盛り上がっていた。アヤカは照れくさそうに言い返していた。


 こんなものか、と僕は一歩引いた目でそのやりとりを眺めていた。

 もっと傷つくと思っていた。もっと落ち込んで、やっぱり自分はまだ彼女のことを想っているんだと再確認すると思っていた。それはあまり良いことではないけれど、あの頃から色褪せないものが、まだ自分の中に残っていると思っていた。いや、思いたかった。


 たしかに当時、僕はアヤカが好きだった。でも今は違う。なのに僕は他の異性に魅力を感じられない。好きになれない。

 引きずっているんだと思っていた。でも違った。

 結局のところ、前に進めていないだけなのだ。それを、『失恋を引きずっている』といういかにもな状況に美化して、偽りたかっただけだ。

 彼女の記憶の傍にはいつだってあの頃の僕がいた。幼稚だけど、些細なことに一喜一憂できた瑞々しい感性を持った僕が。自分はいま、それを羨んでいる。


 ふと、アヤカとの会話を思い出した。あれは帰り道、どっちが先に結婚するかという話題の中でのことだった。


『じゃあもし私が先に結婚出来たら、ご祝儀10万ね! 逆だったら私は1円も払わないけど』


 一方的で理不尽な要求であることよりも、他の男と結婚するアヤカに祝儀を送るという残酷さに当時は複雑な心境だった。なぜか今、そんな記憶がよみがえった。

 

 本当にやってみようかな。


 このままだと間違いなく彼女が先に結婚するだろうから、式で彼女に10万のご祝儀を渡すのだ。「あの時の約束だ」と言って。

 悪くない、と思った。

 ひとまず、彼女が突然結婚しても10万くらいは渡せるように生きていこうと思った。


 景気づけにと飲んだ2杯目も、やっぱり苦かった。

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