女神降臨(後)

 鋼鐵侠ガンティエ シャ――中国軍に正式採用されたばかりの強化外骨格エクソフレーム。西洋の設計思想とは異なり、装着するというよりも乗り込むといった方が相応しい、巨大な人型兵器だ。ロシア軍の強化外骨格“黒い熊チョールナヤ メドヴェーチ”のデッドコピーとも言われている。


「まさか、こンな形で使うとは思わなかったケド、これで終わりネ、お嬢サン」


 警察が相手なら、やりようはいくらでもあった。を海に投げ込んで、その隙に船を出してしまう手もある。船は、どこかで沈めればいい。しかし、この少女はどう見ても警察ではない。自衛隊か? いや、日本政府がこのような少女を使うわけがない。だとすれば、考えられるのは商売がたきライバル。ここは力を見せつけて、完膚なきまでに叩きつぶすべきだ。そして、背後にいる奴らには、後で十二分に後悔をさせてやる。


「いけ、殺しても構わんゾ」


 チンの命令を受けて、黒い巨人がその腕を少女に伸ばす。たとえ銃弾をはじき返す装甲だとしても、あの手に捕まればひとたまりもないだろう。握りつぶすも引きちぎるも自由だ。

 しかし、少女は簡単には捕まらない。手が届く前に、すばやく飛び退く。少女を追って、鋼鉄の腕が振り回される。間一髪のところを前方に身を投げて躱した少女は、そのままの勢いで巨人の股下をくぐり抜け背後に回り込んだ。


 鋼鐵侠の弱点は、すでにいくつか指摘されていた。たとえば、バッテリーの駆動時間。フルで活動すれば30分しか保たない。設計者は30分で十分と考えたのか、現場では単体で運用することはないから交代させれば良いと考えたのか。要するに、瞬発力と数で押しきるという思想だ。製造コストが低く抑えられているからこそ、と言える。

 もうひとつの弱点は、関節の可動範囲が狭いことだ。特に下半身の構造は、重量のある上半身を支えなければならず、可動範囲を犠牲にして構造強度を上げている。つまり、振り返る動作は苦手なのだ。


 巨人が振り返る前に、少女は軽々とその巨躯に駆けのぼった。巨人の肩に足を掛けると、右肘を引く。


「ハッ!」


 少女が、かけ声とともに右腕を突き出すと、彼女の手刀が装甲と装甲の隙間を貫いた。そこは、操縦者が鋼鐵侠へ乗り込むためのハッチ、そのロック部分だった。少女は、手を刀のようにして、ハッチを無理矢理こじ開けようとしているのだ。いかな強固な外骨格であったとしても、直接操縦者を攻撃されてしまえばひとたまりもない。

 操縦者もそれに気が付いたのだろうか、首の後ろにいる少女を捕まえようと手を伸ばした。しかし、その手を少女は華麗な動きで避けた。

 頭の上のハエを追い払うような作業を数回繰り返したあと、業を煮やしたのか巨人はいきなり走り始めた。身体を揺らして振り落とすのではなく、目的はコンテナ――頭から突っ込んで、自分の巨体とコンテナの間に挟んで潰すつもりだ。もちろん、少女はその意図に気が付き、攻撃を止めて巨体から飛び退いた。

 巨人の操縦者は、それを待っていたのか。離れようと空中に飛び出した少女の脚を、金属の手で捉えた。雄叫びをあげながら腕を振り回し、巨大な手に比べてあまりにもか弱く見える少女の身体を、勢いを付けてコンテナへと叩きつける。誰もが、激しい破壊音と伴に少女の身体がひしゃげるシーンを《見た》。


 だが――それは現実にはならなかった。たしかに、巨人の腕はコンテナに激突し、コンテナをひしゃげた。しかし、そこに少女の残骸はない。


「今のは、すこーし危なかったかな?」


 その声は、壊れたコンテナの上から聞こえた。続いて、重く堅いものが甲板に落下する音が響く。鋼鐵侠の手だ。少女は、鋼鐵侠の手首を切断することで、脱出したのだ。どうやって?

 照明の明かりを反射する何かが、少女の左腕に戻っていく。単分子ワイヤーカッター。実際には、単分子ではなくいくつかの金属原子が複雑な構造のワイヤーを使った武器だ。鋼鉄なら、バターのように切り刻める。今、軍事用強化外骨格の手首を切り落としたように。


「さぁて、そろそろ本気を出そうかなぁっと。いきまーすっ!」



 どこかで聞いたようなかけ声とともに、少女は空中へ飛び出す。落下の勢いそのまま、鋼鐵侠の背中にキック! 轟音と共に、巨体が甲板に叩きつけられる。背中に乗ったままの少女は、少しひしゃげた鋼鐵侠のハッチに手を掛けると、一気に引き剥がした。鋼鉄の装甲が、まるで紙のように引きちぎられる。


「よいしょ、っと」


 少女は、巨人の背中にぽっかりと空いた穴から腕を突っ込むと、中にいた装着者を引きずり出した。脳しんとうでも起こしたのだろうか、人形のように動かない装着者を、少女は苦もなく放り投げた。


 そして、少女が鋼鐵侠の背中に乗ったまま自らの背後に手を回すと、次の瞬間には両手に金属の棒が握られていた。それを軽く振ると、棒の長さは三倍近くまで伸びた。少女が棒を軽々と振るたびに、ビュンビュンと風を切る音がする。あんなもので殴られたら――。可哀想な犠牲者は、少女の足下に横たわる機械。それが、ただの鉄くずに変わるまで時間は掛からなかった。



       §



「我々警察が駆けつけた時には、中国製の軍用外骨格はボコボコ、その場にいたヤクザとマフィアは拘束されていました」

「その、『特別な荷物』とやらは、一体、何でしたの?」

「違法に連れてこられた女性たち、つまり人身売買だったんですよ」

「まぁ、怖い」


 奧埜の言葉に、律が口元を抑えながら眉を寄せる。嫌悪感を各層ともしないのは、若いからなのか、それとも素直な性格だからなのか。


「ですが、犯罪者が捕らえられ、横浜が平和になったということですね。安心しました」


 女主人の感想に、奧埜はにやけながら応える。


「まぁ、結果的にはそうとも言えますがね。警察としてはヤクザやマフィアと同じくらい、彼らを倒した少女に注目しているのですよ」

「あら? その少女は、正義の味方なのではないのですか?」


 律の言葉に、奧埜は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


「実を言えば、この少女――仮に戦闘少女とでもしておきますか。この戦闘少女が出現したのは、昨晩が初めてという訳ではないのですよ」


 奧埜は、再び手帳のページをパラパラとめくり、書いてある内容を確かめた。


「幸いなことに、これまでは死者は出ていません。しかしそれは、たまたまなのかも知れません。たった一機とはいえ、中国の軍用兵器に対抗できるような力が、もし暴走したら? 市民の安全を守る警察としては、自警団のような活動は控えてのです」

「そうなのですか? 警察としては、そうなのかも知れませんね……でも、それをなぜ私どもに?」


 奧埜の言葉は、まるで律が、藤機家が騒動に関係しているように聞こえる。ただ彼らも、何の根拠も持たずに来訪するとは思えない。


「おたく、隣に研究所、持ってるよね」


 それまで沈黙していた遠見が、律に向かって問いかけた。声色は低く、威圧するような調子だ。子供だったら間違いなく泣き出す。


「研究所というか……おじいさまが趣味で作られた工房のような所ですが。それが何か?」


 藤機家の敷地内には、周囲の景観を損ねないよう、多くの木立に囲まれてひっそりと小さな建造物が建っている。外観は、屋敷と同じような建築方式で作られている。


「工房ねぇ……少し離れたところに、地下駐車場の入り口あるだろ。地下はずいぶんと大きいようじゃないか」

「さぁ? 私も引き継いだばかりで、工房がどのようなものか、詳しくは存じ上げないのです」

「まぁいい。おたくのとこの地下駐車場に、騒動の近くに停められていたトラックが入っていったという目撃証言があるんだよ」

「それが、何か?」


 律は遠見の言葉に首をかしげて聞き返す。律の疑問ももっともだ。


「何か? 騒動の時に近くにいて、謎の少女と一緒にその場を離れたんだ。何か関係あると思うだろう?」


 つまり遠見は、ヤクザとマフィアを潰したのは律、あるいは藤木家の人間だと言っているのだ。


「お話に割り込んで申し訳ありません。遠見様、それはいささか筋書きに無理があるのではありませんか?」

「筋書きだと?」


 側部の言葉に、遠見は苛立ちを見せる。本人も無理筋であることは、少なからず承知しているのだが、他人に指摘されるのは腹が立つものだ。側部の指摘した通り、警察は少女の件に“藤機が関係している”と踏んでいる。しかし、相手が巨大企業であり、政治家にも顔が利くとなれば、操作は慎重に勧めなければならない。制限の多い中で、細い細い糸ではあったがそれを強引に引っ張るべきだと、遠見は今回の訪問を強行したのだった。


「勘違いされては困るよ、側部さん。我々警察は、積み重ねた証拠を元に操作をしているんだよ」

「証拠ですか。目撃証言だけでは、証拠能力としていささか弱いのでは? 物証はお持ちなのですかな? たとえば、その少女が残していったものですとか、少女がトラックに乗って当家まで戻ったという画像ですとか」

「……」


 元々、物証はない。が、状況証拠なら揃いつつある。それをここで突きつけてもいいか、遠見は逡巡した。

 

「それとも、刑事のとやら、ですかな?」

「側部、言葉が過ぎます。お客様に失礼ですよ」

「申し訳ございません、お嬢様」


 側部は律に一礼し、一歩下がった。少女はそれを確認し、遠見に顔を向け話しかけた。


「執事の過ぎた物言いについては、謝罪させてください。ですが、確たる証拠も無しに私どもが犯罪に関係しているかのようなお話は、聞いていて不快ですわ」


 資料によれば、藤機律は十九歳。幼く見えるから勘違いしてしまいそうだが、年相応の対応と言えるだろう。


「不快にさせたなら申し訳ない。だが、何でも疑ってかかるのが、俺たちの仕事何でね。この際だ、俺はねお嬢さん、お前さんが武装少女って奴だと睨んでいるんだけどね」

「私が、悪人相手に大立ち回りをしていると?」


 律は、大きくひとつため息をつくと、側部を呼んだ。


「お願い」

「よろしいのですか?」

「構わないわ」


 執事が女主人の背後に回り込んで、警官たちからは見えない位置で何かを操作すると、律を乗せた椅子が動いた。律が座っていたのは、単なる椅子ではなく車椅子だったのだ。側部は車椅子を、二人の男から見える位置まで移動させた。


「これを見れば、お疑いも晴れるでしょう」


 そういって、彼女は下半身を隠していたブランケットをめくった。そこには、明らかに人工のものと分かる輝きが。


「両親が亡くなった事故の時、私は生きながらえましたが、その代わりに膝から下を失ったのです。警察のデータには、掲載されていませんでしたか?」


 その光景に、警官たちは言葉を失った。



       §



 ふたりの男を乗せた車が、屋敷の門から出て行くところを、律は屋敷のベランダから眺めていた。隣には、常に側部の姿がある。


「身元確認はできましたか?」

「はい、お嬢様。奧埜様は明らかに神奈川県警の警官でした。しかし、遠見様は……」

「公安警察」

「おそらく」

「だったら、ちゃんと最初から名乗ればいいのに」


 公安警察という名称は、正式名称ではない。警察庁および都道府県警の公安部門をまとめて指す言葉だ。その使命は、国家体制の安定。


「公安であることを仄めかすことで、我々にプレッシャーを与えたのではないかと」

「だとしたら……無駄足だったわね」

藤機家こちらとしては、迷惑な話でございます」


 律は、ふっと笑みを零す。


「そうね。迷惑を受けた以上、クレームは入れておかないとね」

「はい」

「型通りでいいわ。やりすぎないように」

「心得ております」


 藤機家からしてみれば、非常に薄い根拠で疑われたことになる。県警なり警察庁なりに抗議をする方がと言えるだろう。


 いずれ、疑いの目を向けられるだろうことを予想していたが、かなり早い段階で警察が来たことに、律は(なかなかやるわね)と感心していた。たとえ、それが刑事の勘なる、あやふやなものであったとしても。


「一言、申し上げてもよろしいでしょうか?」

「なに?」

「先ほどの面談。少々危のうございました」


 車椅子の上で、身体を捻って執事を見上げる律。


「私のどこが危なかったの?」

「奧埜様が『戦闘少女』と口にされた時です」

「……だって、そんな名前酷いわ。ちゃんとテミスって名前があるのに」

「その名前はいささか、大仰ではないかと」


 テミスとは、ギリシャ神話に登場する法と秩序を司る女神の名前だ。その像が最高裁判所に置かれていることからも分かるように、司法のシンボルとして使われることも多い。


「Themisじゃなくて、TeMIS。単なるアクロニム、プロジェクト名よ」

「そうではございますが。やはり、あまり拘りすぎるのはいかがかと」


 はいはい、と生返事をする主人に、執事は心の中でため息をつく。この変に意固地なところは、やはり祖父に似ていると思った。


「少し寒くなってきたわ。側部、中に戻りましょう」


 執事は「はい」と応えて、主人の乗る車椅子を押し、部屋の中へと消えていった。



       §



 ある夜、とある廃工場の一角。


 普段は人気のないその場所に、数名の男女がいた。遊びのために集まった、という雰囲気ではなく、ピリピリとした雰囲気に包まれている。それもそのはず、集団の中の何人かは武装し、それを隠そうともせずに周囲に目を配っているからだ。さらに、その廃工場の周囲にも、武装した人間が警戒を行っていた。


「本当に大丈夫なんだろうな?」

「これだけ手勢を集めたんだ。やり合おうなんざ思わねぇだろうさ」

「だと良いんだがな。そもそも、こんなツラ突き合わせて取引する必要もないだろ」

「悪ィな。ウチのボスは、オンラインとかネットとかを信用してねェんだよ」


 特に、信用ならねェ奴らとの取引はな。その男は、心の中で呟いた。もちろん、朽ちに出すことはない。彼らのような反社会的組織であっても、ビジネスはビジネス。余計な言葉で取引がなくなるリスクは避けるべきだ。

 とはいえ、警察が“戦闘少女”と呼ぶ謎の存在も気になる。犯罪現場に現れて、自警団まがいの活動をする少女だって? 半分くらいは警察のフェイク、あるいは警察か検察が裏で糸を引いているのかも。中国製強化服をやっつけたという話が本当なら、自衛隊の秘密部隊なのかも知れない。いずれにせよ、とっとと取引をしてなるはやでずらかるべきだ。


「ブツは?」

「ここにある」


 男が差し出したケースの中には、金塊がぎっしりと詰め込まれていた。


「オーケー。金はこれだ。確認してくれ」


 ケースに入っていた金塊を、機械でチェックした男は、ケースと引き換えにボストンバッグを渡した。金塊を現金で購入するなら、通常の取引で構わないと思うかも知れない。しかし、この金塊は密輸品なのだ。近頃は、密輸品に対する監視も厳しく、表の取引は難しくなっている。密輸したはいいが、捌ききれないのだ。一方、金を買う方は、金を正規品へとロンダリングするルートを持っている。そのまま正規品として輸出すれば、消費税の還付が受けられるし、ワイロとして使ってもいい。金の相場は値上がりを続けているから、手元に置いていても損はない。


 これで取引は成立、あとはとっととずらかるだけだ。


「密輸した金の闇取引なんて、セコい商売ね」

「誰だっ!」

「『誰だ』なんて、返事もテンプレだわ」


 警戒していた男たちが、拳銃や散弾銃を声のする方に向けた。おかしい、倉庫の周りで警戒していた奴らはどうした。なぜ、ここに関係のない奴が入ってこれる?


「せ、戦闘少女……」


 誰かが呟いた。なんてことだ、実在したのか。


「まったくもう、そんな失礼な名前、止めてよね。やっぱりちゃんと名乗ることにするわ」


 そういって、金属の装甲に包まれた少女は、武器を持つ男たちの前に立った。


「私の名前は“テミス”。あなたたちを裁く者。初めまして、そしてさようなら」


 今宵もテミスの乱舞が始まり、ひとつの犯罪が消えた。


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プロジェクト・テミス 水乃流 @song_of_earth

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