プロジェクト・テミス

水乃流

女神降臨(前)

 横浜の高台にある豪邸は、明治時代に建てられたという伝統と歴史を感じさせる洋館だった。深緑に囲まれたレンガ造りの外観。江戸の時代から機巧からくり師として名を馳せた一族の館、藤機ふじき邸として知られるその屋敷は、主が変わった今でもその趣に変わりなく、見る者に尊敬の念を抱かせる。


 今、その屋敷の門を一台の黒いセダンが潜った。ゆっくりと庭を横切って、玄関前の車寄せに滑り込む。何の変哲もないその大衆車は、その場にそぐわない印象が否めない。そして、停まった車から降りてきた二人の男も同様、ファンタジーの世界に何の前触れもなく現代人が現れてしまったかのような、ちぐはぐさが感じられる。男たちは、目立たないグレーのスーツに暗い色のネクタイという、どこにでもいる平凡な格好をしていた。人混みの中にいたら見つけられないような、そんなふたりだった。しかし、鋭い目つきと体捌きは、独特の雰囲気を纏わせていた。すなわち、一般人とは違う何か。


 二人が車を降りたタイミングで、屋敷の扉が重々しい音を立てて開いた。玄関ホールでは、黒いスーツを着こなした一人の男――この家の執事、側部十五そばめじゅうごと数人のメイドが来客を待っていた。


「ようこそ、おいでくださいました」


 普通の人間ならば恐れを抱くか、あるいは嫌悪感を覚えるような男たちを、側部は眉一本も動かさずに出迎えた。


「神奈川県警組織犯罪対策本部組織犯罪分析課、奧埜おくのです」

「同じく神奈川県警警警備部外事課の遠見とうみだ」


 警察官を名乗りIDを見せた二人に、側部は深々と一礼し屋敷の中へ招き入れた。二人の警官が玄関ホールに足を踏み入れると、待ち構えていたメイドの一人が手の平を上にして差し出した。


「車のキーは、この者へお渡しください」


 奧埜は促されるまま、乗って来た車のキーをメイドの手の平においた。メイドは鈎を受け取ると、一礼しすばやく消えた。奧埜たちの車を、車庫へと移動させるのだろう。


「公用車なんで、くれぐれもよろしくお願いしますね」


 自分たちの車へと向かうメイドの背中に、奧埜が声を掛ける。


「ご心配にはおよびません。傷ひとつ付けずにお預かりいたします。さ、お二人はこちらへ。ご案内させていただきます」


 二人の警察官は側部の後ろから、屋敷の奥へと進んだ。ホールから続く廊下は天井が高く、さらには外からの光も取り入れる工夫がされているのか、思いのほか明るい。一方で、外からの騒音は届かず、敷き詰められた絨毯で三人の男の足音も小さくなる。静謐せいひつという言葉が似合いそうな場所だ。


 廊下の奥、奥まった部屋の扉の前で立ち止まった側部は、部屋の中へ声を掛けた。


「お嬢様、お客様をお連れいたしました」

「どうぞ」


 扉の向こうから聞こえた涼やかな声に促されるように、二人の男は開けられた扉を抜けて部屋の中へと入った。

 その部屋には、屋敷の外観から受ける印象とは異なり、ほとんど調度品が置かれていなかった。雑然と積み上げられた書類の束や書籍の山の中に、申し訳程度に置かれた応接セットと、その奥にある机くらいだ。屋敷の主の部屋というよりも、どこかの研究室と言われた方がしっくりくる。ただ、見る人が見れば、応接セットも机もかなり古いがよく手入れをされていることが分かる。


 書類が山脈を成している机の間では、机の大きさに比べて不釣り合いなほど小さくか弱い少女がペンを走らせていた。学校で勉強にいそしんでいるようにも見える少女は、どこかしらはかなさを感じさせる。ガラス細工にも似たこの少女こそ、一年ほど前にこの屋敷を受け継いだ現、藤機家当主、藤機ふじきりつであった。女主人は、机に向かったままで二人の警察官に会釈した。


「藤機律です。今、少し立て込んでおりまして、こんな格好で失礼しますね。どうぞお掛けになって。側部、お客様にお茶を」

「かしこまりました」


 主人の言葉に側部は、しかし退出はせず、明け放れた扉の向こうにいるメイドに目で合図した。

 男たちがソファに腰を下ろした直後、メイドがワゴンを押して部屋に入ってきた。彼女は優雅な手つきでカップに紅茶を注ぎ、ふたりの前に置いて退出した。部屋の中に、ほのかなハーブの香りが漂う。


「ごめんなさいね。わたくし、紅茶しか飲まないもので。お口に合うと良いのだけれど」

「いえ、お気になさらず。いただきます」


 奧埜と名乗った男は、律の言葉にそう応えると、カップに口を付けひとくち、ふたくちと紅茶を飲んだ。遠見と名乗った男は、律に視線を合わせたまま微動だにしない。


「もう少しで一段落しますので、それまでお待ちくださるかしら?」

「確か、おじいさまの跡を継がれたと伺っていますが」

「いえ、祖父も亡くなる前には会長職を辞しておりましたので、会社の方とはあまり関係がないのです。それでも、特許やら申請やら、何かと手続きがいろいろありまして」

「それは、大変ですね」


 何枚かの書類にサインをしたあと、律はペンを置き、机に向かったまま二人に顔だけを向けた。


「お待たせしました。それで、今日はどのようなご用件でいらしたのですか?」


 奧埜はポケットから手帳を取りだし、パラパラとめくりながら口を開いた。


「昨晩起きたある事件について、少々伺いたいことがありまして」

「事件?」

「えぇ、横浜港で起きた乱闘……と言っていいのかな? ま、そんな騒動がありまして」

「港で? まぁ、怖い」


 大きな目を見開いて驚く律を見て、遠見はその仕草にわざとらしさを感じた。だが、それを指摘することはない。


「失礼します。警察は、そのような事件と我が藤機家が、どのように関わっているとお考えなのですか?」


 執事の側部が、一歩前に出て問い質した。言外に、藤機家を侮辱するなというプレッシャーを与えている。その様子に、少し怯む奧埜。奧埜のその様子を見て、まだ若いなと思う遠見。普段相手にしている組織犯罪構成員、要するにヤクザなどとは違うプレッシャーに戸惑っているのだろう。しかもこの執事は、まだ牙をチラリと見せただけに過ぎない。遠見の中で、ぞくりとしたものが浮かび上がって来たが、それではこの聴取(と遠見は考えていた)が成り立たなくなるかも知れない。ここは若い者に任せようと、奧埜に説明を任せることにした。


「いえ、関係というか、何というか。昨日の事件というのがですね――」


 少々慌てたように、奧埜が説明を始めた。




       §




 二人の刑事が藤機邸を訪れる12時間程前、横浜港に係留されている多くの貨物船のひとつ。船にぎっしりと積まれていたコンテナの半分は、すでに埠頭へと降ろされていた。他と変わったところは見当たらないその貨物船の上甲板に、十名ほどの人影があった。彼らは、作業員ではない。

 人影のうちの半数はスーツ姿、残りは開襟シャツなどラフな格好だ。前者は、日本の指定暴力団、菱浜会の構成メンバーであり、後者は貨物船船員――その実体はチャイニーズマフィアのメンバーだった。二つの犯罪組織は、ここでコンテナの受け渡しを行おうとしていた。


「若頭、は確認できました」

「そうか」


 若頭と呼ばれた男は手下の男にそう答えると、船員の中でも比較的良い服を着ている男に向き直った。


「チンさん、確認はできた。コンテナがトレーラーに積み込まれたら、送金するよ」

「無問題ョ、曾根崎サン。クレーンはこちらで抑えてあるから、すぐに降ろすョ」


 そういって、部下に指示を出す。本来、荷下ろしのためのクレーン操作を貨物船の船員が行うことはないし、夜中に許可も取らず作業することもできない。つまり、ここにいる人間だけでなく、多くの人間がこの犯罪に関わっているということだ。


「しかし、親父の時代は日本こっちから中国そっちに送ったこともあったって話なのになぁ」

「中身の質が違うョ。あんたたちが欲しいノ、単純な労働力。違うカ? 」

「まぁな」


 クレーンがゆっくりと動き出すのを、甲板の男たちはじっと見つめていた。クレーンが船の上に差し掛かった時、急にその動きが止まった。いや、止まるのはいい、だが、なぜあんな中途半端な場所で止まる? あれでは、作業できないではないか。


「どうした? 何してる、早く動かせ」


 チンが、無線機トーキーに向かって話しかけるも、返事はない。


「誰か見に――」

「おい、あれはっ!」


 男たちの一人が、天に向かって指を突き出した。その指先が指し示す先にはクレーンの先端、そして、そこには――。


「ひ、ひと?」


 銀色に輝く大きな月を背景に、クレーンの突端に立つ人影。


「誰だ!」


 その言葉が合図だったかのように、クレーンの上に現れた人影は空中へと飛び出した! 宙で鮮やかに身体を回転させると、鉄板が敷かれた甲板に金属同士がぶつかる音を響かせ着地する。そして、ゆっくりと起ち上がるその身体は、月の明かりと輸送船上の照明に照らされ、キラキラと輝いた。


「なんだ? 女?」


 確かに、小柄で曲線的なラインは女性――いや、少女の姿だ。しかし、その身体はどう見ても金属。そして頭には流線型のヘルメット。まるで甲冑を着ているようだ。

 場違いな闖入者に、その場にいた男たちは一瞬、動きを止めた。その僅かな空白を、装甲を纏った少女アーマードールは見逃さなかった。すばやい動きで、近くにいた男の腹を拳で殴りつける。苦悶の声を上げながらその場に頽れる男の上半身が甲板に接触するより早く、二人目の男が後頭部を殴られ意識を刈り取られた。

 他の男たちが躊躇いもなく武器を取り出せたのは、裏家業でしのぎを削ってきた経験からか、危機感を感じ取った本能からか。しかし、少女の動きはすばやい。仲間に当てぬよう、照準を合わせることは容易ではなかった。


「くそっ!」


 躊躇している間にも、一人、二人と倒れていく。まるでアクション映画のワンシーンのようだ。


 連れてきた三下どもがうろたえている時、菱浜会若頭、曾根崎は冷静だった。スーツの下のホルスターから銃を抜くと、すばやくコンテナを背にする。こうすれば、少なくとも後ろからの攻撃はない。前方に集中していればいい。そう考えていた。


「ん?」


 一瞬、少女の姿を見失った。どこだ? 視線を巡らす。いた。目の前だ。甲板スレスレの低い姿勢のまま、曾根崎に向かって飛び込んでくる。飛んで火に入る――曾根崎は、身体の前に突き出すように拳銃を構える。その銃口の先に、少女のヘルメットが見えた。黒いヘルメットの中は見えず、男が拳銃を突き出している姿が映っている。あれは、俺だ。若頭は反射的に引き金を絞った。


 Bang!


 乾いた音が、闇夜に木霊する。

 この距離なら外さねぇ。曾根崎の放った弾丸は、少女が反応するより早く、ヘルメットに直撃した。ヘルメットのバイザーを貫くかに見えた弾丸のエネルギーは、予想を覆し、ヘルメットを破壊することなく弾かれ、弾丸は虚空へと消えた。


 ドン、と強い衝撃が曾根崎を襲う。少女が身体ごと、ぶつかってきたのだ。


「ごふっ」


 纏っている装甲のためなのか、少女とは思えないほど。まるで力士にぶつかられたような衝撃だ。


「あぁん、もう! 避けきれないなんてっ!」


 ヘルメットの奥から、可愛らしい声が響いた。あまりにこの場にそぐわない声だ。


「なん、だっ、てめ……お」


 曾根崎は、その言葉を最後まで言い終えることはなかった。少女の左脚が、彼の側頭部を直撃したからだ。


「弾丸のお返しよ、お・じ・さ・ん」


 ヤクザの若頭は、人形のように力なくその場に倒れた。


「さて、次は……」


 周囲を見回す少女は、チャイニーズマフィア側のリーダー、チンの姿を見つけた。そちらに向かって一歩踏み出す少女に、チンが声を掛ける。


「誰だか知らないけド、やってくれたネ。でも、モウ終わり」

「ん?」


 一瞬、少女の周囲が闇に覆われる。貨物船の照明をバックにして、少女目がけて落ちてきたのは、黒い鉄の塊だった。少女はそれを難なく回避し、落ちてきた鉄の塊に向かって構える。


 鉄の塊に見えたそれは、ゆっくりと動き出し、やがて巨大な人の形になった。


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