第8話 鋭心(とごころ)

 光りだす、水たまり。映し出す雲は散り、雨が上がると鳥の声。

 追い抜き、後を追う子ども、飛び散るのは、こころみず。とりどりに咲く、傘が消える、そのリズム、その音。


 子どもならではの芸当か、上手に道を走っていく。そんなことも年を取るとなかなか難しくなる。関節の油が減ると聞くが、そんなことなのか、動きが悪くなるとともに痛みまで出てくるものだ。

 しかし梅雨のしずくは油だったのか、鋭くも愛おしい心痛がかばったか、腰痛も気にならなくなるほど歩いた。実感だ。どちらの痛みも実際に感じなければ傷ではないだろうに。また湿気と距離もそんなものかと不審で弁別べんべつしかねるが、どこかで何かが峻別しゅんべつしてはいるのだろう。



 曇り空に雨でなければ傘の花は咲かない。それが実際、傘だったか花だったかは心にでも聞け。色であったことに間違いはない。消えていく傘にかわって薄い青い明かりが次々にともり濃さを増す。用無しの色は、下って地べたに置かれ、日に干されるのだろう。そしてときどき忘れられるのだ。


 追い越していった子どもらの歓声が、姿とともに小さくなる。彼らを捉えるはずだった私の感性が、年を取ると在らぬ陥穽かんせいを作り出すもので、染めるべき色も選び切れぬまま、優しい薬で心をとがらせると同時に、要らぬ尖り声を削りしずめてもみる。

 

 体と一緒に、心も常に一瞬も止まらず流れ続けているもので、波形によってはわずかな変化で、激痛が走りもするし歓喜に跳ねることもある。年をねても仕方が無いが、月日は人それぞれに無様な足跡をつけるから、人の姿もいてはその景色も違ってくる。ゴールも距離も人それぞれで、比べても、やはり仕方が無いし、そんなものその人にしか見えはしない。またこの先の水たまりを踏み汚れることもあるだろう、あんたでも。


 心を鋭くし、橋でもないのに叩きながら、自分で選んだ道にあらずも、道を確かめ、強打しても壊れてくれないこの道をまた、歩く。そうしなければ着くべき所に足跡をしるせないから、そうする。



 穴にばかり気を配っていると、草むらに気が抜けるもので、道の脇にはやぶがある。剛の者でも居るのかとのぞいてみたら、藪には蛇も居るもので、踏んで消えればおんの字で、草を打って驚かす程度なら、餌撒きに蛇も喜び、餌食べ太り、態々わざわざの御足労、詰んで仕舞いにまた来るとは、三十六計逃げるにかずと魏晋の代から落ち言葉。忘れたか三十六計と顔を出すのは蛇にはあらず、剛にもあらず、色気づいた一葉の蝶。ぴょんと跳ねた蛙だ。雨宿りの終わりを告げて跳ねてゆく。残ったのは小さな葉の群れ。


 鋭くとがった葉様に早く、一滴の水が流れて落ちて、道に染み込む雨の染み。雨はもう地面の下だ。青空のもとに草がえ、花、花、花、また花が咲く。



(一旦、了)

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あじさいのオマージュ しお部 @nishio240

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